木燃人の波止場

花やお寺や観光地の写真を紹介しつつ、皆さんとの交流を計りたく思ってます、気軽に見て戴き、コメントを戴ければ嬉しいです。

1626 久々の京都(5)東山散策

2017-05-31 08:00:00 | 京都の寺社

  2017.05.23(火)、大谷祖廟への納骨を終えて、そこから歩く距離が多くない、近辺のお寺などを見たが、久々の京都東山なので、目に付いたものをメモしておこうと思う。 東山散策とかっこよく書いたが、実際はぞろぞろと足を引き摺るように、かっこ悪く歩いたにすぎない。 

 車を円山公園の北西の隅にある、市営駐車場(¥250/30min)に入れ「八坂神社」の境内を通り円山公園を通過して、大谷祖廟の正面入り口から入った。

 

  八坂神社  

 和服姿の女性が非常に多い。 今日は何か催しがあるのだろうか?などと考えながら近寄ると、中国語らしき会話が耳に入ってくる。 宿泊先のホテルなどで、貸し出しているのであろうか?。 よく聞いてみると、中には日本語も聞こえてくるから、これが京都なんだと、安堵したりして・・・・。

ちょっと盗み撮りさせていただいた。 やっぱり、和服はいいなあ!。

名物のしだれ桜も今は見る人もなく・・・・。

 

  

   大谷祖廟、長楽寺を見たあと、次の目的地に行く途中、足腰を休めるためと、空腹を満たすために「いそべ」という、京料理の店にはいることにした。  

  

 「雙林寺」

 

 「三面大黒天」

ここは、「圓徳院」の境内なのかも知れない。  「圓徳院」のパンフレットによれば、豊臣秀吉の出世守本尊と書いてある。

 

そして「ねねの道」。

  

 かくして、久々の短い時間ではあったが、 “かつては憧れの京都”その中心たる、東山のちょっぴり散策は終了としたのであった。

 

 

 

 

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1625 久々の京都(4)円徳院

2017-05-30 08:00:00 | 京都の寺社

 納骨のために久しぶりに京都・大谷祖廟に来たので、せめて東山の雰囲気だけでも味わいたいと歩いているが、残念ながら、私の足はそれを認安易にはめない。 仕方なく近くをと考えていたら、隣りが高台寺ならば入る意味ありと入った所、その塔頭が¥300で特別(?)開場していると言う、それにここは高台寺の門前にあり、歩かなくても行けるし、更には初見であるのですんなりと入った。 

 

円徳院    北の政所ねね終焉の地

   京都市東山区高台寺下川原町530 

 

ウイキペディアによれば・・・・・

 豊臣秀吉正室北政所(高台院)が晩年の19年間に自身の本拠地としたことで知られるほか、一説にはその終焉の地ともいう。

圓徳院は、備中国足守藩主で北政所(高台院)の甥にあたる木下利房が、伏見城の北政所化粧御殿をこの地に移築して自らの邸としたことに始まる。利房の死後その菩提をとむらう寺となり、利房の院号「圓德院」をそのまま寺号として高台寺塔頭となる。

  大きな木魚。 

 

 「雪月花図襖」

 

 「宗旦狐」

 江戸時代に御所周辺に出没した古狐だそうな。

 

 

 大きな寺ではないが、足腰はかなり疲労が出てきた、庭を座ってゆっくり見るなど、休んだが、回復せず。 時間はまだ15時を過ぎたばかり、勿体ないが引き返すしかないと、駐車場のある円山公園の方に向かった。 

なお、ほんのちょっぴりではあるが、円山公園とその周辺を撮ったので、この後簡単にまとめたいと思っている。

 

 

 

 

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1624 久々の京都(3)高台寺

2017-05-29 08:00:00 | 京都の寺社

  2017.05.23(火)納骨のため、「大谷祖廟」にきて、一連の式典を終えた後、久しぶりの京都東山をあるいている。 最初に「長楽寺」を見て、京料理の昼食を取り、体力を付けた(?)うえで、大谷祖廟の西側を通り、「ねねの道」に出てすぐに左に曲がった先には・・・・。 

