読書。
『その未来はどうなの?』 橋本治
を読んだ。
「20世紀は理論の時代だったが、それはもう終わってしまった。」
つまりは、いまや世の中のことは、体系立てて整然と解き明かして
説明できるものではなくなったということです。
そして、そのわからない状態に加えて、
どうわからないのかもわからないくらいややこしさを増している。
そんな世界になって、それをどうでもいいとするか、
それとも少しはわかりたいとするか。
本書の態度は後者で、その未来はどうなんだ?という形式にあてはめて
論じていくものとなっています。
著者の橋本治さんはこの本を書き始める前からご病気になり、
どうにも集中力の続かない「頭の停止した」状態からこれ以上回復しないのではないか、
と医者に言われるような、その水準での安定をしている体調だったようです。
なので、知の武装はいたって平準。
とはいえ、読んでいると、その剣豪っぷりがうかがえました。
この喩えをまとめていってみるとわかりやすいと思うので続けますが、
普通の頭のいい人は、剣の腕もさることながら、
装備している防具や武器もたいそうなものなので、それらの能力にまかせたり、
武器防具自慢をしてしまうところってあります。
しかし、橋本さんの場合、病気のために防具も武器も、
軽いものしか身につけられなくなっており、さらに弱っていると見受けられる、
ご自身の剣術しか頼るものがないような状態なんです。
それなのに、最後の章になっていくにつれて、
その快刀乱麻ぶりが発揮されていくように感じられる。
借り物ではない、ご自身で生み出して育んだ、自分でしかない言葉を使って、
身体からにじみだすような思考と論理を駆使して、
わかるところは解き明かし、わからないところはぼんやりとしたまま無理はしない。
僕はまぁ、人並だと思っていますが、
それでも橋本さんのそういうところには憧れ以前に共感をしてしまいます。
僕は、暗記とかそういうのはもうやめて、自分の頭で論理的に解釈したり創造したり
していく方向で行こうと、高校生くらいの時に決めたふしがあって、
それはまぁ極端なんですが、そうやって鍛えられた部分ってあるんですよね。
それで退化したのが記憶力じゃないかと言われれば、そうでございます、と
弱気に答えるしかないんですが、橋本さんの場合はもともと
そのどちらも達者な人なんだろうな、という気がしました。
この方の本を読むのは二冊目でしたが、もっと読みたいな、
エッセイだけじゃなくて小説も気になるな、と思いました。
本書は2012年に発行されたものですが、
TPPについてや民主主義、歴史解釈についてなどの硬派なものが最後のほうに控えていて、
序盤は、テレビについて、ドラマについて、シャッター商店街について、
各々の未来についての考え、いや、現状を確かめる度合いが強いのですが、
そういう内容になっています。
うわべだけとか、表面しかみないでこれはこうだと決めがちなのが人というもの。
著者はちゃんと横からも後ろからも裏からも見る習慣がついている人だという印象です。
それだから、読んでいてハッとさせられたり、頭をくすぐられたりするんですよね。
すごい武器になるような本ではないかもしれないですが、
思考の経路を体感的に学ぶようなものとしてはとても好い読み物だと思います。
私ごととしては、テレビの項とシャッター商店街の項を参考にすると、
うちの従兄を痛烈に批判できそうな感じでした。
テレビ大好きゆえ、そして都市というものを解釈できていないためなのだなぁとわかりました、
服装に気をつけないところだとか。すごくオシャレせい、と言うんじゃないですが、
そこそこ服装に気を使え、と思う人っているじゃないですか。
それでしたね。僕が言うなってところもありますけども。
『その未来はどうなの?』 橋本治
を読んだ。
「20世紀は理論の時代だったが、それはもう終わってしまった。」
つまりは、いまや世の中のことは、体系立てて整然と解き明かして
説明できるものではなくなったということです。
そして、そのわからない状態に加えて、
どうわからないのかもわからないくらいややこしさを増している。
そんな世界になって、それをどうでもいいとするか、
それとも少しはわかりたいとするか。
本書の態度は後者で、その未来はどうなんだ?という形式にあてはめて
