
アイランちゃんの写真は世界の新聞の一面に掲載され、ソーシャルメディアでも世界中で大きな反響を呼んだ( 9 月 4 日WSJ)
その子の名前はアイラン。内戦で混乱するシリアから家族と一緒に逃れてきた3歳の男の子だった。
アイランちゃんの旅は欧州の避難所で終わるはずだった。だが、この旅でアイランちゃんは命を落とし、第2次世界大戦後で最悪の難民危機に巻き込まれた人々の窮状を世界に印象づけた。
トルコの海岸に打ち上げられた、アイランちゃんの遺体の画像は世界中に衝撃をもたらした。世界中で激しい怒りを伴う世論が巻き起こり、アイランちゃんの親類が提出した難民申請を拒絶した、中東から遠く離れたカナダの政治指導者らを困惑させている。
赤いTシャツと短パン姿で波打ち際にうつぶせに横たわる姿を撮影された男の子はアイラン・クルディちゃんと確認された。トルコとの国境に近いシリアのコバニから逃れてきたクルド人だ。コバニでは中東の過激派組織「イスラム国(IS)」とクルド人武装勢力との間で激しい戦闘が数カ月間にわたって続いている。
アイランちゃんは現地時間2日未明に起きたボートの転覆事故で溺死した。長さ15フィート(約4.5メートル)のボートはトルコのビーチリゾート、ボドルムからギリシャのコス島へ向かっていた。転覆事故でボートに乗っていた12人が死亡した。アイランちゃんの5歳の兄、ガリプ君と母親のリハンさんもこの事故で死亡した。父親のアブダラさん(40)だけが助かった。
アブダラさんは3日、悲しみにくれながら、家族の遺体をコバニに移送する準備を進めていると記者団に語った。そこで遺体を埋葬し、自分はコバニに戻るつもりだと話した。
アブダラさんは近くの町ムグラにある死体安置所の外で、「これからは私も(コバニで)生きていく。家族と一緒に埋葬されたい」と話した。
「私の子供たちは世界で一番美しい子供たちだった。毎朝、遊ぼうといって私を起こした。もう彼らはいない。私の今の望みは妻と子供たちの墓の横に座ることだ」
アブダラ・クルディさん一家は3年前にトルコにやってきた。シリアの首都ダマスカスで床屋をしていたアブダラさんは戦闘から逃れるためシリア北部のアレッポに移り、それからトルコとの国境に接したクルド人の街コバニに逃れた。アブダラさんののページにはイスタンブールのボスポラス海峡をわたる一家の写真や、新しくできたイスラム教の礼拝堂「イェニカミ」の隣でハトにえさをやる家族の写真が掲載されている。
アブダラさんは2日、病院のベッドでシリアのラジオ局の取材に応じ、トルコに移り住んでから建設現場で1日50トルコリラ(約2000円)の賃金で働いていたが、生活は苦しかったと話した。一家はカナダに住む親戚のティマ・クルディさんからの仕送りを家賃の足しにしていた。
バンクーバー郊外に住むティマさんは3日、シリアにいる父親がアブダラさんに欧州へ行くようすすめたと話した。欧州で悪くなった歯を治療し、家族がトルコを離れられる手段を見つけるよう促したという。ティマさんは3週間前から旅行の費用を少しずつ電信為替で送金し始めた。
そのすぐ後にアブダラさんがティマさんに電話をしてきて、妻が残っても2人の子供たちを養えないので、「もし行くなら、みんな一緒に行く」と語ったという。
ティマさんが先週、アブダラさんの妻と話した際、自分は泳げないから水が怖いと言っていたという。ティマさんは「『無理には行かせられない。行きたくないなら、行かないほうがいい』と彼女に伝えた」と話した。「でもみんなで行こうと決めたのだと思う」
アブダラさんは遺体安置所で、暗闇に包まれたトルコの海岸を出発した後、何が起こったかを話した。
「海に出てすぐ、船長は波が高すぎると判断し、かじを切った。たちまち波の衝撃を受けた。彼はパニックになり、海に飛び込んで逃げた。私がかじを握ったが、波が高すぎてボートは転覆した。妻を腕に抱きかかえたが、みんな死んでしまった」