 

 鷲峰山(じゅぶざん)  高台寺(こうだいじ) 臨済宗建仁寺派

     京都市東山区高台寺下川原町526  

 

ウイキペディアによれば・・・・・

 豊臣秀吉の正室である北政所(高台院)が秀吉の冥福を祈るため建立した寺院であり、寺号は北政所の落飾(仏門に入る)後の院号である高台院にちなむ。釈迦如来を本尊とする禅宗寺院であるとともに、秀吉と北政所を祀る霊廟としての性格をもった寺院である。

 

 ここは2009年末に高校時代の友と四人で訪れているが、 その時は興味の無い友は入らなかった関係で、かなり大急ぎで見たので、その記憶が極めて希薄というより、殆ど覚えがないために、再度入ったのであった。 (拝観料 園徳院込みで¥900)

 「方丈」

 

 「方丈前庭」 

 

 

  「開山堂」 

 

 

 

 「霊屋(おたまや)」

秀吉と北政所をお祀りしているが、当然内部は撮影禁止。

 

 「傘亭」

 

 「時雨亭」

 

 美しい竹林。

 

 

 この後、高台寺の子院の「園徳院」を訪ねるが、編集の都合上別途とする。

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1623 久々の京都(2)長楽寺

2017-05-28 08:00:00 | 京都の寺社

  2017.05.23(火)、一年二ヶ月ぶりに京都に来て、大谷粗廟にて納骨をすませたので、 体力の続く限り、その近辺を見て回ろうと、歩き始めたのであった。 大谷粗廟の北門を出てすぐに右に折れると・・・・。 

 

 黄台山 長楽寺 (ちょうらくじ) 

     京都市東山区八坂鳥居前東入る円山町626 (拝観料 ¥500) 

 

 ウイキペディアによれば・・・

円山公園の東南方に位置する。かつての境内地は円山公園の大部分や大谷祖廟(東大谷)の境内地を含む広大なものであった。長楽寺は、一説によれば805年延暦24年)勅命により最澄延暦寺の別院として創建したのに始まるという。『平家物語』「灌頂巻」によると、1185年文治元年)には高倉天皇の中宮で安徳天皇の生母である建礼門院(平徳子)が壇ノ浦の戦いの後、この寺で出家したと伝えられる。法然の弟子、隆寛はこの寺に居住して多念義を唱えた。隆寛の系譜は寺院名をとって後に長楽寺流・長楽寺派といわれた。1385年至徳2年)時宗の僧国阿がこの寺に入り、時宗の寺に改められた。1908年明治41年)には、時宗の道場が置かれ七条道場と称された金光寺がこの寺に統合されている。長楽寺が所蔵する時宗祖師像7躯(慶派仏師の作)は、金光寺から移されたものである。

  

 「本堂」

 

 

「建礼門院塔」

 

「鐘楼」

 

 「収蔵庫」

 

 「平安の滝」

 滝と言っても、今は少量の水が高さ3mくらいの所に突き出たパイプから、流れ落ちている。

 

ここを入る・・・

 

 

  京都のお寺や神社の主なところは既に訪れているが、この寺は今回がはじめてである。 

 この後、近くにある「いそべ」と言う、京料理を食べさせる店で、昼食を取り、大谷祖廟の前を通り、南の方角に向かったが、そこらは次回にしたい。

 

 

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1622 久々の京都(1)大谷祖廟

2017-05-27 08:00:00 | 京都の寺社

  先日、義母の一周忌のお参りをしたときに、納骨の読経も済ませており、納骨の日を待っていたのであった。 2017.05.23(火)朝起きてみると、体調が良く、天候も悪くなく、納骨に行こうという。 折角、京都に久しぶりに出掛けるのだから、従来ならついでの行き先をいくつも前もって準備してあったが、今となっては京都さえも行きたいと思う所もなくなり、体力的にも悲観論が先に立つのであった。 