論じていくものとなっています。
著者の橋本治さんはこの本を書き始める前からご病気になり、
どうにも集中力の続かない「頭の停止した」状態からこれ以上回復しないのではないか、
と医者に言われるような、その水準での安定をしている体調だったようです。
なので、知の武装はいたって平準。
とはいえ、読んでいると、その剣豪っぷりがうかがえました。
この喩えをまとめていってみるとわかりやすいと思うので続けますが、
普通の頭のいい人は、剣の腕もさることながら、
装備している防具や武器もたいそうなものなので、それらの能力にまかせたり、
武器防具自慢をしてしまうところってあります。
しかし、橋本さんの場合、病気のために防具も武器も、
軽いものしか身につけられなくなっており、さらに弱っていると見受けられる、
ご自身の剣術しか頼るものがないような状態なんです。
それなのに、最後の章になっていくにつれて、
その快刀乱麻ぶりが発揮されていくように感じられる。
借り物ではない、ご自身で生み出して育んだ、自分でしかない言葉を使って、
身体からにじみだすような思考と論理を駆使して、
わかるところは解き明かし、わからないところはぼんやりとしたまま無理はしない。
僕はまぁ、人並だと思っていますが、
それでも橋本さんのそういうところには憧れ以前に共感をしてしまいます。
僕は、暗記とかそういうのはもうやめて、自分の頭で論理的に解釈したり創造したり
していく方向で行こうと、高校生くらいの時に決めたふしがあって、
それはまぁ極端なんですが、そうやって鍛えられた部分ってあるんですよね。
それで退化したのが記憶力じゃないかと言われれば、そうでございます、と
弱気に答えるしかないんですが、橋本さんの場合はもともと
そのどちらも達者な人なんだろうな、という気がしました。
この方の本を読むのは二冊目でしたが、もっと読みたいな、
エッセイだけじゃなくて小説も気になるな、と思いました。
本書は2012年に発行されたものですが、
TPPについてや民主主義、歴史解釈についてなどの硬派なものが最後のほうに控えていて、
序盤は、テレビについて、ドラマについて、シャッター商店街について、
各々の未来についての考え、いや、現状を確かめる度合いが強いのですが、
そういう内容になっています。
うわべだけとか、表面しかみないでこれはこうだと決めがちなのが人というもの。
著者はちゃんと横からも後ろからも裏からも見る習慣がついている人だという印象です。
それだから、読んでいてハッとさせられたり、頭をくすぐられたりするんですよね。
すごい武器になるような本ではないかもしれないですが、
思考の経路を体感的に学ぶようなものとしてはとても好い読み物だと思います。
私ごととしては、テレビの項とシャッター商店街の項を参考にすると、
うちの従兄を痛烈に批判できそうな感じでした。
テレビ大好きゆえ、そして都市というものを解釈できていないためなのだなぁとわかりました、
服装に気をつけないところだとか。すごくオシャレせい、と言うんじゃないですが、
そこそこ服装に気を使え、と思う人っているじゃないですか。
それでしたね。僕が言うなってところもありますけども。
著者の橋本治さんはこの本を書き始める前からご病気になり、どうにも集中力の続かない「頭の停止した」状態からこれ以上回復しないのではないか、と医者に言われるような、その水準での安定をしている体調だったようです。なので、知の武装はいたって平準。とはいえ、読んでいると、その剣豪っぷりがうかがえました。この喩えをまとめていってみるとわかりやすいと思うので続けますが、普通の頭のいい人は、剣の腕もさることながら、装備している防具や武器もたいそうなものなので、それらの能力にまかせたり、武器防具自慢をしてしまうところってあります。しかし、橋本さんの場合、病気のために防具も武器も、軽いものしか身につけられなくなっており、さらに弱っていると見受けられる、ご自身の剣術しか頼るものがないような状態なんです。それなのに、最後の章になっていくにつれて、その快刀乱麻ぶりが発揮されていくように感じられる。借り物ではない、ご自身で生み出して育んだ、自分でしかない言葉を使って、身体からにじみだすような思考と論理を駆使して、わかるところは解き明かし、わからないところはぼんやりとしたまま無理はしない。