最新の治療法など、地元の医療情報を提供する「メディカルはこだて」の編集長雑記。

函館で地域限定の医療・介護雑誌を発刊している超零細出版社「メディカルはこだて」編集長の孤軍奮闘よれよれ・ときどき山便り。

ダヴィンチとヒノトリ

2024年05月10日 16時51分06秒 | 新聞コラム
北海道新聞みなみ風の「立待岬」。
5月9日掲載のタイトルは、「ダヴィンチとヒノトリ」



 米国で開発された手術支援ロボット「ダヴィンチ」は精緻な低侵襲手術をより安全に提供できることから、世界で7500台以上が普及している。
 日本では前立腺がんに対するダヴィンチのロボット支援手術が保険適用されて以降、適用の対象拡大に伴いロボット支援手術を行う医療機関が増えている。道南地区では3病院がダヴィンチを導入、実績を重ねてきた。
 これまで9人の医師にダヴィンチの取材をしてきたが、従来の手術に比べて出血量は少なく、より早期の回復や合併症のリスクを低減できるというのが共通の評価だ。すでに前立腺がんや直腸がん、肺がん手術などはダヴィンチによる手術が標準になってきている。以前、室蘭の病院を取材した際、ダヴィンチ導入はがん患者が札幌へ流失する危機感からだと言われた。
 国産初の手術支援ロボット「ヒノトリ」も誕生した。ダヴィンチの牙城を崩すのは容易ではないが、コスト面やコンパクトさの優位性、国産の強みを活かした新機能の追加などが期待されている。ロボット支援手術が目標としているのは遠隔手術。実現すると都市部と地方における医療格差の改善につながっていく。
 ヒノトリの名前は手塚治虫の「火の鳥」に由来する。人のために働くロボットのイメージを表現するために決められた。私は国産の手術支援ロボットには「千手観音」の名前が浮かんだ。 (メディカルはこだて発行人・編集人))

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北海道が狙われる

2024年01月11日 20時14分46秒 | 新聞コラム
北海道新聞みなみ風の「立待岬」。
1月11日掲載のタイトルは、「北海道が狙われる」



 発刊の締め切りが迫ると、何かに追われながら走っている夢をよく見る。昨年12月は、おびただしい艦船が海を埋め尽くし、上空には戦闘機が次々に飛来した。逃げるように駆け出すと、近くで何かが爆発したようだ。「宗谷海峡からロシアが攻めてきた」。夢の中の私はそう確信した。
 元自衛官で芥川賞作家、砂川文次さんの小説「小隊」は、北海道に上陸したロシア軍を自衛隊の3尉・安達が、小隊を率いて敵を迎え撃つ。ロシア軍は重要施設へのミサイル攻撃に続いて、地上部隊を道東に上陸させた。にらみ合うロシア軍と自衛隊。戦闘が開始すると戦場は地獄と化した。
 宗谷岬を訪れた夏の日は雲ひとつない青空で、サハリンの島影がくっきりと見えた。丘の上には上部が円形の白い建物が数棟。レーダードームだろうか。岬の食堂で聞いてみると、「ここまでよく見えるのは珍しい」そうだ。サハリンのあまりにも鮮明な姿に脅威を感じた。
 アイヌ民族はロシアの先住民族と発言したプーチン。中国出身の評論家石平さんはロシアがウクライナの次に狙っているのは北海道だと警告する。宗谷丘陵にある「白い道」は3㌔ほどだが、夢の中で懸命に走った白く光る道は暗い闇の中へ続いていた。
 小説では、戦闘が始まっても証券取引所では売買が行われている。攻撃される北海道は見捨てられるのだろうか。(メディカルはこだて発行人・編集人)

