最新の治療法など、地元の医療情報を提供する「メディカルはこだて」の編集長雑記。

函館で地域限定の医療・介護雑誌を発刊している超零細出版社「メディカルはこだて」編集長の孤軍奮闘よれよれ・ときどき山便り。

義に殉じて流した志士の血は三年経つと碧に変わる

2007年04月09日 09時10分45秒 | 山歩き・散歩・温泉

函館山には9つの散策コースがあるが、下山に立待岬側の七曲りコースを選ぶと、山麓の駐車場に戻るには碧血碑(へっけつひ)の前を通ることになる。昨日の夕方はこのコースを歩いた。
碧血碑は土方歳三や中島三郎助など旧幕府脱走軍戦死者の霊を弔うために明治8年に建立された石碑で、伊豆産の石を使い、東京霊岸島で造り、海路運搬されたもの。石碑には「明治辰巳、実に此事有り、石を山上に立てて以て厥の志を表す」とのみ記され建立者名も記されていない。
新撰組や土方歳三ファンが多く訪れる場所でもあるのか、石碑の前には花や千羽鶴などがいつもある。1万円札を見たこともあった。おいた人はどういう気持ちだったのか、そしてその1万円札がどうなったのか。ここに来るといつもそのことを想い出す。
題字は、箱館戦争当時陸軍奉行であった大鳥圭介の筆と言われているが定かではないようだ。
碧血とは「義に殉じて流した志士の血は三年経つと碧に変わる」という中国の故事に倣ったもの。
戊辰戦争の官軍の戦死者は靖国神社をはじめ各地の招魂社(護国神社)へ手厚くまつられたが、賊軍となった旧幕府軍の遺体は、戦争終結後も野ざらしのままだった。これを見かねた箱館の侠客、柳川熊吉が実行寺の日隆和尚らとともに遺体を回収、実行寺などに埋葬している。明治政府が賊軍の汚名を負った者の祭祀を許可すると、榎本武揚や大鳥圭介らが柳川熊吉と協力して碧血碑を建立した。
この碧血碑の前にくると背筋のあたりがピーンと張り詰めるようだ。そして、この辺りではカラスもおとなしい。
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