北海道新聞みなみ風の「立待岬」。
1月18日掲載のタイトルは「内なる魚」の教え。
晴れた日の穏やかな冬の海。砂浜に座って打ち寄せる波を眺めていた。遠くにいる釣り人に当たりがきて、釣れた魚はカレイのようだった。
海辺や川岸はわたしたちを引きつけ、ざわついた気持ちに潤いを与えてくれる。その理由はどこにあるのだろうか。それは、わたしたちヒトの、生物としての歴史に関係があって、そのことは「魚に聞くのがいちばんだ」と古代生物学者で解剖学者のニール・シュービンは言う。
彼は、魚が海から陸に上がっていったという学説で、魚と両生類の間を埋める重要なミッシングリンク、ひじがあって腕立て伏せのできる魚「ティクターリク」の化石を発見した。著書の「ヒトのなかの魚、魚のなかのヒト」は、その化石を発見するまでの臨場感あふれるドキュメントであるが、水中から陸に上がってこようとした魚とヒトの体は驚くべき類似を示していることも教えてくれる。わたしたちの体のなかには「内なる魚」がいるのだ。
ティクターリクが暮らしていた3億7500万年前は、ティクターリクの2倍に達する魚もいるなど、魚どうしが食い合う世界だった。この状況で成功するためには大きくなるか、武装するか、水から出るかである。わたしたちのはるかな祖先は戦いを避ける選択をした。「逃げるが勝ち」は、内なる魚が教えてくれたのだった。(メディカルはこだて発行人・編集人)