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キリストの墓

2023年09月24日 09時05分45秒 | 新聞コラム
北海道新聞みなみ風の「立待岬」。
9月22日掲載のタイトルは、「キリストの墓」



 青森県八戸市から十和田湖に向かう国道454号をJR八戸駅から1時間ほど進む。同県新郷村の「キリストの里公園」を訪れたのは真夏の日曜日。駐車場から上り坂を歩くと汗が吹き出してきた。目指すキリストの墓は小高い丘の上にあった。
 ゴルゴダの丘で処刑されたはずのキリストがひそかに日本に渡り新郷村に住んでいた。この荒唐無稽な仮説は、1935年(昭和10年)、宗教家・竹内巨麿が、家に伝わる「竹内文書」に書かれていると主張。文書に基づいて竹内らが新郷村を訪れた際にキリストの墓を発見したという。
 竹内文書は偽書とされたが、村とキリストとの関わりを示唆する事例は少なくない。盆踊り唄の歌詞「ナニャドヤラ」はヘブライ語に関係するという説。墓を守ってきた沢口家の家紋はダビデ(ユダヤ王)の星形によく似ている。生まれて間もない子どもを初めて外に出す時は額に墨で十字を書く習わしなどだ。
 ミステリーには新たな謎も追加された。東日本大震災後に十和田湖の神代ヶ浦と呼ばれる場所に崖崩れが発生、そこに現れた石仏がキリスト像のようだと話題になる。湖の対岸には礼拝堂があるが、キリストの墓とキリスト像、そして礼拝堂とは一直線に並んでいる。
 神秘の村は偽書やオカルトブームに関係なく風習を守り続けている。人気の「キリストラーメン」は梅干し入りの醤油味でおいしかった。(メディカルはこだて発行人・編集人)


キリストの里公園にある「キリストの墓」
手前がキリスト墓で、奥が弟のイスキリの墓。
キリストはゴルゴダの丘で処刑されたことになっているが、実は弟のイスキリを身代わりにして日本に渡来し、その後ここで亡くなり、葬られたのだという。


キリストの里 伝承館
キリスト渡来伝説の発端となった「竹内文書」の謎から、墓発見に至るまでの資料が展示されている。



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祖国を離れる中国人

2023年06月10日 17時57分07秒 | 新聞コラム
北海道新聞みなみ風の「立待岬」。
6月9日掲載のタイトルは、「祖国を離れる中国人」



 「四日、午前二時すぎなり。突如、地響きたてて来たるものあり。戦車なり」。1989年6月4日、作家の水上勉さんは中国・北京の天安門近くの北京飯店に宿泊していた。天安門広場は民主主義を求める学生らで埋め尽くされたが、共産党政権が武力で鎮圧し、多くの死傷者が出た。
 天安門事件に遭遇した時から水上さんの不調は始まった。帰国後の入退院の日々を描いた「心筋梗塞の前後」には当時、ホテルの便箋に走り書きした多くのメモが紹介されている。
 十数年前、函館市内の病院に勤務していた中国人の精神科医Kさんと会った。好きな日本語は「暴飲暴食」。自分の腹を指さして「その結果がこれ」と笑った。天安門事件当時、大学生だったKさんは大学を中退して来日。「大学で反省文を書かされる毎日に嫌気がさし、外から自国を見つめる良い機会」と決意した。
 1年後に京大学工学部に入学。卒業後はエンジニアとなるが再び受験勉強をして大阪大医学部に合格。「精神医学を勉強していた友人に触発」され、精神科医となった。函館を離れたKさんは現在二つの診療所を運営している。
 中国では民主化を求める勇気ある行動はなくならない。今月3日には北京市内で女性が自由と民主を求めるビラをまく動画が、ツイッターで拡散した。Kさんにとっても天安門事件は終わっていないはずだ。
(メディカルはこだて発行人・編集人)

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雷落としの竜神堂

2023年01月28日 07時03分04秒 | 新聞コラム
北海道新聞みなみ風の「立待岬」。
1月27日掲載のタイトルは、「雷落としの竜神堂」



 函館から亀田半島の海岸線を回る国道278号が戸井地区に達する付近には海岸段丘が発達している。通称汐首山の段丘山頂の草原には放牧された馬の群れが草をはんでいる。汐首漁港から汐首山に目を向けると灰色の細かい岩がむき出しになった一角に鳥居が見える。雷落としの竜神堂だ。
 1936年(昭和11年)、砲台の設置が計画された戸井村では軍事物資や兵員輸送を目的に戸井線建設が始まった。険しい地形は難工事が続き、汐首灯台付近の石垣を築く工事は特に難航したという。
 戸井町史によると、この区間を請負った熊谷組は石垣構築に村人が「雷落とし」と呼ぶ場所の露出した岩を使うことにした。だ、削岩機を動かすと機械は爆発し、作業員二人が重軽傷を負った。霊地・雷落としの神の怒りという地元のうわさに、熊谷組は雷落としの上部に祭壇を設けて作業の安全と無事を祈願。その後は事故もなく作業は進んだ。工事終了後、祭壇のところに竜神をまつるほこらと鳥居を建て、感謝の祈りをささげた。
 竜神堂を訪れる。民家裏の避難用階段を登り、旧戸井線跡の平坦な場所を過ぎるとガレ場が広がっている。足元の不安定な浮石に注意しながら慎重に進む。平らな石を積み重ねた一角に祠と鳥居があるが緊張感を強いられる急斜面と高度だ。鈍色の海面に雲の切れ目から差し込む光の帯は竜神のようにも見える。
(メディカルはこだて発行人・編集人)











