Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

「日常」に恋する。

2014-02-28 22:14:33 | 考えの切れ端
ボウリングで腰を痛めて寝ています。
バカだね・・・。

たまにこうやって起きてネットしたりしているんですが、
読書はできず、映画も観に行けずなので、
二月はブログの更新も少なかったし、
久々に考えの切れ端をアップします。

今回は、「日常」と言うものに注目しました。

昨年、糸井重里さんがほぼ日手帳のコピーを公募されて、
結果発表のときに、
素人でも日常を大事にしている人ならばいいコピーを書けると思った、
というようなことをおっしゃったか書かれたかしました。
それが、たぶん、今回の「日常」に対する僕の考えの起源です。

まず、
日常生活をおざなりにしない人だらけのコミュニティって
おいそれとはおかしくならないと思うのです。
それは、でんと地に足がついた人たちの集まりであって、
そりゃ、今でいえば慰安婦問題だの領土問題だの、過去から浮上してきたような
問題がありますが、それに悩まされはしても、振り回されはしないのではないか。

「日常」を大事にする。
「日常」で感じることをすべて言葉にして覚えておくことはできないけど、
出来うる限り(後でまとめてでも)言葉にする人って強い気がする。
感じることを噛みしめたりするのでも違うと思う。

「日常」に感じることを言葉にしていくと、
「共感」に似て、自分の無意識から「何か」をはっきりした形で
意識に引き上げることになるんじゃないだろうか。
ユングは無意識の意識化は自己の拡張だみたいなことを言っていて、
それに近いことになると思う。
無意識の意識化は、うまくいくと癒しでもありますし。

そういうことをしていると、おいそれとは変な方向へ行かない気がするんです。
ただ、カギは「忘れないこと」にあるとも思う。
せっかく言葉にしたこと、気付いたこと、噛みしめていることを忘れてしまうと、
「日常」をおざなりに生きていることと同じようになってしまう。

つまり、日常を大事にするということは、
感じることを言葉にして意識の上にはっきりした形にしたり、
そうじゃなくても噛みしめたりして、それを忘れないでいることなんじゃないかな。
どうやったらそうできる?
「日常」に夢中になれたら、それはもう出来ちゃいます。
逆にいえば、自分を夢中にできる「日常」を作れたらとてもすごいんです。

「日常」に恋をする。
恋路を邪魔するものにも負けるものかと、「日常」に恋ができたら・・・。
この世界の見え方も、自分自身の粘りも変わってくるはずです。


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