木燃人の波止場

花やお寺や観光地の写真を紹介しつつ、皆さんとの交流を計りたく思ってます、気軽に見て戴き、コメントを戴ければ嬉しいです。

855 今年の締めくくり

2012-12-31 08:00:00 | その他

月日の経つのは早いもので、早くも大晦日を迎えることとなった。

昨年の手術の後遺症が漸く小さくなり、11月には「ネパール」への2年振りになる、かねてから念願の海外旅行に踏み切り、それも、どうにか無事に帰る事が出来たことで、漸く前途への”GO!"がかかったと喜んだものである。

体調が回復し、海外にも出掛ける自信も付いたが、しかし気分的にに何故か落ち着かない。何も書かないのは平和ボケに陥ってると思われそうなのである。そこで、我がブログでは異例のことであるし、今後は書かない積もりであるが、一言寄せたいのである。

 

今年はオリンピックで日本人の活躍は感動的であったり、山中教授のノーベル賞受賞など明るい話題も多くあったが、しかし、年末の衆議院選挙では、国民の意思とは異なる結果で棚ボタ式に自民党が政権を取り、企業や官僚は喜ぶが、私には先行きに希望を持てないのが不安なのである。

三年前に画期的公約を掲げ、多くの国民が期待を寄せた民主党であったが、自民党と官僚とで作られた、企業家や官僚向けのシステムを突き破る事が出来ずに、結局は官僚に制御されてしまった。よって、公約とは議員になり、権力を得て多額の報酬と名誉欲を満たすための方便でしかなかった。

新政権になり、ここの所、株価高、円安と企業や株主などが喜ぶ結果が出て来たが、株さえ持たない一般庶民には何の利益があるのであろうか?。輸入品が高くなれば、物価や電気ガス代も上り、インフレで作り、売る方は収入増えるが、払うのは消費者=多くの国民なのである。

今も福島などで多くの人が放射能に攻められており、国民の多数が脱原発を思っているのに、再稼働、新規増設に動きそうである。原子力に群がるシロアリ共が、更に仲間を増やし、予算を分捕りその山分けに向って、悪知恵を巡らせている事は、間違いのない事実と思う。

過去の自民党との決別などあるはずも無く、結局は古い自民党に戻すよう官僚が動いて、いずれはまた国民から見放されるであろうことは見えているので、安定した政権とは思えない。よって、先々に希望の持てる政治団体が現れるまで、暫くは我慢しなければならないと思っている。

今回の選挙でもその芽はあったが、小党乱立と準備不足、人材不足でそれが返って自民党に有利に働き、所謂第三極は大きな進出を得ることが出来なかった。こうなれば、次の参院選までに体制を作り直して、真に国民の声を代弁する政党が立ちあがる事を期待して、ここは締めたいと思う。

 本来ならば、今年を振り返り来年への期待を書くべきであるが、今は意気消沈し、正月など来て欲しくない、”明けましておめでとう”などと言える気分ではないが、後ろを見ないで、前だけを見る姿勢、前向きに捉えたい私の信条だけは絶やしたくないと思うので、せめて、初夢だけでも明るい日差しが欲しいものである。

 

皆さまにはこの一年間大変お世話になりました。どうぞ来年もよろしくお願いいたします。最後になりましたが、皆さまのご多幸とご健勝を心よりお祈り申しあげます

 

 

 


847 ネパール紀行(24)ブログ・インデックス

2012-12-30 08:00:00 | 旅行記

ブログ インデックス

 「ネパール紀行」は行き先毎に細分化したので、合計24編という長編になってしまった、そのために必要な時に必要な記事を探す手間を減らす目的で、ここにインデックスを作成した。

 

(1) ちょこっと決断 (No824)  2012.11.24公開

ここでは、「まえがき」として、何故ネパールを選んだかや、その経緯をまとめた。

   http://blog.goo.ne.jp/mokunen33/d/20121124

 

(2) 出発~カトマンズ到着 (No825)  2012.11.25公開

我が家からの出発から、空港の夜景、乗り継ぎの香港空港の様子、そしてカトマンズ空港、深夜のホテルに到着までを記録している。

   http://blog.goo.ne.jp/mokunen33/d/20121125

到着したホテルの窓から、深夜の市内を撮ったもの。

 

 

(3) 宿泊したホテル、カトマンズの街 (No826)  2012.11.26公開

ここからが、本番の旅行記となる。

ホテルの周辺から、カトマンズ市内の様子を伝える。のら犬、のら牛、路端の店や祈りの場所などを紹介する。

    http://blog.goo.ne.jp/mokunen33/d/20121126

 

 

(4) バクタブルのまつり (No827)  2012.11.27公開

 古代都市「バクタブル」では、祭の真っ最中、各部族毎の催しや、路面に広げた店などを紹介する。

    http://blog.goo.ne.jp/mokunen33/d/20121127

 

 

(5) バクタブルの寺院  (No828)  2012.11.28公開

 世界遺産に登録されている、寺院や旧王宮を精巧な彫刻などと共に紹介する。

    http://blog.goo.ne.jp/mokunen33/d/20121128

 

