最新の治療法など、地元の医療情報を提供する「メディカルはこだて」の編集長雑記。

函館で医療・介護雑誌を発刊している超零細出版社「メディカルはこだて」編集長の孤軍奮闘よれよれ・ときどき山便り。

3カ月間のトータルアクセス数

2025年04月02日 03時32分00秒 | メディカルはこだて
2007年3月にブログを開設したが、今年の初めにこれまでのトータルアクセス数から計算すると、1日当たり102人が訪問して、183ページを閲覧していたことがわかった。
最近はもっと多いようなので、1月から3月までの3カ月間を調べてみると、1日当たり230人が訪問して、329ページを閲覧していた。

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函館蔦屋書店の変貌

2025年03月29日 10時10分45秒 | 函館・道南情報
昨日、注文のあったバックナンバーを届けに函館蔦屋書店(函館市石川町)を訪れると、店内の雰囲気が変貌していた。
2カ所あったレジが広場の1カ所だけとなり、中央通路の両脇にある棚は雑誌以外のモノが目立つようになった。
蔦屋書店は本を中心にライフスタイルを提案する書店がコンセプトであるが、函館は「書店」のイメージがどんどん薄くなっていくようだ。
さらにショックだったのは、小誌(メディカルはこだて)も含めて、医療関連の本と雑誌は中央通路の棚からスターバックス側の一番奥の窓際へと追いやられてしまったこと。
函館は特に本や雑誌が売れないから、変貌せざるを得ないのだろう。

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膵臓がんの検査

2025年03月23日 12時28分12秒 | 函館・道南情報
20日、ホテルテトラ会長の三浦孝司さんが、膵頭部がんのため死去した。
三浦さんは1986年、父が創業したホテルテトラの2代目社長に就任。当時は函館市内の1ホテルだけの経営だったが、後継者不足などに悩む道内外ホテルの運営を引き継ぐなどして事業を拡大。現在は道内のほか、青森県から福岡県まで26のホテルを運営している。
20年以上前になるが、三浦さんに会って話をしたことがある。交換した三浦さんの名刺はホテルのフロントで掲示すると割引されるので、札幌のホテルで何度か利用した。

膵臓は胃の後ろに位置している長さ20㎝、厚さ2㎝ほどの細長い形をした臓器で、食物の消化を助ける膵液をつくり分泌する外分泌機能と、血糖値の調節をするインスリンなどのホルモンをつくり分泌する内分泌機能の2つの役割がある。
膵臓は、膵頭部(すいとうぶ)、膵体部(すいたいぶ)、膵尾部(すいびぶ)の3つの部位に分けられ、がんが発生する部位としては、十二指腸に近い膵頭部がもっとも多い。また膵臓がんの多くは膵管に発生する。悪性度が高く、早期発見が難しいことから治療成績は悪い。5年生存率も他のがんと比べて著しく低い。

膵臓がんの検査について、函館五稜郭病院消化器内科の井上宏之主任医長に話を聞いたことがある。
井上医師は三重大学出身。同大学消化器肝臓内科で胆膵診療を専門に行ってきた。
膵臓がんは、まず危険因子を知ることが大切だと井上医師は話す。「危険因子は家族歴が膵臓がんや遺伝性膵がん症候群。合併症疾患として、糖尿病、肥満、慢性膵炎、遺伝性膵炎、膵管内乳頭腫瘍。喫煙と飲酒などが挙げられます。家族歴は、第一度近親者(親、兄弟、子)に膵がんの患者がいる場合、1人いれば4.6倍、2人では6.4倍、3人では32倍のリスクがあるといわれています」
胃の裏に位置する膵臓はがんが見つかりにくい。ステージは7段階に分類されていて、がんの大きさや周囲への広がり、リンパ節や他の臓器への転移の有無によって決まる。
「がんの大きさが2㎝以下で膵臓内に限局し、リンパ節への転移もないステージ1でも完治は難しいです。5年生存率が高いのは1㎝未満で、がんが膵管の上皮内にとどまっているステージ0の1㎝未満で見つけることが重要です」
膵臓がんの疑いがある場合はさまざまな検査が行われる。まず行われるのは腫瘍マーカーと画像診断検査。膵臓がんの腫瘍マーカーは精度が低い。
腹部超音波検査は膵臓が胃の裏側に位置することや消化管のガスの影響で見えづらいことがある。通常のCT検査では分からないステージ0のがんについては、「造影剤を急速注入して行うダイナミックCTや、膵管のわずかな変化もわかるMRI検査が有用です」
MRCP(膵胆管MRI検査)はMRI装置を用いて膵管と胆嚢や胆管を同時に描出する検査だ。「膵臓の嚢胞性病変や膵臓がんの発症母地である膵管の評価に優れていて、胆石や胆管結石など胆道の評価も可能です。身体の負担が少ないためスクリーニング検査として有用です」
超音波内視鏡検査(EUSーFNA)は、口の中から超音波内視鏡を入れて、カメラの先から胃の壁越しに針を刺して細胞を取る。「確定診断のために行いますが、病変が固まりのないものでないと針を刺すことができないので、対象はステージ1以上です。ステージ0の場合、胆管や膵管の造影検査をし、膵液を採取して細胞を調べる検査をして診断をします」
ERCP(内視鏡的逆行性胆管膵管造影)は特殊な内視鏡を使用する。「十二指腸から膵管や胆道に造影剤を注入し、カテーテルを挿入することで胆管や膵管を造影する手技です。膵液、胆汁を採取し細胞診断することができます」
膵臓は非常に微妙な臓器だ。「膵管に直接造影剤を入れることで、一定の割合で膵炎が起こることがあります。そのためERCPを実施する際には注意が必要です」
内視鏡を用いるEUSーFNAとERCPは、消化器内科の胆膵を専門とする医師の高い技術が求められると井上医師は語る。「膵臓がんの5年生存率を高めるためには、がんをごく小さい段階で発見することが重要です。危険因子がある場合には積極的に検診を受けることを勧めます」


