ここには過去何度も来ているが、何故か写真がないので、近くを通るので、岐阜からの帰路に立ち寄ってもらったもの。(2020.02.17(月)撮影)
「千代保稲荷神社(ちよぼいなりじんじゃ)」
海津市平田町三郷1980
「おちょぼさん」の愛称で親しまれ、商売繁盛の神様として有名。
現在の地に祀られたのは室町時代。
境内入口近くの店で、油揚を買い、神前にお供えする参拝者が多い。
おわり
ここには過去何度も来ているが、何故か写真がないので、近くを通るので、岐阜からの帰路に立ち寄ってもらったもの。(2020.02.17(月)撮影)
「千代保稲荷神社(ちよぼいなりじんじゃ)」
海津市平田町三郷1980
「おちょぼさん」の愛称で親しまれ、商売繁盛の神様として有名。
現在の地に祀られたのは室町時代。
境内入口近くの店で、油揚を買い、神前にお供えする参拝者が多い。
おわり
2020.02.17(月)、獅子会の面々は、岐阜市内を遊んでいる。 今回は岐阜駅に近い神社にやってきた。 たっぷりと賽銭を準備して・・・。
「金神社(こがねじんじゃ)」
岐阜市金町五丁目3番の1
古くから金運招福・商売繁盛の神社として崇敬されてきたようである。
丸々と太った鳩。 神様の御利益があって、結構裕福なんだろうなあ!。
つづく
2020.02.17(月)、獅子会のご一行様方は、国道256を南進し、長良橋を渡り、金華山の西の麓にやってきた。
「正法寺(しょうぼうじ)」
岐阜市大仏町8
ウイキペディアによれば・・・・
正法寺は、岐阜県岐阜市にある黄檗宗の寺院である。山号は金凰山。萬福寺の末寺。本尊の釈迦如来は、岐阜大仏として知られている。黄檗宗の寺院の特徴であるが、建物、正法寺の本尊。釈迦如来の大仏で、日本最大の乾漆仏である。
日本三大大仏を称する。岐阜県指定重要文化財作法などは中国風であり、一般的な日本の寺院とは大きく異なる。
正法寺の本尊。釈迦如来の大仏で、日本最大の乾漆仏である。日本三大大仏を称する。岐阜県指定重要文化財
この仏像は竹で編まれており。青銅やコンクリートではないと書いたものがあった。
大仏の横に置かれた仏像の数々。
この後、御三方は近くのコーヒーショップに向かわれたが、考えたら今日はコーヒー代を戴いてはいないので、泣く泣くコーヒーを諦め、岐阜公園に行けばなにがしかの被写体がるから、暇潰しになろうと考えたのだった。
つづく
周り一面が田んぼである、小さなお宮さんであるが、ここには今は無き母との思い出が残る場所なのであり、近くを何度も通りながら、訪れるチャンスに恵まれなかったが、多度の帰路時間があったので、やっとその念願が叶ったのであった。
「井手神社」
三重県三重郡菰野町大字永井338番
この神社の由来等については、資料が少なく、今の所書くことがないが、歴史はありそうなので、調べて見たいと思う。
私の母との思い出とは、ここの石段で母の実家の一家総出の写真があり、私はまだ小学生でもない時代に、今からは考えられないほどに、私が可愛く写った写真であったのだ。 この写真は母の妹(7人兄弟の末っ子=私より三つ下)が名古屋に貰われた時の記念写真であった。
その写真は母の死後、どこに行ったのか見たことがないのであった。その写真に写る一家の一人一人にはっきりとした記憶が今も残り、せめてその場所に行きたいと思っていたのであった。 行ってみるとそこには、ただの石段があるだけではあったが・・・・・・・・・・。
下の写真は、菰野町永井という集落であるが、私が子供の頃はここは「宮浦」といい、三軒しかなく、私が小学五年生の頃でも電気もなく、照明は石油ランプであったし、貧しい農家であったから、部屋の中には「カイコ」(生糸の原料となる糸を作る虫)を飼っていた。
その中の一軒が母の生家であり、子供の頃は田光と言うところにすんでいたので、しょちゅう遊びに来ていた。今は小さな工場もあり、民家も何軒かはできているようだ。
この神社の近くにかつては沼があり、そこには片方の葉しかない、。「伊手のお宮の片は葉の草」と言われ、変った葦があり、不思議な伝説もあるようであるが、それを知ったのは最近のこと。別途調べて見ようと思う。
2019.11.29(金)、今日は久々のすっきりした秋晴れ、都合も良し、体調もよしと言いたいが、若干は足に痛みがあるが、カメラを持てば元気がでるであろうから、歩く距離が多く無いところなら、大丈夫と読んだ。
今日のお出かけの目的は、多度にある花専門店に行き、花の買出しをすることにあり、そこから余り遠くないところで、歩く距離の少ないところと言う条件で撰んだのが、ここであったのだ。
「多度大社」
桑名市多度町
紅葉に期待をかけたのであったが、少々早過ぎたようだ!。
ウマが、首を振って、目の前の「ニンジン」をくれと催促するので¥100投資して二切れを上げたら、内一個がステンレスの箱の隅に転がり込んで、取れないと催促するが手が届かず、「ウマ」君には申し訳無いことをしてしまった!。花が容器に当たって口が届かないのだ!。
