完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

「吉兆」廃業   ~お久しぶりのUpです~

2008年05月29日 | Weblog
私は中年である。

あれやこれやとブログをUpすることが億劫になってしまい十日が過ぎた。

その間にも私という人間の時が止まったわけでは無いわけで、本当はUpすべき
「面白い事」は私的にはたくさんあったのだが「気力」が沸かなかったと言うべきか・・・。

もし、これからもその気力が沸かなくなったら・・・潔くブログを閉鎖するべきだろう。

まあ、だれも悲しむほどのブログでも無い。

書き込んでいる本人の価値観としてのブログが「他事より軽く」なってしまったら
人に読んでもらえるような代物では無くなるであろうから。

とりあえず、まだ自己顕示欲としてのこのブログは、わたしには「軽く」ない。

どこまでやれるかわからないが、もうすこしお付き合いをお願いしたい。


さて「吉兆」が廃業した。

こういうのを「遅きに失した」という。


私も調理人の端くれである。

その当事者の意識は手に取るように分かる。

それを前提としていくつか言いたい。


食を提供する店にとって、こうした不祥事は「致命的」だ。

それもその店が「世間一般」にどういうものと受け取られているかによって、その
不祥事の衝撃度が違う。


「吉兆」という名の店がどういう重さであるかを、一般人よりその「経営者」である
その一族自身が分かっていなかったというべきだろう。

特にあの「囁き女将」には呆れかえってしまう。

我々包丁を持って仕事をしている人間にとって吉兆初代「湯木貞一」という人は、
正に「神様」のような人だ。

私のような「端くれ」には、想像もできない存在なのだ。

その娘であるという、あの女将・・・。


「才能」が孫子に遺伝することはほとんど無い。

ゆえに、初代はその「才能」ではなく「意識」を伝えなければならないのである。

湯木貞一氏がそれを伝えなかったのか、はたまた娘が受け継がなかったのか・・・。


女将はどういうことにおいても「凛」とした姿勢を崩してはいけない。

こうした「危機・終焉」においては尚のことだ。

せめて「終りの美学」を見せねば、さらに「吉兆」の名前が色あせるだけだ。


ただ、今の世を如実に示していることが「料理長」の存在とその人の「意識」だ。
「職人」と言うのは、たとえ「雇い主」が「不正をしろ!」といわれても職人としての
誇りにかけて拒否する種類の人間のはずだった。

しかし、世はそうした「職人」をなくしてしまった。まあ、そのことによって「失職」
することが、昔と今ではまるで意味が違ってしまったことにおいて、料理長を責める
訳にはいかないのだろうけれど・・・。

耐震偽装の時の姉歯一級建築士の話と、酷似するものを感じる。


今の世においての「信頼」がまた少し揺らいできた・・・。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなが、自分の「誇り」において世の信頼を裏切りませんように。
                          
                               may

このままでは、何も信用できない世になってしまう・・・。








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