最新の治療法など、地元の医療情報を提供する「メディカルはこだて」の編集長雑記。

函館で地域限定の医療・介護雑誌を発刊している超零細出版社「メディカルはこだて」編集長の孤軍奮闘よれよれ・ときどき山便り。

道南地域医療連携フォーラムが開催

2007年04月27日 08時00分53秒 | メディカルはこだて
市立函館病院と高橋病院との間でネットワークのテスト運用を繰り返している「道南地域医療連携システム」は、インターネットを介するIT技術であるVPNを利用したもので、ソフトウエア設計・開発のエスイーシー(本社・函館市末広町)医療システム事業部がそのシステムを開発している。
「この地域医療連携ネットワークシステムをインフラとして、道南地域全体の病院や診療所が有機的なつながりを持つことで安全で効率的な医療を目指したい」(市立函館病院の下山則彦副院長)との考えから、4月21日に市立函館病院講堂を会場として道南地域医療連携のフォーラムが開催された。フォーラムには道南の病院関係者や開業医など約130人もの参加があり、医療情報を共有するためのネットワークへシステムの関心の高さがうかがえた。
今回のフォーラムは急性期病院、がん拠点病院、回復期病院、在宅医療それぞれの立場から各医師が地域連携の必要性を発表、さらに後半のパネルディスカッションでは「あたらしい道南地域医療連携をめざして」をテーマに、函館おしま病院の福徳雅章理事長が司会を担当。地域医療連携に対する様々な要望を拾い上げる場としパネリストの様々な観点からの意見に対して、会場の参加者からの質問、意見を交えながら熱心な議論が交わされた。
パネルディスカッションの司会をする函館おしま病院の福徳雅章理事長
演題および演者は下記の通り
●道南地域医療連携ネットワークシステム構築の現在
   下山則彦(市立函館病院地域医療連携室長)
●地域医療連携:地域がん診療連携拠点病院の立場から
   木村 純(市立函館病院がん診療の向上に関する実務委員会委員長)
●地域医療連携:回復期病院の立場から
   高橋 肇(高橋病院理事長)
●地域医療連携:在宅医療の立場から
   岡田晋吾(北美原クリニック理事長) 

パネルディスカッションのパネリスト、写真左から市立函館病院の木村純副院長、市立函館病院の下山則彦副院長、北美原クリニックの岡田晋吾理事長、高橋病院の高橋肇理事長

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お花見用のちょうちんに明りが灯される

2007年04月26日 09時13分13秒 | 函館・道南情報

五稜郭公園では試験的に短い時間、お花見用のちょうちんに明りが灯されるようになった。
写真は昨夜、近くの病院の取材帰りに立ち寄ってみたときのもの。
開花もしていないのでもちろんまだ誰もいない。
静寂な暗闇に、明りだけが浮かんでいる様はちょっと幻想的でもあった。
函館の開花の予想は29日。
蕾が大きく膨らんでいるものもあったのでもう少し早くなるかもしれません。
コメント (2)
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15年目を迎えた日本初の地域コミュニティ放送局

2007年04月25日 01時06分21秒 | FMいるか

函館山の麓にあるFM局「FMいるか」は、日本に初めて誕生した市町村単位をエリアとする地域コミュニティ放送局で、開設したのは1992年のクリスマスイブ(12月24日)。
函館を中心としたエリアにFMメディアをつくり、もっと地域の細かな情報を届けたいという想いから「FMいるか」は誕生した。
ネーミングの由来は、もちろん人なつっこい海の人気者「イルカ」。
「イルカはお互いの特殊な音波でコミュニケーションをとっています。FMいるかも地域の皆さんとより密接にコミュニケーションをとるために、津軽海峡を元気に泳いでいるイルカのように函館を泳ぎ回ります」と写真の佐々木梓さんが教えてくれる。
ときどき高校生と間違えられることもある佐々木さんだが、入社は平成12年で、現在は放送グループチーフとして活躍中。パーソナリティとしては毎週月曜日から木曜日の正午にスタートする4時間番組「ラヂオ☆はこだてーぜ」を丸山潤子さんと一緒に担当している。
FMいるかの放送時間は朝7時から夜10時までの毎日15時間。周波数は80.7メガヘルツで、一昨年の放送エリア拡大により合併後の新函館市の他、北斗市や七飯町も受信範囲となっている。
ちなみに佐々木さんは小誌「メディカルはこだて」で「梓の雑記」を連載中。お気に入りのヒトやモノや空間を感性あふれる視点で紹介するシリーズもラジオと一緒に味わってください。