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青い壺

2025年03月17日 07時57分14秒 | 読書
半世紀も前に書かれた有吉佐和子さんの小説「青い壺」が、累計70万部を超えるベストセラーになっている。書店から姿を消していたが、2011年に復刊されてから10年以上を経て、増刷を続けている。
話題のきっかけとなったのは小説家・原田ひ香さんの「こんな小説を書くのが私の夢です」という文庫帯のコメントだった。その後、NHK「おはよう日本」で特集が放送されると、全国の書店で完売が続出するなど、大きな話題となった。
無名の陶芸家が生み出した美しい青磁の壺をめぐる13の連作短編集である。シングルマザーの苦悩、すれ違う夫婦、人間の奥深くに巣食うドロドロした心理を小気味よく、鮮やかに描き出す絶品の13話がどれも魅力的だ。


青い壺 有吉佐和子著

原田さんは文庫の帯で次のように語っている。「有吉佐和子作品との出会いは、中学生の頃。『悪女について』を読み、あまりの面白さに虜になりました。次に見つけたのが『青い壺』です。悪女の代わりに青い壺が人に近づき、人生に変化をもたらします。陶芸家、定年後の夫婦、道ならぬ恋を匂わせる男女、相続争いする人々・・・さまざまな人の間を壺はめぐ理、さらには遠いスペインまで行きます。各話ごとに工夫が凝らされ、すべての人物の心理と生活に説得力がある。こんな小説を書くのが私の夢です」
第一話は、陶芸家の省造が、その日に窯出しをした一つが思いもかけず出色のできばえに仕上がった。省造は30年青磁を焼いてきたが、これほど美しい色が出せたのは初めてだと感じ入り、惚れ惚れとする。
その青い壺は省造の不在中に妻が勝手にデパートの美術担当者に売り渡してしまった。 第二話は定年後、家でぼんやりする夫の寅三を持てあました妻は、世話になった副社長へのお礼にデパートで青い壺を買い、寅三に持たせた。寅三は壺を渡し、副社長室を出ると、半年前まで勤務していた庶務課の部屋にすっと入って行った。寅三の後任は恰度入れ違いにエレベーターで専務の部屋に行ったところだった。その空席に寅三は腰をおろし、伝票の束をひき寄せると、右手で印を取り、伝票をゆっくりめくりながら判を押し始めた。十二時きっかりに寅三は立ち上がり、地下の食堂まで降り、入口で盆を持って並んだ。食後は屋上で習慣だった柔軟体操を始めた。寅三は屋上の金網に向かって、ゆるやかに両手を前に上げ、やがて頭上に伸ばし、弧を描いて両脇に下した。いつまでも、いつまでも同じ運動を続けていた。くたびれた男の悲哀やもの悲しさ、寂しさが美しい青い壺とは対照的だ。
最終の第十三話。省造は青い壺と劇的な再会を果たした。高名な美術評論家である園田を訪ねた省造は、園田がバルセロナの骨董屋で手に入れた青磁の壺を見せられる。園田は言う。「うむ。名品だよ。南栄浙江省の竜泉窯だね。十二世紀でも初頭の作品だろう。南栄官窯は貫入が多いのが特徴だが、竜泉窯には入(にゅう)がない」。省造は声も出なかった。あの壺だ、これは。どうして、あの壺がスペインまで行っていたのだろう。見れば見るほど、自分が焼いた壺に間違いがなかった。「せ、先生。この壺は、ぼ、僕が焼いたものです」。しかし、園田は省造の作品とは認めず追い返した。省造は青い壺が十余年間、割れもせず、怪我もせずに巡りあえたことを喜ぶべきだと心を落ち着かせた。この省造の心境が青い壺をさらに美しくする。



