拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

ポテサラ

2022-06-15 19:37:52 | グルメ

久しぶりに100g200円を切ったので食卓を飾ることになったステーキの周りを結構の量の野菜が取り囲む。やはり、私は長生きしたいらしい。だが、これだけ不摂生をしている私がちゃんと週二日は休肝日を設けている人より長生きしたら、それは理不尽というもの。摂生が報われ、不摂生に罰があたるのなら、私は明日にも死ぬのが道理だ。だが、そもそも世の中は理不尽にできている。神様も、始終くまなく下界をチェックするのはお疲れでしょう。ちょっとお休みくださいませ(その隙に、今日もまた「悪魔の水」をたらふく飲む所存である)。

さて。写真の左端に写ってるのはポテトサラダ。私はポテサラが大好きである。外食するとき、付け合わせに大概ポテサラを頼む。ジャガイモが高くてしばらく作れなかったが、ステーキ肉やキャベツ同様、まれに大安売りの日がある。そこを逃してなるものか。ところで、ジャガイモの茹で方は、モノの本には、鍋を使って水から始めて沸騰したら弱火で30分と書いてある。だが、この燃料高のご時世に30分もガスを使ってなるものか。その点、電子レンジなら5分でよいという。だが、これまでレンチンだとどうしても加熱にムラが生じていた。熱が十分に通ってない部分が残った。今回、これまで数十年間容器に入れてチンしていたのをやめて、容器に入れず、全体をラップに包んでそのまま庫内に入れてチンしてみた。5分でむらなく火が通った(容器に入れると容器に覆われた部分の加熱が足りなくなるらしい)。予め包丁で十文字に切れ込みを入れておいたので、そこんとこから簡単に皮を剥くこともできた。既に長い期間を浪費してきた私の人生の中で、これはコペルニクス的な大転換である。これまで知らなかったことが恨めしいが、何事も遅きに過ぎることはない。70歳や80歳で知ることを考えたら早すぎるくらいである。これからいっそうポテサラ作りに精進する覚悟である。


お百姓さんと奏者の偉さが骨身に染みる

2022-06-14 18:01:14 | グルメ

シェフの実家が大洗の「ようしょくや」と聴いて(朝ドラ)、アンコウの養殖をやってるのか、と思ったが、よく考えたら洋食屋なんだろうな。

その後のあさイチで、どっかの町のゆるきゃらを見て、角がYの字だったから、アゲハチョウの幼虫かと思ったら(幼虫が怒るとYの字の角を出す)、うさぎだって。えーっ?うさぎの耳は別々に生えていて、Yの字なんかになってないよっ。

ということで本題。馬は、最初走らなくても、距離だとかダートだとかいろいろ試すうちに適性が見つかって勝つことがある。私が百均で買った餃子を折りたたむ器具も、これまで一度も役に立ったことがなかったが、生地を大判にしたらぴったりはまって大活躍。

ようやく陽の目を見た容器。生産者も厩舎も嬉しかろう(私はさしづめ騎手である。もちろん嬉しい)。それにしても、久しぶりの餃子であった。餃子の具は、豚挽肉とキャベツが定番で、それに香味野菜をプラスアルファするのだが、肝心のキャベツが高くて作れなかった。が、ある日、キャベツが100円を切って99円!こういう日を逃さないことが肝要である(別の日に、ステーキ肉も、久しぶりに100g199円で売っていたので、2パック購入した)。プラスアルファは、いつもはニラだったり大葉だったりだが、今回は、ベランダのプランターに植えていたパクチーを使う。使うフライパンも変えてみた。いつもは28センチだが今回は26センチ。その違いが中央部に出る。いつもは、中央部に3個並べて隙間を埋めるのだが、2センチ小さいだけで餃子を並べるだけの隙間ができなかった。