(6) 夕陽のヒマラヤ  (No829)  2012.11.29公開

 美しい段々畑と里山風景、ホテルの屋上から見た、夕陽に映えるヒマラヤの山々などを見て戴く。

    http://blog.goo.ne.jp/mokunen33/d/20121129

 

 

(7) 朝日のヒマラヤ  (No830)  2012.11.30公開

 ホテルの展望台から、朝日やアサヒに照らされる、アンナプルナやダウラギリを見る。

http://blog.goo.ne.jp/mokunen33/d/20121130

 

 

(8) パタンの寺院  (No831)  2012.12.02公開

 ここにも数々の世界遺産を含む寺院が見られる。ここは敬虔な祈りの場でもある。

 http://blog.goo.ne.jp/mokunen33/d/20121202

 

 

(9) パタンの街と人々  (No832)  2012.12.04公開

 パタンの街や人々の様子やお祈りの場などを紹介する。

     http://blog.goo.ne.jp/mokunen33/d/20121204

 

 

(10) ポカラのシンボル  (No833)  2012.12.06公開

ポカらの街のシンボルと言われる標高6993mの「マチャプチャレ」など、朝日に映える山々の姿をお伝えする。

     http://blog.goo.ne.jp/mokunen33/d/20121206

  

 

(11) アンナプルナ遊覧飛行  (No834)  2012.12.08公開

 小型飛行機に乗り込み、アンナプルナ、ダウラギリ、マチャプチャレに迫る。

     http://blog.goo.ne.jp/mokunen33/d/20121208

 

 

(12) 悪魔の滝  (No835)  2012.12.10公開

 川が少ない代わりに、地下水の多いこの地でしか見られない、不思議な滝 ”下から下に流れ落ちる滝”を見る。

     http://blog.goo.ne.jp/mokunen33/d/20121210

 

 

(13) フェワ湖   (No836)  2012.12.12公開

 漕ぎ手を含め、5人しか乗れない小型のボートに乗り、波静かな鏡のような「フェワ湖」から、ヒマラヤの山々を見る。

     http://blog.goo.ne.jp/mokunen33/d/20121212

 

 

(14) ポカラ市内観光  (No837)  2012.12.14公開

  小高い丘の上にある、ヒンズー教の寺院を尋ねたら、結婚式を終えたばかりの幸せそうなカップルにも出会った。 さて、この後この夫婦は、笑うのはどっち?、泣くのはどちらだろうか?。 

http://blog.goo.ne.jp/mokunen33/d/20121214

 

 

(15) 家庭訪問、夕陽鑑賞  (No838)  2012.15.公開

 自給自足で暮らす三世帯家族の住まいなどを見学、新装なった台所(下)で作った紅茶をおばあちゃんが御馳走してくれた。 

http://blog.goo.ne.jp/mokunen33/d/20121215

 

 

(16) 朝日観賞  (No839)  2012.16.公開

 朝日に映えるヒマラヤの山々を、早起きをして「サランコットの丘」から見る。

 http://blog.goo.ne.jp/mokunen33/d/20121216

 

 

(17) セームナード寺院  (No840)  2012.17.公開

 お釈迦様を祀る寺院とそこで法要を営む人達を紹介する。

 http://blog.goo.ne.jp/mokunen33/d/20121217

 

 

(18) ダルバール広場  (No841)  2012.12.18.公開

 ここにも多数の世界遺産に登録されている寺院がある。

 http://blog.goo.ne.jp/mokunen33/d/20121218

 

 

(19) エベレスト遊覧飛行  (No842)  2012.20.公開

 これが世界最高峰の「エベレスト」標高8848mだ!。

 http://blog.goo.ne.jp/mokunen33/d/20121220

 

 

(20) パシュパティナート  (No843)  2012.22.公開

 人が俗界と最後の別れをする場所、死後は自然に帰るための場所である。

 http://blog.goo.ne.jp/mokunen33/d/20121222

 

 

(21) ボダナート寺院  (No844)  2012.24.公開

 チベット難民も多いが、パキスタンやインドからの流入も激しい街などを紹介。

     http://blog.goo.ne.jp/mokunen33/d/20121224

 

 

(22) 最後の晩餐会  (No845)  2012.12.26.公開

 旅行最後の夕食はネパール民族舞踊を見ながら、ネパール料理を戴いた。

     http://blog.goo.ne.jp/mokunen33/d/20121226

 

 

(23) まとめ     (No846)  2012.12.28公開 

 ネパールの人々、電気、水、交通など現地の状況について私の独断と偏見に満ちた感想を書き並べたもの。

        http://blog.goo.ne.jp/mokunen33/d/20121228

 

(24) ブログインデックス   (No847)  20122.12.30公開

    (本書)

                                                     以上

もうひとつのインデックス(一覧表)はこちら・・・・

     http://sky.geocities.jp/spdpn334/blog-index/blog-index-8.html

 


846 ネパール紀行(23) まとめ

2012-12-28 08:00:00 | 旅行記

 2012年11月13日(火)から同19日までの、6泊7日のネパール旅行を終え、それぞれの記録は今までに述べてきたが、ここではそこに書かなかった総括的事項を、気の付くままに記して置く。