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新函館北斗駅前の土産店「高砂屋」営業再開

2025年03月17日 07時47分22秒 | 函館・道南情報
JR新函館北斗駅前の市観光交流センター別館「ほっくる」内の土産店「高砂屋 金沢」が15日、約1カ月ぶりに営業を再開する。
運営会社の自己破産申請で休業していたが、函館市の土産品卸売業「不二屋本店」が営業を引き継ぐ。
「高砂屋 金沢」は、函館市の老舗印刷業、辻商事が函館空港内の土産店とともに運営していたが、同社は2月上旬に自己破産を申請し、事業を停止した。
ほっくる内の土産物店は、同店と、地元商品を中心に取り扱うアンテナショップ「ほっとマルシェおがーる」の計2店。
大型連休を前に市の中心的な観光施設の店舗が休業していることを懸念した北斗市などが、高砂屋に商品を納品していた不二屋本店に、店舗継承を打診した。
同社は「多くの観光客が通る場所を空けたままにするのは忍びない。にぎわい作りなどに貢献できれば」と話している。
(北海道新聞3月15日)

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透析を止めた日

2025年02月24日 14時18分14秒 | 読書
医療ノンフィクションとしては異例のベストセラーになっている「透析を止めた日」(講談社)の読後感は重たくも爽快だった。多くの人が高く評価している渾身の力作だ。
腎臓は体内の水分やミネラルのバランスを保ち、体内で発生する老廃物を尿中に捨て、骨を健康に保つホルモンや、貧血を改善するホルモンを産生している重要な臓器である。この臓器の機能が低下し(腎不全)、進行すると尿毒症と言われる状態になり、命の危険が及ぶこともある。これに対する根本的な治療は腎移植だが、移植以外の治療手段として一般的に行われているのが血液透析と腹膜透析の透析療法となる。 
「透析を止めた日」の著者でノンフィクション作家の堀川惠子さんの夫は、元NHKプロデューサーの林新(あらた)氏。かつては堀川さんの仕事上のライバルでもあった。林さんは多発性嚢胞腎(のうほうじん)を発症し、38歳から12年間、激務の間に血液透析を受け続けてきたが、母親からの腎移植で9年間透析を免れる。しかし59歳のとき再び血液透析に戻り、病状が悪化。命をつなぐための透析が、林さんの身体を芯から痛みつけた。


