蜜ロウワックス日記

小川耕太郎∞百合子社をとりまく日々あれこれ

景気について

2008年12月11日 14時10分21秒 | 小川耕太郎
9日、10日と東京へ行ってました。
9日の午後5:00から無印良品・住宅部門の方の講演会が新宿「OZONE]であり、
百数十名の方々が聞きに来られていました。
弊社とは規模が違うのでそのまま当てはめるわけにはいきませんが、
アンケート調査のやり方、メールの使い方など参考になりました。


その講演の後、OZONE6階でプロフェッショナル会員の皆さんとの懇親会。
美味しいシャンパン、ワインを飲みながら何人かの方と有意義な話が出来ました。
OZONEの皆様、ありがとうございました。


8:30には新宿南口に出て、友人達と飲み始めたのですが
あまりの人の少なさにビックリ仰天してしまいました。


いつも待ち合わせに使う伊勢丹前交番のすぐ後ろのビルの地下2階にある
スタンディングバー(ワイン1杯200円、おつまみ100円くらいの店)が
普段はギューギュー詰めなのに友人他数名しかいない。


その後行った居酒屋(ここは劇団の方などがよく来る総ケヤキ作りのお店)も
いつも満員なのに、数名しかいない。


新宿2丁目のお店(そっち系ではないです)はそこそこいたけど
その次のお店(つたの絡まる一軒家の居酒屋)は我々だけ。


尾鷲にいるとTVのニュースやインターネットの情報くらいで、
それでも大変だと思っていましたが、かなりきてます。


一番驚いたのが名古屋のセントラルタワー(トヨタのビルです)。
地下はそこそこだけど、ブランド品が集まる1階から3階は人が歩いていない。
見るのは暇そうに突っ立っているドアボーイと店員だけ。


4階の食堂階へ行ったら、
今までは「1時間待ちです」といっていたようなお店に誰も入っていない。
(値段が高すぎたので、その内ダメになるとは思っていましたが)
あまりの変わりように驚くばかりです。


皆、仕事が安定せず、老後にも不安を抱えている。
人を大切にせず、企業業績と株主だけを見た経営がおかしかったのだ。
派遣で働く人たちは自分で造っている車を買えないではないか。


でも、ものは考えようで、
100年に1回の危機って不安がっているけれど、
第二次世界大戦から100年経ってない。


大戦後は、父母、祖父母は芋のつるを食べ、
その次の世代のおじ達は秋刀魚を二人で分け合って食べていた。
今回、それ以上になると言うのだろうか?


製材所の倒産後、1年くらい私達は月5万円で生活していた。
育てた野菜ともらった魚、母親が漬けたくず野菜の漬物を食べて・・・。


食べていこうと必死になったら何とかなるものだ。
私も職を無くし、数億円の保証人となり、膠原病という難病にもかかった。
両親も病気になり、24時間弟と父を看ていたこともあった。
それでも、「生きていく」と決意すれば道は開けるものだと思っている。
いろんな人に手助けしてもらいながら何とかしてきた。


仕事がないと言っている人にも言いたい。
尾鷲には山の切り出しをする人、漁業の担い手がいないので
ずーっと前から人を探している。
でも、研修にやってきても定住し、続ける人は少ない。


地方へ行けば、キツイ肉体労働をすれば、給料は安いけれど
ホームレスになることは無い。覚悟を決めることだと思う。