なお、ほんの数日間に狭い範囲を見ただけなので、”目の悪い人の象の印象”に過ぎないし、私の独断と偏見に満ち溢れた見解である点をここに明確にして置きたい

 

(1) 人々

この国の人口は26とも30百万人とも言うが、正確には掴めていないようである。戸籍も整ってはいないようである。死亡診断などなさそうであり、難民の数も把握しきれない事を考えると、それを整備するにはまだまだ時間が必要なのかも?。

国の面積は我が国の本州を除いた日本(北海道+九州+四国)と略同じであるし、高地が広く締めているので、平地の密度はかなり高くなりそう。いずこも同じく人は都会に集中しているので、インフラ整備が緊急の課題と見た。

肌の色も異なるなど、多種多様の部族があり、一概には言えないが、一部のネパール人は日本人によく似ていると言われる。私達が「ナマステー(こんにちは)」と言うと、老若男女を問わず、両手を合わせにっこりして軽く頭を下げるしぐさはとても、人懐っこさを思わせた。

 

(2) 突然の停電

ホテルには6泊宿泊したが、その電力の最も消費される時間帯、夕刻から夜の時間帯に突然の停電に何度も見舞われた。夜や早朝のお出掛けが予定され、懐中電灯の持参が求められていたので、持ってはいたが、最初はどうなることかと驚いた。

だから、その後は常に小型の懐中電灯を身近に置くようにしたから慌てることはなかったが、やはりここもインフラの整備が若干遅れているようだ。

下の写真はその積りで撮ったのではないし、停電とは直接の関係はないが、電力網の整備が望まれる一面として掲載した。

普通電気を家庭などに届けるには、幹線があって、そこから各個に支線を出すのだが、ここらは幹線の配線を待てなくて、遠い幹線まで支線だけを伸ばすからこうなるのであろ。遠くなり、電力の使用量が増えれば電圧ドロップや停電の原因に成り得るのである。

 ホテルやレストランには各テーブルにローソクとマッチが用意されている。夕食のレストランには予めキャンドルサービスとして、灯されているのも当地ならではの事であろう。

 

(3) 水事情

この国には、川が少ない上に川は聖なる場所としてインドに流れるから、ダムを作ることも出来ないだろうし、地下水は豊富のようだが、汲みあげる技術も必要であるし、見た所我々の想像する地下水とは異なり、白濁するなど、飲料用とするにはこれまた技術が無ければならない。それに、最近はその地下水でさえ枯渇してきて、パイプを引かざるを得ないようであり、水事情は決して楽では無く、日本人は生水を絶対飲むなは当然のこととなる。

下は雨は当分降って無いのに白濁した地下水

 

(4) 交通事情

我々が到着した日(11/13)を含め土曜日(11/17)まで 、幸いにも祭の期間中で、多くの会社や商店が休日となっていたので、街中の混雑は激しくなかったが、それでも人の集まる場所、寺院周辺などは、車とバイクが我先にとクラクションを続け様に鳴らすし、道路は拡張工事のために、先に一斉に建物の取り壊しを行ったので、道路の有効幅が狭くなり、通りは喧騒の上にひどい埃が舞い上がるのである。

大通りには信号もあるが、その殆どは点灯していない。現地ガイドの言葉を借りれば、”只今節電中”と笑っていた。たまには、横断歩道もあるが、殆ど機能していないので、横断歩道では無い所と比べ、横断する”テクニックと勇気”は同じく必要と感じた。

バイクは最大かどうかわからないが、ここで見た乗車の最高は大人と子供各2名、計4名が最高であった。また、乗合バスは窓も無く痛んだ車両もあり、これに定員の3~4倍の人を載せて走っていた。また、ここでは自転車の走ってる数はかなり少ないと感じた。

 

(5) 食事について

観光開発も途上の国と聞いていたので、20年前の中国旅行時にあの強烈な香辛料のために、殆ど食べられ無かった経験を元に、”ご飯ですよ”や”ヤキトリ”などのおかず缶詰を持参したのであったが、幸いな事にこれらは全て明けることもなく、殆ど持ち帰ることになった。

事程左様に、ネパール料理もチベット料理も大変に美味しく戴いたのであった。私は一時期体調を崩したので、本当のネパール料理を口にしないで過ぎた事もあるので、余り大きな口をきく訳には行かないが、総じて食べ物での不満は無かったと言える。

下はご飯にぶっかけて食べる、チベット式”よせ鍋である。

 

 (6) 現地の天候、気温について

資料によると、6~9月前半が雨季、9月後半~5月が乾季であり、乾季の気温は日中は20℃近くになるが、朝夕は大きく下がり、10℃を切る事もあるとあった。

1000m前後の高地でもあることと、早朝夕暮れ時の観光が予定されており、どちらかと言えば寒さ対策を重点に考えて行ったが、好天にも恵まれ、日本のいつもの服装では、日中は暑い思いをする事が多かった。その反面、早朝の日の出観察は流石に手袋が役に立った。

現地には丸6日間いたが、持参の雨具は開ける事もなく、空に雲を見たのは初日に、それもほんの少し山に掛かっていたのみで、その後は全く雲の無い日ばかりであった。乾季とは言え、こんなに毎日雲の無い晴天とは極めて有難いことであった。