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10年が経過した「道南・生と死を考える会」

2007年04月18日 13時31分20秒 | 生と死を考える会

写真は先週開催された「道南・生と死を考える会」の幹事会のメンバー。カメラを構えている私も幹事の1人で、他にも欠席した幹事が数人いる。
「生と死を考える会」は上智大学の哲学の教授であったアルフォンス・デーケン先生が開いた「生と死を考えるセミナー」が出発点となった。セミナーでは死別体験の辛さや病名告知のできないまま末期患者を看護する人たちの苦悩などが話し合われたが、その反響の大きさから翌年(1983年)東京で「生と死を考える会」が創設されている。
会が目指したのは、①「死への準備教育」の普及促進、②終末期医療の改善と充実、ホスピス運動の発展に尽くす、③死別体験者の分かち合いの場をつくり、その立ち直りを援助するという3点。特定の宗教に関係することなく、親しい方を亡くされた人や深い意味で人生を考えている人が集まる会といえるのではないだろうか。
生と死を考える会の函館・道南地区の発足は平成8年で、山田豊さん(函館中央病院副院長、写真下段右)と工藤美彌子さん(元高等学校教員)の二人の熱意が会を誕生させた。
初代会長は元函館市医師会会長の金井卓也さん(金井内科消化器科医院院長、写真下段左)。その後は山田現会長に引き継がれ、現在では60人の会員が活動を行っている。
昨年は9月に函館で「生と死を考える会」の全国協議会・全国大会が開催され、日野原重明、アルフォンス・デーケンの両氏の講演には千人を越える市民が会場となった遺愛学院の体育館に集まった。
会の活動としては、講演会や勉強会、ビデオを視聴してのフリートーキング、親しい方を偲ぶメモリアルコンサートなども開いている。また親しい方を亡くされた方々のための「分かち合いの会」も定期的(毎月第4日曜日)に行っている。
当会の問い合わせ先は、函館中央病院企画課(電話0138-51-1231)へ。

写真上段は、左から間島敦子さん(函館おしま病院総師長)、祐川眞一さん(元旭ヶ岡の家施設長)、新里光代さん(函館市教育委員会)、西野智子さん(函館おしま病院ソーシャルワーカー)。

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造形デザイナーの天才が函館にいる

2007年04月15日 14時18分54秒 | デザイン

函館デザイン協議会は、函館・道南地域のデザイン振興を目的として、デザイン諸分野の横断的な組織により平成5年に設立された。函館美術館で8日から15日まで開催されている「5世代・光彩陸離」は、この函館デザイン協議会の30代から70代になる5世代にわたる会員(石井裕子・石井宏一・齊藤三千男・渡辺譲治・今井憲一)のこれまでの作品と新作による多彩な活動を紹介する特別展だ。
上の写真は函館デザイン協議会会長である渡辺譲治さんと彼の作品「平面と立体の往来」。
錯角する人がいるかもしれないが、作品はモノクロの写真を加工したものではありません。
ずっと近づいて撮ったのがその次の写真(ヒラリー・クリントン)。人物を浮かび上がらせている正体は、上部からの光と削られた厚みのある木だけである。



左からマリリン・モンロー、サダム・フセイン、スティーブン・スピルバーグ、ウッディ・アレン、ビル・ゲイツ、ヒラリー・クリントン、レイ・チャールズ、ジョン・レノン、ショーン・コネリー、ジェームス・ディーン…
これら著名な30人は、誰もが幅17ミリの木(高さ600ミリ)18本だけで造られていて、この作品を眺めていると、あらためて渡辺さんが天才的な「造形」デザイナーであることを再認識させられる。
ちなみに30人の中で一番惹かれたのはヒラリー・クリントン。見る角度によって陰影の加減が大きく異なるため、ゆっくりと前を歩きながら、彼らを最も色濃く浮き出させてくれるベストポジションを探る楽しみもある。