つづく
2019.10.27(日)、山野草展を見た帰路にある神社に入ってみた。 ここは我が家からも遠くなく、昔から神社前を何度も通りながらも、中に入ったことがないので、一度は見ておこうと思い、初めての参拝をしたのであった。
「鵜川原神社」
三重郡菰野町大強原
表参道はこんもりとした森の中にあった。
中では宮司がお祈りをしていた。
なぜか相撲の土俵が作ってあった。
本殿側から、表参道を見る。
以上
いつもの四人による「食事会と称する集まり(以後、「獅子会」と言う)」 を、南北に細長い三重県の丁度真ん中あたりにある、美杉町周辺で開催すべくやってきた。 神社前にレストランがあると聞いてやってきたが、今日は三連休の直後であり、生憎閉店していた。
最近は年中腹具合はよくなく、毎食後漢方の胃薬を飲んでいることもあり、空腹感も若い時のように厳しくは無く、空腹を我慢することもさらに無く、見学をしたのであった。
「北畑神社」
ここは、2008年11月に来ており、二度目の訪問であるが、また違った姿が見られるかも知れないと思いつつ、参拝したのであった。
いつもの事ながら、無宗教派の私でも、このときばかりは、家内安全、道中無事故を神妙に、祈ったものであった。
見た感じでは、11年前とは、変わったところは感じる事が無く、静かに佇んでいた。
つづく
かなり昔から、一度はお参りしたいと願っていたが、その機会が無かった。 ここは県下随一のお寺であり、まして「ハス(蓮)」が見事とあっては、是が非でもと思って居たが、「ハス」の咲く時期には他に行くところがあったりして、機会に恵まれなかったのであった。
今回、友が計画してくれたが、「ハス」の時期云々言ってては、またもやチャンスを逃がすと思ったので、またとないチャンスとばかり、やってきたのであった。
「高田山 専修寺(せんじゅじ)」
津市一身田町2819
真宗高田派本山
「山門」
「梵鐘」
少し様子が異なる・・・?。 上がれないようになっており、中央に何かあって人が突くようにはなってはいない?。
横に回ってみると、どうやら電動で突くようになっているようだ!。 初見だ!。ここも人手不足に見舞われているのであろうか?。
「御影堂」
珍しく、撮影禁止ではなかった!。
「御影堂」の側面。
御影堂と隣の如来堂の渡り廊下。
「唐門」
如来堂の正面に立つ、もうひとつの門。
「如来堂」
三重県にもこんな立派なお寺があったのかおと、今更ながら、来て良かったと感じたのであった。 他にもいくつかの建物があったが、省略する。
池にも、多くの鉢にも「ハス」が植えられて、葉が大きく育っており、間もなくの開花の伺わせるが、一個の蕾を見つけるのが、やっとのことであった。
以上
2019.04.09(火)、親友会(仮称) 最近は、それぞれの都合や体調などから、近場が多かったが、今回は珍しく各務原周辺までの遠出をしたのであった。 そして愛知県に入り、そのしんがりとして、祭りが有名な神社にやってきた。
「田縣神社」
小牧市田縣152
神社のホームページによれば・・・
当神社は、古来より五穀豊穣、家業繁栄、開拓の祖神として崇められております。特に大同二年(807)に編纂された古典『古語拾遺-御歳神の条-』の故事に基づいて男茎形を奉納し祈願する俗習があり、「産むは生む」に通じて、恋愛、子宝、安産、縁結び、夫婦円満、商売繁昌、厄除開運、諸病の平癒の守護神として、全国の崇敬者から格別の崇敬を受け、また世界各国の人々から注目される神社でございます。
以上にて、今回の食事会と言う名の集まりは、終了したのであった。
前にも書いたが、私は小学五年の二学期から、中学卒業までを、父親の仕事の関係で、四日市市羽津町に住んでいた。 ここでは育ち盛りの時期を過ごし、今も同級生達と交流を持ち続け、第二の故郷とも思っている。
ここには、「羽津郷土史と民俗研究会」なるものがあり、その一員に同級生がいることから、同人誌を数年前に¥1500で買わされたが、最近になり第2集が発刊されたので、再度買う嵌めになったのであった。(今回は¥1000)
その本には、古くまた由緒正しき神社があり、その特集になっていた。私は名前は聞いていたが訪れたことはなかったので、近くを通った時に立ち寄ってみたのであった。 なお、この本には同級生が羽津を通る旧東海道の風景の水彩画を載せている。
「伊賀留我神社(いかるが神社)」
下の写真、右の道が旧東海道で、写真は北の方向を写しており、この先は桑名、名古屋方面になる。 幼少時代をこの少し南方ですごしたので、道はほとんど通ることはなかったし、この神社は今回が初めての参拝である。 (2019.03.17(日)撮影)
このあたりは一般には「鵤(いかるが)町」と呼んでおり、 羽津町では北の端に位置する。