前回、ニュージランドでの最も楽しみにしていた、「ミルフォードサウンド」が、快晴に恵まれた事を思い出し、改めて”晴れ男”を大きく名乗った次第。逆に、朝日夕陽の写真では、雲が無いと単調に成るので、雲が少し欲しいと”贅沢”な事を考えたりしていた。

 

 

(7)  ブログに載せ得なかった写真

先に載せた写真の中で、死者の火葬で上る煙の写真を載せた事で、お咎めを受けたが、確かに考え方によっては、非難されても致し方無いと思うが、私としては真実を伝えたかったのと、ネパールの人々が死後は自然に帰るのだと考えてると知ったので、掲載は不自然なことではないと判断したのである。しかし、その私でさえも掲載し得なかった写真がある事を記録しておきたいのである。

その一は・・・

下の写真はあちこちの寺院に飾られている見事な彫刻である。

この寺の右の面にあるものには、男性のシンボルを日本の浮世絵ほどではないものの、かなり大げさに、しかし、極めてユーモラスに彫られたものがあった。全体像つまり”人の又間”に位置するから、明らかにそれとわかるが、それ単独ではそれと誰も気が付かない形につくられていたのである。

話題性はあるので、ブログの記事の格好のネタではあったが、掲載することはやめにしたのである。

その二・・・

チベットからの難民がいることは記載したが、その中には”物貰い”をして生活せざるを得ない人達も何人かいて、我々の目にも付いたのである。それらは大人であり、痩せこけて真っ黒に日焼けし両手と膝を使って這いまわって、なにかをくれと手を出すのである。

そこで私は、我が国の終戦後、傷痍軍人の服装で包帯姿で道路脇に這いつくばる人を思い出し、気の毒な人達ではあるが、他の道をどれくらい当たったのか疑問を感じ、その根性が人の道にはずれているのではと疑ったからである。

その三・・・

ある寺に石に彫られた、悪魔の神”シバ神”が祀られていた。その像はいけにえの女のはらわたを食する像であった、そして、そんなにリアルな彫り方でもなかったが、何故か私は”生身の若い女”を想像してしまい、神と言えどもそんな事が許されるものではないとの憤りを覚え、シャッターを押す事もすっかり忘れて憤慨していたのであった。

考えてみれば、馬鹿げた行動であったと、また、せっかくの”ネタ”をフイにしたと残念な思いをしたが全ては後のまつりであった。

 

(8) 生活パターンの変化と体調

私の日常生活は表彰される程に規則正しい。毎日10分と変わらない、寝起きの時間、食事の時間、それに高カロリーを避け、積極的植物繊維の摂取、便秘予防に起床後300ml程の飲水を欠かさない、などなど完璧と自分では思っていたがこれが過信であったようだ。

旅に出るに当たり、最も心配なのは”頻尿”であった。このため直前から朝の飲水を止め、一日の水の摂取量を少なめとした。そして、旅に出れば当然の事ながら、食事の時間も内容も大きく変わったが、過去は何の支障も無かったので、気にはしていなかった。

所が既に3日間通じが無かった、こんな事は良くある事ではあるが、旅先であるので「アローゼン(下剤)」を飲んで寝たが、旅行2日目の朝も出ないのである。そこまで来ているので、頑張るが今一歩が出ないのである、痛みも激しいが、それは顔に出さずに観光に出る。

3日目の朝、今日も出ない。相撲取りの如く大きく膨らんだ腹を抱え、椅子に座るも痛みが走る、それを隠し切れず、遂に皆さんの知ることとなった。この日一日は本当に苦しく、止むなく”夕陽鑑賞とナイトトレッキング”を欠席。俄かに生活パターンを変えたことを後悔したが後の祭であった。

そして、旅行4日目の朝、初めての3日連続「アローゼン」服用の効果が現れて2~3日分かと思われるほどが出てくれたのだった。これで幾分楽になったが、無理に出した後遺症(?)で、痔の痛みはあるものの、何とか皆さんに付いて行く事が出来るようになった。

更に翌朝、すっきりと気分良く、残りが出た。これで一安心、楽しい旅に戻る事ができて本当に良かったと、つくづくと感じた次第であった。苦痛が発生した時つい顔に出て仕舞い、薬を戴くなど、皆さんに心配と迷惑をかけ本当に申し訳なく、大きな反省をしたのであった。

老化が進み、環境や生活パターン、特に食べ物の変化に対する、対応力が低下して、順応出来ない体になっている事を明確に気付いたので、これは今後に生かせるので、良き体験が出来たと思うと同時に、今後の海外旅行に自信みたいなものが付いたのであった。

 

 以上、思い付くままに記録したものである。兎も角、添乗員も含め10名全員が無事に帰る事が出来たことは、この上も無い有難いことであった。お世話になった、現地ガイド、添乗員そして同行の皆さんのお陰で楽しい旅が出来ました。これらはネパールの神々に祈ったことが叶えられたのだと、改めてお釈迦様などに感謝したい。

大変お粗末な割に長編の「ネパール紀行」にお付き合い賜りありがとうございました。なお、この後に”インデックス”を投稿するので、参考にされたい。

 

