石灰岩の掘削で荒れる大垣市の金生山と、掘った時に出土する化石が集められているので、金生山化石館等の現状を見てきたのでそのレポートである。(西美濃で食事会 シリーズ14-4)
2018.02.18(日)いつもの仲良し3人が、食事会と称して、岐阜県の西部「西美濃」に来て、谷汲山華厳寺に奉納される、勇壮な谷汲み踊りを見たあと、 大垣市赤坂町にある、標高217mの「金生山(きんしょうざん or かなぶやま)」にやってきた。
ここはウイキペディアによれば・・・
数多くの化石が発掘されることで知られていて、「日本の古生物学発祥の地」と呼ばれることがある。地質学的価値も高いという。その一方で山全体が石灰岩の日本有数のその産出地であり、石灰岩、大理石の採掘が盛んに行われており、山容が変わり景観は損なわれつつある

石灰岩を加工したもので、私が最も身近なものは、花を植えるときに酸性土壌を改良するために使う「石灰」であるが、友のメールによると、食品などに良く入っている、乾燥剤に使われており、岐阜県揖斐川町の会社製造とあった。
金生山の周辺には下のような会社が多数あり、山がどんどん削られ、お寺と市営の公園のみが緑色で残るなど、山の姿がどんどん変わってゆく。

金生山の航空写真であるが、この後訪ねる予定の、明星輪寺とその北西部に広がる岩巣公園を残しぎりぎりまで開発(露天掘り)されている様子が見て取れる。化石館はこの右下外である。 (友の入れ知恵)

その過程で出た化石を集めた化石館が昭和39年に作られ、現在地には昭和60年に新築移転されたようである。
「金生山化石館」
大垣市赤坂町 大垣市教育委員会、文化事業団

金生山の中腹の金生山神社の東隣には、この山から出土した化石など約300点を展示した金生山化石館がある。 この化石館は、金生山の化石研究に生涯を捧げた故熊野敏夫の業績と化石の展示保存をするため、1964年(昭和39年)3月21日に開館した。

当山で出土した化石のみならず、沢山の貝の標本が多数集められている。

館の職員(責任者?)が親切に 教えてくれるので、恥を忍んで、極めて初歩的な質問をしてみた。それは、化石がの内部がどうして固い岩石のようになるのかが、私の昔からの疑問であったからなのである。
化石は柔らかい身の部分は勿論、貝や骨のような固い部分までが、何故あのような固いものに入れ替わるのか、それも、形をそのままにして、そっくり入れ替わることが、この年になるまで、謎であったので、この際と思いぶつけて見たのであった。
結論を一言で言えば、「化学変化により、内容物が入れ替わる」と耳の完全でない私であるが、そう聞いた様に思う。化学変化と言っても、いろいろあろうし私の知らない世界であるから、これで理解することは困難ながら、おぼろげな形は見えたように思った。
化石はどこでも、何でも出来上がる訳ではなく、偶然の重なりによって、ある場面のみが化石として残るのである。化石になる条件が整った場合のみに起こるということと理解した。

ついでながら・・・
化石という日本語には「石に変化する」という意味もあるが、英語の fossil は「掘り出されたもの」に由来するそうである。
また、古代生物が残したもの、石化したものに限らず、その印象が地層に残ったもの、氷づけマンモスやミイラ化した恐竜、また巣穴、足跡、などの痕跡も化石という・・・・とか。
以下は当地で出土したものではないようであるが・・・・
下の巻き貝は毒を持つ貝であるが、見るからに毒々しい。

珍しい形をした貝。

直径が1000mm近い、巨大な貝。「オオジャコガイ」

これも貝であり、長いものは1.5mもあるそうだ!。 「シカマイア」と書いて合った。

お陰で今回は、ちょっぴりお勉強になった!。
伊吹山(1377m)頂上付近がすっきり晴れて、美しい山並みにうっとり・・・!。

このあとご一行様は、この山を少し登った所にある、「明星輪寺」に向かったが、その内容は別途としたい。
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