2012年11月13日(火)から同19日までの、6泊7日のネパール旅行を終え、それぞれの記録は今までに述べてきたが、ここではそこに書かなかった総括的事項を、気の付くままに記して置く。
なお、ほんの数日間に狭い範囲を見ただけなので、”目の悪い人の象の印象”に過ぎないし、私の独断と偏見に満ち溢れた見解である点をここに明確にして置きたい
(1) 人々
この国の人口は26とも30百万人とも言うが、正確には掴めていないようである。戸籍も整ってはいないようである。死亡診断などなさそうであり、難民の数も把握しきれない事を考えると、それを整備するにはまだまだ時間が必要なのかも?。
国の面積は我が国の本州を除いた日本(北海道+九州+四国)と略同じであるし、高地が広く締めているので、平地の密度はかなり高くなりそう。いずこも同じく人は都会に集中しているので、インフラ整備が緊急の課題と見た。
肌の色も異なるなど、多種多様の部族があり、一概には言えないが、一部のネパール人は日本人によく似ていると言われる。私達が「ナマステー(こんにちは)」と言うと、老若男女を問わず、両手を合わせにっこりして軽く頭を下げるしぐさはとても、人懐っこさを思わせた。
(2) 突然の停電
ホテルには6泊宿泊したが、その電力の最も消費される時間帯、夕刻から夜の時間帯に突然の停電に何度も見舞われた。夜や早朝のお出掛けが予定され、懐中電灯の持参が求められていたので、持ってはいたが、最初はどうなることかと驚いた。
だから、その後は常に小型の懐中電灯を身近に置くようにしたから慌てることはなかったが、やはりここもインフラの整備が若干遅れているようだ。
下の写真はその積りで撮ったのではないし、停電とは直接の関係はないが、電力網の整備が望まれる一面として掲載した。
普通電気を家庭などに届けるには、幹線があって、そこから各個に支線を出すのだが、ここらは幹線の配線を待てなくて、遠い幹線まで支線だけを伸ばすからこうなるのであろ。遠くなり、電力の使用量が増えれば電圧ドロップや停電の原因に成り得るのである。
ホテルやレストランには各テーブルにローソクとマッチが用意されている。夕食のレストランには予めキャンドルサービスとして、灯されているのも当地ならではの事であろう。
(3) 水事情
この国には、川が少ない上に川は聖なる場所としてインドに流れるから、ダムを作ることも出来ないだろうし、地下水は豊富のようだが、汲みあげる技術も必要であるし、見た所我々の想像する地下水とは異なり、白濁するなど、飲料用とするにはこれまた技術が無ければならない。それに、最近はその地下水でさえ枯渇してきて、パイプを引かざるを得ないようであり、水事情は決して楽では無く、日本人は生水を絶対飲むなは当然のこととなる。
下は雨は当分降って無いのに白濁した地下水
(4) 交通事情
我々が到着した日(11/13)を含め土曜日(11/17)まで 、幸いにも祭の期間中で、多くの会社や商店が休日となっていたので、街中の混雑は激しくなかったが、それでも人の集まる場所、寺院周辺などは、車とバイクが我先にとクラクションを続け様に鳴らすし、道路は拡張工事のために、先に一斉に建物の取り壊しを行ったので、道路の有効幅が狭くなり、通りは喧騒の上にひどい埃が舞い上がるのである。
大通りには信号もあるが、その殆どは点灯していない。現地ガイドの言葉を借りれば、”只今節電中”と笑っていた。たまには、横断歩道もあるが、殆ど機能していないので、横断歩道では無い所と比べ、横断する”テクニックと勇気”は同じく必要と感じた。
バイクは最大かどうかわからないが、ここで見た乗車の最高は大人と子供各2名、計4名が最高であった。また、乗合バスは窓も無く痛んだ車両もあり、これに定員の3~4倍の人を載せて走っていた。また、ここでは自転車の走ってる数はかなり少ないと感じた。
(5) 食事について
観光開発も途上の国と聞いていたので、20年前の中国旅行時にあの強烈な香辛料のために、殆ど食べられ無かった経験を元に、”ご飯ですよ”や”ヤキトリ”などのおかず缶詰を持参したのであったが、幸いな事にこれらは全て明けることもなく、殆ど持ち帰ることになった。
事程左様に、ネパール料理もチベット料理も大変に美味しく戴いたのであった。私は一時期体調を崩したので、本当のネパール料理を口にしないで過ぎた事もあるので、余り大きな口をきく訳には行かないが、総じて食べ物での不満は無かったと言える。
下はご飯にぶっかけて食べる、チベット式”よせ鍋である。
”
(6) 現地の天候、気温について
資料によると、6~9月前半が雨季、9月後半~5月が乾季であり、乾季の気温は日中は20℃近くになるが、朝夕は大きく下がり、10℃を切る事もあるとあった。
1000m前後の高地でもあることと、早朝夕暮れ時の観光が予定されており、どちらかと言えば寒さ対策を重点に考えて行ったが、好天にも恵まれ、日本のいつもの服装では、日中は暑い思いをする事が多かった。その反面、早朝の日の出観察は流石に手袋が役に立った。