                                     << 完 >>

 

 

 


845 ネパール紀行(22)最後の晩餐会

2012-12-26 08:00:00 | 旅行記

旅行6日目  2012.11.18(日)  現地最終日も天気晴朗・波はなし

  カトマンズの高級品が買える繁華街と伝統舞踊を見ながらのネパール料理

 

 ネパールの休日は土曜日、祭も終わり今日、日曜日からビジネスが始まる。街の道路は車とバイクであふれかえる。

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最後の昼飯は、和食・幕の内弁当だ。白味噌汁がとても美味しく戴けた。

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ここら辺りからは、ブランド品など高級品を並べた店が続く。

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そして、本旅の締めくくりは、「Hotel Yak&Yeti」での伝統舞踊をみながらのネパール料理だ。

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最後の晩餐会を終えた御一行様は、カトマンズ国際空港に入り、23時30分(日本時間午前2時45分)発の香港行き「ドラゴン航空」KA191便を待つのであった。来る時はダッカ(バングラディッシュ)経由であったが、帰りの便は、始発がダッカであり、香港に直行となっていた。

香港までは約4時間15分、香港から中部空港まではキャセイ航空CX530便にて5時間10分(予定)と深夜でありながら、乗換や計3回も食事が出るので、ゆっくり眠ることは出来ず、正味眠ったのは2時間に満たなかった。

そして、略予定通りに中部空港に到着し、入国も税関もすんなり通り、16時30分発の四日市行きの高速バスに乗る事が出来た。早速、娘に電話し、迎えに来てくれるよう頼んで、余り疲労感もないままに、バスに乗り込み、2年ぶりの海外の旅は全てを終える事が出来た。

同行の皆さん、添乗員さん、ガイドさんの他現地のみなさんには大変お世話になりましたが、お陰をもちまして、無事に旅を終える事が出来ありがとうございました。同行の皆さんとは、また何処かでお目に掛かるやも知れません、またご一緒出来る事を楽しみにしております。

                                      << つづく >>

この後は、総まとめとインデックスの2編が続きます。


844 ネパール紀行(21)ボダナート寺院

2012-12-24 08:00:00 | 旅行記

 旅行6日目  2012.11.18(日)  カトマンズ市内観光

  リトルチベットと呼ばれる「ボダナート寺院」

 

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目はお釈迦様の目、四方を見つめていて下さるとか・・・。

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法事の仕度中とか。

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外国からも修行に来る人も多いとか。このぴかぴかに光る長い板は「五体投地」をする場所である。

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種属の種類が極めて多いネパールながら、下の人々は明らかに服装が異なる。チベット族の人々と思われる。ネパールは高い山々を挟みながらも、チベットと国境を接するので、難民も多いとか。

私の見た所、ネパールの人々が今幸せと思っているか否かは別にして、その生活レベルは決して豊かであるとは見えない。しかし、チベットの人々は故国での生活を諦め、ここに逃れて来るのは、如何に中国共産党の悪政に人民が苦しめられているかが解ると言うものと理解した。私はチベットの独立に賛成票を投じたい。

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 パキスタンやインドなどからの流入もあるようだが、それの多くは金儲けのためのようで、チベットから来た人々とは少し違うのかも?。

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「マンダラ」を製作、販売している店である。現地ガイドのラビンさん懇意(?)の店のようだ。

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非常に細い筆を使い石を溶いた色粉を極く細い線で丹念に縫っている。非常に緻密な作業ではある。

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売価は絵師にもよるが、1万円から数万円まであるようだ。

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寺院の通路でぐっすりお休み中の”野良”君、概しておとなしい犬ばかりで、ケンカや吠えたりするのは一切見掛けなかった。また、猫は一匹も見なかったが、悪魔の使いとして嫌われ者らしいが、中国のように見付かれば人に食われてしまうのだろうか?。

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 「カトマンズ」市内観光も略終りに近づいた。この後は繁華街にて市内散策の後、夕食会が終われば、観光は全て終了である。

                                     << つづく >>

 

 


843 ネパール紀行⑳パシュパティナート

2012-12-22 08:00:00 | 旅行記

旅行6日目  2012.11.18(日) カトマンズ市内観光

 シヴァ寺院とパシュパティナート(火葬場)

 

観光ツアーとしては少し異色と思われる火葬場にやってきた。

川の両側に、少し突き出た舞台のようなものがあるが、ここがそれぞれ火葬をする場所であり、ここでは親類縁者によって火葬の儀が行われる。

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川は聖なる川「ガンジス」の支流であり、死ねば自然に帰るとして、燃やした灰は、供え物や纏っていた衣類とともに全てこの川に流す。だから、ゴミ放題ではなく死者と共に自然に帰るためのもので神聖なのである。なお、食べ物は野良牛や猿の食糧になり、下流では歯の金を拾う人もいると言う。

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下の写真、中央の白い建物は病院であり、まだ死期が先の人がここにいるが、治療目的でなく、死を待つための病院と言う訳だ。