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街中の一等三角点

2022年11月08日 23時55分56秒 | 新聞コラム
北海道新聞みなみ風の「立待岬」
11月7日掲載のタイトルは「街中の一等三角点」

 山登りの交流サイト(SNS)では三角点の標石にタッチしている画像を投稿する人が多い。四角柱の標石の上部中央には十字の刻みがあり、これが三角点の位置だ。
 「三角点なのに四角なのはどうして」「三角点は山頂の目印じゃないの」など、最初の頃はモヤモヤとした疑問を抱えながら山に登っていた。
 三角点は三角測量に用いる時に経度・緯度・標高の基準となる点のこと。明治時代に日本全国の正確な地図をつくるため、明治時代、三角点を一定間隔に設置し正確な緯度や経度の位置を測量する必要があった。
 設置場所で重要なのはその三角点から周りの三角点を観測できるかどうか。そのため山頂に必ず三角点があるとは限らず、三角点のない山もある。三角点は一等から四等まで日本全国に約11万点ある。国土地理院のサイトでは三角点の所在地や所有者、選点・設置の時期、設置者などを知ることができるが、三角点のある山や森林が個人や会社の所有である例もあって興味深い。
 市街地には四等三角点が多いが、一等三角点もある。函館は亀田町の道路の地下。マンホールのような丸い鉄製の蓋ふたが上に置かれている。それを持ち上げたら通り過ぎた人から、けげんそうな顔で見られた。私はうれしそうな様子だったはず。一等三角点マニアではないが、ふたの下をのぞいた時は少し誇らしい気分だった。(メディカルはこだて発行人・編集人)


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ジャムおばさん

2022年09月08日 06時04分17秒 | 新聞コラム
北海道新聞みなみ風の「立待岬」
9月2日掲載のタイトルは「ジャムおばさん」

 悪さをする、ばいきんまんをやっつけるのは正義のヒーロー・アンパンマン。顔が壊れると力が出ないアンパンマンには新しい顔が必要だが、その顔を作ってくれるのがパン作り名人のジャムおじさんだ。
 経年劣化が著しい私のポンコツ頭は夏から秋にかけて一段と働きが悪くなるが、そのポンコツを元気にしてくれるのがジャムおばさんが届けてくれるジャムだ。自宅の庭でラズベリーやブラックベリー、グーズベリーなどを育てるジャムおばさんはいろいろなベリーでジャムを作っている。
 ミックスベリーはブラックベリーとブルーベリーを混ぜて作るが、採る時期でそれぞれの量がばらばらになることが面白いそうだ。
 それまでほとんど食べたことはなかったが、ジャムおばさんのジャムを口にしてからジャムに対する認識が変わった。市販のものと食べ比べると、ジャムおばさんの作るジャムは格別だということもわかった。
 ジャムは紅茶だけではなく、コーヒーともよく合うが、ラム酒やオレンジの皮を材料としたキュラソーなどを加えると香りも楽しめる。ラム酒は入れる量が増えて、ある時からラム酒だけになった。ワインとの相性も非常に良い。
 昔はグーズベリーを植えている家が多く、甘酸っぱい味はとても懐かしい。今年もジャムおばさんの季節がやってきた。(メディカルはこだて発行人・編集人)