「透析を止めた日」 堀川惠子著

亡くなる17日前。透析を終えた林さんは主治医の回診を待ち構えていた。「先生、もう、透析はいいです。そろそろ楽になりたい」。そして、亡くなる前の7日間の痛みと苦しみは壮絶だった、「私は仕事柄、死の現場がいかに厳しいものかは理解しているつもりだ。だが、もう数日で死ぬと分かっている患者を、とことん苦しませたうえでしか対処できないと言うのなら、緩和ケアは何のためにあるのだろう。林はベッドの上で身動きもできず、ただ唸りながら痛みに耐えている。これはひとつの人生の幕を下ろすために、本当に必要な痛みなのか。私はこのときほど、安楽死の実現を心から望んだことはない」
「夜になると足先の痛みがどんどん増していた。足の指先が黒ずんで壊疽が進み、肉が腐るような強烈な臭いが室内に漂い始めた。『人生で、こんなに痛いことはなかったほど痛いよ』。林は声にならぬ声で訴えた。林は人生最大の苦痛に悶絶し、私は人生最大の心の痛みに慟哭した、この晩は、文字通り生き地獄だった」
日本透析医学会によると、2022年末の透析患者数は全国で34万7474人(北海道は1万6267人)。透析患者には手厚い医療制度が用意され、福祉制度の面でも優遇されている。透析の医療費の総額は年間1兆6000億円という巨大な医療ビジネス市場が形成されているが、そのビジネス市場から外れる「透析を止める」という選択肢の先には、まともな出口が用意されていないと堀川さんは指摘する。
「体調が悪化し、座位を保てなくなって通院ができなくなると、患者は頼みの綱だった透析クリニックから切り離される。透析の中止によって引き起こされる症状は尿毒症をはじめ多岐にわたるが、その苦痛は溺れるような苦しみとも言われ、筆舌に尽くしがたい。突然死でない限り、透析患者の死は酷い苦しみを伴う。当然、緩和ケアの必要性が問われるところだ」。しかし、日本の緩和ケアの対象は保険診療上、がん、後天性免疫不全症候群(エイズ)、末期心不全に限定されている。 「死が目前に差し迫る透析患者であっても、ホスピスに入ることはできない。患者も、家族も緩和ケアの現場から見放されている。W HO(世界保健機関)は、病の種類を問わず、終末期のあらゆる患者に緩和ケアを受ける権利を解いているが、日本ではそうなっていない。世界的に見ても、異例の状態が続いている」
本書は堀川さんが透析患者の、ことに終末期に生じる問題について、患者の家族の立場から思索を深め、国の医療政策に小さな一石を投じようとするものだ。本書の前半は堀川さんが林さんのそばでリアルタイムで綴った記録と病院のカルテとを付き合わせながら詳細を書き記した。これから透析をする可能性がある人、すでに透析を受けている人、腎臓移植をした人、透析を終える時期が見えてきた人、その家族や関係者には大いに参考になるはずだ。後半では終末期の透析患者をめぐる諸問題について、学会に足を運び、優れた医療を実践している医師を訪ね歩きながら、今後のあるべき透析医療のかたちを展望する。
文章力に脱帽した。堀川さんは、広島テレビの記者やデスクを経てフリーとしてドキュメンタリー制作やノンフィクション執筆に取り組んできた。死刑制度をテーマにした作品、「死刑の基準『永山裁判』が遺したもの」で講談社ノンフィクション賞、「裁かれた命 死刑囚から届いた手紙」で新潮ドキュメント賞。また引き取り手のない原爆犠牲者の遺骨約7万柱がまつられた広島の平和記念公園の原爆供養塔に光を当てた「原爆供養塔忘れられた遺骨の70年」で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞するなどノンフィクション三賞すべてを異なる作品で受賞している。
今年2月17日、衆議院第二議員会館では上川陽子元外務大臣らが呼びかけ人となり、「腎疾患を軸に医療の未来を拓く会」の第1回会合が開かれた。透析患者の終末期における最期の意思決定や治療を中止した後の痛みのケアのあり方などに関して、意見交換が初めて行われたが、会合では堀川さんが自身の経験を語った。堀川さんが世に送り出した1冊が終末期の透析患者が安心して命を閉じられる第一歩となってほしい。






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函館の老舗印刷業者・辻商事が破産申請

2025年02月11日 07時10分35秒 | 函館・道南情報
函館空港とJR新函館北斗駅前の「ほっくる」(北斗市観光交流センター別館)の土産店「高砂屋」を運営していた函館市の老舗印刷業「辻商事」は10日、函館地裁に自己破産を申請した。
帝国データバンクなどによると、負債総額は約7億円。
辻商事は、1912年(大正元年)8月に創業、今年で113年目。
函館本社と札幌工場での印刷業が主力で、新聞社や広告業者のチラシやパンフレットなどの印刷を手掛けていた。
売上高は2006年6月期には17憶9500万円を計上していたが、近年はネット広告の普及や印刷需要の落ち込み、インク代など材料費の値上がりの影響などから、2019年6月期からは赤字を計上。
2024年6月期の売上高は8億7200万円に減少していた。
今月9日に事業を停止。
2024年12月時点の従業員数は48人。

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函館市の特別養護老人ホームに改善指導

2025年02月09日 07時11分21秒 | 函館・道南情報
函館市の特別養護老人ホーム「恵楽園」で職員が入所者に対して不適切な身体拘束を行っていた問題で、運営する社会福祉法人恵山恵愛会(同市)に市が改善を求める指導を行っていたことが分かった。
指導は昨年12月3日に文書で行った。恵楽園では入所者に対して職員がベッドの四方を柵で囲い、シーツなどを体に巻き付ける行為があったとして、市が昨年3月から同8月まで高齢者虐待防止法に基づき、施設での現地調査や関係者への聞き取りを実施した。
調査の結果、身体拘束のほか、処方されていない入所者に下剤を投与する行為なども発覚し、計6件が身体的虐待や心理的虐待にあたると認定した。同法人の菅龍彦理事長は5日、北海道新聞の取材に対し「虐待と認定されるようなことがあったのは事実。しっかり反省し改善していかなければならな話した。
市は同法人に対して介護保険法に基づく監査なども並行して行っている。
(2月6日北海道新聞)

