桜井市吉隠(よなばり)の閏庚申は行われているのか、それとも・・。
されておれば以前に拝見したときと違っているはずだ。
以前という日は平成26年の2月7日に訪れた日である。
数軒の集落が建つ所から細い道を下っていけば薬師如来を祭る極楽寺に着く。
極楽寺はかつて長谷寺の真言宗末寺である。
記憶ではその極楽寺左側に庚申さんがあるはず。
あるにはあったが、平成26年2月と同じ状態の竹製のゴクダイ(御供台)とハナタテ(花立)の残欠だった。
違が見られたのは地蔵石仏と思われるところにローソクがあるのと、シキビに供えた花が枯れたものだった。
旧暦閏年の行事をしているなら、今年である。
時期はまだ早かったのかもしれない。
そう思っていたが、数か月後の7月2日もまったく変化がなかった。
その後の9月1日も同じ状態であったことから中断されたように思えた。
極楽寺を離れて数軒の家がならぶ地に戻る。
車を動かしてからすぐ。
車窓から見えた弓矢である。
玄関軒に掲げていた弓矢があるということは行事がある、ということだ。
そのまま見過ごしてしまいたくはない。
話しは伺ってみないと気が済まない。
そう思って尋ねたお家はH家。
玄関からお声をかけたら奥から婦人が出てきてくださった。
施餓鬼の札もあれば、実いっぱいつけた稲穂も垂らしているお家に飾っていた弓矢は、この年の正月三ガ日過ぎの1月第一日曜日にしていた春日神社行事でたばってきた、という。
本来は1月3日であったが、集まりやすい第一日曜日に替えた。
春日神社を祀る家はこのお家以外に4軒ある。
他の垣内と区別している(西谷の奥に建つ)特定家5軒の営みでしているそうだ。
その正月行事は昭和36年に発刊された『桜井市文化厳書』に書いてあった「宮座の結鎮祭」のようである。
平成26年の2月11日。
同市の大字和田の祭礼に出仕されていた桑山俊英宮司はここ吉隠も兼務社である。
先代は馬に跨ってここまでやってきたと聞いている。
厳書および宮司から聞いている話しでは、朝早くに集まった5軒が神饌などを調製するらしい。
その一つがこの日拝見した弓矢である。
その他にも松苗や春日神社のごーさん札もあるという。
神饌調整が終われば神事を始める。
ススンボの矢を梅の木の弓で射るケイチン所作がある。
その次がオンダ祭。
籾撒きに松苗植えをする。
これらの所作すべてを桑山宮司がなされる。
神事を終えたら座のヨバレになるらしい。
この年に当家がトウヤを務めたことからたばった弓矢をこうして飾っているという。
たばったものはもうひとつあると室内から持ち出してくれた。
それこそ春日神社のごーさん札を挟んだ藁束であった。
これには打った矢に松苗も括りつけていた。
ご厚意で撮らせてもらった吉隠の祭具である。
この祭具は、生前におばあさんが苗代に立てていたそうだ。
時代は移り変わって苗代はすることもない。
今ではJAの苗を購入しているから苗代は作らなくなった。
そういうことで今は、屋内で保管していたと話してくださった。
大字吉隠には二つの神社がある。
一つはこの日に参拝した龍ガ尻に鎮座する春日神社。
『桜井市文化厳書』によれば祭神は天児屋根命、天太玉命、武甕槌命、比賣大神。
例祭は10月9日で、新嘗祭は11月26日。
祈年祭が2月11日で、ここに春日石と呼ばれる岩があるそうだ。
もう一つの神社は東谷垣内に鎮座する天満神社で菅原道真公を祭る。
例祭、新嘗祭、祈年祭とも同一日である。
ありがたく写真を撮らせてもらったご婦人。
施餓鬼の話しついでに教えてくださった出里の様相である。
その地は曽爾村の山粕。
お寺行事の施餓鬼に祈祷札があって、それは白菜の種蒔のときに立てていたという。
施餓鬼のお札は苗代ではなく白菜の種撒きに立てると知ったのは初めてだ。
土地によってこういうこともあるのだと思った豊作の願いは一度拝見したいものだが、今でもしているのかどうか・・。
ちなみに山粕には二つの寺がある。
一つは融通念仏宗の念仏寺で、もう一つは真宗大谷派の専光寺である。
ところで施餓鬼の旗をお盆のときに畑に立てると聞いたことがある。
接骨鍼灸院の仕事に通院する患者さんを送迎していたときに聞いた話である。
山梨県の甲府で生まれ育った当時80歳いくつかの高齢者が話したお盆の在り方である。
「甲府では施餓鬼の幡を地蔵盆で参った人がダイコンの葉が虫にくわれんようにと畑に立てる。甲府といっても静岡寄りやから幡を立てているのでは・・」と話していたことを思い出した。
さて、春日神社はどこに鎮座しているのだろうか。
あそこの辻を右手奥にずっと行けばわかると教えられて軽バンで登っていった。
林道は狭い。
今にも落ちそうな崖際々を登っていく。
駐車場どころか回転する場もないぐらいの所にあった。
鳥居を潜って参拝する。
辺りを見渡せば屋根の下に保護された石仏があった。
紛れもない庚申さんであるが、旧暦閏年を示す祭具はなかった。
ここが春日神社。
宮座の結鎮祭の日程は替わることも考えられる。
今年の師走月には決まっているだろうと、車を走らせた晦日の吉隠。
再訪した婦人が云った言葉に、絶句した。
