山添村の大塩。
山に5カ所の水源地があるそうだ。
うち、何か所かの地区が、今も8月7日は井戸替えする、と話していた。
7日は、盆入り。
先祖さんを迎える7日にしておきたい地区が所有する水源地の清掃である。
本来は7日であるが、みなの都合もあり、参集できる日は第一土曜か、若しくは7日直近の日曜日に移した。
その日に井戸替え作業をする、と聞いていた平成22年は8月7日に実施された。
続いて翌年の平成23年も8月7日。
2年後の平成25年は8月3日。
今年の令和3年は8月1日の日曜日。
ようやく出会えた大塩・上垣内の七日盆の井戸替え。
旧観音寺や八柱神社は、午前中に朔日座。
老人会は外してもらって墓地の清掃。
各々の垣内単位で行う7日盆の清掃がある。
午後に井戸替えの清掃作業。
すべてを終えれば、一旦は自宅に戻って、夕方に再び参集。
大塩の会所に集まるが、垣内は分かれて3室に。
そう聞いていた7日盆の井戸替えの日。
今から一週間前、大塩に立ち寄った7月24日。
目的は、10年前に聞いていた大塩の7日盆の習俗取材。
「七日盆に墓掃除がある。盆入りするにあたって、7日は墓掃除。綺麗にして先祖さんを迎える」と、話していた。
その時期が、来る前に訪れ、下見を兼ねて、村の人に詳しい情報を教えてもらいたくやってきた。
ただ、この年は、まだまだ収まらないコロナ渦中。
作業といえども、集まることが可能なのか。
それとも、コロナ症状の予防感染対策に集まりは難しい、と判断されるのか・・
井戸替え行事に合わせて聞き取りしたいお盆習俗。
盆入り行灯もあれば、サシサバ調査もある。
ただ、ここら辺りの地域では、サシサバでなくトビウオを食べる家もあるらしく、調査したい地域。
行先は大塩の上垣内。つもる話もあり、伺いたいお家はY家。
午後2時から、ここ上垣内の人たちが集まり、井戸替えの清掃をする、と話してくれた。
集合地は、上垣内・山の神にあるミバカに井戸替え。
井戸というのは、当上垣内の人たちが利用している給水槽。
山の神の地は、はっきり覚えている。
ドウゲの二人とともに行動していた大塩の風の祈祷札立て。
ずいぶん前になるが、平成23年の7月10日。
大塩の境界、7カ所に立てる祈祷札。
翌年もついて回っていただけに記憶に残る札立ての地。
先に訪れた旧観音寺。
この日に咲き誇る百日紅を拝見してから上垣内に向かう。
八柱神社の鳥居下のアスファルト道路の坂道を行く。
すぐに見つかるバス停留所。
上垣内入口になる角地に立てていた風の祈祷札。
右端が新しい祈祷札。
平成24年も、またドウゲさんとともに行動した7カ所の村の領域。
そこからは急カーブに急坂。
道なりにいけば上垣内集落に着く。
広地に車を停めて、そこから歩く道もまた急坂成り。
堪える勾配に、なんども休みをとる。
家並みを抜けたそこは、村の人たちが丹精込めてつくっている野菜畑。
山の神は、すぐ近く。
途中に合流した村人とともに向かった集合地。
先行していた人たちは、重量のある道具を運んでいた。
そう、ここは4輪駆動車なら往来できる村の道。
里道である。
本日、集まった人たちは9人。
かつては12戸の上垣内だった。
それが徐々に減り、10戸から現在の9戸。
現実は8戸だ、という。
ポンプがなかった昔は、人力によるバケツの汲み上げ。
貯水も溜まった泥の重さに、排出は力の要る作業。
電動式ポンプの普及によって、ずいぶん助かった、と話す。
バケツは変わりないが、七日盆の井戸替えに釣瓶を使っていた、という地域事例がある。
昔、懐かしい釣瓶井戸。
ある年代以前、お家に井戸がある体験者は、必ずや釣瓶で汲んでいた、というだろう。