恵楽園では昨年3月に同ホームで不適切な身体拘束など入所者への虐待が行われていると市に通報したところ、不当に懲戒解雇されたとして、元職員の女性が地位確認などを求める訴訟を函館地裁に起こしている。
元職員の女性は同施設では入所者に対する身体拘束が日常的に行われていたほか、介護士が暴言を吐いていたと主張。市に通報したところ、自宅待機を命じられ、「繰り返しハラスメント行為を行った」として懲戒解雇とされたという。
提訴後に記者会見した女性は「こういう形で口をふさぐ行為は到底許せない」と訴えた。

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このブログのこれまでのトータルアクセス数

2024年12月31日 12時52分51秒 | メディカルはこだて
このブログを2007年の3月に開設してから6,492日が経過しました。
これまでのトータルアクセス数は、訪問数が664,884UU(サイトを訪問したユーザーの数)、閲覧数が1,190,073PV(ユーザーがページを閲覧した回数)でした。
1日当たりでは、約102人が訪問して、約183ページを閲覧していたことになります。
「メディカルはこだて」の新しい号を発刊するごとに目次はすべて紹介していますが、記事に関しては3割ほどしかその内容の一部を紹介していません。
それでも約17年間でこれだけの訪問者数があったことには感謝申し上げます。
これからも引き続きよろしくお願いいたします。

メディカルはこだて発行人・編集人 塚本敦志

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がん征服

2024年12月30日 18時00分34秒 | 読書
あらゆるがんの中でもっとも難しいがんとされる「膠芽腫」(こうがしゅ)は、脳腫瘍の一種で、神経細胞を支えるグリア細胞から発生する悪性の脳腫瘍だ。平均余命は15カ月。MRI(磁気共鳴断層撮影)で膠芽腫を疑う画像は白い環が特徴的なリングエンハンスである。中央の黒い部分は腫瘍によってすでに壊死し、それを取り囲むように腫瘍と思われる部分が写っている。「がん征服」(下山進著)は、この最凶のがんとされる膠芽腫の治療法がテーマで、手術や抗がん剤、放射線といった標準療法のその先にある治療法を取り上げた。その治療法とは原子炉・加速器を使うBNCT(ホウ素中性子捕捉療法)。楽天の三木谷浩史氏がバックアップする「光免疫療法」。それと東大医科学研究所の藤堂具紀氏が開発した遺伝子改変ウイルスのG47Δが承認を得て、メディアが「世界最高のがん治療」と礼賛する「ウイルス療法」だ。


「がん征服」 下山進著

本書はこの三つの療法の開発史が絡みあうように進んでいく。探索研究、実用化にむけてのスポンサー探し、承認のための治験、規制当局との承認プロセスなど、比較をしながら読み進めていくと、意外な事実が待ち受けていた。それは三つの療法で膠芽腫に対し現在、承認されているのは「ウイルス療法」だけであり、その承認が公正に行われているのだろうかという疑問だ。
「ウイルス療法」は19例のフェーズ2で承認をされた治療法だが、下山さんは日本のテレビ番組や雑誌で「画期的な治療法がついに承認された」ともてはやされているのが、まったくわからなかったという。その素朴な疑問から始まった調査で、2014年の薬事法の改正にいきつき、有効性の証明でも確認でもなく、「推定」で市場にだしてしまうという「再生医療等製品」のトラックができたことを知ったことになる。
「がん」に関するかぎり、ほとんどすべての報道が、専門家の言い分をそのまま報じるというものであり、単行本や新書も研究者自身によるものが多いと下山さんは指摘する。「しかも、そうした報道や本では、治療法の開発に密接にかかわっている政治や経済について
は書いていない。ここに自分がこのテーマをやる意味があるとわかったのは、調査をして半ばをすぎたころのことだった」。261ページの内容は読みごたえがあった。

