昨日、ACTIONというTV番組をつけていた。(日本TVだと思う)
気仙沼の様子を放送している中で、
ある女性がぐしゃぐしゃに壊れたスーパーマーケットに入り、
使えそうな洗剤や飲料水のようなものをかごに入れ持ち去るところを映していた。
TV番組の記者が、「持ち去るつもりでないのなら良いのですが・・・。」
というようなコメントをした後、
「TVが撮影していることに気が付き、かごを置いて帰りました。良かった。」という放送をしていた。
怒髪天を衝くとはこのようなときに言うのだろう。
ぐしゃぐしゃになったスーパーから使えそうな物を持ち出して何が悪い。
10日以上、満足な食事も水もない状態なんだ。
正義面するんじゃない。馬鹿野郎が。
以下に石巻にいる知人を助けに行った人からのメールを転載しました。
無事助けることができ、現在は東京の病院に入院させたそうです。
本当に良かった。
私のわずかな地震体験ですが、石巻の現状を知ってもらいたいとメールします。
私は11日の震災の時、徳島にいました。ニュースを見てその日の夕方、予約していた夜行列車で東京へ行き盛岡へ変える予定でしたが、電車が運休し、その日は神戸までバスで出て、そこで1泊せざるを得ませんでした。
翌日は何とか沼津まで行き着き、情報収集し、14日に東京に行って盛岡へのルートを探しましたが、公共交通機関では行けないことがわかりました。結局その日も東京で足止めされ、知人宅に宿泊。そこで盛岡の知人と連絡が取れ、秋田経由で大曲までは行けるので、そこまで車で迎えに来てくれることになり、16日の夜、何とか盛岡の家族の元にたどり着きました。
盛岡は大きな被害もなく安心しましたが、沿岸部の被害は甚大で、何かできないものかと思っていました。そんな時、友人から電話がありました。
友人の母親が石巻で自宅非難しており、体調を崩して助けてほしいとSOSを受け、ほかに頼む人もなく私に連絡をしたというのです。そして、友人は東京から秋田に飛行機で入り、開通したばかりの秋田→盛岡間新幹線に乗り、18日の午前中に私と合流しました。
ガソリンがほとんど手に入らない中、前日から友人知人の協力で軽自動車に燃料満タンにして、何とか出発しました。東北道(4号線)は開通しているので、宮城県古川まで行き、そこから石巻に。古川は震度7ということで、道路が陥没していたり、橋が土手からずれていたりと、地震の被害が目に付き始めましたが、倒壊した家はほとんどありません。
ただ、石巻に到着し沿岸部に近づくにつれ、津波の被害の大きさに驚きました。石巻の中心地は壊滅状態で、ヘドロと無残に転がっている自動車など、見る影も無いと友人は悲しんでいました。
現地では治安状況も悪く、支援物資を載せた個人の自動車で入るのは危険との情報を受け、安全な場所に駐車し、歩いて商店街まで行き、その夜は被災地で1泊しました。
とにかく寒くて、電気もガスもなく、自宅避難者へのフォローはほとんど手が回っていない状況です。避難所には家をなくした被災者が優先され、自宅非難の方々も、避難所に行くことを控えているため、この状態はしばらく続くようです。
避難所には支援物資も届くようになり、ある程度改善されたようですが、自宅避難者はかなり厳しい状態です。
そんな中、外国人やよその地域から流入した窃盗団などにより、強盗や破壊行為も発生しており、地域住民が自警団を作って対応するも、みな被災者のため疲れ果てて、ほとんど機能していない状況です。
報道でもやっと自宅避難者のことを報道し始めましたが、街中の混乱や強盗などの情報はほとんど聞こえてきません。
道路や目に付くところにあった遺体は、おおかた片付けられたようですが、まだまだ倒壊した建物の中や、折り重なった自動車の中には、多数の遺体があるそうです。これがいつまで続くのか・・・。自動車の撤去はガソリン爆発などの危険もあるため、簡単には進まないようです。これから気温が上がる中で、ヘドロが土ぼこりとなり、回収されない遺体が腐敗するなど、生活環境はさらに悪化することはまちがいありません。
今後の支援については、自宅避難者へのケアが急務です。備蓄した食糧も底をつき始め、水、食べ物が不足しています。それと、ガソリン、灯油がないために、支援物資が滞っているとも聞きます。避難所ももちろんですが、ぜひ自宅避難者への支援をご検討ください。
私たちは翌日、友人の母を連れて、何とか石巻を離れ、仙台までたどり着き、仙台の親戚宅に非難をさせましたが、その時点で燃料がほとんど空になったので、私は開通したばかりの仙台→盛岡間のバスで家に帰ってきました。
