木燃人の波止場

花やお寺や観光地の写真を紹介しつつ、皆さんとの交流を計りたく思ってます、気軽に見て戴き、コメントを戴ければ嬉しいです。

1072 彦根の桜と歴史探訪(10)清凉寺

2014-04-30 08:00:00 | 寺社一般

2014.04.08(火)、”後期弥次喜多ご一行”は彦根市内の歴史散策の真っ最中です、今回は佐和山というかつては城のあった山(標高232m)のふもとを訪ねています。 

 

 「清凉寺」   曹洞宗  祥寿山

    彦根市古沢町1100    境内自由

 

 彦根市の東北、佐和山の麓にある曹洞宗の禅寺・清涼寺は
佐和山城の城主であった石田三成とその家老・島左近の屋敷跡に創建され、
戦国から江戸期に渡り代々彦根藩主を務めた井伊家の菩提寺です。
かつては雲水の修行場であり、大老・井伊直弼も参禅したのだとか。

 清涼寺には佐和山城落城や石田家家老・島左近に纏わる7つの怪談
「清涼寺の七不思議」が今なお語り継がれています。

この清凉寺の正面に見える山門も「唸り門」とあだ名され、
江戸期に焼失するまでは左近邸の屋敷門を移築して使用しており
毎年大晦日になると風もないのに山門から不気味に唸る音がしたという
不気味な伝説が残っています。

今日は4月8日お釈迦様の日、小さな像に甘茶を掛けてお祈りする親子がいました。

 

 この後は、すぐお隣の「井伊神社」です。

 

 

 

 

 

 


1080 東谷山フルーツパークに咲く花 

2014-04-29 08:00:00 | 庭園公園

 2014.04.17(木)、天気がいいので、春の花を撮りたくて「ブルーボネット」を見た後は、名古屋市守山区にある「東谷山フルーツパーク」にやってきました。 ここは枝垂れ桜が見事なのですが、すでに散りの終盤に来ているので、人出はまばらでした。

 

それでは、その他の花や実を・・・ 

 

 「キクモモ」   「花写真館」へはここから

 

「レモン」   「花写真館」へはここから 

 

 

「ジャボチカバ」   「花写真館」へはここから

幹に直接実が付くのですー!。

 

「マンゴウ」    「花写真館」へはここから

こんな花だったとは、驚きました。 触るとカブレるかも?。

 

「マレイフトモモ」    「花写真館」へはここから

 

「シャガ」    「花写真館」へはここから 

 

 「キリシマツツジ」    「花写真館」へはここから

「クルメツツジ」と似ているらしいが、どこがどう違うのか、まだ研究してません。

 

「オオアマナ」    「花写真館」へはここから

「菜」というからには、昔の人は食べたと考えられますが、こんなものまで食べたとは・・・!。

 

 

「ハナズオウ」    「花写真館」へはここから

 

「ヒョウタンボク」    「花写真館」へはここから

花は必ず2個がセットになっており、実が熟すころくっついて「瓢箪」のようになるから、名前が「瓢箪木」なのだそうです。是非”実”を見たいものです。 また、この実は赤くなり見るからに美味しそうですが、別名を「ドクブツ」とか「ヨメゴロシ」などと言い、猛毒だそうです。 そんな木が「フルーツパーク」に植えられているとは驚きました。

 

「カリン」    「花写真館」へはここから

 

「リンゴ」    「花写真館」へはここから

 

「ニシキギ」    「花写真館」へはここから

フルーツパークの木ですから、実がたべられると思いがちですが、見るからにおいしくなさそうな花です。

 

咲いてる花はこれだけではありません、その一部だけを掲載しました。


1071 彦根の桜と歴史探訪(9)龍譚寺

2014-04-28 08:00:00 | 寺社一般

 2014.04.08(火)、”後期弥次喜多ご一行”は、佐和山のふもとに来ています。

 