 我が家は真宗大谷派東本願寺であるから、行き先は大谷祖廟となるので、その周辺をゆっくり歩いて行ける、体力の及ぶ範囲内で訪ねるなどと、予定はなしで午前9時頃に我が家を出発した。 途中は大きな渋滞はなく、東名阪、新名神、名神道を経由して、11時過ぎに丸山公園の市営駐車場に到着した。 本来なら京都東ICで降りるべきを、どう間違ったのか南ICまで走り、大切な時間と高速代金をムダに消費した。 

 

 大谷祖廟   京都市東山区円山町477 

 

    極めてゆるい階段ながら、結構距離もあり、 早くも息切れしながら、先を急いだ。

 

 どうにか、宗務所が見えてきた。

 

 手を清めて・・・・

 

 宗務所で戒名などを書いて納骨の申し込み。 その結果、開式は本堂で11時45分からとなり、待合所で、15分ほど待つことになった。 納骨と永代経代金は特別が20万円以上から下は4種が2万円以上までであり、我が家は家計に応じて、最低よりは少しましなレベルにせざるを得なかったが、これで極楽浄土へと願うのは欲が深いのか?・・・と思いつつ・・・・・。

 

 11時45分係員の案内で、本堂に入る。 残念ながら本堂内は撮影禁止と大きく書かれているので、写真はないが、三人の僧侶による読経が数分あり。 受けたのは20名足らずであったが、料金の大小には関係なく一律のように見られた。  

 

  骨壺を持って納骨場所に向かうが、 また、恐ろしい階段があるが、時間に遅れては他の方々にご迷惑と思い、幸いにもエレベーターがあったので、使わせて貰った。

 

  ここでは二人の若い僧侶による、納骨とその後の数分間の読経があった。 ここもその途中は厳しく撮影禁止とされたので、写真はなし。 以上で納骨の儀は12時過ぎに全てを完了した。

 

 

 

 北門より出て、昼食を取るべく歩き始めたが、その辺りは別途報告としたい。

                                   << つづく >>

 

 

 

 

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1466 京都桜探訪(4)毘沙門堂

2016-04-06 08:00:00 | 京都の寺社

  16時を回ったが、今日はまだ4か所を訪れたのみ、まだ帰るのは勿体ないし、体力の残りは少ないが、桜の開花が十分でなく、物足りなさもあって、もうひとつをと考えてやってきた。 (2016.03.29(火))

 

 「毘沙門堂」 

    京都市山科区安朱稲荷山町18

    天台宗    護法山安国院出雲寺とも称す。

 

 

 上記本堂の左前にある枝垂れ桜が咲いていることを期待してやってきたのであったが、残念ながら大きな木であるが、開いているのはほんの一輪のみ(下の写真)。 ・・・・・・まことに残念!。 

  

 他の桜もご覧のとおり。

 

 

 

ここに到着したのが、ジャスト17時、本日の営業は終了しましたと、入れるのはここまでで!。  

 

 

  

最近はすっかり珍しさがなくなってきた「ツバキ」が・・・・。

 

 

お堂に入れないと知って急に足の痛みが襲ってきて、不完全燃焼ながら、本日はこれまで・・・としたのであった。

                            << おしまい >>

 

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1465 京都桜探訪(3)向日神社

2016-04-05 08:00:00 | 京都の寺社

  奈良の大安寺にてガン封じの祈祷を頂いた後、少し早いが桜を求めて京都府に入り、ついでに前から行きたくても行けなかった神社仏閣を尋ねている。 伊手町の「地蔵禅院」、八幡市の「石清水八幡宮」にお参りして、三番目は向日市にやって来た。 (2016.03.29(火)空:うす曇り)

 

「向日神社」

     京都府向日市向日町北山63 

  上記が表参道であるが、車は鳥居をくぐり、この道を上ってくる。 この道の両側にはモミジが植えられており、秋は紅葉のトンネルとなりそうである。 (駐車無料 7~8台)

 

 「舞楽殿」

 

 

 