死期が近ずくと、病院から出て死に装束に変えられて死を待つのだ。親類縁者が泣くのはこの時までであって、死後は泣いてはいけないと言う。今も盛んに女の泣き声がするが、もう間もなく召される人がいるのであろう。

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下の写真、左は全てが終り、火がつけられた所であり、真ん中は、積まれた薪の上に死体が載せられ(足が見える)、水に浸した藁で体全体を覆い、新聞紙などに火を点けて薪の下から燃やすのである。右はまだ薪だけが積まれただけの状態であるから、間もなくここに乗る人が近くにいるのであろう。

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葬儀が終わったのか、あるいは法事をして、故人を忍んでいるのである。

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 聖なる川の水であるが・・・・・。

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下は故人を忍ぶために記念に建てられたもので、墓ではないのだそうだ。ここでは骨を拾う習慣はないとのこと。

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観光ツアーとは言うものの、人々が最後の別れをする現場に来て、その一部始終を知って、生涯忘れる事の出来ない感慨を胸に、火葬場をあとにした。

                                      << つづく >>  

      


842 ネパール紀行⑲エベレスト遊覧飛行

2012-12-20 08:00:00 | 旅行記

旅行6日目  2012.11.18(日)  天気は今日も最高の快晴。

 ”世界の屋根”ヒマラヤ山脈遊覧飛行  世界最高峰エベレストを見る!。

早朝遊覧のため、モーニングコールは5時30分ながら、1時間近くも早く起きて、荷物の整理を再確認した。今夜の深夜便で帰国するので、ホテルをチェックアウト後は荷物を預けてしまうので、機内で要るものを準備しなければならないのだ。

ホテル出発は朝食前の午前6時だ。

 カトマンズの空港、国内線乗り場は早朝から遊覧飛行の客で大賑わいだ。

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いよいよ「Yeti Airlines」の双発の飛行機が離陸した。飛行機は定員30人乗りであるが、中央の列は窓外の景色が見えないから空席で20人が、天気は言う事無しの快晴だ、大きな期待を胸に飛び立ったのである。

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これが世界最高峰の「エベレスト(8848m)」だ!!・・・!!。

スチュワーデスの説明に機内は騒然、興奮のるつぼだ!!!!!!!。

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一段落したところで、コックピットを覗かせてもらい、機長から山の説明だが悲しいかな英語では私にはどうにもならなかった。

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アメとコーヒーを御馳走して、明るく優しく山の名前を教えてくれた「Sonika(ソニカ)」嬢だ。顔を見るばかりで、聞いた名前は左の耳から右の耳の外へ・・・・・。

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 かくして大興奮の内に、今旅行の最大のハイライトは終了した。

ホテルに帰り、遅めの朝食を取るも、昼は和食と聞けば、腹6分目(?)にして置き、急いで部屋に戻り、朝のお勤め(?)をし、最後の荷物整理をして、チェックアウトを済ませ、帰国に備える。

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841 ネパール紀行⑱ダルバール広場

2012-12-18 08:00:00 | 旅行記

旅行5日目 2012.11.17(土)  世界遺産「カトマンズ」市内観光 「ダルバール広場」

 

「カスタマンタブ寺院」

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「クマーリ寺院」

「クマーリ」とは生き女神の事で、まだ血を流したことのない、少女の中から30を超える採用条件に合致したのが一人選ばれて、一年間この館の中で勤めをはたす。処女神の化身として、国王からも崇拝されるとか。

お役御免となった暁には、自由人となるが、神になった娘と崇められて、一般に縁遠く結婚することは多く無いとのことである。憧れの的ではあるが、女として本当に幸せなのかどうかは疑問の残ることではある。

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時により、下の中央の窓から「クマーリ」が顔を出すというので、しばし待ってみる。

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何時まで待っても「クマーリ」が顔を出さないから、ネット上での借用画像を載せる。

 

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旧王宮「ハマヌン・ドウカ」、入口は兵士が守っている。

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この先は、写真撮影禁止のため写真はここまで。ここにも見事な彫刻が・・・。

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そのほかの寺院

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ここにも”野良牛”が暇そうに佇む・・・・。

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この場所に不似合いの建物があった。英国が建てたもので、今は博物館になっているそうだ。

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一般家庭にはまだ水道がなく、ここで汲んだ水や、購入した水をタンクなどに溜めているそうだ。地下に少し大きな貯水場を作り、ポンプで屋上のタンクに送り、自家水道としている家もあるとか。

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 これにて本日の全行程を終了したのでホテル(カトマンズ)に帰る。

最早明日はネパール最後の日だ。また明日早朝から、今回のメインイヴェント「世界最高峰エヴェレスト遊覧飛行」なので、モーニングコールは5時30分だ。早めに帰って、荷物整理など帰国の準備をする。

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840 ネパール紀行⑰セームナード寺院

2012-12-17 08:00:00 | 旅行記

旅行5日目 2012.11.17(土) 今日も雲ひとつない快晴が続く。

 

  カトマンズ市内観光:「セームナード寺院(別名:猿寺)」 仏教の寺

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猿は日本の猿と同じ種のようだ。

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金持ちなどが無くなった後に、記念に作られたもので、遺骨などは入らないそうだ。