 「龍譚寺」   別名:「庭の寺」「だるま寺」  臨済宗妙心寺派 

    彦根市古沢町1104   拝観料:¥400

市観光協会の資料によれば・・・

 井伊氏の始祖、藤原共保(ともやす)以来の井伊家の菩提寺で、奈良時代行基(ぎょうき)によって遠江(とおとおみ)国(現静岡県)井伊谷に開基ました。井伊直政が佐和山城主になったのを機に、昊天(こうてん)が佐和山(232.5m)山麓に移築しました。近郊に多くの末寺をかかえ、学僧が学ぶ大道場でした。

 

 

 

 「補陀落の庭」

 龍潭寺に禅宗の大学寮があり、その中に園頭科(えんずか)がありました。これが造園専門学校の始まりとされています。学僧が実習として作った庭などが現在も残り、庭の寺ともいわれています。
 広い庭園は、佐和(さわ)山を借景に作られています。また、井伊直弼(なおすけ)や小堀遠州が茶の湯を楽しんだ飄々庵(ひょうひょうあん)などの茶室は、佐和山城の城門を利用したといわれ、庭園とともに静寂に包まれ落着いた雰囲気になっています。書院東庭は「蓬莱(ほうらい)池泉庭」と呼ばれ、山を背景に大きな池が横たわる池泉鑑賞式庭園です。書院北庭は「露地庭(ろじてい)」と呼ばれ、その上に上段庭があります。また、書院東庭とともに良く知られた方丈南庭は、「ふだらくの庭」と呼ばれ、白砂に48個の石を配した石庭。また、庭園の後丘上には、夢窓疎石(むそうそせき)や諸禅師(しょぜんし)、小堀遠州の供養塔や造園史の先賢をまつる庭聖殿があり、見る庭だけでなく、考える庭、思う庭、さらに拝む庭などいろいろな庭があるといわれます。

 

 

花は「ショウジョウバカマ」  「花写真館」はこちらから

 

 

 

 

 

このあとは「清凉寺」に向かいましたが、その紹介は次回にしたいと思います。

 

 

 

 


1070 彦根の桜と歴史探訪(8)長寿院

2014-04-27 08:00:00 | 寺社一般

2014.04.08(火)、彦根のさくらと歴史をめぐる旅を続けていますが、 ここは市内でも少し山間に入った静かなところ、標高232mの佐和山のふもとにあたるところにやってきました。

 

 「長寿院」   別名:「大洞弁財天」 近江七福神

    彦根市古沢町1139  拝観境内:自由

 4代直興が日光東照宮を作った大工を登用して建てたもので、権現つくりの優美な本堂は彦根日光と呼ばれ、ここに参拝すれば百所に詣でた功績があると言われているとか?。

下の写真は上記山門から望む「彦根城」。

観光協会の資料によれば・・・

 彦根城の東北(表鬼門(きもん))の方角、大洞山(211m)の中腹にある真言宗醍醐(だいご)派の寺院。正式には長寿院ですが、日本三大弁財天の一つといわれる弁財天坐像を安置していることから大洞弁財天と呼び親しまれ、商売繁盛を祈願する人々でにぎわっています。急な石段を上り、山門をくぐって振り返った風景は、山門を額縁に彦根城が美しく収まり、まるで一幅の絵を見るようです。日光東照宮建立の総奉行であった井伊直興(なおおき)が、厄除けと城を守る備えとして建立したもので、甲良大工によって建てられ、極彩色で欄間(らんま)に眠り猫や象の彫刻があることから、彦根日光とも呼ばれています。

 

 

 

 

 

 「ツルニチニチソウ」   「花写真館」はこちらから

 

このあと「後期弥次喜多ご一行」は、お隣にある「龍譚寺」に向かいました。

 

 


1069 彦根の桜と歴史探訪(7)善照寺、江国寺、町並み

2014-04-26 08:00:00 | 寺社一般

2014.04.08(火)、「後期弥次喜多ご一行」は、彦根市の桜と歴史を訪ねる旅をしています。 今回は市内で見つけた小さな寺を二つ紹介します。

 