私のふるさと。母親の生家は大阪南部地域の滝谷不動。
茅葺屋根の母屋にあった釣瓶井戸。
お風呂は五右衛門ぶろ。
焚口は、3連式の竈。
従弟たちとともに遊んだ旧き母屋の思い出がある。
平成19年の8月7日。
ずいぶん前の取材であるが、取材地は大和郡山市・天井町。
地区外れにあった弘法大師が眠る井戸がある。
その井戸浚えに、梯子を立てて釣瓶汲み。
尤も、このときの取材は、ほっかむりにモンペ着用の高齢者がその作業をしていた。
その後の、平成24年も取材した天井町の井戸浚え。
その日に聞いた、昔は釣瓶で井戸水の汲みだし。
その日も、2、3杯は手作業の汲みだし。
以降は、電動ポンプがやってくれるから助かる、と話していたことを思い出した。
さて、早速、はじめた上垣内の井戸浚え。
そう、井戸替え作業は、貯水槽に溜まった泥や葉っぱなどを除去し、綺麗な水溜めにする清掃作業。
それを“浚える”と、いう。
だから井戸替えは、井戸浚えとも称する暮らしの民俗。
井戸と呼ぶ貯水槽。
蓋は重たい鉄製。
一年に一度の井戸浚えに蓋をあける。
蓋は、いわばマンホール蓋。
貯水槽に梯子を下して、階段に足をかけて上り下り。
深さは、まっすぐ立った身長くらいか。
その前にしておく貯水槽の水深。
メジャー計測でなく、そこらに生えているススンボ竹を利用する。
葉っぱを刈ったススンボ竹を貯水槽に沈める。
浅瀬なら長靴で入れるが、貯水量が多い場合は、先に電動ポンプを入れて排水する。
ポンプは電動式だから、ガソリンエンジン発電機ももってきた。
貯水槽の底に溜まった水泥。
山から流れる水を引き込み、この貯水槽に埋め込みパイプで繋いでいる。
山から流れてくるのは、山水だけでなく山の土や落葉がいっぱい。
水路が詰まらんようにしているが、網の目をくぐってここまで流れてくる。
だから、ポンプの汲みだしは、はじめは水。
そのうち泥水になる。
ある程度の泥水は、ポンプ汲みだし。
底になるにつれポンプでは難しくなる。
そのために、予め貯水槽に下したデッキブラシで綺麗にする。
また、泥や葉っぱは、プラ製の箕。
いわば塵取り用途として使っていた。
上垣内の貯水槽は貯水型2槽式井戸。
敷設年代が異なる2槽。
旧きは、マンホール蓋の直径が50cm仕様の貯水槽は、昭和38年に構築した。
もう1槽は、平成元年に敷設。
蓋の直径は大きく60cm径だから見分けがつく。
2槽とも、穴壕を掘り、壁一面、周囲全体に敷き詰め。
コグリ石を入れ、固めてつくった、という。
ここより80mにもなるつないだ水道パイプで、各家に送っている。
距離があるだけに、途中にどろ抜きの堰を設けている。
最上流は鍋倉渓谷の向こう地。
ここより5mも登った地にあるそうだ。
実は、今日の清掃は2班分け。
作業開始と同時に、もう一組の班は、上流に敷設している貯水槽に走っていたそうだ。
細く、狭い円筒形の水溜め。
ブルドーザで工事した穴あけ。
コグリ石で固めてつくった上流槽。
水源地は、集落住民の命。
寄せた谷水は、延命水のように思えたが、取材は私一人。
上流の貯水槽を拝見したかったが、そのうち戻ってくるだろう、と・・・
山から流れる谷の水。
いわば湧き水を集める道具が井戸。
ここから何本ものパイプで下流に流す水は、高低差がある。
だから、勾配に自然と流れてくる。
そして、今、清掃している2槽式井戸に供給される。
これを“井戸川”と呼ぶ。
上の井戸は4カ所。
筒内に入るには危険をともなうので、現在は目視点検など。
パイプ汚れや管詰まりしていないか、その有無を点検する。
上流担当は、この前にお会いした隣家のKさん.