以上、簡単ですが現地の情報をお知らせします。
気仙沼の様子を放送している中で、
ある女性がぐしゃぐしゃに壊れたスーパーマーケットに入り、
使えそうな洗剤や飲料水のようなものをかごに入れ持ち去るところを映していた。
TV番組の記者が、「持ち去るつもりでないのなら良いのですが・・・。」
というようなコメントをした後、
「TVが撮影していることに気が付き、かごを置いて帰りました。良かった。」という放送をしていた。
怒髪天を衝くとはこのようなときに言うのだろう。
ぐしゃぐしゃになったスーパーから使えそうな物を持ち出して何が悪い。
10日以上、満足な食事も水もない状態なんだ。
正義面するんじゃない。馬鹿野郎が。
以下に石巻にいる知人を助けに行った人からのメールを転載しました。
無事助けることができ、現在は東京の病院に入院させたそうです。
本当に良かった。
私のわずかな地震体験ですが、石巻の現状を知ってもらいたいとメールします。
私は11日の震災の時、徳島にいました。ニュースを見てその日の夕方、予約していた夜行列車で東京へ行き盛岡へ変える予定でしたが、電車が運休し、その日は神戸までバスで出て、そこで1泊せざるを得ませんでした。
翌日は何とか沼津まで行き着き、情報収集し、14日に東京に行って盛岡へのルートを探しましたが、公共交通機関では行けないことがわかりました。結局その日も東京で足止めされ、知人宅に宿泊。そこで盛岡の知人と連絡が取れ、秋田経由で大曲までは行けるので、そこまで車で迎えに来てくれることになり、16日の夜、何とか盛岡の家族の元にたどり着きました。
盛岡は大きな被害もなく安心しましたが、沿岸部の被害は甚大で、何かできないものかと思っていました。そんな時、友人から電話がありました。
友人の母親が石巻で自宅非難しており、体調を崩して助けてほしいとSOSを受け、ほかに頼む人もなく私に連絡をしたというのです。そして、友人は東京から秋田に飛行機で入り、開通したばかりの秋田→盛岡間新幹線に乗り、18日の午前中に私と合流しました。
ガソリンがほとんど手に入らない中、前日から友人知人の協力で軽自動車に燃料満タンにして、何とか出発しました。東北道(4号線)は開通しているので、宮城県古川まで行き、そこから石巻に。古川は震度7ということで、道路が陥没していたり、橋が土手からずれていたりと、地震の被害が目に付き始めましたが、倒壊した家はほとんどありません。
ただ、石巻に到着し沿岸部に近づくにつれ、津波の被害の大きさに驚きました。石巻の中心地は壊滅状態で、ヘドロと無残に転がっている自動車など、見る影も無いと友人は悲しんでいました。
現地では治安状況も悪く、支援物資を載せた個人の自動車で入るのは危険との情報を受け、安全な場所に駐車し、歩いて商店街まで行き、その夜は被災地で1泊しました。
とにかく寒くて、電気もガスもなく、自宅避難者へのフォローはほとんど手が回っていない状況です。避難所には家をなくした被災者が優先され、自宅非難の方々も、避難所に行くことを控えているため、この状態はしばらく続くようです。
避難所には支援物資も届くようになり、ある程度改善されたようですが、自宅避難者はかなり厳しい状態です。
そんな中、外国人やよその地域から流入した窃盗団などにより、強盗や破壊行為も発生しており、地域住民が自警団を作って対応するも、みな被災者のため疲れ果てて、ほとんど機能していない状況です。
報道でもやっと自宅避難者のことを報道し始めましたが、街中の混乱や強盗などの情報はほとんど聞こえてきません。
道路や目に付くところにあった遺体は、おおかた片付けられたようですが、まだまだ倒壊した建物の中や、折り重なった自動車の中には、多数の遺体があるそうです。これがいつまで続くのか・・・。自動車の撤去はガソリン爆発などの危険もあるため、簡単には進まないようです。これから気温が上がる中で、ヘドロが土ぼこりとなり、回収されない遺体が腐敗するなど、生活環境はさらに悪化することはまちがいありません。
今後の支援については、自宅避難者へのケアが急務です。備蓄した食糧も底をつき始め、水、食べ物が不足しています。それと、ガソリン、灯油がないために、支援物資が滞っているとも聞きます。避難所ももちろんですが、ぜひ自宅避難者への支援をご検討ください。
私たちは翌日、友人の母を連れて、何とか石巻を離れ、仙台までたどり着き、仙台の親戚宅に非難をさせましたが、その時点で燃料がほとんど空になったので、私は開通したばかりの仙台→盛岡間のバスで家に帰ってきました。
以上、簡単ですが現地の情報をお知らせします。