 「善照寺(ぜんしょうじ)」   浄土真宗 本願寺派  

    彦根市本町2-3-22 

この寺については、詳細は何もわかりませんので、恐縮ですが、写真のみです。

 

 

 

「江国寺(こうこくじ)」  瑞雲山   臨済宗妙心寺派

    彦根市本町2-3-24     

 江国寺に安置されている大黒天は、大石内蔵助が常に念じたといわれる
仏で、比叡山の大阿闍梨が開眼した仏像らしい。
大石内蔵助が描いた大黒天像(画)が赤穂の高光寺に所蔵されていることからも、
内蔵助の大黒天信仰が篤かったのであろう。

江国寺は、現在の彦根市安清町に1614年開創され、1636年現在地に
移転している。

 

「レンギョウ」がよく咲いていた。  「花写真館」はこちらから

 

落ち着いた風情がただよう町並み。

うなぎは大好きですが、値上がりなどあって、なかなか食べられませんが、この際はと思い切って入ることにしました。 満員でしばらく待って席に着きましたが、お味の方はいまいち私の口には合いませんでした。一番安いの(¥1900のうな丼)を頼んだのがいけなかったかも知れません。

 

「交番」もしゃれている。

 

 

この後は、「大洞の弁天さん」を紹介したいと思います。

 


1079 ブルーボネットに咲く花 

2014-04-25 08:00:00 | 庭園公園

 ここは昨年5月と9月に来ているが、4月には来てない。 花の命は大変に短く、しかも春は花の一番豊富な時期であることから、目新しい花に出合えると考えやってきた。(2014.04.17(木))

花は「チューリップ」が中心になっているが、まだ「花写真館」にない花が名前が判明したものが10種類、まだ調査中が数点あり、行くところによっては、まだ未登録の花が存在することを知った。 

 ここの庭は、さほど広くないが、多くの種類が植えられており、また見る人を楽しませる場所であることから、隙間なく植えられ、手入れも行き届いているのはうれしい処。

 今日は平日、全部で10人そこそこの人出であった。

 

「ベニジウム」or「カンザキジャノメギク」   「花写真館」はこちらから

花の内側に”アクセント”がある花は「ガザニア」であるが、葉が全く異なっている。

 

「アークトセカ・カレンデュラ」    「花写真館」はこちらから

花も葉も「タンポポ」によく似ているが、全く別の種らしい。

 

「ジャノメエリカ」     「花写真館」はこちら   

 

「ハマカンザシ」    「花写真館」はこちら

 

 「ブルビネラ」    「花写真館」はこちらから

 

 

「ネモフィーラ」    「花写真館」はこちら

 

「イカリソウ」    「花写真館」はこちら

ここの「イカリソウ」の花は薄紫で変わりないが、葉が我が家のは緑色をしている。 我が家では「ヒメフウロ」などは乾燥ぎみでそだてると赤みをさすが・・・?。

 

 

「チューリップ」    「花写真館」はこちら

 

「ツボサンゴ」     「花写真館」はこちら

 

 

「ルピナステキセンシス」    「花写真館」はこちら

花の形から「ブルーボネット」ともよばれているようであるが、この花がここの名前になっている。

 

「カッコウセンノウ」or「リクニス・フロスククリ」    「花写真館」はこちらから

花のガクの部分は「フクロナデシコ」に似るが、花がまったく異なっている。

 

「オキナグサ」    「花写真館」はこちら

山野草でもあるが、最近は園芸店でよく見かけるようになったように思う。

 

 

 

ここは、一時間もいれば隅々まで見られるところ。 時間があるので、もうひとつと「東谷山フルーツパーク」に向かったが、その記録は次回にしたい。

 

 


1068 彦根の桜と歴史探訪(6)宗安寺

2014-04-24 08:00:00 | 寺社一般

 2014.04.08(火)、彦根城の桜と文化遺産を見終えた”後期弥次喜多ご一行”は、市観光協会が決めた「井伊家ゆかりの社寺めぐり」13ケ所を中心に市内の歴史を訪ねあるいた。