奥行きをつけることによって生まれた空間に光の陰影が不思議な効果を生み出しているが、「モノのかたちを網点や線の強弱で表現する方法はモノトーンの写真の表現方法としてグラフィックデザインでよく使われている手法ですが、この手法を発展させた考えで、平面をリブ状の立体に置き換えた試みの作品」と渡辺さんは言う。
七飯町の大沼に自宅と作業場があるが、道具や機器が揃った作業場と、パソコンと鉛筆と紙のある自宅の書斎の両方ともが工房だ。木工芸品でも精巧で優れた作品を生み出しているが、その木工の技に、モノのデザインを浮かばせる柔軟なアタマ、そしてITの術を組み合わせるとこういう作品が誕生する。
素材はいつもの仕事で使っている物。そしていつもの仕事が今回のテーマにつながっている。もっと精緻なモノ(顔)も造れることはできるが、渡辺さんが伝えたかったことはオリジナリティあふれるこの手法にあった。
木を削りながら「こういうやり方もあるんだ」というみんなの驚く顔を思い浮かべていたはずだ。

渡辺さんは大学卒業後、札幌のデザイン会社に勤務。1979年にグラフィック・クラフト・ファニチュア・サイン等のデザインと制作工房PINEBOXを七飯町大沼に設立した。
80年代は朝日現代クラフト展や国際デザインフェアで作品入選。ユニオンスクエア旧函館郵便局再生プロジェクトの参加、仁木町のスポーツランドサインや民間ホテルのグラフィック、サインなどを手掛ける。
90年代以降は函館の西部地区や五稜郭地区の観光施設案内標識デザイン、市道のポラートやペープメント・サインデザイン、道営住宅や老人福祉施設、小学校(釧路町・網走市)、警察署(札幌市厚別)、役場庁舎(士幌町)、医療機関(釧路赤十字病院)などのレリーフデザインやモニュメントなどパブリックなアート作品をはじめ、サイン、グラフィック、クラフトなど幅広い分野でデザイン・制作を行っている。

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義に殉じて流した志士の血は三年経つと碧に変わる

2007年04月09日 09時10分45秒 | 山歩き・散歩・温泉

函館山には9つの散策コースがあるが、下山に立待岬側の七曲りコースを選ぶと、山麓の駐車場に戻るには碧血碑(へっけつひ)の前を通ることになる。昨日の夕方はこのコースを歩いた。
碧血碑は土方歳三や中島三郎助など旧幕府脱走軍戦死者の霊を弔うために明治8年に建立された石碑で、伊豆産の石を使い、東京霊岸島で造り、海路運搬されたもの。石碑には「明治辰巳、実に此事有り、石を山上に立てて以て厥の志を表す」とのみ記され建立者名も記されていない。
新撰組や土方歳三ファンが多く訪れる場所でもあるのか、石碑の前には花や千羽鶴などがいつもある。1万円札を見たこともあった。おいた人はどういう気持ちだったのか、そしてその1万円札がどうなったのか。ここに来るといつもそのことを想い出す。
題字は、箱館戦争当時陸軍奉行であった大鳥圭介の筆と言われているが定かではないようだ。
碧血とは「義に殉じて流した志士の血は三年経つと碧に変わる」という中国の故事に倣ったもの。
戊辰戦争の官軍の戦死者は靖国神社をはじめ各地の招魂社(護国神社)へ手厚くまつられたが、賊軍となった旧幕府軍の遺体は、戦争終結後も野ざらしのままだった。これを見かねた箱館の侠客、柳川熊吉が実行寺の日隆和尚らとともに遺体を回収、実行寺などに埋葬している。明治政府が賊軍の汚名を負った者の祭祀を許可すると、榎本武揚や大鳥圭介らが柳川熊吉と協力して碧血碑を建立した。
この碧血碑の前にくると背筋のあたりがピーンと張り詰めるようだ。そして、この辺りではカラスもおとなしい。

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新聞に紹介

2007年04月04日 20時33分38秒 | メディカルはこだて
「メディカルはこだて」最新号(第23号)が、毎日新聞と北海道新聞にそれぞれ紹介された。

毎日新聞記者のAさんが函館に勤務したのは小誌が創刊した翌年の5年前。
地方都市の医療雑誌社に注目してくれて、よく紹介記事を掲載してもらった。
僕も2~3ヵ月に一度は函館支社を訪れて話をした。注目される記事をたくさん書いたAさんは、5月からは静岡に赴任する。
(毎日新聞朝刊4月3日付)

北海道新聞のOさんとは創刊号からの付き合いで、小誌のことを頻繁に取り上げてもらっている。
超弱小出版社を応援してもらっている。感謝あるのみ。
(北海道新聞みなみ風4月3日付)

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