マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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大塩・上垣内の七日盆の井戸替え

2024年07月06日 08時02分41秒 | 山添村へ
山添村の大塩。

山に5カ所の水源地があるそうだ。

うち、何か所かの地区が、今も8月7日は井戸替えする、と話していた。

7日は、盆入り。

先祖さんを迎える7日にしておきたい地区が所有する水源地の清掃である。

本来は7日であるが、みなの都合もあり、参集できる日は第一土曜か、若しくは7日直近の日曜日に移した。

その日に井戸替え作業をする、と聞いていた平成22年は8月7日に実施された。

続いて翌年の平成23年も8月7日。

2年後の平成25年は8月3日。

今年の令和3年は8月1日の日曜日。

ようやく出会えた大塩・上垣内の七日盆の井戸替え。

旧観音寺や八柱神社は、午前中に朔日座。

老人会は外してもらって墓地の清掃。

各々の垣内単位で行う7日盆の清掃がある。

午後に井戸替えの清掃作業。

すべてを終えれば、一旦は自宅に戻って、夕方に再び参集。

大塩の会所に集まるが、垣内は分かれて3室に。

そう聞いていた7日盆の井戸替えの日。

今から一週間前、大塩に立ち寄った7月24日。

目的は、10年前に聞いていた大塩の7日盆の習俗取材


「七日盆に墓掃除がある。盆入りするにあたって、7日は墓掃除。綺麗にして先祖さんを迎える」と、話していた。

その時期が、来る前に訪れ、下見を兼ねて、村の人に詳しい情報を教えてもらいたくやってきた。

ただ、この年は、まだまだ収まらないコロナ渦中。

作業といえども、集まることが可能なのか。

それとも、コロナ症状の予防感染対策に集まりは難しい、と判断されるのか・・

井戸替え行事に合わせて聞き取りしたいお盆習俗。

盆入り行灯もあれば、サシサバ調査もある。

ただ、ここら辺りの地域では、サシサバでなくトビウオを食べる家もあるらしく、調査したい地域。

行先は大塩の上垣内。つもる話もあり、伺いたいお家はY家。

午後2時から、ここ上垣内の人たちが集まり、井戸替えの清掃をする、と話してくれた。

集合地は、上垣内・山の神にあるミバカに井戸替え。

井戸というのは、当上垣内の人たちが利用している給水槽。

山の神の地は、はっきり覚えている。

ドウゲの二人とともに行動していた大塩の風の祈祷札立て。

ずいぶん前になるが、平成23年の7月10日。

大塩の境界、7カ所に立てる祈祷札


翌年もついて回っていただけに記憶に残る札立ての地。

先に訪れた旧観音寺。

この日に咲き誇る百日紅を拝見してから上垣内に向かう。

八柱神社の鳥居下のアスファルト道路の坂道を行く。

すぐに見つかるバス停留所。



上垣内入口になる角地に立てていた風の祈祷札。

右端が新しい祈祷札。

平成24年も、またドウゲさんとともに行動した7カ所の村の領域

そこからは急カーブに急坂。

道なりにいけば上垣内集落に着く。

広地に車を停めて、そこから歩く道もまた急坂成り。

堪える勾配に、なんども休みをとる。

家並みを抜けたそこは、村の人たちが丹精込めてつくっている野菜畑。

山の神は、すぐ近く。



途中に合流した村人とともに向かった集合地。

先行していた人たちは、重量のある道具を運んでいた。

そう、ここは4輪駆動車なら往来できる村の道。

里道である。



本日、集まった人たちは9人。

かつては12戸の上垣内だった。

それが徐々に減り、10戸から現在の9戸。

現実は8戸だ、という。

ポンプがなかった昔は、人力によるバケツの汲み上げ。

貯水も溜まった泥の重さに、排出は力の要る作業。

電動式ポンプの普及によって、ずいぶん助かった、と話す。

