Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

『思い出のマーニー』

2014-09-02 00:03:16 | 映画
スタジオジブリの最新作、
映画『思い出のマーニー』を観てきました。

原作ではそうなのか知りませんけれども、
北海道が舞台ということなので、
近しい感覚で見られるかなと思いきや、
冒頭で札幌駅のホームが出てきたのです。
そのアングルと描かれているすべてと、
まさに札幌駅のホームそのまんま、
というかお釣りがくるくらい見事にスクリーンに流れたので、
知っているところがアニメの舞台だなんて!と、
いきなり知っている(バイトのために二年か三年くらい利用した)
ところが聖地化して、ざわざわしてしまいました。

そこから描かれる土地も、どこか涼しげな北海道的で、
ずっと住んでいる僕にとっては夢のような作品でした。
そして、これまた面白かったんですよ。
きゅうと胸を掴まれるところもあって、
涙がほほを伝いまして。いい歳をして。

僕はやっぱり、今作をみていて確信しましたが、
人生が、サッカーでいうアウェイのようになっている人たちを、
特に子どもだとかを、出来ることならば元気づけたりしたい人、
出来ればそっちの側にいたい人のようです。

今読んでいるとある小説家のエッセイにも、
そういう人たちを物語で救ったり、
虚構でこそ描ける真理をいつも物語に込めたい、みたいなことが
書かれていて、僕もそういう物語を作ってみたいなって思いました。
『思い出のマーニー』みたいなのを創作できたら、
受け手がその作品をステキに思ってくれそうじゃないですか。

子どもなんかは、大人と違ってあんまり孤独すぎるのは可哀想なんですよ。
大人は好んで孤独に浸ったりしますが、
子どもの中にはよくわかんないままに、
人とのコミュニケーションのいいところも
孤独の悪いところも知らないままに孤独になっちゃう子がいる。
子どもはちょっとしたコミュニケーションの悪いところに心が囚われたりもするし、
うまく言葉で表現できないですし、
自分の気持ちが大人よりも勝ってしまう部分ってあります。
そういう不器用さって、実は空気ばかり読むよりも、
まったく自然な状態だと思いますけども、
つらいなぁって苦しんだり、
つらいっていう言葉になる前に身体によくない症状がでたりしてしまう。

そして、物語という形でしか寄り添えないような子どもいるんじゃないかな。
これは大人でもそうかな。
そういうふうに考えたときに、物語を作る仕事って素晴らしいと思えちゃう。
問題は、ラノベは売れているのかもしれないですが、小説離れだとかが進んでいて、
商売あがったりらしいということです。
書き手がそれなりに仕事をしていたら、まず生活はできるっていうくらいも怪しそう。
・・・みんな、もっと物語を読もうぜ。
贈与論的連帯感の世界に近寄っていくと、
そういうこともちょっと解消されるような予感があります。
そういう世界を、僕の母校のある教授の言葉を借りると、
詩的共同体といいます。逆に、殺伐としているような、
自分は自分、ガチガチのわかりやすい利己でいきますっていうようなのは、
散文的抗争体といいます。
あの教授先生は贈与論は読んでいたのかなぁ、ちょっと思い出してみました。

『思い出のマーニー』はジブリがこの先しばし長編の発表をお休みする前の
最後の作品にふさわしい秀作でした。
大好きな映画がまたひとつ増えました。

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