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養老先生、がんになる

2024年12月30日 17時55分05秒 | 読書
「養老先生、がんになる」は、養老孟司さんと中川恵一さんの共著。心筋梗塞から奇跡の生還を遂げた養老先生が、がんになった。養老先生は東大医学部卒の解剖学者。『バカの壁』が大ヒットし、450万部超えのベストセラーとなった。中川先生は東大医学部卒後、同大学医学部放射線医学教室入局。現在は東京大学大学院医学系研究科特任教授。
本書は、教え子で自らもがんを体験した中川先生が、養老先生のがんについてくわしく解説。もうすぐ87歳になる養老先生が、がんと闘いながら自らの老いと向き合ったシリーズ最新刊だ。また、担当医である岩崎美香医師のコメントや、娘の養老暁花さんも登場する。


「養老先生、がんになる」 養老孟司・中川恵一著

養老先生の体の異変に最初に気付いたのは娘の暁花さんだった。鍼灸師の暁花さんは実家に帰ったときは、よく両親に施術をしていたが、養老先生は2023年のはじめ頃から、右肩が痛いと訴えていた。養老先生は「五十肩だろう」と言っていたが、暁花さんが整形外科的な徒手検査を行ってみたところ、どれも該当しなかった。暁花さんのマッサージで少しはよくなったが、2023年の秋頃から痛みが肩だけではなく背中全体に広がってきた。
「このような場合、疑われるのは内臓疾患です。痛む部位から考えると、肺が怪しいと思いました。実際に背中を見ると、肩甲骨の間が少し黒ずんでいます。普通の人ならわからないくらいの黒ずみですが、私にははっきりとわかりました。しかも黒ずんだエリアの前後がポコンと陥凹(かんおう)していて、その真ん中が黒く固まっています。触っても何かあるのがわかるので、肺に異変があると考えざるをえないのです」
かたくなに「めんどうくさい」「そんなのは嫌だ」と、検査を嫌がり、どうしても受診してくれない養老先生だったが、暁花さんは本人の了承を得ずに中川先生に直接、電話して、事情を話した。養老先生はしぶしぶ東大病院の呼吸器内科を受診することになった。「検査の結果、背中の痛みは、がんが背中側の肋骨に浸潤していたことによるものでした。それがなければ痛みが出なかったわけで、がんがもっと進行していた可能性もありました。痛みで気付けたのは、不幸中の幸いだったと思います」
2024年5月16日、養老先生の病名はタバコが主な原因である「小細胞肺がん」と診断された。中川先生は「ヘビースモーカーとして知られる養老先生のことですから、当然そのリスクは予想できましたが、4年前の入院時に撮った肺のCT画像には肺がんは認められなかった」という。養老先生は3カ月に1回、東大病院で定期検診を受けていた。「そのときに肺のCT画像を撮っていれば、もっと早く見つかった可能性もありますが、予防的な治療や検査はしない性格なので、それをすすめても、やらなかったはずです」
小細胞肺がんの標準治療は抗がん剤と放射線。「養老先生は、体に負担のかかる治療に対してもやりたがらない性格なので、果たして、抗がん剤治療を受け入れてくれるかどうかも疑問でしたが、今回はつらい検査も抗がん剤もすんなり受け入れてくれたのです」。その理由や1回目の抗がん剤治療を終えて、退院するまでの紆余曲折については本書を読んでください。
がんの治療は時間がかかる。本書は4月末に肺がんが発見されてから、抗がん剤の途中までの約3カ月間について、養老先生と中川先生の二人でどんなことがあったのかをまとめたものだ。中川先生は「興味深いのは、養老先生の病院嫌いに少し変化が現れたことと、文句ばかり言っていた東大病院の評価が変わってきたこと。養老先生の医療に対する考え方の変化も本書の読みどころの一つとなっている」と紹介する。



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無人島のふたり  120日以上生きなくちゃ日記

2024年12月27日 12時07分12秒 | 読書
2001年、若い女性の生きづらさを描いた「プラナリア」で直木賞を受賞した山本文緒さん(1962年生まれ)。「恋愛中毒」や「自転しながら公転する」などの作品は読者から高い支持を得てきた。
2021年4月、山本さんは突然膵臓がんと診断され、そのとき既にステージ4bだった。がんは切除不能で、放射線治療はできず、抗がん剤も進行を遅らせるだけ。「そんなことを急に言われても、というのが正直な気持ちでした。煙草とお酒は13年前にやめて一度も飲んでいないし、食生活だってそう無茶をしたものだとは思いません」。告知を受けた日、山本さんと夫は本当にどうしたらいいのかふたりで途方に暮れた。

