最新の治療法など、地元の医療情報を提供する「メディカルはこだて」の編集長雑記。

函館で地域限定の医療・介護雑誌を発刊している超零細出版社「メディカルはこだて」編集長の孤軍奮闘よれよれ・ときどき山便り。

旧大野町の観音山

2018年12月12日 08時47分09秒 | 函館・道南情報
雪が降る前に北斗市(旧大野町)向野にある観音山(144㍍)を訪れた。
大野農業高校から八郎沼公園への途中、山側へ右折する道にアーケードのようなものがあって、そこに「観音山霊場」と記されているのは知っていたが、アーケードの先へと進むのは初めてだった。



山頂の手前を右折すると、観音像が並んでいた。





観音山という名前は、馬頭観音をまつったことに由来するといわれている。
文化年間(1804~18年)頃、放牧の馬への熊による被害が多く、熊から馬を守るために馬頭観音をまつったのが観音山の歴史の始まり。
光明庵(後の光明寺)の仏母扶宗和尚が、馬頭観世音菩薩と33体の観音像をまつり、観音堂を建立し住民の不安を除いた。
明治以後は村の人々の和楽の場となって親しまれている。

観音山の(三等)三角点は地図で確認すると、道からすぐの位置に三角点がある。
藪漕ぎは嫌いだが、どうにかなるはず。
車1台分の細い砂利道を登っていく。下り坂の直前が頂上のはずで、木に目印(ピンクテープ)があるという親切な情報も得て、三角点までの藪漕ぎ時間はわずか10数秒だった。
初めてじっくりと三角点を横から眺めた。
三角点の「三」の右上には「三」、左上には「等」の字が彫られているはずだが、読むことはできなかった。
三角測量を実施したとき、地表に埋定された基準点が三角点だが、それが一等から四等まであることも最近知ったばかりだ。
それにしても「点」の古い字体が、「里」と「占」の下に四つ点があるということも、この三角点を設置したときの歴史を感じさせてくれる。




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