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ステージ4・緩和ケア医の挑戦

2022年08月02日 17時58分59秒 | 新聞コラム
海道新聞みなみ風の「立待岬」
7月8日掲載のタイトルは「ステージ4・緩和ケア医の挑戦」



 在宅緩和ケアのパイオニアである山崎章郎さんは2005年、東京にケアタウン小平クリニックを開設し、多くのがん患者たちの死に立ち合ってきた。今年6月発刊の新書「ステージ4の緩和ケア医が実践する がんを悪化させない試み」は、大腸がん患者となった山崎さんが自らを実験台にして、がんと共存できる方法を探し求めた経過と新提案の報告書である。
 大腸がんを手術で切除後、標準治療の抗がん剤を服用したが、ひどい副作用を伴った結果、両側の肺に多発転移があるステージ4となった。日常が壊れるほどの抗がん剤の激しい副作用を経験した山崎さんは標準治療である抗がん剤治療を選択しないことにした。
 抗がん剤治療を選択したくない患者にとって、恩恵の少ない現状の公的医療保険は不条理であるとの指摘はその通りだ。それでも山崎さんは抗がん剤治療を否定しているわけではない。
 2年間の試行錯誤を経て3つの治療法(MDE糖質制限ケトン食、クエン酸療法、少量の抗がん剤)を組み合わせた「がん共存療法」にたどり着くが、これはがん医療の現実の前で途方に暮れる「がん難民」に新しい選択肢を示したと言えるだろう。山崎さんはがん共存療法が臨床試験を経て、堂々と広く実践されることを目指している。現代がん医療の課題に気づいた山崎さんの挑戦に期待したい。(メディカルはこだて発行人・編集人)




ステージ4の緩和ケア医が実践する がんを悪化させない試み



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100年続きますように

2022年05月15日 10時19分20秒 | 新聞コラム
北海道新聞みなみ風の「立待岬」
5月13日掲載のタイトルは「100年続きますように」



 4月に日比谷公園(東京都千代田区)を訪れたことがある。園内ではちょうどハナミズキの白や紅色の花が咲き始めていた。1912年(大正元年)、当時の東京市長が米国へソメイヨシノを贈り、その返礼として日本に届いた60本が日比谷公園などに植えられた。
 後日、同園で私が目にしたハナミズキは当時の原木ではないことを知る。残っていたのは東京都立園芸高等学校だけで、同校では2015年キャロライン・ケネディ駐日米大使が出席して、ハナミズキ寄贈100周年の記念祭が行われた。
 米国同時多発テロに触発された一青窈さんのヒット曲「ハナミズキ」は平和への思いが込められている。歌詞の「僕の我慢がいつか実を結び」はテロや戦争などの犠牲になった人々の我慢。「果てない波がちゃんと止まりますように」は繰り返される虐殺や略奪の連鎖だとしたら、曲が発表された当時よりも今日の状況をより物語っているようだ。
 曲の最後は「君と好きな人が100年続きますように」。人口減少によって人類は100年も持たないと警鐘を鳴らす生物学者もいるが、核で脅す独裁者が跋扈する国際社会ではそれはもっと短くなるはず。
 私たちはいつまでハナミズキの花を見ることができるのだろうか。平和への思いは世界で年間271兆円にもなる軍事費の前にかき消されようとしている。(メディカルはこだて発行人・編集人)

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心酔する作家の隣で眠る

2022年03月05日 07時01分49秒 | 新聞コラム
北海道新聞みなみ風の「立待岬」
3月4日掲載のタイトルは「心酔する作家の隣で眠る」



 「苦役列車」で芥川賞を受賞した西村賢太さんの虚飾無き日々を記録した「一私小説書きの日乗」には編集者との確執などが綴られているが、毎日の飲み食いについては健康を嘲笑うかのように痛烈だ。
 ある日はネギチャーシュー麺を食べてから、家でサワー1本と日本酒5合。ハンバーグとお好み焼き、焼きおにぎり4個を食べる。1日に百本のタバコも吸っていた。
 小学生の時に父親が性犯罪で逮捕され、中学卒業後に家を出て肉体労働で生計を立てる。買淫や女性への一方的な暴言・暴行の一方で、こみ上げてくる怒りや愚かさをほとばしる筆致で言語化した文章は、癖になるほど身体に染みついた。
 西村さんの楽しみの一つは古本を読みあさること。特に大正から昭和の初期にかけて作品を発表した私小説作家の藤澤清造に心酔。藤澤の月命日には墓のある石川県七尾市の寺に墓参を欠かさず、藤澤の墓の隣に生前墓も建立した。「瘡瘢旅行」では古書即売展の目録に藤澤の名が記されているのに目が釘付けにとなり、岐阜の古書店へ女と一緒に出かけていく。相変わらずの暴言・暴力があるこの短編が好きだ。
 肉体的にも精神的にも穏やかな日はあったのだろうか。2月4日にタクシーの中で意識を失い、54歳で逝去。今は藤澤の墓の隣で安らかに眠っているはずだ。(メディカルはこだて発行人・編集人)

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