現在、この神社と道路をはさんで、北隣に「総社伊賀留我神社」というのがある。 先ほど書いた歴史書によれば、この辺りは鵤(いかるが)という一つの村であったが、寛政年間の大風水害で真ん中が削られたので、北鵤(今の茂福)と南鵤(今の羽津)と二つの村に分けられ、神社も二分されたようだ。
・・・であるから、北の神社が「本社」なのであるが、何故か南のほうが、広く立派であると思うのは私だけだろうか?。
「総社伊賀留我神社」
「はづ」第二集 ~ 神社その1 (伊賀留我神社)~
2019.01.02(水)、今年も”村の鎮守の神様”「広幡神社」に初詣をした。 元日は本当に暖かくよい天気であったが、今日は少し雲が広がるが、さほど寒くはなく、お参りが出来た。
参拝が午後になったせいか、人通りはあまり多くはなかった。
本殿に上がり、お参りして、切り餅二切れと、飴玉を頂いてきた。 切り餅はどんどで焼いていただいたので、今年も無病息災が期待できそうだ!。
古いお札を返納し、新しいお札と矢を頂いて帰路についた。
これで、今年も頑張れるだろう!。
この世に生を受けながら、育てられなかった我が子に対する、供養のために、墓を建て、その支払いも何年か掛けたが、既に終了し、毎年手を合わせに来る事もなくなったが、それでも、たまに、思い出すとやってくるのであった。
2018.06.04(月)梅雨入り前ながら、快晴であり、蒸し暑くもない、それに体調も問題なし、以前私が津市の「レッドヒーサーの森」に行きたいと言ったことを急に思い出し、今日行こうと言う。 今日は足腰も文句はなく、行くことになった。
大仏山 幸福寺
三重県度会郡玉城町
我が墓は、上部やや左であったが、いつもの通り、赤い前掛けと小さなお供えをした。
昔から置かれた、多肉植物であるが、最近は余り手入れが行われて居らず、このままでは早晩消え去るかも知れない気がした。
ここまで、来たのだから、伊勢神宮も行きたかったが、津市の植物園に行くためには、足に余裕を持たせなければならないので、歩きの少ない所を撰んだが、その記録は別途とする。
2018.03.31(土)好天の大津にきて、桜に酔いしれている。 車を提供し、運転を一手に引き受けてくれる友を車に残し、もう一人の友と、悠々(?)三井寺に入った。ここには以前来ているので、桜を中心に掲載する。
「三井寺(園城寺)」 天台寺門宗
大津市園城寺町
「仁王門」
「釈迦堂」
「金堂」
「三重塔」
まだ、三ヶ所を訪ねただけであるが、もう既に足腰は疲労の限界、誠に勿体なく、残念であるが、これより先に進むことは困難である。 大津の桜に感謝しつつ、帰途についたのであった。
<< 完 >>
車を運転する友は、自身が長距離歩くことが難しいこともあって、自分はいいから、二人で寺を見てこいと言ってくれた。 寺に入る手前の渋滞に捕まった時点で私たちは車を降りて、寺の見学をしている。 誠に申し訳無いと思いつつも、美しい桜に酔いしれているのである。
石山寺に東大問から入り、本堂まで来たところで、全編を閉じたので、今回はその続きで、本堂の裏側にある、諸施設を紹介していこうと思う。
「多宝塔」
「月見亭」
下は「瀬田川」。
この上方にもいろいろあるようだが、早くも私の足が、だだをこね始めたので、これ以上上に行くことは止めにした。
「鐘楼」
寺の名前「石山」の由来となった、奇岩。
「大黒堂」
「東大門」
この後は、「琵琶湖疎水」を見るが、それは後日としたい。
<< つづく >>
編集後記
石山寺は過去に二度訪れているが、ブログが無いために、記録上は今回が初めてとなるので、少し細かく写真を撮り、二部編成としたのはそのためでもあった。
ここ「石山寺」には過去少なくとも3回は来ているが、一回目は誰と来たのか、それは何時であったか、全く記憶がないが、来ていることは確かであるが、もしかするとそれは、中学生以下だったような気がしている。
二回目は 2004年11月17日に湖東三山などの紅葉を見て回った時に、最後に訪ねたが、この時は全体に少し早すぎて濃い紅葉は見られなかった。 これより既に13年余りを経過しているが、断片的ながら思い出し懐かしく感じながらの散策であった。 (2018.03.31(土)撮影)
「石山寺」 真言宗 大本山
大津市石山寺1-1-1
「東大門」
石山寺は、琵琶湖の南端近くに位置し、琵琶湖から唯一流れ出る瀬田川の右岸にある。本堂は国の天然記念物の珪灰石という巨大な岩盤の上に建ち、これが寺名の由来ともなっている。
後を振り返り、東大門を見る。
「御影堂」
「毘沙門堂」
「石山」の名前の由来の石で、硅灰石からなり、国の天然記念物に指定されているとか。
「本堂」
この日は霞がかかる空ながら、日差しが大変にきつく、コントラストが強くて、フィルターを持ってこなかったために、誠に下手な写真と相成ったしだい!。
この後は、本堂の裏手を見て回るが、その内容は後述する。
<< つづく >>