 「本殿」

 この建物は1418年に建造されたもので、室町時代の「流れ造り様式」の代表的建物として、重要文化財に指定されている。 また、明治神宮の本殿はこれをモデルに作られた。    (ホームページより)

  

 

 参集殿、社務所

 

 ここも残念ながら、桜は4~5分咲といったところであった。

 

  

「勝山稲荷社」 

 

 

 

 

 

 時計は間もなく16時、足腰は何とかなりそうと判断し、もう一社尋ねることにして、京都南インター方面に車を走らせた。

                                              << つづく >>

 

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1463 京都桜探訪(2)石清水八幡宮

2016-04-03 08:00:00 | 京都の寺社

 奈良の大安寺に参ったついでに、少し時期は早いが京都市の外回りの桜を求めて、今まで尋ねてない寺社を巡っている。 最初は伊手町の「地蔵禅院」を尋ねたが、今度は八幡市にやってきた。

  

「石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)」

    京都府八幡市八幡高坊30   

男山の頂上付近にある本堂に行くには、短いがケーブルカーに乗って楽に行く道もあるが、「山麓駐車場」に車を止めて(¥500)南周りの「表参道」を徒歩で山の外側半周をぐるりと回って本殿に向かう。なお、歩く距離は「裏参道」を行く方が近いが、階段が厳しいとのこと。

なお、電車(京阪電車)で来た場合は、八幡市駅で下車して、駅前の「一の鳥居」をくぐり、「頓宮(後述cf)」の中を通って二の鳥居に向かうのである。 ケーブルカーは八幡市駅前から出て直接本殿の裏手に出るようだ(ケーブルの所要時間3分)。      

「二の鳥居」

    やわたのはちまんさん〟と親しまれる当宮が御鎮座する八幡市・男山は、木津川・宇治川・桂川の三川が合流し淀川となる地点を挟んで天王山と対峙する位置にあり、京・難波間の交通の要地であります。また、南北朝時代の大小様々な戦い、羽柴秀吉と明智光秀の天王山の合戦などで知られる政治上の重要な拠点でもありました。  (ホームページより抜粋)

  ゆるやかな坂道ばかりではなく、時より厳しい階段もあり、老体には堪えるが、ゆっくりゆっくり上って行った。 この道中には、私の「花写真館」にない花が結構あり、歩くより写真に時間をかけて、体力の維持を図ったものだ。

  上り坂を上がりきると、そこは平たんととはなっているが、本殿はまだ先だ!。 

「三の鳥居」

 

 ここまでの登坂の疲労で、何のモニユメントかを確かめる余裕もなく・・・・・

 やっと「南総門」に到着。

 

 「八幡造り本殿」

  現在の社殿は寛永11(1634)年、徳川三代将軍家光公の修造によるものです。
前後二棟(内殿・外殿)からなる八幡造りの社殿建築様式は稀少であり、桧皮葺屋根の軒が接するところに織田信長公寄進の「黄金の樋」が架けられています。

「楼門」

 

帰路は「裏参道」を通り、「二の鳥居」へ出る。

 

 「二の鳥居」を出た正面に「頓宮」が見えるので、駐車場を右手に見て進み、そこに入る

 ここの桜は3~4分咲きか?。

 

 

  この後は、向日神社に向かうがその記録は明日の公開とする。

                                                                                                                          << つづく >>

 

 

 

 

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1462 京都桜探訪(1)地蔵禅院

2016-04-02 08:00:00 | 京都の寺社

 久しぶりに朝5時台に起床して、7時20分家を出発のお出かけとなった。 今日の目的はあくまでも「ガン封じのお寺、大安寺へのお礼参り」であって、桜を見に行くついでに、参るのではないことを、誤解を招かないようにするために、改めて書いておく。  (2016.03.29(火))

 

 「地蔵禅院」

       京都府伊手町伊手東垣内16 (駐車場なし)

       曹洞宗

 「表参道」

 

 

