つい先月である。
宇陀市榛原の大字笠間で拝見した桜実神社の御田植祭に奉られた杉の実を束ねた御田苗は苗代を作ったハウスに供えると聞いた。
話してくださったのは宮総代のKさんと同じ東垣内に住むほうれん草生産者のSさんだった。
例年は4月10日辺りに苗代を作って立てると云っていた。
状態が変化しそうなので3日に電話を架けた。
今年はなかなか気温が上昇せず、この日も霜が降りてしまうぐらいの寒さになったという。
宮総代は12日、13日辺りにしようかと思案されていた。
9日に電話を架けたSさんは栽培、出荷の仕事に追われていてそれどころではなくなった。
10日どころか、もっと遅れる可能性が高くなったという。
天候はもうひとつの状態。
昼間は温かくなっても朝霜に心配されない日が続いたら・・・ということで、また電話を、ということだった。
10日翌日の11日も冷たい雨。
なかなか温くならんから農家の人、みなが困っているのではないだろうか。
宮総代は天候を見て判断すると電話口で話していた。
明日は天気になる予報であったが、気温は依然として上がってこない。
13日辺りになるかと予想はしてみたが、何度も電話をすればいい加減叱られるのではないかと思うようになった。
焦りが徐々に増す日々を待っていても仕方がない。
そう思って腰を上げた。
桜井の吉隠から榛原へであった。
二人の話しでは、立てるのは午後になるような感じで受け取っていた。
苗代作りが午前中とすれば午後に祭りごと、というわけだ。
こちらのイライラ感を見透かしたと思う宮総代は「立てるとこ見やんでも、いつでもあるからおいで・・」と、云っていた。
吉隠で興味あるものを拝見して心はウキウキ気分。
車は気持ちよく走る。
榛原の大字笠間に到着した時間は午後4時。
宮総代のお家を訪ねたら、本日にし終えたというではないか。なんということか。
「あんたが見たいものを見せてあげる」と、云ってハウスを案内してくださる。
風除け扉を上げてくださったハウス内は苗床がいっぱいに広がっていた。
まだ遅霜があるのだが、ハウスの場合は大丈夫といって育ち具合を見せてくださる。
品種はコシヒカリにツヤヒメ。
モミオトシをした苗は育苗機で育てた。
その数、400枚の苗箱がハウス二つにするから倍数の苗箱になる。
育苗機から苗箱ごと運んでハウスに並べた。
そしてハウスの端っこにミナクチマツリをした。
ハウスをしていなかった時代は田んぼを起こした苗代田に立てていた。
太い藁束は二つ。
並べたところに御田植祭に奉った杉の実で作った模擬苗を立てた。
イロバナを添えて、奥さんが手を合わせて拝んでいた、という。
宮総代は桜井市の大神神社の豊年講顧問。
豊作を願って、神社より拝受したお札を立てている。
宮総代は足を傷めたそうだ。
この日はなんとか苗箱を並べたが、残りの400枚は息子の応援を借りて翌々日の16日にすると話していた。
出会いがあってからミナクチマツリ(水口まつり)に至るまでの長い道のりであった。
出会いの始まりは宇陀市大宇陀平尾で遭遇した笠間在住の蜂退治の男性が話した御田植祭に奉る杉の実のお供えにある。
男性はほうれん草生産者のSさん。
笠間の御田植祭で伺った宮総代も苗代のミナクチマツリをしているとわかってようやく実った豊作を願う形の記録・取材である。
桜実神社の春の祭りに祈年祭の御田植祭がある。
神社に供えた杉の実をつけた束は何本もある。
本来なら実付きであるが供えた宮総代は杉花粉アレルギー。
仕方なく実無しの杉の葉だけされた。
供えた杉の実の束は稲穂に見立てた模擬苗。
実があるほど稲の実成が良いとされてきたがアレルギー性鼻炎には勝てない。
かつて榛原笠間も県内各地と同じように水苗代だった。
冷え込むことも多い笠間では苗の育ち方が難しい。
そう判断されてハウスで育苗する。
ハウスの入口を田んぼの水口と想定するが、出入りに難儀するので端っこに寄せて祭る。
杉の実の御田苗を立てるのは二束の藁。
そこにイロバナも立てた場所は「ミズドメ」。
水の勢いを分散するためにある。
昔していた名残はハウスに転じたが、今でもこうしている。
昔なら米ができる横に「ヤッコメ」を蒔いた。
「ヤッコメ」は「焼き米」。
これを「ホシ」と呼んでいた。
「ヤッコメ」はいつしか「キリコ」になった。
「キリコ」は小さく切った小さなモチ。
いわゆるキリコモチ。
これを油で揚げたのが「キリコ」であるが、今は市販のアラレを供えている。
苗が育って田植えをする。
植え初め(ウエゾメ)に栗の木の枝を立てる。
ヒラヒラの幣を結わえた栗の木を立てていたという。
(H29. 4.14 EOS40D撮影)