若手を引き連れ、敷設場所や点検方法などを、指導しつつ作業する。
特に、集落の水財産は、今後も継承できるよう、詳しく説明している、と話してくれたのは、ここ大塩の伝統行事の在り方の、ほとんどを教えてくださったYさん。
実は、行政が引いた上水道も普段から使用している人もおれば、Yさんのように風呂水は行政水道・飲食。
特に美味しく飲むお茶に淹れる水は、この山の恵みの井戸水。
Yさん同様、使い分けしているお家もある、という。
また、井戸水は硬水だが、行政水道は軟水。
ただ、その硬水は風呂水に弱い、と説明してくれた。
井戸浚えの最中に聞こえてきたツクツクボーシにカナ・カナ・カナ・・・
ヒグラシの鳴き声に癒しを受けている地に、ジィージィ鳴くアブラゼミも・・
井戸(貯水槽)すぐ横の大樹はクヌギ(※椚)。
大阪から、よく来る若い親子がクワガタ捕り。
そのクワガタを、みなさんは“ゲンジ”と呼ぶ。
椚は、“ゲンジ”のクヌギと称している。
不思議な取り合わせは、訛りでもないような・・
2槽目の貯水槽の清掃がほぼ終わるころ。
上流で清掃した班が戻ってきた。
重たい鉄製の蓋を閉じて支度を調える。
合流して確かめた、周りに塵は落としてないか。
使用した道具のすべては、4輪駆動車に載せたか。
運搬車は、ここより出発して山麓線に上がり、そこからぐるっと迂回して大塩に戻ってくる。
大多数の人たちも解散。
家からもってきた道具も忘れず、持ち帰られた。
取材を終えてから、2週間後の8月15日。
雨もまったく降らなくなった夕方5時の我が家。
北の森から聞こえてきたツクツクボーシは鳴きはじめ。
山添村・大塩で聞いてから2週間後に、平たんの大和郡山市の東城につながったツクツクボーシ。
ところで、クワガタを、上垣内のみなさんは“ゲンジ”と呼んでいた。
そのことは記憶に残っていた。
令和3年8月6日。
大峯山洞川温泉観光協会(※奈良県天川村)さんがFBにあげた「さて、こちらの洞川弁はどういう意味でしょうか?正解は…クワガタムシの雄が“ゲンジ”。雌を“ヘイケ”と呼びます!夏の子供の憧れ、クワガタムシは洞川の山でも見かけられます。虫かごを持って林に向かう子供達もちらほら。夏休みの醍醐味ですね😌💕たまーーーーに、街の中でも見かけるのでもしかしたら出会えるかも知れません🍉」・・>、に、初コメントした。
「つい最近のことですが、取材していた山添村大塩で、何人もの村の人は、ここにゲンジがおるんよ。村外から来た親子連れ。虫取りにくるんよ・・に、まず、えっ・・・」
「ここは樹木生い茂る山間地。ホタルが生息するような小川すら近くにない山間地。
いや、そうじゃなくて、あそこに大きなクヌギがあるじゃろ。そこにな、クワガタを捕りに来よんや。わしら、昔からそのクワガタを“ゲンジ”と呼ぶんや・・・」と。
「“ヘイケ”を含め、雄雌の話題にまで出なかったので、それ以上は存知しないが・・・天川村から遠く離れた山添村でも、同じ呼称に興味惹かれました」と、コメントした。
“ゲンジ”をキーに、ネットから拾ってみたら、あるある・・。
奈良、三重、京都、大阪、兵庫、愛媛、香川、島根、愛知・・・比較的、西日本に多くの事例がみつかる。
ネットを繰って見つかった1件は、ヤフー知恵袋の回答。
ある方が質問に応えた回答。
関西の多くは、”ゲンジ”を”クワガタムシの総称”として使います、とある。
”ゲンジ”の中に、”ノコギリクワガタ”や”ミヤマクワガタ”がいる、という感じで・・・。
関西の多くは、とあるが、地域がどこであるのか、明らかにされていない。
また、ある方は、対象とする関西は、三重、奈良、島根県。香川、兵庫県の一部・・に。
出典は日本国語辞典とあったが、別の方が回答した県は、大阪も京都も”ゲンジ”だ、と・・
そして見つかった回答。
名称と県別に整理された一覧情報。
作成者は月刊「クワガタ狂の大馬鹿者達」、今月の編集長「Jimmy」、編集部員「びん」さん。