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宴会をしているのではなく、”法事”を行ってるとの事。

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小さい四角の面に文字などが刻まれているので、それを糸に通して名前などの入った、首飾りや腕輪を作るのだそうだ。

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この後、御一行様は「ダルバール広場」に向った。

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839 ネパール紀行⑯朝日観賞

2012-12-16 08:00:00 | 旅行記

旅行5日目 2012.11.17(土)  快晴

  「サランコットの丘」での早朝のミニハイキングと朝日に映えるヒマラヤ鑑賞

 

昨夜も早く床に着き、熟睡出来たので、午前5時のモーニングコールに起こされることなく、事前に起きて、5時35分ににホテルを出発、「サランコットの丘」に向った。

ミニハイキングとの事であったが、距離は長くは無いが、近道を通ったらしく、急な階段を息切れに耐えながら、頂上にたどり着いたら、すでにそこは多数の観光客が日の出を待っていた。

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早々と店もオープン!。

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日の出直前の「アンナプルナⅠ(8091m)」

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ポカラのシンボル「マチャプチャレ(6997m)」右は「アンナプルナⅢ(7555m)

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太陽が顔を覗かせた瞬間。

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 太陽が上がるにつれて山々が朝日に染まる、感動の一瞬!!!。

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 朝の見事なショウは一瞬に終わる。余韻に浸る時間もなく、次の行程に移るのは、正に後ろ髪を引かれる思いである。好天に恵まれた事への感謝の気持ちも忘れがち・・・。

日の出鑑賞を終えて、「カトマンズ」に向うために、「ポカラ」の空港に着いた。飛行機は8時50分発の予定。(ここらは時間的感覚はかなりルーズだから、当てにはならないが・・・。)

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空港の屋上展望台から見た、ポカラ市内。

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カトマンズでの昼食は「チベット料理」。色々な野菜、牛肉、卵を煮込んだ鍋料理をご飯にかけて戴くが、大変に美味しく、久しぶりに満腹感を味わう事が出来、皆が大満足。

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この後は、「カトマンズ」市内の寺院などを紹介したいと思っている。

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838 ネパール紀行⑮家庭訪問、夕陽

2012-12-15 08:00:00 | 旅行記

旅行4日目 2012.11.16(金)  家庭訪問と夕陽鑑賞(オプションツアー)

 

旅行会社は関与しない、ホテル主催のオプショナルツアーとして、「家庭訪問と夕陽鑑賞」が提案され、平坦な道で歩くのは20分で、費用はUS$40と言うから、物好き6名が参加した。

相変わらず、車の幅だけ舗装された、曲がりくねった登り道、所々アスファルトが無くなっているから大きく揺れるし傾くが、窓外を見ると、景色は良いが、下は数十メートルは有に越す断崖絶壁、その上ガードレールなど一切ないから、スリルを味わう所か冷や汗が出る。

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農家の運搬役はもっぱら女性の肩にたよっているらしい。

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何台も出合う乗合バスはどれもご覧の通り、乗車率は200%を思わせる。ただし、流石にこの状況は田舎のみで、街では警察が黙ってはいないようである。あの無茶苦茶混雑する喧騒この上ない交通事情ながら、交通事故は多く無いと言うが、このバスの天井に座る人が落下する事故はあるとのことだ。そりゃそうだわ、この満載状態でこのガタガタ道を走るのだから容易に想像がつくと言うものだ!。(外にぶら下がる2人は料金徴収係らしい)

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田舎ではバイクが重要な交通手段、4人も乗れば、結構安くつくかも?。でもしっかりつかまっていて欲しいなあ!。

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田舎の家庭を訪問

おばあちゃんと可愛い孫が迎えてくれる。

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それに、牛もやぎも・・・・。

この牛は角の形からして、水牛だろうか?

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早速、新調なった(?)台所で紅茶を御馳走してくれた。

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三世帯家族であるが、4部屋あるのみ、家具はベッドが二つあるが、家具は全く見られず、広いとは言えない一つの部屋には産業用とおぼしき扇風機が見られた。ひとつの部屋には”むしろ”で作った直径1.2m位の籾(米)を保管するものが二つベッドの隣を大きく占めていた。

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しかし、真紅で八重のブーゲンビレアは美しく咲いていた。

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ノボタンに似た花が道端に咲いていた。

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夕陽鑑賞な場所に到着。

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文句を言う積りはないが、余りにも天気が良すぎて、美しい夕陽も少し物足りなさが残る。この時だけ少し雲が掛かれば、写真としての価値はぐんと上がるのにと、口には出さねど・・・・。

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この丘に来たのは私達6名と案内人、運転手のみであったが、先ほど家庭訪問時に見ていた子供が情報を流したのか、続々と子供が集まって来て、何かを貰おうと手を出すのである。これだけの人数ではどうにもならず、何もやらなかった。子供は15人位になり、二人の男が地べたに作り物を並べて、買わないかと誘い始めるのであった。

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為替レートは、1円が約1ネパールルピーであり、この国では硬貨はなく全てが”札”だそうだ。一般家庭は田舎では3~5千円で生活出来るようであるが、この辺りは殆どが自給自足の生活をしているらしいので、今持てる最小額紙幣は5ルピー=5円であるから、子供に上げてもよかったが、人数が多すぎて手が出なかった。