 
「無人島のふたり 120日以上生きなくちゃ日記」 山本文緒著

抗がん剤をやるなら一日でも早いほうがいいだろうということになり、告知から2日後には第1回目の抗がん剤に勇んで挑んだが、はけちょんけちょんにやられました。もう二度と体に抗がん剤を入れないと決意を固めただけの辛い一週間でした」。山本さんは医師やカウンセラー、そして夫と話し合い、進行を遅らせる抗がん剤をやめて、緩和ケアに進むことを決めた。
「無人島のふたり 120日以上生きなくちゃ日記」は、58歳で急逝した山本さんの最後のメッセージだ。まるで夫とふたりで無人島に流されてしまったかのようなコロナ禍での闘病の日々を、日記として書き残した。がんの痛みや発熱の苦しみ、これまでの人生、夫への感謝と心配、「書きたい」という尽きせぬ思いが滲み出ている。本書は5月24日から亡くなる9日前の10月4日までの日記だ。
山本さんは2006年12月軽井沢のマンションを仕事場として購入。2020年4月には軽井沢で夫と初めての同居生活を開始した。 5月26日は地元で緩和ケアをやっているクリニックの初診日だ。「クリニックを訪ねてみると、そこはまったく病院らしさがない、別荘のような建物だった。壁は白くて、大きな窓の外は新緑がきれいで、裏の林に置いた椅子でスタッフが打ち合わせをしているのが見えた。私と夫は庭に面した部屋に通されて、女性スタッフと向き合った」
「私の長い話をクリニックの先生は遮らずに聞いて下さった。家族以外とこんなに病気のことをフラットに話せたのは初めてだった。よかった。本当によかった。私、うまく死ねそうです」
8月2日、「今、私は痛み止めを飲み、吐き気止めを飲み、ステロイドを飲み、たまに抗生剤を点滴されたり、大きい病院で検査を受け、訪問診療の医師に泣き言を言ったり、冗談を言ったり、夫に生活の世話をほとんどしてもらったり、ぐちを聞いてもらったり、涙を受け止めてもらったりして、病から逃げている。逃げても逃げても、やがて追いつかれることを知ってはいるけれど、自分から病の中に入っていこうとは決して思わない」
9月3日、クリニックの先生から「病気はここのところ急激に進んでいる様子だ。そろそろ週単位で時間を見て、会いたい人に会っておいたり、やり残したことをした方がいいかもしれない。そう言われて、お腹が楽になったと喜んでいた私と夫は固まった」
「ふたりで暮らしていた無人島だが、あと数週間で夫は本島に帰り、私は無人島に残る時がもうすぐ来るらしい」
「無人島のふたり」は異色の闘病記で、それは読者が不愉快になったり、苦しい気持ちにならないように気遣っているからだ。ユーモアを失わず、「つらい話をここまで読んで下さり、ありがとうございました」と書くことは誰でもできることではないだろう。角田光代さんは、闘病記はたいていの場合、読み手が寄り添うが、「無人島のふたり」ではそれが反転すると言う。
「書き手が読み手に寄り添うのだ、がんばれと言う。生きろと言う。笑ってと言う。だいじょうぶだと言う」
最後の日記は10月4日になった。「・・・今日はここまでとさせてください。明日また書けましたら、明日」

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2024年4月国立病院機構函館医療センターの新院長に就任

2024年12月16日 21時17分35秒 | メディカルはこだて
国立病院機構函館医療センター(函館市川原町)の新院長として、2024年4月1日に就任したのが椎谷紀彦医師だ。前職は浜松医科大学外科学第一講座教授で、専門分野は成人の心臓血管外科、なかでも大動脈や弁膜症の外科手術になる。
函館生まれの椎谷院長は北海道大学医学部へ進学。 卒業後は外科医としてスタートした。「当時、外科は治療学で、内科は診断学でした。全身を診ることのできる医師になりたいという思いから、できるだけ幅広い領域を対象とする外科を選びました」。道内の関連病院で消化器はもちろんのこと肺や食道、乳腺などの多くの外科手術を学んできたが、転機が訪れたのは1989年パリ12大学アンリ・モンドール病院心臓外科への留学だった。これを契機に心臓血管外科を専門とした。「アンリ・モンドール病院はフランスでも症例数の多い医療機関で、外国人レジデントというスタイルに近かったと思いますが、2年間心臓手術の経験を積んできました」
帰国後は北海道大学病院に勤務。2008年同病院循環器外科准教授・診療教授となり、翌2009年には浜松医科大学の外科学第一講座教授に就任した。「第一講座には、心臓血管外科、呼吸器外科、乳腺外科、一般内視鏡外科、小児外科の5つの診療科があって、ほぼ全ての外科領域をカバーしていました。診療は、それぞれの領域の診療責任者のもとで独立して行っていて、私は第一講座の方向性を定めることと、各診療責任者のやりたいことを後押しすることを役割としてきました」。心臓外科医としては退官するまで手術を行ってきた。「心臓血管外科は外科のサブスペシャルティの一つですが、サブスペシャルティの中でも心臓血管外科や胸部外科の教授というのはほとんどが定年になっても手術するような人が多いです。 いわゆる職人なのですよ」
(第90号記事より一部を抜粋)


