実に11年ぶり(平成17年)に訪れる奈良市月ヶ瀬桃香野の枡型弁天一万度祭行事。
民俗写真家のKさんご希望の行事である。
平成21年、京都淡交社より発刊した著書の『奈良大和路の年中行事』にも紹介している行事である。
ちなみに月ヶ瀬の行事は7月1日に行われる「龍王祭」も紹介している。
Kさんは両行事とも行ってみたいと話していた。
桃香野の行事は両行事の他に、平成15年10月に行われた八幡神社・秋の例祭や平成17年1月の八幡神社・的打ち、平成21年9月の八幡神社・風の祈祷、平成22年3月の善法寺・彼岸座、同年5月の善法寺・仏生会もある。
神社行事は三人の村神主にオトナ衆(充てる漢字は老名)が。
寺行事は檀家たちによって行われているが、何年も離れているうちにすっかり顔ぶれが替わっていた。
境内にどこかで見たような男性がいた。
知人のFBでたびたび見かける男性は写真関係に携わる人。
何故にここにおられるのか話しを聞いて納得した。
これを機会にFB申請させていただいた。
男性が紹介する若い男性。
月ヶ瀬に入り込んだ地域協力隊の一人。
月ヶ瀬の行事を取材して地域誌に載せるという。
行事を誌面で紹介する写真はこう撮ればいいのでは・・とアドバイスしたが・・・。
それはともかく拝殿前にあった階段に目が行く。
階段の側面に刻印があった。
右側は「第五十六回 正遷宮」。
左は「造営 平成十一年十一月吉日」とある。
今より17年前に斎行された証しである。
オナト衆が云うには八幡神社のゾーク(造営事業)は20年単位でなく。
7年周期。
3度の7年目に当たる年が大遷宮(だいせんぐう)と呼び、造営祭典が行われる21年ごとのゾーク事業(造営事業)である。
次のゾークは平成32年。
社務所を建て直すらしい。
昭和32年にゾークが行われたときの写真を掲示している参籠所をじっくり拝見している時間はない。
時間ともなれば行事は進行する。
社務所の回廊に座っているのは長老のオトナ衆や婦人たち。
鳥居より後方にいるのは子供会の子たち。
数年の間に子供が増えたようだ。
手水で清めた3人の村神主が拝殿に向けて参進する。
威風堂々した村神主の姿に思わずシャッターを押す。
神主やオトナ衆や婦人たちは拝殿の出入り口から入室するが、子供たちは拝殿の扉を開けて上がる。
綺麗に揃えた靴で育ちの良さがわかるが、上がるのは上級生。
まだ若い子供は拝殿前で待つ。
3人の村神主のうち一人が斎主を務める。
祓え戸社に向かって祓え詞を奏上する。
幣で祓って献饌。そして祝詞奏上ではなく参拝者とともに大祓詞を奏上する。
神饌を下げて参籠所に移る。
直会の場に子どもたちも並んでいた。
お酒を注ぐのは当番の大人。
神主やオトナ衆や婦人たちに子供会の親までも注いで廻る。
お神酒の肴は御供下げの煮豆と小片のコンブ。
箸やスプーンでよそって半紙に移す。
半紙はいわゆるお皿。
昔からこうしている。
お神酒を継いだ塗り椀をもって乾杯。
ぐぐっと飲む。
肴は他にもジャコがある。
県内事例で最も多く見られると思っているジャコ喰いもある直会はおよそ20分間。
「さあ、やろか」の一声がかかって始まった。
棚に採取していた何枚かの葉があるツバキの枝を持つオトナ衆。
参拝に来た長老、婦人らに子供会の子どもたちも選んだツバキの木をもって鳥居横にある手水鉢に葉ごと浸ける。
オトナ衆を先頭に石参道を歩いて本殿へ向かう。
拝殿に3人の村神主が待っている。
一人は拝殿、二人は賽銭箱の左右に分かれて座った。
二人の前には厚めの折敷を置いている。
そこに差し出す一枚のツバキ葉。
参拝の人が手にした枝の中でも最良と判断して選んだ葉である。
参拝者の一人、一人が差し出す葉の形状や破損、汚れなどを検証する二人は目がきょろきょろする。
参道はまるで行列のように次から次へと参進する。
その間に聞こえてきた楽曲はお伊勢参り。
「あれはいせ これはいせ いんとせー」など聞き覚えのある楽曲はかつて収録された長老たちが唄うお伊勢参りだった。