 

 「宗安寺」  浄土宗  弘誓山   別名:「赤門さん」

     彦根市本町   拝観:境内自由、庭園は¥200要

 徳川家康をまつる、朱塗りの「赤門」寺で、江戸時代の挑戦通信使の宿館としても利用される。石田三成の千体仏や彦根勝運大黒天を安置し、「彼岸白道の庭」も見事・・・とある。

寺院のホームページによれば・・・

 始まりは群馬県高崎市の安国寺に由来しており、徳川四天王の武将といわれる井伊直政公が深く関わっている。
 直政公は1590年に神奈川県の小田原征伐などの戦いで功績をあげ、同年の徳川家康公の関東入国とともに上野箕輪城十二万石を与えられた。その際、正室の両親の供養のために荒廃していた安国寺を復興した。
 そして、直政公は1600年の関が原の戦いでの勲功を称えられて石田三成公の近江佐和山城の城主に。そこで安国寺も付近にと城のそばに高崎安国寺を分離させて建立。正室両親の戒名を一字ずつとって宗安寺と改名した(住持成誉典応上人が開山上人となっている)。江戸幕府が開かれた1603年、彦根に城を移し、宗安寺も現在の位置に移築された。
 宗安寺は井伊家の強大な保護を受け、家康公死去後、同じ浄土宗ということで家康公の位牌奉安所となり、藩主自ら参拝にくるようになった。また当時、城下町のほぼ中心に位置していた宗安寺は隆盛をきわめ、1695年には僧侶35人・寺男11人・塔頭四庵・末寺八ヵ寺を有し、本山クラスまでになった。
 ところが、1701年の彦根大火で佐和山城正門だった赤門(現存)を残して全焼。翌年に長浜城付属御殿をもらい受け、本堂とした。その後も彦根藩の集会所の役割や藩士の会合、朝鮮通信使の宿、幕末には彦根藩が幕府側か朝廷側のいずれにつくかの会議所などとして使われ、彦根の左右を決める所となっていた。

 

 

 

大坂夏の陣で討ち死にした、豊臣型の木村重成の”みしるし”を彦根藩士が、生い茂るススキに包み持ち帰り、己が菩提寺のここに葬った。

 御首がつつまれたススキは、首を洗った池の周りに根付き繁茂した。その後鉄道の施設により、佐和山神社に移された。その神社も廃社となったので、さらに井伊神社に移されたが、枯れ死に近い状態となったので、三たびここに移されたら忽ちにして生き返ったとある。

 

 

 

「ヒマラヤユキノシタ」  「花写真館」はこちらから

 

歴史散策はまだまだ続きます。

                   

 


1067 彦根の桜と歴史探訪(5)地蔵尊と中堀

2014-04-23 08:00:00 | 名所旧跡

 2014.04.08(火)は絶好の”さくら日和”、友の案内で彦根城を巡っています。 これ以上は考えられない程の見事に咲いたさくらと友に、国宝、重文を鑑賞しています。

 

 「金亀山 地蔵尊」  (こんきさん・じぞうそん)

 堀の中にあった。 この地蔵尊の謂れなど調べたが、見つからない。

 

「中堀」

 

 

 

絶景ポイントとされている場所からの一枚。

 

 

 以上で城内は終了とし、これからは、市観光協会が言う「井伊家ゆかりの寺社めぐり」を中心に彦根市内の歴史遺産を巡ってみたいと思います。

 

 


1066 彦根の桜と歴史探訪(4)太鼓門櫓など

2014-04-22 08:00:00 | 名所旧跡

 彦根の桜と歴史を訪ねている「後期弥次喜多」は黒門(裏門)から、本丸に入り、天守閣を見たあと、正門たる大手門方向に歩きはじめた。 (2014.04.08(火)撮影)

 