この後一行はホテルに帰り、明日の早朝ミニハイキングによる朝日の鑑賞、モーニングコール5時に備えるために、早々と床に就いたのであった。

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837 ネパール紀行⑭ポカラ市内観光

2012-12-14 08:00:00 | 旅行記

旅行4日目 2012.11.16(金) 快晴  「ポカラ」市内観光 

 

「ビンドウバシニ寺院」

小高い丘の上の小さな寺院ながら、雲ひとつない好天にも恵まれ、多数の人が訪れていた。ここはヒンズー教信者が集まる所のようだ。

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修行僧らしい。

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偶然、結婚式に遭遇した。式が終わって記念撮影などをやっていた。もう少し早ければ、式が見られたかも?と少し残念な気持ちであった。

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この地の結婚は、親が決めた相手と結ばれるのが圧倒的に多く、結婚式まで相手を見ない事も珍しくないとか。女を得たと、当日笑うのは男で、女はどんな相手かわからないので不安で泣くが、翌日から笑うのは女で、泣くのは男であると、現地ガイドのラディンさんは言っていたが、それはこの国に限ったことではないと思うが・・・・・。

ここでも「八重のブーゲンビレア」が咲き誇っている。

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オールドバザール

昔の旅人がこの地を通過する際、休んだり食料を得たりする所であったらしい。建物の表側のみ残し、裏側は建て替えると言う、フランスのパリで聞いた話がここでも聞く事が出来た。こうして昔の遺産を守ることは素晴らしいこと、是非続けて欲しいものである。

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見た事のある花ながら、名前が出てこない。

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このあと、御一行様はホテルに戻り、オプショナルツアーに出掛けるがそれは、次回に掲載したい。

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854 京都・紅葉めぐり (7) 圓光寺

2012-12-13 08:00:00 | 紅葉

 2012.11.28(水)、京都市北西部のやや盛りを過ぎて、最後の力を出して着飾っている紅葉を巡り歩いている。そのしんがりは、「曼珠院」を出て、車を置いた「鷺森神社」に戻る途中に案内板があり、近いのとまだ来たことがないので、見ることにした。

「圓光寺」  瑞巖山 

         京都市左京区一乗寺小谷町

         拝観料¥500  駐車無料 

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1601年(慶長6)徳川家康公は文治政策として閑室元佶(かんしつげんきつ)師を招いて伏見に学問所を開いたのに始まり、圓光寺版と呼ぶ図書も出版、当時の木活字(重文)が現存する。1667年(寛文7)現在地に移転。明治維新で荒廃したが、尼衆専門道場として再興された。現在は南禅寺派研修道場として坐禅会などが実施されている。また庭園は新緑・紅葉時に美観を呈す。絹本着色元佶和尚像・紙本墨画竹図屏風(重文)は円山応挙筆。臨済宗。なお、本堂前には水琴窟が設置され、妙音を呈している。

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「水琴屈」  左の竹を耳に当てると、澄んだ金属音が響く・・・・・

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分厚いふかふかの”紅葉のじゅうたん”

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「嵯峨菊」

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 今年最後の紅葉をいずれ劣らぬ見事な色合いをたっぷりと見る事ができて、ようやく満足出来た。今は午後3時、秋の日は早くも傾き始めた、後ろ髪惹かれる思いも無く帰途に着いた。

                                      << 完 >>

これにて「京都・紅葉めぐり」計7編の掲載を終了して、次回からは再び「ネパール紀行」を連載することにした。 


836 ネパール紀行⑬フェワ湖

2012-12-12 08:00:00 | 旅行記

2012.11.16(金) 快晴  「ポカラ」の「フェワ湖」でボートに乗る

 

ボートには4人ずつに分乗する。

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山は左「マチャプチャレ(6993m)」、右「アンナプルナⅢ(7556m)」

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水面が鏡になるのを祈ったが、これが限度であった。

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湖上に浮かぶ小さな島にもお寺があり、多くの人が訪れていた。

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島への渡し船の列。

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ポインセチアの変種か?。

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この後は「ポカラ」市内観光として、寺院などを尋ねるがそれは次回にしたい。

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853 京都・紅葉めぐり (6) 曼珠院

2012-12-11 08:00:00 | 紅葉

 2012.11.28(水)、京都市北西部の紅葉を尋ね歩いている。「赤山禅院」「詩仙堂」などと共に、今年の5月に訪れて、秋も良い所と感じていたが、情報によれば、まだ紅葉に間に合うと知って是非見たいと思いやってきたのであった。

 

「曼珠院」 

      京都市左京区一乗寺竹の内町

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寺の紹介は下記ブログを参考にされたし。

     http://ouren33.blog.fc2.com/blog-entry-61.html

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触ると臭うから「クサギ」と言うが・・・・?

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「侘び助」か「山茶花」か不明。

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 「曼珠院」の紅葉はやはり期待を裏切らなかった。

「鷺森神社」に車を置いたので、戻る途中に「園光寺」がある事に気付いたので、寄り道をすることにしたが、その記録は次回に掲載としたい。

                                     << 続く >>