完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

どこの家にも・・・  ~身内の変人~

2006年10月21日 | Weblog
私は中年である。
このごろ本当にまずい。言い訳になるがとにかく
運動不足と栄養過多で、動きが鈍くなった。
「適度な運動」というが、そんなものができるか?
中年の私に・・・。

まずい!このままでは・・・。何かせねば・・・。
本当にそう思っている「中年」である。


私の父方の叔父は隣の町に住んでいる。

独身である。

70歳になった。

×一である。

一人で古いマンションに住んでいる。


世の中には「どうにもならない」人がいる。

彼がそうだ。

一人では、電話もできない。

東京に住んでいたことがあったが、そこからは一人で実家の
我が家へ帰ってくることができなかった。

車の免許も持っていない。

うまくできていて、こうした人ほど「酒」好きだ。

どうにもならないほど酒がすきなのだ。

これがホンの少し前の時代なら、古い言葉だが「身上」をつぶしただろう。

時代が良かったのだろう。今の時代なら、結婚はおろか半障害者
扱いを受けても仕方がない。

しかし、それなりの就職をし結婚をした。娘も二人もうけた。

基本的にそうした男が「良い父親」や「良い亭主」ではありえない。

50才を少し越えたときに離婚した。

離婚して20年近くだが、元女房は別として娘たちとは連絡くらい
取ってもよさそうなものだが示したとおり電話をかけることができない。
(市外局番という観念を理解できないのだ)

離婚を期に東京のとあるお寺の「寺男」として、60歳まで働いた。

そうした意味では「酒」さえ与えておいてテレビでも見せておけば
ほかに何も必要ないという、扱いやすい男でもある。

うまく社会保険に入れてもらい、働いた給料を貯金して定年を迎えた。


問題なのは、この叔父をこうした人間にしてしまったのは誰なのか?
ということだ。

もちろん大元は「本人」が一番悪い。しかし、わたしの父や叔母・叔父
そして婆様が「あれは何もできないから・・・」といって大事な事を
させなかった。みな、それらの人たちが段取りをつけてしまった。

就職も、結婚も、離婚も、その後の寺男のすることも、更にそれを
やめた後の隣町への引越しも、すべては廻りが要らぬ世話をしたのだ。

思えばかわいそうな人だが、結局それも「自業自得」それ以外の
なにものでもない。

私が若い時から「本人にやらせろ」と言い続けたのだが「愛する」ことと
「甘やかす」ことの意味が分からない回りの人間たちは、とうとう
本人が寝たきりになるしか無いところまで世話を焼き続けた。

家族なんて、兄弟なんて、親戚なんて他人よりタチが悪い。

単純に血がつながっているからという理由で、ケツの拭けない人間の
尻が回ってくる。

やることの無くなった70歳の男やもめが、何もせずに酒を飲み寝転がって
テレビなど見てばかりいれば、体を壊さないほうがどうかしている。

言い過ぎるかもしれないが、そうした人はとっとと「ノタレ死」んで欲しい。

親父たちが見に行ったときだけ、包丁を取り出して「イザとなったら、
これで腹を切って死ぬ!」とノタマッたそうだ。

それを見てまた親父たちはうろたえたらしいが「死ぬ死ぬ」といって
ほんとに死んだ奴など居やしない。

単なる「パフォーマンス」以外のなにものでもないのだ。

・・・それでも、彼は「運」が良い。

結局、廻りが最終的に一人きりの老人に一番必要なもの「お金」を
貯めておいてくれたのだから。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなに幸福が訪れますように。

しかし、本当に彼は「生きた」と言えるのだろうか・・・。
                           may





















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