当時はカセットテープで収録。
その音源からCD化されたものだけにノイズとともに境内に響き渡る。
村人たちの行為によって最良の一枚が選ばれた。
その一枚を献上して神事を終えた。
その一枚は直会の場でお披露目される。
みなで選んだ一枚がここにある。
自然と笑顔がこぼれた。
今回拝見したのは若干の変化が認められたので、敢えてではあるが、著書『奈良大和路の年中行事』に執筆した「桃香野の枡型弁天一万度祭」を紹介した一文は言い回しなど加筆修正した上で再掲載することにした。
「奈良市に統合された旧月ヶ瀬村。桃香野の八幡神社では椿の葉を1万枚数えて神さんに奉納し、五穀豊穣を願う珍しい神事の弁天一万度祭が行なわれる。いつ始まったのか、なぜ一万枚なのか古老たちも知らないといい現在も続けられている。昼過ぎに神社に集まった大人衆、奈良の万成と言われる梅寿会、いわゆる老人会と子ども会。一万度祭はオトナ衆(老名)たちがとり仕切って行われる行事である。役員すべては拝殿に登って大祓詞を唱和する。そのあと、場を替えて神楽殿で直会が行なわれる。皿に見立てた半紙に豆、昆布、雑魚、カマボコ、テンプラを配膳。当番の人はお神酒を注ぎまわる。箸を使わずに口に添えていただく。やがて参加者たちは用意された椿の枝を一本ずつ手に持ってお伊勢参りの囃子が響くなか、鳥居と本殿間をお百度参りのようにぐるぐるまわる。手水鉢の水で清めた綺麗な葉を一枚ずつ枝からむしり取っては本殿前に置かれた箱に入れる。置かれた葉はその中からさらに綺麗なものを宮守が選ぶ。選んでは本殿に置く一の位、十の位、百の位、千の位を示す箱へ順に送っていく。これを繰り返し最奥の葉が十枚集まると一万枚が数えられたことになる。その中から選ばれた葉が最も美しい葉。そのあとの奉告祭で神さんに献上される。お年寄りと子どもたちが選んだ一万度の行事は、微笑ましくも楽しさが伝わってくる。」
(H28. 5. 5 EOS40D撮影)
民俗写真家のKさんご希望の行事である。
平成21年、京都淡交社より発刊した著書の『奈良大和路の年中行事』にも紹介している行事である。
ちなみに月ヶ瀬の行事は7月1日に行われる「龍王祭」も紹介している。
Kさんは両行事とも行ってみたいと話していた。
桃香野の行事は両行事の他に、平成15年10月に行われた八幡神社・秋の例祭や平成17年1月の八幡神社・的打ち、平成21年9月の八幡神社・風の祈祷、平成22年3月の善法寺・彼岸座、同年5月の善法寺・仏生会もある。
神社行事は三人の村神主にオトナ衆(充てる漢字は老名)が。
寺行事は檀家たちによって行われているが、何年も離れているうちにすっかり顔ぶれが替わっていた。
境内にどこかで見たような男性がいた。
知人のFBでたびたび見かける男性は写真関係に携わる人。
何故にここにおられるのか話しを聞いて納得した。
これを機会にFB申請させていただいた。
男性が紹介する若い男性。
月ヶ瀬に入り込んだ地域協力隊の一人。
月ヶ瀬の行事を取材して地域誌に載せるという。
行事を誌面で紹介する写真はこう撮ればいいのでは・・とアドバイスしたが・・・。
それはともかく拝殿前にあった階段に目が行く。
階段の側面に刻印があった。
右側は「第五十六回 正遷宮」。
左は「造営 平成十一年十一月吉日」とある。
今より17年前に斎行された証しである。
オナト衆が云うには八幡神社のゾーク(造営事業)は20年単位でなく。
7年周期。
3度の7年目に当たる年が大遷宮(だいせんぐう)と呼び、造営祭典が行われる21年ごとのゾーク事業(造営事業)である。
次のゾークは平成32年。
社務所を建て直すらしい。
昭和32年にゾークが行われたときの写真を掲示している参籠所をじっくり拝見している時間はない。
時間ともなれば行事は進行する。
社務所の回廊に座っているのは長老のオトナ衆や婦人たち。