現地には丸6日間いたが、持参の雨具は開ける事もなく、空に雲を見たのは初日に、それもほんの少し山に掛かっていたのみで、その後は全く雲の無い日ばかりであった。乾季とは言え、こんなに毎日雲の無い晴天とは極めて有難いことであった。
前回、ニュージランドでの最も楽しみにしていた、「ミルフォードサウンド」が、快晴に恵まれた事を思い出し、改めて”晴れ男”を大きく名乗った次第。逆に、朝日夕陽の写真では、雲が無いと単調に成るので、雲が少し欲しいと”贅沢”な事を考えたりしていた。
(7) ブログに載せ得なかった写真
先に載せた写真の中で、死者の火葬で上る煙の写真を載せた事で、お咎めを受けたが、確かに考え方によっては、非難されても致し方無いと思うが、私としては真実を伝えたかったのと、ネパールの人々が死後は自然に帰るのだと考えてると知ったので、掲載は不自然なことではないと判断したのである。しかし、その私でさえも掲載し得なかった写真がある事を記録しておきたいのである。
その一は・・・
下の写真はあちこちの寺院に飾られている見事な彫刻である。
この寺の右の面にあるものには、男性のシンボルを日本の浮世絵ほどではないものの、かなり大げさに、しかし、極めてユーモラスに彫られたものがあった。全体像つまり”人の又間”に位置するから、明らかにそれとわかるが、それ単独ではそれと誰も気が付かない形につくられていたのである。
話題性はあるので、ブログの記事の格好のネタではあったが、掲載することはやめにしたのである。
その二・・・
チベットからの難民がいることは記載したが、その中には”物貰い”をして生活せざるを得ない人達も何人かいて、我々の目にも付いたのである。それらは大人であり、痩せこけて真っ黒に日焼けし両手と膝を使って這いまわって、なにかをくれと手を出すのである。
そこで私は、我が国の終戦後、傷痍軍人の服装で包帯姿で道路脇に這いつくばる人を思い出し、気の毒な人達ではあるが、他の道をどれくらい当たったのか疑問を感じ、その根性が人の道にはずれているのではと疑ったからである。
その三・・・
ある寺に石に彫られた、悪魔の神”シバ神”が祀られていた。その像はいけにえの女のはらわたを食する像であった、そして、そんなにリアルな彫り方でもなかったが、何故か私は”生身の若い女”を想像してしまい、神と言えどもそんな事が許されるものではないとの憤りを覚え、シャッターを押す事もすっかり忘れて憤慨していたのであった。
考えてみれば、馬鹿げた行動であったと、また、せっかくの”ネタ”をフイにしたと残念な思いをしたが全ては後のまつりであった。
(8) 生活パターンの変化と体調
私の日常生活は表彰される程に規則正しい。毎日10分と変わらない、寝起きの時間、食事の時間、それに高カロリーを避け、積極的植物繊維の摂取、便秘予防に起床後300ml程の飲水を欠かさない、などなど完璧と自分では思っていたがこれが過信であったようだ。
旅に出るに当たり、最も心配なのは”頻尿”であった。このため直前から朝の飲水を止め、一日の水の摂取量を少なめとした。そして、旅に出れば当然の事ながら、食事の時間も内容も大きく変わったが、過去は何の支障も無かったので、気にはしていなかった。
所が既に3日間通じが無かった、こんな事は良くある事ではあるが、旅先であるので「アローゼン(下剤)」を飲んで寝たが、旅行2日目の朝も出ないのである。そこまで来ているので、頑張るが今一歩が出ないのである、痛みも激しいが、それは顔に出さずに観光に出る。
3日目の朝、今日も出ない。相撲取りの如く大きく膨らんだ腹を抱え、椅子に座るも痛みが走る、それを隠し切れず、遂に皆さんの知ることとなった。この日一日は本当に苦しく、止むなく”夕陽鑑賞とナイトトレッキング”を欠席。俄かに生活パターンを変えたことを後悔したが後の祭であった。
そして、旅行4日目の朝、初めての3日連続「アローゼン」服用の効果が現れて2~3日分かと思われるほどが出てくれたのだった。これで幾分楽になったが、無理に出した後遺症(?)で、痔の痛みはあるものの、何とか皆さんに付いて行く事が出来るようになった。
更に翌朝、すっきりと気分良く、残りが出た。これで一安心、楽しい旅に戻る事ができて本当に良かったと、つくづくと感じた次第であった。苦痛が発生した時つい顔に出て仕舞い、薬を戴くなど、皆さんに心配と迷惑をかけ本当に申し訳なく、大きな反省をしたのであった。
老化が進み、環境や生活パターン、特に食べ物の変化に対する、対応力が低下して、順応出来ない体になっている事を明確に気付いたので、これは今後に生かせるので、良き体験が出来たと思うと同時に、今後の海外旅行に自信みたいなものが付いたのであった。
以上、思い付くままに記録したものである。兎も角、添乗員も含め10名全員が無事に帰る事が出来たことは、この上も無い有難いことであった。お世話になった、現地ガイド、添乗員そして同行の皆さんのお陰で楽しい旅が出来ました。これらはネパールの神々に祈ったことが叶えられたのだと、改めてお釈迦様などに感謝したい。
大変お粗末な割に長編の「ネパール紀行」にお付き合い賜りありがとうございました。なお、この後に”インデックス”を投稿するので、参考にされたい。
<< 完 >>