 「太鼓門櫓」 重要文化財

本丸への最後の関門であり、登城の合図を知らせるための太鼓があったようであるが、一部に壁をなくして、合図の太鼓の音がよく聞こえるような構造になっているとか。

 

「時報鐘」

今も定時に鐘がつかれ「日本の音風景百選」に選ばれている。

 

「天秤櫓」   重要文化財

 

 

 橋を中心にして建てられ、天秤のような形をしているので、天秤櫓と呼ばれている。 この橋は”有事”には、敵が入らないようにするために、「落とし橋」になっている。 このような形式は日本の城郭ではここだけのものとか。

 

橋の下を正面方向(東)に行けば「表門」、手前方向(西)「大手門」に出る。

 

 

 

 大きな落差があり、守りが大変に強固であったことが伺われる。

 

 

 この後は、外堀方向に出て市内に入るが、それは後日に掲載したい。

 

 

 

 

 

 


1078 庭の花 (26-11)

2014-04-21 08:00:00 | 我が庭の花

 朝夕はまだ少し寒いと感じる日もありますが、我が家の小さな花畑も賑やかになってきました。 毎日のように新しく花が咲くので、とても楽しみです。昨年、あれほどに気を付けていたにも関わらず、写真を撮り損なったので、今年は・・・・と頑張ってるつもりですが・・・?。 

 「ヒトリシズカ」   「花写真館」はこちらから

この花は目立たないのて、花期が短いので、昨年のリストに無いのです。多分撮り損なった内のひとつでしょうね。

No56

 

「プリムラ」     「花写真館」はこちらから

 各色ありますが、この色が早くから咲いてます。

No53

 

「ニワナズナ」   「花写真館」はこちらから

花壇の隙間を埋める花としてよく使われる花、脇役として貴重な花です。

No48

  

「ハナカイドウ」    「花写真館」はこちらから

木を植えて3年になりますが、今年はこの一輪だけが咲きました。昨年は多く咲いたのですが、日当たりの悪い場所、水はけの悪い土が原因かもしれないのですが、最早植えかえる場所がないので、我慢してもらってます。

No52

  

「リキュウバイ」    「花写真館」はこちらから

上の「ハナカイドウ」と同じく、3年前いなべ農業公園の梅を見に行ったときに、梅が咲いてないので、”腹いせに”(?)買ったものでしたが、やっと今年初めて咲きました。ようやく”らしく”なってきました。

No40

 

 「ヒメリュウキンカ(八重)」    「花写真館」はこちらから

この花は水生植物を集中して植えていたころ、約10年くらい前に買ってきて植えてましたが、何時しか姿がみられなくなりましたが、生命力の強い「リュウノヒゲ」に交じって、よくぞ生きていてくれたと感動してます。

 本来なら上等の鉢に植え替えるべきですが、今の場所が気に入ってるようなので、しばらくそっとしておきましょう!。

No54

  

「スノーフレーク」    「花写真館」はこちらから

No43

  

「ペチコートスイセン」    「花写真館」はこちらから

No49

  

「デルフィニウム」    「花写真館」はこちらから

きれいとは言いにくい花ではありますが、3/20に買ってきて植えたとき以来咲き続けています。新しい花が次々と開いて、とてもうれしくなります。

No31

  

「オキザリス」    「花写真館」はこちらから

赤も白もあるのですが、今は黄色の天下です。

No33

 

「ワスレナグサ」    「花写真館」はこちらから

No51

  

「ヒメフウロ」    「花写真館」はこちらから

目立たない花ですが、これも水生植物として植えた生き残りです。極めて繁殖力が強く、何もしなくてもどんどん増えますし、花期も長いです。

No55

    写真撮影日  2014.04.5~4.15

    

 只今は、14編と長くなる「彦根の桜と歴史散策」の連続掲載の途中ですが、花は”季節のもの”ですから、時期外れにしたくないし、「寺ばかり」では面白くないとの思いもあろうかと、変化を入れるつもりもあって、この記事を挿入させていただきました。

 

 