素晴らしき情報に感謝、感謝。
それにしても、呼び名の豊富さ。
呼称が確認された県。
多岐にわたる民俗語彙。
言葉は伝達・コミニュケーションの広がりからだと推測するが、ルーツまでは届かない。
発生源、語彙のつながりはどのようなルートを辿っていったのだろうか。
民俗文化を流通させるのは、人の動き。
長く親しまれてきた名称だけに、そうとうな旧さであろう。
婚姻、縁故、旅人、転居・移住、はたまた大名の転封・国替えもありうる・・
(R3. 8. 1 SB805SH 撮影)(R3. 8. 9 追記)
山に5カ所の水源地があるそうだ。
うち、何か所かの地区が、今も8月7日は井戸替えする、と話していた。
7日は、盆入り。
先祖さんを迎える7日にしておきたい地区が所有する水源地の清掃である。
本来は7日であるが、みなの都合もあり、参集できる日は第一土曜か、若しくは7日直近の日曜日に移した。
その日に井戸替え作業をする、と聞いていた平成22年は8月7日に実施された。
続いて翌年の平成23年も8月7日。
2年後の平成25年は8月3日。
今年の令和3年は8月1日の日曜日。
ようやく出会えた大塩・上垣内の七日盆の井戸替え。
旧観音寺や八柱神社は、午前中に朔日座。
老人会は外してもらって墓地の清掃。
各々の垣内単位で行う7日盆の清掃がある。
午後に井戸替えの清掃作業。
すべてを終えれば、一旦は自宅に戻って、夕方に再び参集。
大塩の会所に集まるが、垣内は分かれて3室に。
そう聞いていた7日盆の井戸替えの日。
今から一週間前、大塩に立ち寄った7月24日。
目的は、10年前に聞いていた大塩の7日盆の習俗取材。
「七日盆に墓掃除がある。盆入りするにあたって、7日は墓掃除。綺麗にして先祖さんを迎える」と、話していた。
その時期が、来る前に訪れ、下見を兼ねて、村の人に詳しい情報を教えてもらいたくやってきた。
ただ、この年は、まだまだ収まらないコロナ渦中。
作業といえども、集まることが可能なのか。
それとも、コロナ症状の予防感染対策に集まりは難しい、と判断されるのか・・
井戸替え行事に合わせて聞き取りしたいお盆習俗。
盆入り行灯もあれば、サシサバ調査もある。
ただ、ここら辺りの地域では、サシサバでなくトビウオを食べる家もあるらしく、調査したい地域。
行先は大塩の上垣内。つもる話もあり、伺いたいお家はY家。
午後2時から、ここ上垣内の人たちが集まり、井戸替えの清掃をする、と話してくれた。
集合地は、上垣内・山の神にあるミバカに井戸替え。
井戸というのは、当上垣内の人たちが利用している給水槽。
山の神の地は、はっきり覚えている。
ドウゲの二人とともに行動していた大塩の風の祈祷札立て。
ずいぶん前になるが、平成23年の7月10日。
大塩の境界、7カ所に立てる祈祷札。
翌年もついて回っていただけに記憶に残る札立ての地。
先に訪れた旧観音寺。
この日に咲き誇る百日紅を拝見してから上垣内に向かう。
八柱神社の鳥居下のアスファルト道路の坂道を行く。
すぐに見つかるバス停留所。
上垣内入口になる角地に立てていた風の祈祷札。
右端が新しい祈祷札。
平成24年も、またドウゲさんとともに行動した7カ所の村の領域。
そこからは急カーブに急坂。
道なりにいけば上垣内集落に着く。
広地に車を停めて、そこから歩く道もまた急坂成り。
堪える勾配に、なんども休みをとる。
家並みを抜けたそこは、村の人たちが丹精込めてつくっている野菜畑。
山の神は、すぐ近く。
途中に合流した村人とともに向かった集合地。
先行していた人たちは、重量のある道具を運んでいた。
そう、ここは4輪駆動車なら往来できる村の道。
里道である。
本日、集まった人たちは9人。
かつては12戸の上垣内だった。
それが徐々に減り、10戸から現在の9戸。
現実は8戸だ、という。
ポンプがなかった昔は、人力によるバケツの汲み上げ。
貯水も溜まった泥の重さに、排出は力の要る作業。
