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『最後の親鸞』

2010-06-22 11:55:43 | 読書。
読書。
『最後の親鸞』 吉本隆明
を読んだ。

詩人、思想家であり巨人と形容される吉本隆明さんは
作家のよしもとばななさんのお父さんということでも有名です。

この『最後の親鸞』は、『共同幻想論』と並ぶ吉本さんの主著の一つと
認識しています。さぞや難しい本だろうと覚悟して臨みましたが、
やっぱり難しかったです。読み解けるかどうかは、
僕の能力的にギリギリできるかどうかというところだと、
10pくらい読んで、この本と自分との力関係を予想だてて
把握したのでした。
ただ、難しいことは難しいのですが、読んでいくうちに慣れてくるのもあるし、
書かれている内容の説明がちょっとノーマルになっていくので、
すっげー大変な読書ということにはなりませんでした。
それでも、理解したのは2~6割くらいかなぁと思いますね。
なんで、こんなにバラツキがあるかといえば、理解したようで誤解していたり、
浅かったりする部分が多分にあると思うからです。

さて、いつもならば読書感想文を書くに至って
引用は避けているのですが、今回はどうもうまく言い表せないですし、
なにせ、ちゃんと理解しているかよくわからないので、
変なことを書いて、この『最後の親鸞』の価値を大きく損なってしまわないために、
ちょこっと抜き書きさせていただきます。

____

<知識>にとって最後の課題は、その頂きを極め、その頂きに人々を誘って蒙をひらく
ことではない。頂を極め、そのまま寂かに<非知>に向って着地することができればというのが、
おおよそ、どんな種類の<知>にとっても最後の課題である。
____


もういっちょ。

____

どんな自力の計いもすてよ、<知>よりも<愚>の方が、<善>よりも<悪>の方が
弥陀の本願に近づきやすいのだ、と説いた親鸞にとって、自分がかぎりなく<愚>に
近づくことは願いであった。
____


どちらも14p目に書かれていることです。
読み終えてから読みなおすとわかるようになるのですが、
この序盤にして、いきなり本書のすべてを貫く重要な思想の芯が
披瀝されているんですねぇ。
狡知にたけた人間がこの世にいなければ、これでいいのかなぁとも思うのですが、
そういうもんでもないので、妙な人に利用されてしまう人になってしまう惧れが
あるように感じます。そのへん、愚民政策につながる思想でもあるなぁと読めました。

<愚民政策:為政者が民衆を無知・無教養の状態におしとどめ、
その批判力を奪い、支配体制の維持を図ろうとする政策。>

知を捨てるっていう思想なんですもん。

そして鎌倉時代もね、人々の暮らしは苦しかったようですね。
歴史の本を読んでいても感じましたが、いつの世であっても、
人々は世紀末を感じさせられるような末法の世を過ごしてきたようです。
そんな中で、人々を楽にするがために宗教がうまれて発展してきたんですね。
この世が極楽の世界であったら、宗教なんか広まらないでしょう。

親鸞の言うことも、先人が残した仏教の教え、理論を良しとする前提から
発展しているんですよ、良くも悪くも。
悪人正機(善人でも極楽浄土にいけるのに悪人でいけないはずがない、
という面白い考え。細かくみていくと他力本願という考えから見て筋が通っています。)
なんていうなんてものも、適当なひらめきではないようです。

そうそう、悪人正機にふれたのでひとつ断っておきますね。
悪人であれば、仏にすがるので、他力本願の論理で浄土へいきやすいとされる。
善人は自分に負い目が無いので、仏にすがる他力本願をちゃんとできにくいとされる。
そう聞くと、じゃぁ、悪事の限りを尽くしたほうが良いのか
って考えが浮かぶんじゃないでしょうか。
それは否定されています。
悪事を自分から行うことは、自分の意思つまり、自力っていうものが関係するので、
他力本願につながらないようです。

この比較的自由になってワールドワイドになった時代に親鸞が生まれていたら、
どんな考えをもたらしてくれたかなぁと思うんですよね。
案外、「こんな世の中だったら、俺が出ていくまでもないだろう」なんて
市井の人で終わっていく普通の頭の良い人なのかもしれないなぁなんて
思ったりします。

それと、この本では浄土についても言及されています。
花畑があって、見眼麗しい世界が、あの世にあるのかと。
それはある意味、比喩としての表現らしいですよ。
浄土っていうのは「空」だそうです。あれ、「無」だったかな。
つまりは、何も無いんだってことがほんとなんでしょうね。
そして、生きている間には苦しみぬいた昔の庶民にとっては、
生まれ変わって、またこの世で生きるということは地獄だったんです。
生まれ変わらなくていいっていうのが救いなんだ、と。
だから、「空」である浄土というものが、荘厳な天国へと
イメージが転化していったんでしょうかねぇ。

そんなわけで、
この本は、最初こそは難しいですし、それなりに仏教の言葉を
読んでいて調べたりしなければいけませんが、
読んでいくうちに面白くなっていくところがあります。
最後のほうはちょっと疲れたけれど、ちょっとレベルの高い論考に
触れてみるってことも、なかなか良い経験になるのかもしれません。
どうなんだろう、大学の論文なんかはこういうの以上に読みにくくて
難しいものがごろごろあったりするんだろうか。しそうですね。

そのうち、『共同幻想論』も読むかもしれませんが、
今年の2月に吉本さんの特集が組まれていた雑誌『BRUTUS』で、
抜粋が載っていたんですよ。そしたら、あまりの難しさに
笑ってしまいました。読み解くのはちょっと無理っぽいです。
他の吉本さんの発言だとかで、思想の外堀をちょこちょこ埋めてから
読んだら、幾分、理解ができるのかもしれないです。
ま、でも、7割くらいの確率で読まなそう…。
わかんないけど!

親鸞の本は、五木寛之さんのだとかがちょっと売れていたり
しませんでしたっけ、最近。
この本もそんなブームに乗っかると面白いかもしれないですね。
そんな風に思いました。
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