1065 彦根の桜と歴史探訪(3)黒門から本丸へ

2014-04-20 08:00:00 | 名所旧跡

 2014.04.08(火)、友と二人、いよいよ「黒門」から「彦根城」の天守閣に向かいます。

 城の観光案内地図を見ると、ここは内堀から天守閣には最も近い門、大手門や表門からに比べれば、敵からの守りが手薄に感じられるほどに近いが・・・

 ここらは城壁が高く、通路も狭く、急な坂道が当時の戦法では、十分な守りになっていたものと思った。

 

 籠城に備えるために、ここに水が貯められていたとある。

 今はタンポポの楽園になっている。

 

 

 

天守閣の北側であるが、「西ノ丸」とよばれているあたり、今は広場になっている。

 

 

 「天守」   国宝

いくつもの屋根を組み合わせた美しい曲線でできている。牛蒡積と呼ばれる石垣の上に、三階三重の天守がそびえる。1607年に完成した。  

 

天守閣を上る。どこのお城もそうだが、階段が急だ!。 大勢の人たちと一緒だから、迷惑を少なくしようと、年寄にはこたえるが、元気を出して必至で上る。

 

 

 

 さすがにこの城は天守が広い!。

 

 彦根市のユルキャラの「ひこにやん」が来て、沢山の人が輪を作っていた。ここには、天気がよければ、」毎日10時30分から11時まで、おいでになるそうだ。 他の時間、雨天の時は彦根城博物館玄関にお出ましとか。

 

ウイキペディアによれば・・・

 江戸時代に同地にあった彦根藩の2代目藩主・井伊直孝に縁(ゆかり)ある1匹の白猫をモデルとしている。造形的には戦国武士をかぶり、おおよそ3等身で直立二足歩行をする、猫をデフォルメしたキャラクターである。なお、兜は井伊の赤備えとして有名な井伊家の伝来品をモデルとしている。その兜の様式(天衝脇立)は城主のものと同じである。

2007年(平成19年)に築城400年を迎えた彦根城の記念イベント国宝・彦根城築城400年祭」のイメージキャラクターとして登場し、全国規模で人気を博した。彦根城のマスコットとしての存続を願う多くの声を受け、イベント終了後も引き続き役割を担うこととなった。

 

 このあとは、「太鼓門櫓」などを見ながら、大手門方向に向かうが、それは次回紹介したい。


1064 彦根の桜と歴史探訪(2)玄宮園、楽々園

2014-04-19 08:00:00 | 庭園公園

 2014.04.08(火)、友の計画、友の車に乗せてもらっての、「彦根城」のさくら見物に来ています。 前回に内堀のさくらを紹介しましたが、このあと本丸へと向かうのですが、大手門を入らずに、内堀の外側を反時計方向に回りながら見てきました。

その途中にあるのが、今回紹介する」「玄宮園」「楽々園」です。

 

 まずは、「玄宮園」から・・・

 

 ウイキペディアによれば・・・

玄宮園の原形となる庭園が造営された時期や規模は明確ではないが、江戸時代初期の延宝6年(1678年)に彦根藩4代藩主井伊直興が整備したといわれる。江戸時代後期の文化10年(1813年)には第11代藩主井伊直中の隠居屋敷として再整備され、今日に近い形に整えられたといわれる。玄宮園は御殿部分の「楽々園」に対して名付けられたものであるが、この呼称がいつ頃から用いられるようになったかははっきりしない。

玄宮園の位置は城内の北東部で内濠と琵琶湖の入江(松原内湖)に挟まれた第二郭と呼ばれる曲輪内にあり、築城当初は重臣川手主水の屋敷が建てられていたが、主水が大坂夏の陣で死亡してからは空家となり、寛永元年(1624年)ごろに下屋敷が建設されたといわれる。入江側は1940年代に第二郭の間近まで干拓が進み現在は堀状の溝で囲まれる形となっているが、往時は庭園北側の水門から舟で琵琶湖まで出られるようになっていた。