 「山門」

 地蔵禅院(じぞうぜんいん)の歴史は古く、白鳳年間(1200年前)井出左大臣橘諸兄(たちばなのもろえ)公によって草創されたと伝えられる。創建当初は華厳宗に属していた。

ご本尊の地蔵菩薩は橘諸兄公の持仏。

  「本堂」

 下の花はボケ(木瓜)

 

下の写真の鐘楼横の枝垂れ桜は、江戸時代(1727年)に植樹された。 1947年に枯れ死した丸山公園の枝垂れ桜は、当院の先代の親桜から株分けしたものという。 丸山公園の桜はすでに三代目が衰弱しているが、当院の桜は300年近くも生き続けている。 府指定の天然記念物、京都銘木十選などに指定されている。

 角度を変えて見るが、何れ劣らぬ素晴らしい古木だ!。

 この寺は高台にあり、伊手町を眺める標高300mくらいの山の斜面にあり。

 上記の他、境内には6本の桜の古木がある。

 

 

「レンギョウ(連翹)」

過去に見てきた花よりも、花びらの幅が広いなど、「レンギョウ」にもいろいろあることが分かったので、「花写真館」に追加登録をした。

 

 

モユリ(貝母百合)

   

 ヒマラヤユキノシタ(ヒマラヤ雪の下)

   

 ヤマブキ吹)

「花写真館」の写真をよく見ると、「ヤマブキ」の花の八重ばかりであったので、下の写真を追加した。 明確ではないが、もしかすると、一重は初見かも(?)。 あるいは、花弁の数が違う「ヤマブキソウ(四枚)」と見誤っていたのかも知れない。

 

 

 

 今回の桜探訪は、混雑を避ける意味もあって、 日ごろ行き難くなっている所を主に選んでいるが、次は「石清水八幡宮」に参ろうと思っている。

                          << つづく >>                                                           

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1306 京都散策(7)広隆寺

2015-03-13 08:00:00 | 京都の寺社

  カーナビに登録した今日のルートで次は「梅の名所」では最高ポイント5を与えている、「梅宮大社」であり、そこに向かうも、先ほどの「大豊神社」と同様に、細い道に入り込み、冷や汗の連続、ついには諦めて、通りがかりにあった寺に入ったのでした。  (撮影 2015.03.05(木))

  ”大社”の文字に騙されたのか、道路や駐車場の事前確認をしなかったことが原因で、「梅の名所」で5ポイントを付けた名所の近くに来て、入れなかったのは大変に悔やまれます。

 

「広隆寺」  

ここは前に来て紹介すみなので(詳しい写真等はこちらをご覧ください。)、さっと見て次に進みました

 

ここにも梅は一応は咲いており、通りがかりで入ったのは、無駄ではなかったと言えます。

 

 時計は15時を過ぎたし、足の疲労も限界が近づき、この後は今日最後の訪問地へと向かったのでした。

                             < 続く >

 

 

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1305 京都散策(6)渉成園、東本願寺

2015-03-12 08:00:00 | 京都の寺社

  久々の京都散策は、梅の名所を訪ねたかったのですが、梅の開花を待ちきれずに早く出てしまい、「梅探索」にならないので、止む無く単なる「京都散策」と題しています。 (撮影:2015.03.05(木))

 

 「渉成園(しょうせいえん)」  別名:枳殻邸(きこくてい)

 ここは東本願寺の真正面に位置しています。 次回は桜の季節に訪れたいと思っていましたが、私の「花の名所・梅編」ではポイントを”2”としているので、立ち寄ることにしました。 なお、ここの詳細は前に来ているので、簡単にしておきます。 前の記録はこちら。

確かに梅は咲いてますが、もう少し美しく咲いてることを予想してきましたが、少しちがったようです。

 

 

「渉成園」に来て、本願寺を素通りはできないと、ちょこっとお参りに立ち寄りました。

 「東本願寺」

 

本殿の多くは只今工事中。 前に来ているので、参拝後そそくさと次に向かいました。

 

