完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

「関ヶ原」(全3巻)読み終わりました   ~作家の意識の違い~

2007年02月25日 | 
私は中年である。
前回はマクラを振っているうちに、エキサイトしてしまいマクラで1回の
Upを終わらせてしまった。

この頃「日本・日本人」なんていうキーワードにハマルとついエキサイトして
話を進めてしまうなぁ。

私くらいの歳になってくると「国」や「愛国心」に対するこだわりが
良い意味でも悪い意味でも強くなってしまうなぁ・・・と感じる中年である。

さて、だいぶ前に予告していた内容のUpをしようと思う。

昨年の終わりに、昨年の大河ドラマ「功名が辻」の原作を読んで感想を
Upした。(昨年12月30日のブログを参照)

「正月明けには」などといって2月の下旬になってしまったが、とにかく

        司馬遼太郎著「関ヶ原」(全3巻)

を読み終わったのだ。

どんな仕事であっても同じことなのだろうけれど、それに取り組んでいる人にも
調子の良い時と悪い時がある。

私のような「調理」という仕事をしていると、調子の良し悪しは露骨にその
料理の「味」になって現れてしまう。

幸か不幸か「食べ物」は食べたそのすぐそばから消えていってくれる。
よほど「不味く」ない限りはすぐに忘れられていく。

逆に、だからこそ「調理」はおもしろく、むずかしいのであるが・・・。

しかし「物書き」を仕事とする人たちが生み出す「本」は、時によって
とても残酷なものである。

物書きの本は出版物として世に出てしまっては、その本が存在する限り
「無かったこと」には出来ない。

どんな有名・有能な文筆家であってもバイオリズム的に調子の悪い時が
あるだろう。しかし、その時であっても「締め切り」なるものは迫ってくるのだ。

そうした時に苦し紛れに書いて印刷物になってしまったものもあるだろう。

国民的作家である「司馬遼太郎」でも例外ではない。

「功名が辻」はそうした意味で「駄作」ではないが残念ながら「傑作」では
決して無い。

そして「関ヶ原」は間違いなく「傑作」である。

もっと核心的に言うなら「功名が辻」は「おとぎ話の本」であり「関ヶ原」は
「政治学の本」なのである。

「功名が辻」の話をUpしたときも書いたのだが、結局この本は時代の
主たる話の脇にある「サイドストーリー」から抜け出すことが出来ないのだ。

逆に「関ヶ原」は個人を中心ではなく(まあ、石田三成が中心と言えば中心だけど)「関ヶ原」と言う闘いそのものを取り巻く状況が中心である。

その時、立場の違うそれぞれの「藩」がいかに「時代」を見極め、いかに
行動したかを非常に細かく3冊にまとめている。

この本にはどんなに時代が変わっても、そこに「人」と「権力」と「組織」が
ある限り当てはまる「政治のパワーバランス」の見本がある。

何年経っても、読める本と言うのはかなり数が少ないはずなのだが、
この「関ヶ原」は「中年」を卒業して「老年」になっても充分おもしろく
読める本だろう。

今の日本の政治に、背景が酷似していると感じているのは私だけだろうか?
まあ、自民党vs民主党が「関ヶ原」ほど、盛り上がってもおもしろくも
無いけどね・・・。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなが「映像の世界」ばかりにとらわれず「文字で表された
観念の世界」を忘れませんように。

今回は苦しんだ割りにおもしろいUpにならなかったなぁ・・・。
申し訳ない!                         may



コメント
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