memories on the sea 海の記録

海、船、港、魚、人々、食・・・などなんでもありを前提に、想い出すこと思いつくこと自由に載せます。

サハラの民の海の漁民    モーリタニア (1)

2014-05-22 23:35:56 | 水産・海洋
モーリタニアといえば、サハラの熱砂、風の中のローブに包まれた遊牧民、そして熱風吹きすさぶ中のラクダの隊商を思い起こすだろう。すべて正しい、然し漁船もあることを忘れてはならない(5月3日BBC)

サハラ砂漠を旅し、自分は大西洋沿岸のモーリタニアにたどり着いた、その場所はNouadhibou と呼ばれるここは、砂漠が海に出会う場所、ここで自分は域を飲むような光景に出会った。そこには数百隻の色彩の豊な木造漁船が海に向かって隙間泣く並んでいた。20から30人の男たちがそれぞれのボートに乗り、必死にボートにしがみついてカルフォルニアのサーファーでも祈りたくなるような格好で波に立ち向かう。

これぞ les pecheurs du Mauritanie モーリタニアの漁師たちであり、この国でもっとも知られていない秘密でもある。モーリタニア人でさえも、ほとんど彼らのことを知らない帆tんどの。モーリタニア人はたぶん一生海に出ることがないであろう。しかしながらここの沖合いは世界でももっとも豊な漁場なのだ。

彼らの頑丈なオープンボートは長さおよそ40フィートで明るくさわやかな色彩で塗られている。然しそれに惑わされないで欲しい。その操業は魚がえさを求めて浮上してくるほとんどが夜間に行われる、これはとても危険なことだ。こうしたボート全体の男たちは時折梅で消え2度とは見つからない。

すべては海の上       紛争の韓国国境 (4)

2014-05-22 03:05:42 | 海事
女性版のChuck Norrisがいるかもしれない。しかし, Kim Ho-soon、66歳ほどタフではなかろう。自分はこの潜水をする女性漁師に Baengnyeong で会うことができた。

彼女は女性の真珠潜水士が珍しくはない済州島からやってきた人であった。初見ではこのまったく愛すべき女性は多くの韓国の年寄りたちからは誤解されたであろう。彼女はその年代の人々がするような長時間の散歩や、噂話、TVのメロドラマを見たりするだろうが、彼女はほとんど毎日水産物を求め海に潜り続けてきた。それは彼女が9歳のときから続いている。

なぜこうした生活をしているのかと尋ねると、即座に彼女は「これが最高鉱だから」と応えた。かの状はこの黄海の冷たい水中でそれを続けている。「北朝鮮は自分たちの兄弟ではない。韓国軍、中国、そして記者たちは自分たちの兄弟のひとつだ」と彼女は付け加えた。それは霧に包まれた朝彼女の3人の仲間が潜水や漁の許可を軍から得ようとしているときのことであった。

Baengnyeong島の漁民は何時でも何処にでも思うところに行けるわけではなく、剃れば彼らを不幸せにしているように見えた。この島の何処の港に若い海兵隊員が駐在するマストを立てた木造の監視所がある。マストにははたが翻り、毎日点検を行っている。もしその旗が赤であれば、その意味は海には出るな、青であれば出てよいで、黄色はいらいらさせる待機の印である。ときおりこの監視所を仕切る兵士は赤旗や黄色い旗についての心情をを感じる。

それらはすべて理にかなっている。旗と漁民のタフな行動について。もし北方規制線NLに近づきすぎてはぐれると、韓国海兵が常時パトロールをしているに関らず、反対側が彼らを拉致したのかもしれない。これが敵側にあまりにも近いところに生活する人々の代償でもある。

やがて、青旗がマストに揚がった。そして金母さんは彼女の義理の息子の操船する小船に我々を乗せた。海上で吹き募る風から身を守ろうと自分がもう一枚の着衣を着ようとしているときにこの老女はすでに潜水の準備を終えていた。彼女の持ち物はナイフに手で取った海産物を詰め込む袋だけだった。(彼女はこの袋に40キロも詰め込むことが出来る)

ややあって、彼女は海面から見える黄色い空気ホースだけを残して潜って行った。その背景には軍の尾コルベット艦が遊弋している。霧に包まれてその背後の北朝鮮は視認できない。

すべては海の上       紛争の韓国国境 (5)

2014-05-22 03:04:27 | 海事
北朝鮮でのこと。目に見えない国境の先の、眠っている韓国海兵を乗せたフェリーから遠くはない場所の写真撮影の規則は単純である。綺麗なものだけにすること(これはかつて平城に駐在した英国大使John Everard,の著書のタイトルでもある)

