完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

リーダーの素質  ~カリスマ性って?~

2006年10月17日 | Weblog
私は中年である。
私の地方の秋は、あっという間に寒くなる。
雨が続き、朝晩がグッと寒くなる。

そうすると、あっという間にホームセンターの店頭にスタッドレスタイヤが
並ぶようになる・・・。なんと時の移り変わりの速いことか・・・と
実感している「中年」である。

「リーダー」というモノは、いかに選ばれるものか・・・。
たとえば5人の人間が集まった中で、リーダーを選ぶことになったとする。

不思議なもので5人だと初対面であっても、その中でもリーダーに
なりそうな人間がなんとなく分かる。

「人間見た目じゃない」というが、こうしたことは見た目、いや
正確に言えばプラス纏ったオーラによって決まってくる。

そして、大抵はそのオーラの通りリーダーはリーダーの資質を持っている。
中年になると、このことが非常に身近なことに感じるようになるのだ。

最近はとにかく何かというと「団体」を作って活動することを
余儀なくされる。

団体というのは人数・目的・予算などをしっかりした形で物事を進めないと、
すぐにグループ自体が巧くいかなくなるし、対外的な部分で摩擦が多くなる。
中年以上の歳の人間が集まるグループなら尚更だ。

それらを巧く処理していく人間は必要不可欠なのだ。
だがそれは「リーダー」ではない。

そうしたことを頭に入れておく必要はあるが、それ以上に
「人を惹きつける魅力」が必要なのだ。

男の欲の中には「名誉欲」「権力欲」というものがあり(女性もそうか?)
それを欲する人が、そうした「カリスマ性+オーラ」を持っていれば
何の問題もない。

しかし、残念ながらそうしたものを持っていない人ほどそれらを欲する。
「やりたい人」より「やらせたい人」というのはこうしたことを意味する。

だから、逆にことの大きさを考えたときに「できる人」ほどやりたがらない。
そして思うのだ。私はどれくらいの「器」だろうか・・・?

自分も男であるから、その「名誉欲・権力欲」が無いわけではない。
自分の指令で何人の人が動かせるか「興味」はある。

だが、その器も無いのに、その地位に座ったものの「悲惨さ・哀れさ」は
外から見る人間には「滑稽」でしかない。

そのため、ついつい前に出ることをためらう「中年」の私である。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなに幸福が訪れますように。

ちなみに、リーダーの資質はほとんど遺伝しない。
野球の一茂・カツノリ。丹波哲郎の息子・落語家のこぶ平
(今は正蔵か・・・偉くなったものだ)なんて人たちを見てると
納得してくれると思う。

なら、安倍ゾウリは・・・。
                           may





コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする