memories on the sea 海の記録

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リバテイ船が沿岸の人工漁礁に

2012-05-12 00:37:47 | 我愛船艇
5隻のリバテイ船(liberty ship)、第2次世界大戦の際に大量に生産された“見にくいアヒル子”と呼ばれた船舶がミシシッピー湾に沈んでいる。戦争による沈没ではない(4月28日sunherald)

これらの船はおよそ40年間海底に鎮座し、タイ、ハタ類、シープヘッドやその他の遊漁対象の魚種の天国となっている。これらの船は解体され意図的に1970年代の中盤に沈められた漁礁とされた。この成功が沿岸や沖合の魚礁計画として現在まで続いている。

第二次世界大戦の際に2750隻以上が建造され日本やドイツを粉砕すべく国のために貨物、兵士、爆弾などの輸送にあたった。これらの船舶は建造時間短縮とコスト削減のためにリバテイ船型と呼ばれ当時のフランクリン・ルーズベルト大統領がおぞましい形の物体として“見にくいアヒルの子”と呼んだ。ほかのあだ名はカイザーののろまな棺であり、それは船速が10ノットと遅いことに由来、造船王のHenry J. Kaiserがそのほとんどを建造した。戦後はリバテイ船は世界規模で商船の大黒柱となった。しかしその一部は別の目的に改装された。現在ではおそらく2隻が海で活動しているとみられる。

風雪を経て国防予備船舶としてのリバテイ船は沿岸州に人工漁礁としての利用の対象となったMississippi Gulf Fishing Banks Inc.ミシシッピ湾漁礁会社(MGFB)はその実行に踏み切った。州関係当局の協力のもと,海洋資源局を通じMGFBはミシシッピ湾やその南方の島嶼に魚礁を設ける努力を続けている。1970年代中盤以前でもこの地区で人工漁礁による利益が認められていた。古いタイヤや車による漁礁が2基1960年代に構築されていた。これが魚礁の始まりである。(以下省略)

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