園内は中国湖南省の洞庭湖にある玄宗皇帝時代)の離宮庭園を参考に、「瀟湘八景」を「近江八景」に置き換えて作庭されたといわれる。天守を借景として、中心の入り組んだ池には4つの島と9つの橋が架かり、畔には臨池閣、鳳翔台、八景亭などの建物が配されている。

 

天守閣が見える”絶景ポイント”から・・・。

 

「玄宮園」の北側に隣接してあるのが「楽々園」

ふたたび、ウイキペディアによれば・・・

 かつては、江戸時代初期 (1677年) に彦根藩4代藩主井伊直興によって造営が開始された井伊家の下屋敷であった。

「御書院」、「地震の間」、「楽々の間」、「雷の間」、「新東西の間」や「鳰の間」など江戸時代後期の数奇屋建築が現存する。 江戸時代は「槻御殿」あるいは「黒門外御屋敷」と呼ばれており、明治時代以降に「樂々の間」から「楽々園」と呼ばれるようになったとされる。 御書院から望む庭園は玄宮園の池泉を借景とする枯山水である。 戦前までは庭園と御書院の間に池が広がっていた。

敷地は国の特別史跡彦根城跡」の区域に含まれる。また、隣接する大名庭園玄宮園とともに「玄宮楽々園」として国の名勝に指定されている。

 

下の写真が「地震の間」と呼ばれる耐震構造の建築物だそうです。

下がその”地震の間”らしいが、どこに耐震構造がされてるのか、見つけることはできなかった。

下は、上の「地震の間」(もとは「茶座敷」と呼ばれたらしい)から見た、「玄宮園」。

 

ここからも天守閣がばっちり見える。

 

 このあと、いよいよ天守閣に向かいますが、それは後述とします。

 

 

 

 

 


1063 彦根の桜と歴史探訪(1)彦根城内堀

2014-04-18 08:00:00 | 名所旧跡

 久しぶりに友から彦根城の桜と歴史探訪に行かないかとの誘いをうけました。 これを断る所以は全くなく、二つ返事で行く事になりました。 いつものことですが、友の計画は大変に緻密であり、経済的、効率的なのでありがたい上に、今回も車の運転までやってくれるので、こんないいことは他にはありません。

 2014.04.08(火)、天気も朝からきっちり晴れて、風も雲一つもなし!。 絶好の”さくら日和”、朝7時30分我が家に迎えに来てくれた車に乗せてもらい、国道306、421を通り彦根へと向かったのでありました。

 

 彦根には9時過ぎに到着し、まずは「彦根城・大手門」から・・・ 

 

 桜は”どんぴしゃり”状態の時期にきました。 さすがは彦根城、堀の水もたっぷりあり美しい内堀から息つく暇を惜しんでの撮影となりました。

 

丁度、屋形船が通り、絵に花を添えてくれました。(参考までに、乗船料金はさくら祭り期間中は¥1500(通常¥1200)とかなり高い、内堀内を運航)

 彦根観光協会によれば・・・

彦根城築城は、将軍徳川家康公の命により佐和山城を一掃するため、慶長9年(1604)より着工されました。
当初は湖畔の磯山を予定していたといわれていますが、直継の代になって現在の彦根山に決定し、20年の歳月をかけて築城されました。
天守は大津城から、天秤櫓は長浜城から移築。天守は2年足らずで完成しましたが、表御殿の造営、城郭改造など、城郭の完成は1622年とされています。 この間、井伊直孝は大坂冬の陣で兄直継に代わって出陣し、その功績によって家督を継ぎ、夏の陣では豊臣方の木村長門守重成と戦い大功をあげ、井伊直政(常に先鋒を務め、徳川四天王のひとり)に劣らぬ武将と賞賛されました。
直孝は、秀忠、家光、家綱の三代にわたって、将軍の執政となり、幕府政治確立にも貢献。これらの功により3回加増され、譜代大名としては例のない30万石となる。彦根35万石といわれるのは、このほかに幕府領5万石の預かりがあり、合わせて35万石となります。天守は18万石の頃の完成でした。