鳥居より後方にいるのは子供会の子たち。
数年の間に子供が増えたようだ。
手水で清めた3人の村神主が拝殿に向けて参進する。
威風堂々した村神主の姿に思わずシャッターを押す。
神主やオトナ衆や婦人たちは拝殿の出入り口から入室するが、子供たちは拝殿の扉を開けて上がる。
綺麗に揃えた靴で育ちの良さがわかるが、上がるのは上級生。
まだ若い子供は拝殿前で待つ。
3人の村神主のうち一人が斎主を務める。
祓え戸社に向かって祓え詞を奏上する。
幣で祓って献饌。そして祝詞奏上ではなく参拝者とともに大祓詞を奏上する。
神饌を下げて参籠所に移る。
直会の場に子どもたちも並んでいた。
お酒を注ぐのは当番の大人。
神主やオトナ衆や婦人たちに子供会の親までも注いで廻る。
お神酒の肴は御供下げの煮豆と小片のコンブ。
箸やスプーンでよそって半紙に移す。
半紙はいわゆるお皿。
昔からこうしている。
お神酒を継いだ塗り椀をもって乾杯。
ぐぐっと飲む。
肴は他にもジャコがある。
県内事例で最も多く見られると思っているジャコ喰いもある直会はおよそ20分間。
「さあ、やろか」の一声がかかって始まった。
棚に採取していた何枚かの葉があるツバキの枝を持つオトナ衆。
参拝に来た長老、婦人らに子供会の子どもたちも選んだツバキの木をもって鳥居横にある手水鉢に葉ごと浸ける。
オトナ衆を先頭に石参道を歩いて本殿へ向かう。
拝殿に3人の村神主が待っている。
一人は拝殿、二人は賽銭箱の左右に分かれて座った。
二人の前には厚めの折敷を置いている。
そこに差し出す一枚のツバキ葉。
参拝の人が手にした枝の中でも最良と判断して選んだ葉である。
参拝者の一人、一人が差し出す葉の形状や破損、汚れなどを検証する二人は目がきょろきょろする。
参道はまるで行列のように次から次へと参進する。
その間に聞こえてきた楽曲はお伊勢参り。
「あれはいせ これはいせ いんとせー」など聞き覚えのある楽曲はかつて収録された長老たちが唄うお伊勢参りだった。
当時はカセットテープで収録。
その音源からCD化されたものだけにノイズとともに境内に響き渡る。
村人たちの行為によって最良の一枚が選ばれた。
その一枚を献上して神事を終えた。
その一枚は直会の場でお披露目される。
みなで選んだ一枚がここにある。
自然と笑顔がこぼれた。
今回拝見したのは若干の変化が認められたので、敢えてではあるが、著書『奈良大和路の年中行事』に執筆した「桃香野の枡型弁天一万度祭」を紹介した一文は言い回しなど加筆修正した上で再掲載することにした。
「奈良市に統合された旧月ヶ瀬村。桃香野の八幡神社では椿の葉を1万枚数えて神さんに奉納し、五穀豊穣を願う珍しい神事の弁天一万度祭が行なわれる。いつ始まったのか、なぜ一万枚なのか古老たちも知らないといい現在も続けられている。昼過ぎに神社に集まった大人衆、奈良の万成と言われる梅寿会、いわゆる老人会と子ども会。一万度祭はオトナ衆(老名)たちがとり仕切って行われる行事である。役員すべては拝殿に登って大祓詞を唱和する。そのあと、場を替えて神楽殿で直会が行なわれる。皿に見立てた半紙に豆、昆布、雑魚、カマボコ、テンプラを配膳。当番の人はお神酒を注ぎまわる。箸を使わずに口に添えていただく。やがて参加者たちは用意された椿の枝を一本ずつ手に持ってお伊勢参りの囃子が響くなか、鳥居と本殿間をお百度参りのようにぐるぐるまわる。手水鉢の水で清めた綺麗な葉を一枚ずつ枝からむしり取っては本殿前に置かれた箱に入れる。置かれた葉はその中からさらに綺麗なものを宮守が選ぶ。選んでは本殿に置く一の位、十の位、百の位、千の位を示す箱へ順に送っていく。これを繰り返し最奥の葉が十枚集まると一万枚が数えられたことになる。その中から選ばれた葉が最も美しい葉。そのあとの奉告祭で神さんに献上される。お年寄りと子どもたちが選んだ一万度の行事は、微笑ましくも楽しさが伝わってくる。」
(H28. 5. 5 EOS40D撮影)