カナダのティマさんは、アブダラさんがトルコの現地時間で2日午前3時頃にメールを送ってきたと話す。一家が出発したことを知らせる内容だった。だが、次にアブダラさんと話した時、彼は打ちのめされた様子でこう話した。両方の腕に子供を一人ずつ抱えて必死に溺れないように頑張ったができなかったと。
アブダラさんはティマさんに「(子供たちが)『お父さん、死なないで』と叫んだ」と話したという。そして、子供たちが息絶えたことに気付いたとき、アブダラさんは目を閉じ一人ずつ腕を離した、と。
また、アブダラさんは、「子供たちを救うためにできることはすべてやったが無理だった」、「この子たちを世界の目を覚ますきっかけにしなければならない」とティマさんに語ったという。
アブダラさんは密航業者にギリシャまでの安全な渡航費用として4000ユーロを支払ったと話す。トルコのメディアは3日、警察当局がボートの手配に関与したとして4人のシリア人容疑者を拘束したと伝えた。
世界中のメディアが溺死した男児の画像をさまざまな形で報じた。その多くが、難民の救援に消極的だとして先進国に怒りの矛先を向けている。
これを受けて来月のカナダの総選挙の争点は難民危機に対する同国の対応に移った。ハーパー首相は3日、政府の難民対応の実績を挙げて擁護し、今後も一層の努力をすると約束した。
カナダのメディアはティマさんが2日に話したこととして、アイランちゃんの家族はカナダへの移住を申請していたと伝えた。だが、3日になってティマさんはその申請がもう一人の男兄弟、モハンマドさんのものだったと話した。カナダ移民局によると、「難民であることを証明する法的要件を満たしていなかった」ため、申請は拒否された。
トルコのエルドアン大統領は、難民問題とその背景にある紛争への取り組みが効果を上げていないとして欧州を非難している。トルコはすでに170万人のシリア難民を受け入れている。シリア国内にも400万人の難民がいると推計されている。
エルドアン大統領は欧州連合(EU)が難民受け入れの分担をめぐってもめている間に、トルコやヨルダン、レバノンといったより貧しい国がシリアやイラクなどからの難民を数百万単位で受け入れているとしてEUを非難した。
「地中海を難民の墓場に変えた欧州諸国はすべて、難民を死に追いやった罪を背負っている」とし、「地中海で溺れているのは難民だけではない。われわれの人間性もだ」と述べた。
難民のための避難所増設を求める世論が高まっている英国では3日、キャメロン首相に難民申請者をより多く受け入れるよう要求するオンライン請願書への署名者数が1日前の4万人から30万人に急増した。
キャメロン首相は男児の溺死画像に「深い衝撃を受けた」とし、英国の「道徳的な責任」を果たすことを約束した。フランスのバルス首相は、男児の画像が欧州による迅速な行動の必要性を浮き彫りにしたと指摘した。
欧州各国の3日朝のテレビ番組は溺死男児の画像が持つ衝撃度を比較するため、ベトナム戦争で投下されたナパーム弾から裸で逃げる少女の写真を引き合いに出した。1972年にカメラマンのニック・ウット氏が撮影したこの9歳の少女の写真は優れた報道や作品に贈られるピュリツァー賞を受賞した。
海岸で溺死したアイランちゃんを撮影したトルコ・ドアン通信のカメラマン、ニルファー・デミール氏は遺体を見たとき、「血が凍りついた」と話す。デミール氏は2003年から難民・移民たちの姿を撮り続けている。
「私にできる唯一のことは、彼の叫び声を届けることだった」とし、「今日から何かが変わることを期待する」と語った。
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