バケツは変わりないが、七日盆の井戸替えに釣瓶を使っていた、という地域事例がある。

昔、懐かしい釣瓶井戸。

ある年代以前、お家に井戸がある体験者は、必ずや釣瓶で汲んでいた、というだろう。

私のふるさと。母親の生家は大阪南部地域の滝谷不動。

茅葺屋根の母屋にあった釣瓶井戸。

お風呂は五右衛門ぶろ。

焚口は、3連式の竈。

従弟たちとともに遊んだ旧き母屋の思い出がある。

平成19年の8月7日。

ずいぶん前の取材であるが、取材地は大和郡山市・天井町。

地区外れにあった弘法大師が眠る井戸がある。

その井戸浚えに、梯子を立てて釣瓶汲み。

尤も、このときの取材は、ほっかむりにモンペ着用の高齢者がその作業をしていた


その後の、平成24年も取材した天井町の井戸浚え。

その日に聞いた、昔は釣瓶で井戸水の汲みだし。

その日も、2、3杯は手作業の汲みだし。

以降は、電動ポンプがやってくれるから助かる、と話していた
ことを思い出した。



さて、早速、はじめた上垣内の井戸浚え。

そう、井戸替え作業は、貯水槽に溜まった泥や葉っぱなどを除去し、綺麗な水溜めにする清掃作業。

それを“浚える”と、いう。

だから井戸替えは、井戸浚えとも称する暮らしの民俗。

井戸と呼ぶ貯水槽。

蓋は重たい鉄製。

一年に一度の井戸浚えに蓋をあける。

蓋は、いわばマンホール蓋。

貯水槽に梯子を下して、階段に足をかけて上り下り。

深さは、まっすぐ立った身長くらいか。

その前にしておく貯水槽の水深。



メジャー計測でなく、そこらに生えているススンボ竹を利用する。

葉っぱを刈ったススンボ竹を貯水槽に沈める。



浅瀬なら長靴で入れるが、貯水量が多い場合は、先に電動ポンプを入れて排水する。

ポンプは電動式だから、ガソリンエンジン発電機ももってきた。

貯水槽の底に溜まった水泥。

山から流れる水を引き込み、この貯水槽に埋め込みパイプで繋いでいる。

山から流れてくるのは、山水だけでなく山の土や落葉がいっぱい。

水路が詰まらんようにしているが、網の目をくぐってここまで流れてくる。



だから、ポンプの汲みだしは、はじめは水。

そのうち泥水になる。

ある程度の泥水は、ポンプ汲みだし。

底になるにつれポンプでは難しくなる。



そのために、予め貯水槽に下したデッキブラシで綺麗にする。

また、泥や葉っぱは、プラ製の箕。

いわば塵取り用途として使っていた。

上垣内の貯水槽は貯水型2槽式井戸。



敷設年代が異なる2槽。

旧きは、マンホール蓋の直径が50cm仕様の貯水槽は、昭和38年に構築した。

もう1槽は、平成元年に敷設。



蓋の直径は大きく60cm径だから見分けがつく。

2槽とも、穴壕を掘り、壁一面、周囲全体に敷き詰め。

コグリ石を入れ、固めてつくった、という。

ここより80mにもなるつないだ水道パイプで、各家に送っている。

距離があるだけに、途中にどろ抜きの堰を設けている。

最上流は鍋倉渓谷の向こう地。

ここより5mも登った地にあるそうだ。

実は、今日の清掃は2班分け。

作業開始と同時に、もう一組の班は、上流に敷設している貯水槽に走っていたそうだ。

細く、狭い円筒形の水溜め。

ブルドーザで工事した穴あけ。

コグリ石で固めてつくった上流槽。

水源地は、集落住民の命。

寄せた谷水は、延命水のように思えたが、取材は私一人。

上流の貯水槽を拝見したかったが、そのうち戻ってくるだろう、と・・・

山から流れる谷の水。

いわば湧き水を集める道具が井戸。

ここから何本ものパイプで下流に流す水は、高低差がある。

だから、勾配に自然と流れてくる。



そして、今、清掃している2槽式井戸に供給される。

これを“井戸川”と呼ぶ。

上の井戸は4カ所。

筒内に入るには危険をともなうので、現在は目視点検など。

パイプ汚れや管詰まりしていないか、その有無を点検する。



上流担当は、この前にお会いした隣家のKさん.

