memories on the sea 海の記録

海、船、港、魚、人々、食・・・などなんでもありを前提に、想い出すこと思いつくこと自由に載せます。

島の領主 (2) Namの場合

2013-10-11 00:02:37 | 亜細亜海道
Mong Tay島の名前は海辺の植物Pemphis acidulaに由来するという。ここには以前は沢山あったという。ところがこれが盆栽として扱かわれるようになると、本土からの人々が持ち帰るようになったという。現在では島には4種の植物しか残っていないとAnはいう。彼は勝のある種を残したいという。彼の単独生活を見て地元当局が本土側に彼のための家を建てたが彼はもともとの家を離れようとはしない。何故結婚しないかと聞くと「自分は海で育った。自分の心はすでに海水で錆びてきている」という。

An とは違って、Son Hai集落のHon De島に住むPham Van Namの場合は一人ではない。彼が23歳のときNam とその妻 Lam Thi Truc はベトナム戦争当時のサイゴン政権当時の軍隊に加わりたくなくて島に脱出した。真水が出ないため、島は無人島であった。 Kien Luongのパン屋の娘であったTrucは困難な道を選んだ。でも彼女は習得が早かった。彼女は熟練の女漁師となり毎日亭主の仕事を助けている。野菜や果物を育て、家畜も飼い、そして漁にでる。Ba Lua 諸島のHon De 島は今や蘭の収穫で有名になった。

彼らは品物を船で本土に運び金に換える。その金で彼らは新しい漁船を手にし、漁業の仕事を続けている。彼らは子供たちにを困難な中で生活し生き延びるすべを教えている。Phamの家族は栄えている。でも、Namは孫たちには違った生活をして欲しいという。彼は教育を受けさせたいという。何年にもわたってNamの家族はボーとを漕ぎ、子供たちを別の島の学校に通わせている。

Trucは荒海でボートの転覆、沈没など多くの事故を体験している。彼女が忘れられない事故は10年前のは子供たちを乗せ学校からボーとをこいで戻るときだった。大波がボーとを水浸しにした。Trucは学校にどうしてもついてゆくという3歳の孫をつかんだ。でも彼は波に飲まれてしまった。家族が水に潜り捜索したがダメだった。Nam は観光客が美しい島に来ることを望まない。観光客を嫌うのではないが、邪魔されたくないのだという。金持ちになった今も彼らはボートで漁に出る。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