電動式ポンプの普及によって、ずいぶん助かった、と話す。
バケツは変わりないが、七日盆の井戸替えに釣瓶を使っていた、という地域事例がある。
昔、懐かしい釣瓶井戸。
ある年代以前、お家に井戸がある体験者は、必ずや釣瓶で汲んでいた、というだろう。
私のふるさと。母親の生家は大阪南部地域の滝谷不動。
茅葺屋根の母屋にあった釣瓶井戸。
お風呂は五右衛門ぶろ。
焚口は、3連式の竈。
従弟たちとともに遊んだ旧き母屋の思い出がある。
平成19年の8月7日。
ずいぶん前の取材であるが、取材地は大和郡山市・天井町。
地区外れにあった弘法大師が眠る井戸がある。
その井戸浚えに、梯子を立てて釣瓶汲み。
尤も、このときの取材は、ほっかむりにモンペ着用の高齢者がその作業をしていた。
その後の、平成24年も取材した天井町の井戸浚え。
その日に聞いた、昔は釣瓶で井戸水の汲みだし。
その日も、2、3杯は手作業の汲みだし。
以降は、電動ポンプがやってくれるから助かる、と話していたことを思い出した。
さて、早速、はじめた上垣内の井戸浚え。
そう、井戸替え作業は、貯水槽に溜まった泥や葉っぱなどを除去し、綺麗な水溜めにする清掃作業。
それを“浚える”と、いう。
だから井戸替えは、井戸浚えとも称する暮らしの民俗。
井戸と呼ぶ貯水槽。
蓋は重たい鉄製。
一年に一度の井戸浚えに蓋をあける。
蓋は、いわばマンホール蓋。
貯水槽に梯子を下して、階段に足をかけて上り下り。
深さは、まっすぐ立った身長くらいか。
その前にしておく貯水槽の水深。
メジャー計測でなく、そこらに生えているススンボ竹を利用する。
葉っぱを刈ったススンボ竹を貯水槽に沈める。
浅瀬なら長靴で入れるが、貯水量が多い場合は、先に電動ポンプを入れて排水する。
ポンプは電動式だから、ガソリンエンジン発電機ももってきた。
貯水槽の底に溜まった水泥。
山から流れる水を引き込み、この貯水槽に埋め込みパイプで繋いでいる。
山から流れてくるのは、山水だけでなく山の土や落葉がいっぱい。
水路が詰まらんようにしているが、網の目をくぐってここまで流れてくる。
だから、ポンプの汲みだしは、はじめは水。
そのうち泥水になる。
ある程度の泥水は、ポンプ汲みだし。
底になるにつれポンプでは難しくなる。
そのために、予め貯水槽に下したデッキブラシで綺麗にする。
また、泥や葉っぱは、プラ製の箕。
いわば塵取り用途として使っていた。
上垣内の貯水槽は貯水型2槽式井戸。
敷設年代が異なる2槽。
旧きは、マンホール蓋の直径が50cm仕様の貯水槽は、昭和38年に構築した。
もう1槽は、平成元年に敷設。
蓋の直径は大きく60cm径だから見分けがつく。
2槽とも、穴壕を掘り、壁一面、周囲全体に敷き詰め。
コグリ石を入れ、固めてつくった、という。
ここより80mにもなるつないだ水道パイプで、各家に送っている。
距離があるだけに、途中にどろ抜きの堰を設けている。
最上流は鍋倉渓谷の向こう地。
ここより5mも登った地にあるそうだ。
実は、今日の清掃は2班分け。
作業開始と同時に、もう一組の班は、上流に敷設している貯水槽に走っていたそうだ。
細く、狭い円筒形の水溜め。
ブルドーザで工事した穴あけ。
コグリ石で固めてつくった上流槽。
水源地は、集落住民の命。
寄せた谷水は、延命水のように思えたが、取材は私一人。
上流の貯水槽を拝見したかったが、そのうち戻ってくるだろう、と・・・
山から流れる谷の水。
いわば湧き水を集める道具が井戸。
ここから何本ものパイプで下流に流す水は、高低差がある。
だから、勾配に自然と流れてくる。
そして、今、清掃している2槽式井戸に供給される。
これを“井戸川”と呼ぶ。
上の井戸は4カ所。
筒内に入るには危険をともなうので、現在は目視点検など。
パイプ汚れや管詰まりしていないか、その有無を点検する。
上流担当は、この前にお会いした隣家のKさん.