 この後は車に乗り、嵯峨野方面に向かいました。

                          < 続く >

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1304 京都散策(5)岡崎別院、岡崎神社

2015-03-11 08:00:00 | 京都の寺社

  「金戒光明寺」の近くの駐車場に車を置いてその付近を回っていますが、平安神宮を見た帰り道に見かけて寺に入ってみました。  (撮影 2015.03.05(木))

 

 「東本願寺・岡崎別院」

      真宗大谷派

      京都市左京区岡崎天王町

 平安時代から鎌倉時代の開祖の親鸞が35歳の時、また、60歳以降に暫く住んだ草庵跡と言われている。

 

「矢房の梅」

これは聖人お手植えの梅の木の由緒を伝えるもので、現在次の世代担う、八代目となる「八房の梅」を生育しているところだそうです。

 

 

 

「岡崎神社」  別名:東天王、うさぎ神社とも・・・

次に訪れたのは、隣にある神社です。(左京区岡崎東天王町)

 子授け、安産、厄除けの神。

周辺が野兎の生息地であったことから、「金運招き兎」、「縁結び招き兎」、提灯のうさぎの絵、手水舎の「厄除子授兎」など、うさぎがいっぱい。

 

 この辺りまで来ると、足腰が疲労と悲鳴が聞こえたので、近くだが少しの歩きを止め車にしたのがいけなかった!。

次は「大豊神社」の予定であったが、行けば極端に狭い道になり挙句の果てには行き止まりの道に迷い込み、「もっと正確に道を教えろ」とカーナビに文句をいいつつも、あきらめて次の地に向かった。

                           < 続く >

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1303 京都散策(4)平安神宮

2015-03-10 08:00:00 | 京都の寺社

  私が京都を初めて訪れたのは、中学校の修学旅行の時で奈良と京都を日帰りで来たのですが、その折、唯一記憶にあるのが、ここ「平安神宮」なのです。 その上に、その3年後の昭和31年の5月に入ったばかりの会社の”慰安会”でここに来ましたので、記憶も明らかなのです。

 その当時の工場の慰安会は全従業員が対象で、三重交通と三重急行の二社からバスを調達し、合計21台を貸切り、工場の二つの門から別の道を経て走り、一度に止める駐車場がないので、見る順も変えていました。 先頭と最後尾の車両では、工場を出るのが一時間も違うなど、大変な状態でした。

その時、私はまだ実習生(入社後3ヶ月間)で、配属の前、よって所属は総務課で、工場長と同じバスで、先頭車両でしたから、よかったですが、当時、道路は舗装されていなく、延々と砂ほこりを上げて走りましたから、後ろのバスは窓が開けられなかったようです。

 私が入社した当時、従業員は1200名ほどでしたが、その後バブル期に入り従業員数が急増したので、翌年は劇場を一日貸切、系列のレコ-ド会社から、西田佐知子やバーブ佐竹を呼んだ歌謡ショーなどを”入れ替え”で見る慰安会に変化し、その後は更に従業員が増えて、4000人を超えるに至り、慰安会はなくなりました。

その後も何回もここには来ていますが、最後に来たのが2006年11月であり、ブログをまだやっていなかったので、記録としていないのです。 先に書いた「真如堂」も含め、有名なところで記録がない所を埋めたいとの考えもあってやってきました。

                      (撮影 2015.03.05(木))

「平安神宮」

少し色があせてはいますが、美しい状態を保っていました。

 

 

 

 

 

 今日のもう一つの狙いは「神苑」だったのですが・・・

 覗いてみると、こんな状態!。 奥に梅はあるようですが、まだ十分開いていないようであるし、この状態でも入場料¥600取るという。 それだけの価値は見出せないと、”きびす”を返したのでした。

 

 この後は、近くの寺社に向かいました。

                         < 続く >

 

 

 

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1302 京都散策(3)東北院、極楽寺、西雲院

2015-03-09 08:00:00 | 京都の寺社

  本来ならば、梅の季節であり、当然梅を狙ってはるばると京都まできましたが、どうも先行きに雲がかかってます。 つまり、梅の名所のはずが、思ったほど見られないのです。 

  次に訪れたのは、私の「梅の名所」で2ポイントを与えた所(二つのサイトが名所とした所)なのですが、・・・???。  (撮影:2015.03.05)