若手を引き連れ、敷設場所や点検方法などを、指導しつつ作業する。

特に、集落の水財産は、今後も継承できるよう、詳しく説明している、と話してくれたのは、ここ大塩の伝統行事の在り方の、ほとんどを教えてくださったYさん。

実は、行政が引いた上水道も普段から使用している人もおれば、Yさんのように風呂水は行政水道・飲食。



特に美味しく飲むお茶に淹れる水は、この山の恵みの井戸水。

Yさん同様、使い分けしているお家もある、という。

また、井戸水は硬水だが、行政水道は軟水。

ただ、その硬水は風呂水に弱い、と説明してくれた。

井戸浚えの最中に聞こえてきたツクツクボーシにカナ・カナ・カナ・・・

ヒグラシの鳴き声に癒しを受けている地に、ジィージィ鳴くアブラゼミも・・

井戸(貯水槽)すぐ横の大樹はクヌギ(※椚)。

大阪から、よく来る若い親子がクワガタ捕り。

そのクワガタを、みなさんは“ゲンジ”と呼ぶ。

椚は、“ゲンジ”のクヌギと称している。

不思議な取り合わせは、訛りでもないような・・



2槽目の貯水槽の清掃がほぼ終わるころ。

上流で清掃した班が戻ってきた。



重たい鉄製の蓋を閉じて支度を調える。

合流して確かめた、周りに塵は落としてないか。

使用した道具のすべては、4輪駆動車に載せたか。



運搬車は、ここより出発して山麓線に上がり、そこからぐるっと迂回して大塩に戻ってくる。

大多数の人たちも解散。

家からもってきた道具も忘れず、持ち帰られた。



取材を終えてから、2週間後の8月15日。

雨もまったく降らなくなった夕方5時の我が家。

北の森から聞こえてきたツクツクボーシは鳴きはじめ。

山添村・大塩で聞いてから2週間後に、平たんの大和郡山市の東城につながったツクツクボーシ。

ところで、クワガタを、上垣内のみなさんは“ゲンジ”と呼んでいた。

そのことは記憶に残っていた。

令和3年8月6日


大峯山洞川温泉観光協会(※奈良県天川村)さんがFBにあげた「さて、こちらの洞川弁はどういう意味でしょうか?正解は…クワガタムシの雄が“ゲンジ”。雌を“ヘイケ”と呼びます!夏の子供の憧れ、クワガタムシは洞川の山でも見かけられます。虫かごを持って林に向かう子供達もちらほら。夏休みの醍醐味ですね😌💕たまーーーーに、街の中でも見かけるのでもしかしたら出会えるかも知れません🍉」・・>、に、初コメントした。

「つい最近のことですが、取材していた山添村大塩で、何人もの村の人は、ここにゲンジがおるんよ。村外から来た親子連れ。虫取りにくるんよ・・に、まず、えっ・・・」

「ここは樹木生い茂る山間地。ホタルが生息するような小川すら近くにない山間地。
いや、そうじゃなくて、あそこに大きなクヌギがあるじゃろ。そこにな、クワガタを捕りに来よんや。わしら、昔からそのクワガタを“ゲンジ”と呼ぶんや・・・」と。

「“ヘイケ”を含め、雄雌の話題にまで出なかったので、それ以上は存知しないが・・・天川村から遠く離れた山添村でも、同じ呼称に興味惹かれました」と、コメントした。

“ゲンジ”をキーに、ネットから拾ってみたら、あるある・・。

奈良、三重、京都、大阪、兵庫、愛媛、香川、島根、愛知・・・比較的、西日本に多くの事例がみつかる。

ネットを繰って見つかった1件は、ヤフー知恵袋の回答

ある方が質問に応えた回答。

関西の多くは、”ゲンジ”を”クワガタムシの総称”として使います、とある。

”ゲンジ”の中に、”ノコギリクワガタ”や”ミヤマクワガタ”がいる、という感じで・・・。

関西の多くは、とあるが、地域がどこであるのか、明らかにされていない。

また、ある方は、対象とする関西は、三重、奈良、島根県。香川、兵庫県の一部・・に。

出典は日本国語辞典とあったが、別の方が回答した県は、大阪も京都も”ゲンジ”だ、と
・・

そして見つかった回答。

名称と県別に整理された一覧情報

作成者は月刊「クワガタ狂の大馬鹿者達」、今月の編集長「Jimmy」、編集部員「びん」さん

素晴らしき情報に感謝、感謝。

それにしても、呼び名の豊富さ。

呼称が確認された県。

多岐にわたる民俗語彙。

言葉は伝達・コミニュケーションの広がりからだと推測するが、ルーツまでは届かない。

発生源、語彙のつながりはどのようなルートを辿っていったのだろうか。

民俗文化を流通させるのは、人の動き。

長く親しまれてきた名称だけに、そうとうな旧さであろう。

婚姻、縁故、旅人、転居・移住、はたまた大名の転封・国替えもありうる・・

(R3. 8. 1 SB805SH 撮影)(R3. 8. 9 追記)


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