国立病院機構函館医療センターの椎谷紀彦院長

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日本胃癌学会は「施設認定制度」をスタート

2024年12月16日 21時09分08秒 | メディカルはこだて
がん医療は、地方の病院でもがんの標準的な専門医療を受けられるように医療技術等の格差の是正を図る「均てん化」が進められている一方で、治療内容の高度化・多様化に伴う「集約化」も求められている。
近年、胃がんの治療法の進歩は目覚ましいが、日本胃癌学会では今後も質の高い胃がん治療を広く社会に提供していくために、2023年4月より「施設認定制度」を設けた。認定施設は、認定施設(A)と認定施設(B)の2種類で、今回認定された全国の施設は、認定施設(A)が127施設、認定施設(B)は179施設だった。道南地区からは函館五稜郭病院と国立病院機構函館医療センターの2病院が「認定施設B」に認定された。そのうちの一つ、函館五稜郭病院外科の千葉丈広主任医長に胃がん診療について話を聞いた。
函館出身の千葉医師は2003年、岩手医科大学を卒業後、同大学病院や関連病院で経験を重ねてきた。2010年には、がん研有明病院(東京都)消化器センター・胃外科での研修を経て、2011年からレジデントとして2年間勤務した。がん研有明病院には、2010年の10〜12月の3カ月のみ岩手県対がん協会の推薦で出向し、2011年からの2年間は、自主的に診断技術の習得を目的として専門病院で豊富な症例に触れながら最新の技術の獲得を目指した。「レジデントは手術の助手はもちろんのこと、実際に手術を担当することもありました。同病院は日本最大のがん専門病院の一つで、手術研修も非常に多く、短期間で多くの手術を経験できることが魅力です」。大学に戻り、2019年4月に函館五稜郭病院に着任する。
(第90号記事より一部を抜粋)


函館五稜郭病院外科の千葉丈広主任医長

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高橋病院は市内時任町へ新築移転

2024年12月16日 21時05分25秒 | メディカルはこだて
高橋病院は2023年6月に着工した市内時任町への移転新築工事が完了、2024年10月1日から新病院での診療を開始した。明治27年高橋米治医院の開院が出発点の同病院は、建物の老朽化などが移転の理由だった。「地域住民に愛される信頼される病院」を理念に掲げ、地域全体でリハビリテーションを中心とした医療福祉ネットワーク事業を展開。法人施設内外の継ぎ目のないネットワーク構築や、患者サービス向上の手段としてIT活用を積極的に進めており、 平成20・21年度には2年連続で経済産業省「IT経営実践認定組織」に選ばれている。
新病院は鉄筋コンクリート4階建て、延べ床面積は旧病院の約1・5倍の1万670平方メートル。病床数は旧病院と同じ119床。回復期リハビリテーション病棟を60床から80床に20床の増床、地域包括ケア病棟は59床から20床減らして39床とした。介護医療院の60床はそのまま。標榜する診療科目は従来の内科、循環器内科、糖尿病・代謝内科、呼吸器内科、消化器内科、内視鏡内科、整形外科、リハビリテーション科のほか、新たに泌尿器科が加わり、9科目となった。
 新病院の1階は、外来や検査室、訪問診療室、総合支援センター、コミュニティスペースなど。2階は回復期リハビリテーション病棟が2病棟とリハビリテーション室。3階は地域包括ケア病棟と介護医療院。4階は医局や会議室、事務室、職員専用ラウンジなどが設けられている。建物の特徴的な外観はクラスター型と呼ばれる独特な形だ。同病院の高橋肇理事長は「クラスターというのは複数の原子、分子が集まって構成される集合体を意味します。病棟の中央にスタッフステーションを配置、その周囲に病床群を配置する構造となっていますが、クラスター型は各病室への導線を最も短くする構造で、特に感染が発生した際に集中管理しやすくなります」と話す。
(第90号記事より一部を抜粋)


高橋病院の高橋肇理事長(病院4階の理事長室にて)

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