この家の主が、歳を重ねいつお迎えがきてもおかしくない状態のために、残される子供達にすこしでも迷惑をかけたくないことから、不要と思われるもの、老朽化の激しい物などを始末している、いわゆる”死に支度”である。
今回は、大物3点を始末した。 これらはいずれも、材木を買ってきて、作る事を愉しんだものであり、思いと、出来た喜びに浸ること久しいものであり、"壊せ早く壊せ"の圧力に苦慮していたが、台風の襲来でその一部が壊され、きっかけとなった。
1. ウッドデッキ (2005年製、塗装3回実施)
防腐塗装はしたものの、素材が「ベーマツ(米松)」であり、木の成長が早いので、安価で入手できたが、木目がが荒く、柔らかいから加工しやすいが、耐食性は極めて劣るので、屋外に使用すること自体正しくはないが、制作を愉しませてもらったもの。
天井部分や柱の部分は太い素材を使ったし、比較的水はけがよいので、今も形だけは残るものの、強風に耐えられるか否か心配がある。 特に長年空き地であった隣地に家が建ち、住まわれるようになったので、倒れてはいけないので、近日除去する予定。
ウッドデッキの詳細は「ホームページ表紙」→「DIY」→「木工作品集」→「ウッドデッキ」で見る事が出来る。
写真は、作成当時(13年前)のものであるが、まだブログを始めていない時期で、記録がないために、セピア色に変色(?)したような古い写真であるが、掲載させて戴く。
2. 椅子×2点
今回、削除したのは、下の写真右の「長椅子」である。 友が畑の物置の下敷きに使うからと、殆ど朽ちた材木ながら、持ち去ってくれたので、助かった。
本来なら古ぼけて壊れたイスの写真を載せるべきであるが、作成した本人にとっては、そんな姿を晒したくない気持ちをご理解賜りたい。
左のテーブル表面と四本の足の先端が朽ちており、処分は時間の問題。 また、ウッドデッキ側面の”お飾り”は西側にはまだその形は止めるが、他の二面は既にこの世に存在しない。
もうひとつにイスであるが、先日の台風で倒れたが、その衝撃で朽ちていたので足などがが壊れたので、亡き者にする決心がついたのであった。
・・・がしかし・・・このイスは溜まった材木の切れ端を集め、どうやって利用するか、三晩考えたものであり、また、その多くは私がこれに坐ってきたから、思い出も深く壊すのは誠に切なかったのであるが、台風でやられたからとの言訳が立ち、やっと踏み切った。
古い写真で恐縮ながら、当時はこんなにも、美しかったのだと、今の汚い姿を見るひとに、言いたい意味もあり、あえて載せさせて戴いたもの。
これは友が撮影したものであるが、四日市の畑で、肥料などを置くための敷板で第二の生命(?)をすごしている。 いずれは更に朽ちて。土に帰るであろうが、 捨てられず、人の役にたっているのだから、こんな嬉しいことはない!。 (友が送ってくれた写真を拝借)
3. 「メダカの舘(第2号)」
使用状態は「ホームページ表紙」→「DIY」→「私のDIY」→「メダカの舘」にて見る事が出来る。 (2007年製)
本機はいつの間にか、外国産の小型「蛭」に入られ、複雑な構造であるがために、蛭が隠れる場所が無数にあり、大繁殖し多くのメダカの命をうばったので、「一括濾過循環方式」は止めて、水槽毎に濾過して使用していた。
制作当時の状態であるが、11個の小型の水槽と下部左は濾過装置と、貯水タンク(硬質塩ビの箱×2) 数種類のメダカを合わせて数百匹は育てていた。
色々ないきさつもあったが、メダカに対する情熱が冷め、今は庭の水生植物を植えている鉢のボーフラ対策としての役目のみになり、その価値は大きく低下してきた。 しかし、生きてるものを殺すことは私には出来ずにいた。
そこに、老朽化が進み、下部が腐食し始めみっともないし、隣の空き地に家が建ち、ベランダ(2F)のすぐ下に乗用車が駐車されるようになったので、強風で迷惑を掛けないとも限らない状態になってきたので解体し小型のものを作る決意をした。
ばらし始めると、あり合わせの材料で作った部分があり、強度上見えない部分には、必要以上の材木と木ねじ、釘が使ってあり、また、これを作った時の思いが蘇ったりして、感慨に耽ることもしばしばであった。
ばらして見ると、思いの外多くの材木が現れ、水と縁の無い部分は再使用も可能な状態が多々出てきた。 塗装されたり、釘穴があったりで、室内用には使えないが、屋外で耐久性は低く当面使うような、花の台などには充分使用できる。
すでに、植木鉢を載せる台を3個作成したが、まだまだたっぷりあり、押しつけ先をこれから捜さなければ成らない。
話は変わるが・・・
こうやって、終活を始めている一方で、先日は小学校の同級生から、万古焼を作っておられ、素敵な陶器の作品を戴いた。 コーヒーカップ、鍋焼き鍋などである。 家で使うのも勿体ないような出来映えのものであった。
戴くのはありがたい事であるが、折角戴いても、全く使わないうちに、この家は我々亡き後は取り壊されることは必至であり、その時、この陶器はどうなるのかと、案じられるのであった。