 

「東北院(とうほくいん、とうぼくいん)」

    雲水山   天台宗

    京都市左京区浄土寺真如町

 

藤原道長の没後、道長の娘である国母上東門院の発願によって道長建立の法成寺東北の一郭に常行三昧堂として建立された。法成寺の区域の東北にあったこと、上東門院の母である源倫子が建立した常行三昧堂が法成寺の区域の西北にあることから「西北院」と呼ばれたことにちなみ、「東北院」と称せられた。

現在、本堂には後西院宸筆の額が掲げられ、本尊とともに藤原道長の衣冠束帯姿の像が安置されている。また、法成寺にあった頃に和泉式部が東北院に軒端の梅を植えたとされ、その梅とされるものが現在も境内にある(もっとも2度移転されており、和泉式部が植えた梅そのものではないとされている)。この梅に関する伝説は謡曲の『東北』として今日まで伝えられており、東北院においても『一遍上人和泉式部物語』『東北院弁財天縁起』などの文献が伝えられている。

 生憎と門には立ち入り禁止のようだったので、門口からの写真だけになりました。ここから見る限りでは、白い花の梅の木が一本のみ見えましたが、それ以外にはあるようには思えませんでした。 

 

  

「極楽寺」

 「東北院」の右隣のお寺で予定には無かったのですすが、門が開き幕が下がっていたし、人がいたのでお断りして拝ませてもらったのでした。(梅の名所には載っていません)

 

 

 

 「西雲院」  別名:紫雲石 万日寺

      紫雲山 浄土宗  (金戒光明寺の塔頭)

      京都市左京区黒谷町 

 幕末、黒谷一山が京都守護職会津松平侯の本陣となり、当院は会津藩戦没者墓地を あずかる。 建立:1616(元和2)年

 

この後は、歩いて「平安神宮」に向かいました。

                          < 続く >

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1301 京都散策(2)真如堂

2015-03-08 08:00:00 | 京都の寺社

  ここ「真如堂」は私が京都で、いや日本で一番紅葉が美しいところと信じて止まない場所なのです。 それなのに私の訪問記録には載っていない、訪問したことになっていないのです。

 その訳は、2006年11月に来た時の真紅の紅葉の美しさのイメージを壊したくなかったからなのです。 花などはどんなに美しく咲いていても、ほんの一日違いでも、見る時期によっては大きく変わることがあり、イメージを損ねる恐れがあるからです。

上の写真は、8年前に”コンデジ”カメラでとったものであり、その美しさはあまり表現出来てはいません。 また、当時はブログもやっていなかったので、記録上は未訪問としているのです。

 

「真如堂(しんにょどう)」  正式名:眞正極楽寺

    鈴聲山(れいしょうざん) 天台宗

    京都市左京区浄土寺真如町

永観2年(984年)、比叡山の僧である戒算が夢告により、比叡山常行堂の本尊阿弥陀如来を東三条院詮子一条天皇生母)の離宮に安置したのが始まりである(『真如堂縁起』)。正暦3年(992年)一条天皇の勅許を得て本堂が創建されたという。不断念仏の道場として念仏行者や庶民、特に女性の信仰を得てきた。しかし応仁の乱をはじめ度重なる火災により堂塔は焼失した。その後足利将軍家豊臣秀吉により京都市内の何カ所かを転々としたのち、元禄6年(1693年)、現在の場所に再建された。

 

「本堂」

紅葉のない「真如堂」は、余計に寒々としたものを感じてしまいますが、今の時期ここに来たことにより、原点に立ち返る事が出来て、再度ここを訪れて真紅の紅葉を求めることができると思っています。

この木々の多くが真紅に染まるのです。

 

この後は、周辺の古寺や塔頭を訪問したいと考えています。

   (2015.03.05(木)撮影)

 

                         < 続く >

 

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