カメラを持ってその国を訪れた人は多くを写したいと思う。ジャーナリストらは奇妙なゲームをすることになる。ほとんどの場合彼等が退去して欲しいと思う場所へ、実は行きたいのだ。北朝鮮であれ,福島であれ、サラエボであれ、記者たちは反対方向を向かされる。一般感覚とは反対方向に仕向けられる。北朝鮮はおそらく写真記者たちの夢の目的地だろう。北朝鮮に行きたくはないといったプロの記者を自分は今までに知らない。自分はこれまでに記者仲間から自分の体験についてよりも平城に行ったことについてばかり何度も訪ねられた。

皮肉なことに、我々が北朝鮮から得るイメージは夜明けに目覚めたときの悪夢とは異なる。ただ点滅し、いくつかの詳細、たぶnひとつの情景の中に痛みと不安を織り込んでいる。映像はたちまち消えるか”美しいものだけどうぞ”との間にあり、映像はありふれた退屈なもので、数千人々が指導者に笑みを送ったり、白いソックスの可愛い婦人警官が市内の交通整理をする状況などとなる。韓国時の人々も独自の”美しいものだけどうぞ”を有している。しかしそれは根本的に異なるものだ。自分が実在した場所で、は、北方規制線に近い韓国の島々では自分はそうしたことを無視し、鼻であしらってきた。

多くの場合人々はほかを見つめ、兵士たちがこっけいな格好に踵をあげ行進する様の反対報告に自分はカメラを向けた。島嶼自分は不幸なことだと思った。しかし少ししてから自分は彼らの対象とするものは内気なものでそれがひろがっているのは指示されたものと理解した。兵士たちは異邦人のカメラから離れるようにいわれているのだ。この問題についてよく知る友人は兵士らはいつも美しく強靭であらねばならないのだといった。

自分は強面の兵士の映像をたくさん撮影した。しかし、重要かつ異なった構図は別の機会にやってきた。例えば写真に見られる眠る兵士たちなどがそうだ。これは新たなパースペクテイブである。
同時に韓国の反対側での自由は基本的に異なるもので。比較すべきではない。南の韓国では自由に行動できる。誰も自分を止めたりはしない。仮に自分がロケットの装備してある丘に登ったり、フェンスによじ登ってもだ。自分が喜びとすることは、韓国では特別な許可は必要としない。通航できない検問所はなく写真の規制もない。ここで、自分は双方の”美しいものをどうぞ”とその背景にあるものを見る機会を得た。

魚のごまかし

2014-05-22 03:01:20 | 
JACKSONVILLE, Fla.発 フロリダでは海産物が好まれる。彼等は自分が支払ったものがまっとうなものであることを望む。例えばハタがテイラピアであって欲しくはない(5月1日FirstcoastNews)

The Florida Times-Unionのデータベースによればこの地区の海産物の誤表示が問題となっている。そのリストの中にはSienaイタリア料理店も挙げられていて、店主はOktay Kirogluである。 「昨年の9月か10月のことだった」とKirogluはいう。

州のレストラン査察者がハタとして売られているものが相ではないことを見つけた。Kirogluはこれは料理店から料理店へと表示のないバッグに入れて運ばれたものだったという。「彼等はこれをハタと思い込み、スペシャルなものとした」と彼はいう。Kiroglu は消費者を欺こうと思ったことなどないという。「これは単なる過ちだった」 「我々はこのことについて陳謝した」と彼はいう。彼は違反が叱責され、誤りを訂正した。「おこった事態は申し訳なく、我々は訂正した」と彼はいう。

何人かの地元の専門家らは水産物業界で誤った提供がされることは何も今始まったことではない。卸売り業界は今はましになった」という。「そうしたことは一掃されたいっそうされた」とコンサルタントのAbe Bielskiはいう。「今は10年前とは違う」と。彼は卸売りの段階ではすべての品にDNAテストが行われる。これについてはGerald Pack も同意する。

「金銭的利益のために代替を扱うことは禁じられている」とPack。「しかし、それが料理店まで来ると、それをどう強制できるかだ」Kirugloはこの業界で14年、彼は水産物のゴマカシを避けるためには消費者らは調理場の中のスタッフと信頼関係を築くべきだ。行った魚の皮が剥かれ、調理されるとその識別は難しい。「多くの人々が味わったあとそれが生鮮か冷凍かを言い当てることが出来る。