memories on the sea 海の記録

海、船、港、魚、人々、食・・・などなんでもありを前提に、想い出すこと思いつくこと自由に載せます。

トンネルが戦時記憶を保存する  ベトナム(3)

2014-11-13 00:01:35 | 亜細亜海道

さらに、換気装置、医療サービスもトンネルのあちこちに作られた。だから地元の民兵と解放軍は長時間にわたってこの中で生き延びることが出来たのだ。Nguyen Thi Bong, 74歳はある入り口はThach Tan集落の彼女家の庭に作られ、彼女の家族はそれを保護する役を引き受けた。彼女は民兵への連絡役であり、その母はトンネルの中の人日との炊事と看護を引き受けた。1968年のある日、その入り口がサイゴン政権の軍隊に発見された。

「彼らは我が家を燃やしみんぴらが降参するよう父と自分に命令した。彼らは7時間にわたり拷問をした、しかし彼らは失敗した」と彼女は思い出を語る。サイゴンの兵士はこの二人をトンネルに入れて殺そうと手りゅう弾を使った。「我々は死ななかった。でも入り口とトンネルの一部は破壊された。我々の勇気のものがたりを記録すべく彫像が建てられた」とかの状はいう。

彼女の父親はその後デング熱でトンネルの中で死んだ。かの女の年下の妹と弟は協賛ゲリラチームに加わった、彼らの人生は先頭の犠牲となった。母親はその後1975年に重篤な病期で亡くなった。現在彼女はトンネルの入り口に近い、集落と企業からの財政支援で建てられた家に住んでいる。「古い入り口は今は家の裏庭になった。1968年の急襲で移動することになり、昔の入り口の姿は自分のの記憶の中にある」と彼女はいう。


難民のボートが沈没し24人が死亡   イスタンブール

2014-11-13 00:01:09 | 海事

イスタンブールのボスポラス海峡の入り口の黒海で月曜日、難民を乗せたボートが沈没した(11月3日A P)

これらの難民はアフガニスタンやシリアからの人々と見られるが、憂くなくとも24人が死亡し7人が救助されたとトルコ当局が報じた。沿岸警備隊、ダイバー、通航する漁船などが海面を捜索し生存者の発見に努めている。何人がボートに乗っていたのかは不明という。沿岸警備隊の報道部門は24人が死亡7人が救助されたと発表したが、沈没の原因はわかっていない。トルコ軍司令部の Sakir Cicekはアンカラで,乗船していたのはアフガニスタンやシリアからの人々と見られるといい、出港した港は不明であるという。

イスタンブール当局は月曜日早朝にボスポラス海峡の5km北の黒海で救難信号を発したという。


危険なフグで家族11人が麻痺に    ブラジル

2014-11-13 00:00:42 | 

もらったフグを夕食に食べた家族11人全員が危篤状態になった。リオデジャネイロのSouzaの家族は友人からもらった魚を食したもの(10月26日TVNZ)

この家族も魚をくれた漁師もこの魚が毒を持ち危険なことはまったく知らなかった。その毒一滴でも人が死亡する。小児を含むこの家族はこの魚の揚げ物を食べるや否や直ちに嘔吐し、顔や手足の感覚が麻痺した。Cristiane Souzaはブラジルの RJ TV にそのときの夫Jose Augusto, 41歳の様子を語り、「恐怖だ」と。「夫は最初に、舌の感覚が無いといい、そして麻痺は顔や腕に移行した。そして脚にも及んで彼は立つことができなくなった」という。

「義理の弟も同じ症状だった。彼はドアから外に出られなかった。それで自分たちは彼を車で病院に運び込んだ」という。祖母のMaria do Carmoも食べようとしたが、家族が押しとどめたという。「全員が危機的な状況、孫も、娘も、義理の息子も全員病院に運ばれた。我々は奇跡を祈った」今のところ毒の治療法は発見されていない。この被害者らは病院に収容されている。胃の中を空にしたうえで活性炭で毒素を吸着させるという。毒が切れるまで彼らは生命維持装置に入れられているという。