(H29. 4.14 EOS40D撮影)
されておれば以前に拝見したときと違っているはずだ。
以前という日は平成26年の2月7日に訪れた日である。
数軒の集落が建つ所から細い道を下っていけば薬師如来を祭る極楽寺に着く。
極楽寺はかつて長谷寺の真言宗末寺である。
記憶ではその極楽寺左側に庚申さんがあるはず。
あるにはあったが、平成26年2月と同じ状態の竹製のゴクダイ(御供台)とハナタテ(花立)の残欠だった。
違が見られたのは地蔵石仏と思われるところにローソクがあるのと、シキビに供えた花が枯れたものだった。
旧暦閏年の行事をしているなら、今年である。
時期はまだ早かったのかもしれない。
そう思っていたが、数か月後の7月2日もまったく変化がなかった。
その後の9月1日も同じ状態であったことから中断されたように思えた。
極楽寺を離れて数軒の家がならぶ地に戻る。
車を動かしてからすぐ。
車窓から見えた弓矢である。
玄関軒に掲げていた弓矢があるということは行事がある、ということだ。
そのまま見過ごしてしまいたくはない。
話しは伺ってみないと気が済まない。
そう思って尋ねたお家はH家。
玄関からお声をかけたら奥から婦人が出てきてくださった。
施餓鬼の札もあれば、実いっぱいつけた稲穂も垂らしているお家に飾っていた弓矢は、この年の正月三ガ日過ぎの1月第一日曜日にしていた春日神社行事でたばってきた、という。
本来は1月3日であったが、集まりやすい第一日曜日に替えた。
春日神社を祀る家はこのお家以外に4軒ある。
他の垣内と区別している(西谷の奥に建つ)特定家5軒の営みでしているそうだ。
その正月行事は昭和36年に発刊された『桜井市文化厳書』に書いてあった「宮座の結鎮祭」のようである。
平成26年の2月11日。
同市の大字和田の祭礼に出仕されていた桑山俊英宮司はここ吉隠も兼務社である。
先代は馬に跨ってここまでやってきたと聞いている。
厳書および宮司から聞いている話しでは、朝早くに集まった5軒が神饌などを調製するらしい。
その一つがこの日拝見した弓矢である。
その他にも松苗や春日神社のごーさん札もあるという。
神饌調整が終われば神事を始める。
ススンボの矢を梅の木の弓で射るケイチン所作がある。
その次がオンダ祭。
籾撒きに松苗植えをする。
これらの所作すべてを桑山宮司がなされる。
神事を終えたら座のヨバレになるらしい。
この年に当家がトウヤを務めたことからたばった弓矢をこうして飾っているという。
たばったものはもうひとつあると室内から持ち出してくれた。
それこそ春日神社のごーさん札を挟んだ藁束であった。
これには打った矢に松苗も括りつけていた。
ご厚意で撮らせてもらった吉隠の祭具である。
この祭具は、生前におばあさんが苗代に立てていたそうだ。
時代は移り変わって苗代はすることもない。
今ではJAの苗を購入しているから苗代は作らなくなった。
そういうことで今は、屋内で保管していたと話してくださった。
大字吉隠には二つの神社がある。
一つはこの日に参拝した龍ガ尻に鎮座する春日神社。
『桜井市文化厳書』によれば祭神は天児屋根命、天太玉命、武甕槌命、比賣大神。
例祭は10月9日で、新嘗祭は11月26日。
祈年祭が2月11日で、ここに春日石と呼ばれる岩があるそうだ。
もう一つの神社は東谷垣内に鎮座する天満神社で菅原道真公を祭る。
例祭、新嘗祭、祈年祭とも同一日である。
ありがたく写真を撮らせてもらったご婦人。
施餓鬼の話しついでに教えてくださった出里の様相である。
その地は曽爾村の山粕。
お寺行事の施餓鬼に祈祷札があって、それは白菜の種蒔のときに立てていたという。
施餓鬼のお札は苗代ではなく白菜の種撒きに立てると知ったのは初めてだ。
土地によってこういうこともあるのだと思った豊作の願いは一度拝見したいものだが、今でもしているのかどうか・・。
ちなみに山粕には二つの寺がある。
一つは融通念仏宗の念仏寺で、もう一つは真宗大谷派の専光寺である。
ところで施餓鬼の旗をお盆のときに畑に立てると聞いたことがある。
接骨鍼灸院の仕事に通院する患者さんを送迎していたときに聞いた話である。
山梨県の甲府で生まれ育った当時80歳いくつかの高齢者が話したお盆の在り方である。
「甲府では施餓鬼の幡を地蔵盆で参った人がダイコンの葉が虫にくわれんようにと畑に立てる。甲府といっても静岡寄りやから幡を立てているのでは・・」と話していたことを思い出した。
さて、春日神社はどこに鎮座しているのだろうか。
あそこの辻を右手奥にずっと行けばわかると教えられて軽バンで登っていった。
林道は狭い。
今にも落ちそうな崖際々を登っていく。
駐車場どころか回転する場もないぐらいの所にあった。
鳥居を潜って参拝する。
辺りを見渡せば屋根の下に保護された石仏があった。
紛れもない庚申さんであるが、旧暦閏年を示す祭具はなかった。
ここが春日神社。
宮座の結鎮祭の日程は替わることも考えられる。
今年の師走月には決まっているだろうと、車を走らせた晦日の吉隠。
再訪した婦人が云った言葉に、絶句した。
(H29. 4.14 EOS40D撮影)