若手を引き連れ、敷設場所や点検方法などを、指導しつつ作業する。
特に、集落の水財産は、今後も継承できるよう、詳しく説明している、と話してくれたのは、ここ大塩の伝統行事の在り方の、ほとんどを教えてくださったYさん。
実は、行政が引いた上水道も普段から使用している人もおれば、Yさんのように風呂水は行政水道・飲食。
特に美味しく飲むお茶に淹れる水は、この山の恵みの井戸水。
Yさん同様、使い分けしているお家もある、という。
また、井戸水は硬水だが、行政水道は軟水。
ただ、その硬水は風呂水に弱い、と説明してくれた。
井戸浚えの最中に聞こえてきたツクツクボーシにカナ・カナ・カナ・・・
ヒグラシの鳴き声に癒しを受けている地に、ジィージィ鳴くアブラゼミも・・
井戸(貯水槽)すぐ横の大樹はクヌギ(※椚)。
大阪から、よく来る若い親子がクワガタ捕り。
そのクワガタを、みなさんは“ゲンジ”と呼ぶ。
椚は、“ゲンジ”のクヌギと称している。
不思議な取り合わせは、訛りでもないような・・
2槽目の貯水槽の清掃がほぼ終わるころ。
上流で清掃した班が戻ってきた。
重たい鉄製の蓋を閉じて支度を調える。
合流して確かめた、周りに塵は落としてないか。
使用した道具のすべては、4輪駆動車に載せたか。
運搬車は、ここより出発して山麓線に上がり、そこからぐるっと迂回して大塩に戻ってくる。
大多数の人たちも解散。
家からもってきた道具も忘れず、持ち帰られた。
取材を終えてから、2週間後の8月15日。
雨もまったく降らなくなった夕方5時の我が家。
北の森から聞こえてきたツクツクボーシは鳴きはじめ。
山添村・大塩で聞いてから2週間後に、平たんの大和郡山市の東城につながったツクツクボーシ。
ところで、クワガタを、上垣内のみなさんは“ゲンジ”と呼んでいた。
そのことは記憶に残っていた。
令和3年8月6日。
大峯山洞川温泉観光協会(※奈良県天川村)さんがFBにあげた「さて、こちらの洞川弁はどういう意味でしょうか?正解は…クワガタムシの雄が“ゲンジ”。雌を“ヘイケ”と呼びます!夏の子供の憧れ、クワガタムシは洞川の山でも見かけられます。虫かごを持って林に向かう子供達もちらほら。夏休みの醍醐味ですね😌💕たまーーーーに、街の中でも見かけるのでもしかしたら出会えるかも知れません🍉」・・>、に、初コメントした。
「つい最近のことですが、取材していた山添村大塩で、何人もの村の人は、ここにゲンジがおるんよ。村外から来た親子連れ。虫取りにくるんよ・・に、まず、えっ・・・」
「ここは樹木生い茂る山間地。ホタルが生息するような小川すら近くにない山間地。
いや、そうじゃなくて、あそこに大きなクヌギがあるじゃろ。そこにな、クワガタを捕りに来よんや。わしら、昔からそのクワガタを“ゲンジ”と呼ぶんや・・・」と。
「“ヘイケ”を含め、雄雌の話題にまで出なかったので、それ以上は存知しないが・・・天川村から遠く離れた山添村でも、同じ呼称に興味惹かれました」と、コメントした。
“ゲンジ”をキーに、ネットから拾ってみたら、あるある・・。
奈良、三重、京都、大阪、兵庫、愛媛、香川、島根、愛知・・・比較的、西日本に多くの事例がみつかる。
ネットを繰って見つかった1件は、ヤフー知恵袋の回答。
ある方が質問に応えた回答。
関西の多くは、”ゲンジ”を”クワガタムシの総称”として使います、とある。
”ゲンジ”の中に、”ノコギリクワガタ”や”ミヤマクワガタ”がいる、という感じで・・・。
関西の多くは、とあるが、地域がどこであるのか、明らかにされていない。
また、ある方は、対象とする関西は、三重、奈良、島根県。香川、兵庫県の一部・・に。
出典は日本国語辞典とあったが、別の方が回答した県は、大阪も京都も”ゲンジ”だ、と・・
そして見つかった回答。
名称と県別に整理された一覧情報。
作成者は月刊「クワガタ狂の大馬鹿者達」、今月の編集長「Jimmy」、編集部員「びん」さん。
素晴らしき情報に感謝、感謝。
それにしても、呼び名の豊富さ。
呼称が確認された県。
多岐にわたる民俗語彙。
言葉は伝達・コミニュケーションの広がりからだと推測するが、ルーツまでは届かない。
発生源、語彙のつながりはどのようなルートを辿っていったのだろうか。
民俗文化を流通させるのは、人の動き。
長く親しまれてきた名称だけに、そうとうな旧さであろう。
婚姻、縁故、旅人、転居・移住、はたまた大名の転封・国替えもありうる・・
(R3. 8. 1 SB805SH 撮影)(R3. 8. 9 追記)