ひと目見たところでは日本の気仙沼漁港は3月の津波被害から回復したように見える。人口7万人の港にはある朝には6隻ほどの漁船がいて部分的に復旧した港ではカツオの水揚げが行われていた(8月24日WNYC)
魚は真水のシャワーの下コンベアーに載せられ運ばれ氷水をはった魚タンクに向かう。水揚げの入札にあたるイワブチ・ミツオ氏は港は改善された、しかしそれを稼働させるインフラや魚加工会社、製氷会社などがいまだ瓦礫の中にあると。イワブチ氏の二つの加工場も被災した。魚の加工はできず、冷凍や梱包もできない。港の機能は以前の水揚げの10分の一ほどである。「工場が健在であった時にはカツオを切り付け冷凍したのちにタイに輸出していた」とイワブチ氏。彼は黄色のブーツを履いてその日の水揚げを検品している。「今は何もできず、カツオを鮮魚のまま出荷するだけだ」という。
今のところ、地元行政は津波被災地帯での再建工事を誰にも許可していない。イワブチ氏はその理由は明らかに不安だからだという。「地盤が沈下している」 「水が流れてきてどこも洪水状態になる」という。
<地震の後の生活は日々の洪水>
3月11日のマグニチュード9の地震は日本の東北の沿岸の形を変えた。気仙沼の海岸線はいまや以前のものから平均で2.5フィート(75センチ)沈下したと地元当局は語る。このため市の重要な産業用地では一日2回の高潮の影響を受ける。その影響は超現実的である。引き潮の時間には港と市内の商業地は乾燥している。しかし潮が高くなると港から海水があふれ通りに浸入、建物のあった空地に流れ込む。
政府は再建計画を描こうとしている。しかしイワブチ氏はすでに彼の100人の従業員のうち80人を解雇している。彼は漁業関連産業は貴重な時間を失いつあるという。「どこまで自分が我慢できるか疑問だ」とかれは残念そうにいう。「自分お資金がいつまで続くか」
港には9隻の漁船が震災の後ペンキを塗り直し出港できる状態にある。しかしほとんどは数か月動くことがない。それら漁船の一隻を所有するササキ・ヒロユキさんは彼らのマグロを扱ってくれる工場なしに漁に出ても仕方ないという。ツナミ以前でも漁業は魚価の低迷と雇用の高齢化に悩んでいた。気仙沼の再建が遅れれば、多くの高齢者がリタイアしその代替えとなる雇用はなくなると佐々木氏はいう。「自分はそうなってほしくはない」酷暑の中で頭にタオルをまいた彼はいう「そうなることは恐ろしい。若者が勉強し航海士や機関士の資格を取ってほしい」
<再建の不確実性>
市長のスガワラ・シゲル氏は沿岸の沈下がこの市の最大問題という。それが厳しい問題を提起している。「いかに地盤をかさ上げするのかがまず第一という。「第2に、沿岸からどの程度までの距離に住むことができるか?工場をどこに立てればよいのか?などが問題だ」政府はここ2~3か月のうちに意思決定するというが、スガワラ市長は再建には数年がかかるものとみている。地元の商業者はすでに仕事を始めているという。
ミヤガワ・ヒロミツ氏は港のそばで食品店を営んでいた。ここではすべてが津波により消し飛んだ。今彼はバナナ、パイナップル、ブドウなどを壁が吹き飛び天井のなくなった元薬屋のところで商っている。「政府の対応は本当に遅すぎる」とミヤガワ氏はいう。汚れた前掛けを付けた彼は商品の値段を携帯電話で伝えていた。「行政は市の主要産業に集中し港の周りの地盤のかさ上げを3フィートはすべきだそれもできるだけ早く。もしそうなれば自分としてはもっと良いところに店を移したい」と。ミヤガワ氏の店は土台だけが残った壊れた建物にある。彼は再建の遅れが気仙沼の将来を不確実にしているという。人々はjどうやって再出発できるのか、どうなり何が起こるのかわからない。
魚は真水のシャワーの下コンベアーに載せられ運ばれ氷水をはった魚タンクに向かう。水揚げの入札にあたるイワブチ・ミツオ氏は港は改善された、しかしそれを稼働させるインフラや魚加工会社、製氷会社などがいまだ瓦礫の中にあると。イワブチ氏の二つの加工場も被災した。魚の加工はできず、冷凍や梱包もできない。港の機能は以前の水揚げの10分の一ほどである。「工場が健在であった時にはカツオを切り付け冷凍したのちにタイに輸出していた」とイワブチ氏。彼は黄色のブーツを履いてその日の水揚げを検品している。「今は何もできず、カツオを鮮魚のまま出荷するだけだ」という。
今のところ、地元行政は津波被災地帯での再建工事を誰にも許可していない。イワブチ氏はその理由は明らかに不安だからだという。「地盤が沈下している」 「水が流れてきてどこも洪水状態になる」という。
<地震の後の生活は日々の洪水>
3月11日のマグニチュード9の地震は日本の東北の沿岸の形を変えた。気仙沼の海岸線はいまや以前のものから平均で2.5フィート(75センチ)沈下したと地元当局は語る。このため市の重要な産業用地では一日2回の高潮の影響を受ける。その影響は超現実的である。引き潮の時間には港と市内の商業地は乾燥している。しかし潮が高くなると港から海水があふれ通りに浸入、建物のあった空地に流れ込む。
政府は再建計画を描こうとしている。しかしイワブチ氏はすでに彼の100人の従業員のうち80人を解雇している。彼は漁業関連産業は貴重な時間を失いつあるという。「どこまで自分が我慢できるか疑問だ」とかれは残念そうにいう。「自分お資金がいつまで続くか」
港には9隻の漁船が震災の後ペンキを塗り直し出港できる状態にある。しかしほとんどは数か月動くことがない。それら漁船の一隻を所有するササキ・ヒロユキさんは彼らのマグロを扱ってくれる工場なしに漁に出ても仕方ないという。ツナミ以前でも漁業は魚価の低迷と雇用の高齢化に悩んでいた。気仙沼の再建が遅れれば、多くの高齢者がリタイアしその代替えとなる雇用はなくなると佐々木氏はいう。「自分はそうなってほしくはない」酷暑の中で頭にタオルをまいた彼はいう「そうなることは恐ろしい。若者が勉強し航海士や機関士の資格を取ってほしい」
<再建の不確実性>
市長のスガワラ・シゲル氏は沿岸の沈下がこの市の最大問題という。それが厳しい問題を提起している。「いかに地盤をかさ上げするのかがまず第一という。「第2に、沿岸からどの程度までの距離に住むことができるか?工場をどこに立てればよいのか?などが問題だ」政府はここ2~3か月のうちに意思決定するというが、スガワラ市長は再建には数年がかかるものとみている。地元の商業者はすでに仕事を始めているという。
ミヤガワ・ヒロミツ氏は港のそばで食品店を営んでいた。ここではすべてが津波により消し飛んだ。今彼はバナナ、パイナップル、ブドウなどを壁が吹き飛び天井のなくなった元薬屋のところで商っている。「政府の対応は本当に遅すぎる」とミヤガワ氏はいう。汚れた前掛けを付けた彼は商品の値段を携帯電話で伝えていた。「行政は市の主要産業に集中し港の周りの地盤のかさ上げを3フィートはすべきだそれもできるだけ早く。もしそうなれば自分としてはもっと良いところに店を移したい」と。ミヤガワ氏の店は土台だけが残った壊れた建物にある。彼は再建の遅れが気仙沼の将来を不確実にしているという。人々はjどうやって再出発できるのか、どうなり何が起こるのかわからない。
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