宇陀市榛原の大字笠間で拝見した桜実神社の御田植祭に奉られた杉の実を束ねた御田苗は苗代を作ったハウスに供えると聞いた。
話してくださったのは宮総代のKさんと同じ東垣内に住むほうれん草生産者のSさんだった。
例年は4月10日辺りに苗代を作って立てると云っていた。
状態が変化しそうなので3日に電話を架けた。
今年はなかなか気温が上昇せず、この日も霜が降りてしまうぐらいの寒さになったという。
宮総代は12日、13日辺りにしようかと思案されていた。
9日に電話を架けたSさんは栽培、出荷の仕事に追われていてそれどころではなくなった。
10日どころか、もっと遅れる可能性が高くなったという。
天候はもうひとつの状態。
昼間は温かくなっても朝霜に心配されない日が続いたら・・・ということで、また電話を、ということだった。
10日翌日の11日も冷たい雨。
なかなか温くならんから農家の人、みなが困っているのではないだろうか。
宮総代は天候を見て判断すると電話口で話していた。
明日は天気になる予報であったが、気温は依然として上がってこない。
13日辺りになるかと予想はしてみたが、何度も電話をすればいい加減叱られるのではないかと思うようになった。
焦りが徐々に増す日々を待っていても仕方がない。
そう思って腰を上げた。
桜井の吉隠から榛原へであった。
二人の話しでは、立てるのは午後になるような感じで受け取っていた。
苗代作りが午前中とすれば午後に祭りごと、というわけだ。
こちらのイライラ感を見透かしたと思う宮総代は「立てるとこ見やんでも、いつでもあるからおいで・・」と、云っていた。
吉隠で興味あるものを拝見して心はウキウキ気分。
車は気持ちよく走る。
榛原の大字笠間に到着した時間は午後4時。
宮総代のお家を訪ねたら、本日にし終えたというではないか。なんということか。
「あんたが見たいものを見せてあげる」と、云ってハウスを案内してくださる。
風除け扉を上げてくださったハウス内は苗床がいっぱいに広がっていた。
まだ遅霜があるのだが、ハウスの場合は大丈夫といって育ち具合を見せてくださる。
品種はコシヒカリにツヤヒメ。
モミオトシをした苗は育苗機で育てた。
その数、400枚の苗箱がハウス二つにするから倍数の苗箱になる。
育苗機から苗箱ごと運んでハウスに並べた。
そしてハウスの端っこにミナクチマツリをした。
ハウスをしていなかった時代は田んぼを起こした苗代田に立てていた。
太い藁束は二つ。
並べたところに御田植祭に奉った杉の実で作った模擬苗を立てた。
イロバナを添えて、奥さんが手を合わせて拝んでいた、という。
宮総代は桜井市の大神神社の豊年講顧問。
豊作を願って、神社より拝受したお札を立てている。
宮総代は足を傷めたそうだ。
この日はなんとか苗箱を並べたが、残りの400枚は息子の応援を借りて翌々日の16日にすると話していた。
出会いがあってからミナクチマツリ(水口まつり)に至るまでの長い道のりであった。
出会いの始まりは宇陀市大宇陀平尾で遭遇した笠間在住の蜂退治の男性が話した御田植祭に奉る杉の実のお供えにある。
男性はほうれん草生産者のSさん。
笠間の御田植祭で伺った宮総代も苗代のミナクチマツリをしているとわかってようやく実った豊作を願う形の記録・取材である。
桜実神社の春の祭りに祈年祭の御田植祭がある。
神社に供えた杉の実をつけた束は何本もある。
本来なら実付きであるが供えた宮総代は杉花粉アレルギー。
仕方なく実無しの杉の葉だけされた。
供えた杉の実の束は稲穂に見立てた模擬苗。
実があるほど稲の実成が良いとされてきたがアレルギー性鼻炎には勝てない。
かつて榛原笠間も県内各地と同じように水苗代だった。
冷え込むことも多い笠間では苗の育ち方が難しい。
そう判断されてハウスで育苗する。
ハウスの入口を田んぼの水口と想定するが、出入りに難儀するので端っこに寄せて祭る。
杉の実の御田苗を立てるのは二束の藁。
そこにイロバナも立てた場所は「ミズドメ」。
水の勢いを分散するためにある。
昔していた名残はハウスに転じたが、今でもこうしている。
昔なら米ができる横に「ヤッコメ」を蒔いた。
「ヤッコメ」は「焼き米」。
これを「ホシ」と呼んでいた。
「ヤッコメ」はいつしか「キリコ」になった。
「キリコ」は小さく切った小さなモチ。
いわゆるキリコモチ。
これを油で揚げたのが「キリコ」であるが、今は市販のアラレを供えている。
苗が育って田植えをする。
植え初め(ウエゾメ)に栗の木の枝を立てる。
ヒラヒラの幣を結わえた栗の木を立てていたという。
(H29. 4.14 EOS40D撮影)