 

 

 

 

 下の橋は急な黒門山道を経て、天守閣に直行する「黒門橋」。 

そして「黒門」。

 

ここはいわば”裏門”、藩主が客をもてなす「鳳翔台(茶室)」に天守閣から直行できるようになっています。

 

このあと天守閣に向かうが、それは後述としたい。

 


1077 庭の花 (26-10)

2014-04-17 08:00:00 | 我が庭の花

今年に入って、写真を撮った花を表に書き出してみたところ、51種類になりました。下に掲げた写真の右端に書いたNoはその順番です。 昨年は一年間で170種でしたから、すでに1/3近くになりました。

 

 「スイセン」      「花写真館」はこちら

ありふれた花ですが、私が大好きで庭には数種類がほとんど放置状態ですが、毎年立派に咲いてくれます。

 

No23

 

「ユスラウメ」      「花写真館」はこちら

 ご近所からいただいたものです。 田舎の我が家にあったのは、白一色でしたが、ピンクは初めてみました。

No50

   

「クンシラン」   「花写真館」はこちら

 ずっと鉢植えのままなので、根っこがあふれんばかりになってます。 植えかえてやらないととは毎年思うのですが、何も言わずちゃんと咲いてくれるので、そのままにしてますが・・・・!。

No46

 

「アニソドンテア」      「花写真館」はこちら

 昨年から花が途切れることなく、咲き続けてくれる、大変ありがたい花です。 簡単に挿し木でふえるので、鉢の数も多いですが、ご近所にも随分と嫁入りさせています。

No 6

 

「リキュウバイ」      「花写真館」はこちら

 植えて3年になりますが、日当たりの悪い場所のせいか、今年初めて咲きました。

No40

 

「ダイモンジソウ」      「花写真館」はこちら

 ちょっといじけたような”大の字”になりました。

 No42

 

「ペチコートスイセン」      「花写真館」はこちら

N049

 

「スノーフレーク」or「スズランスイセン」      「花写真館」はこちら

 この花を見ると、心が洗われるようになります。

No43

 

「カランコエ」or「ベニベンケイソウ」      「花写真館」はこちら

 「カランコエ」と付く花は多数出回ってるので、別の名前があるやもしれません。

No45

 

「イチリンソウ」      「花写真館」はこちら

 従来、放置してたので、花の数が多くなかったのですが、植え替えなど少しの手入れで、沢山の花を付けるようになり、結構律儀な花だと感じました(?)。

No34

 

巻頭で今年撮った花がすでに51種になったと書きましたが、その内の23種は昨年は撮ってない花でした。中には昨年は花が咲かなかったり、撮り損なったりした花もありますが、多くは新規に購入したり、ご近所からいただいたものなど、新入りが多いからなのです。

 

 

 


1062 小学校の同年会(相差、二見)

2014-04-16 08:00:00 | 名所旧跡

 昭和25年春に四日市北部の小学校を卒業した95名ほどの中、22名は今年も伊勢市相差にある海岸べりのホテルに集結し、同年会を実施したのでありました。この会は「丑寅会」と言い、珍しく、以前から旅行など再々行っていますが、今回を含め3回続けてこの同じホテルに泊まったのです。

 まずは、ホテルの窓からの朝日です。 波は静かですが、海は太平洋です。

 

 

「みち潮」という昨夜泊まったホテルです。

 

「ムラサキハナナ」   「花写真館」はこちらから

 

 

ホテルを9時に出発し、途中海産物を売る店に立ち寄り、そのあと「二見が浦」近くにある「賓日館」を見て、浜辺にやってきました。夫婦岩までは歩いて10分くらいで行けます。

 

ここは夫婦岩の南側に位置します。

 

神社の前を歩くと、夫婦岩に行けます。

 

遠目ですが、夫婦岩です。

 

 

 このあと、少し北に走った所で昼食をとり、伊勢自動車道、東名阪を経て四日市へ帰ってきました。