それでも、焼き上がってお皿をかぶせてひっくり返すにはちょうどいい大きさだった。今後は、26センチをデフォルトにしよう(「デフォルト」は、ここでは「標準」の意味で使ったが、この言葉には「債務不履行」の意味もある。同じ言葉が「標準」と「債務不履行」の二つの意味を持つのは不思議だが未調査である)。最近、小食のワタクシであるが、餃子だとあるだけ食してしまう。肝心のお味だが、パクチーがいまいち。それでも、ベランダ農園で作る野菜の中ではましな方。ホウレンソウはまったく美味しくなかった。スーパーで買うのと同じ大きさになるまで待ったのがいかんかった。花が咲いてしまって(トウが立ってしまって)、そうなると茎は太くなるし、葉も美味しくない。そもそもプランター栽培で大きく育てるのは無理である。以後、スーパーで見かけるヤツの半分くらいの大きさになったら観念して収穫しよう。自分で作ってみて、お百姓さんの偉大さが身に染みて分かった。いろんな楽器をやってみて、専門の奏者の偉さが骨身に染みるのと同様である。


多古町のアジサイ

2022-06-13 20:13:37 | 音楽

梅雨の晴れ間、千葉県多古町にあじさいを見に行った。成田空港から出てるシャトルバスで現地に向かう。見所は二箇所。一箇所は、道の駅の近く、栗山川の土手。両岸に延々と植えられている。

もう一箇所は、川からちょっと歩いた高台にある日本寺。

こちらは、あじさいが一層密である。周りを高木で覆われていてより自然の息吹が感じられる。だが、川好きの私とすれば、栗山川の群生も侮れない。因みに、川から寺までの道を歩いている人は全然見かけないのに、寺に着くと結構な数の見物客だった。みんな車で移動するらしい。私の信条は「徒手(歩)空拳」である。

だが、正直に言うと、一層、そそられたのは、あじさいの向こうにでーんと広がる水田であった。

夜になると、蛙の合唱が聞こえるのだろうか(私が子供の頃、中山町(横浜市)は、駅からちょっと行くと一面田んぼ。中山幼稚園の周りだって、一面田んぼだった。だから、夜になると、蛙の泣き声がものすごい。丘の上にあった私の実家にまでびんびんに響いていた)。

蛙は見なかったが、蝶々は飛んでいた。

モンシロチョウと言っても、紋が白いわけではない。黒い紋のついた白い蝶、の意だと思われる。

ハンガリー人のチェリストのミクローシュ・ペレーニ教授は、学生に「散歩をしろ。大地からエネルギーを受けろ」と教えるそうだ(ピアニストの金澤さんからの請け売り)。私は、今日、たっぷり自然を歩いたから大地からエネルギーをたんまり吸収した。反面、一刻も猶予がならない目前の課題の練習(今回は、ヴァイオリンとチェロ)を一日さぼった。プラマイどう出るのだろう。いや、心配する暇があったら明日からの数日、猛練習をしろ、ということである。


憤懣遣る方ない話二題(その後、大洗)

2022-06-13 09:08:25 | 日記

日銀総裁の、国民は物価上昇を容認しているととれるような発言は、私が思うに、最近の失言ベスト1である(「ワースト」が相応しいという意見もあろうが、「失言」が既にネガティヴだから、そこに「ワースト」をかけてしまうと、ネガティヴ×ネガティヴでポシティヴになってしまうと思う)。たしかに、出口戦略は難しいだろうが、思考の根本に国民蔑視があることが露見したから、今後、金利の据え置きは、単に自らの公約(2%の物価上昇)を実現するためだけだととらえられても仕方がない。思えば約10年前、ハイパー円高が進んで、円は瞬間的に1ドル77円台に突入したこともあった。私は当ブログに「動かざる事日銀の如し」と書いて、前総裁を賞賛(?)したものである。そのとき、新しい総裁(現総裁)が現れた。「バズーカ」がぶっ放され、あれよあれよと言う間に円安が進み、世間(前総裁を除く)は賞賛したものである(ただし、時既に遅しで、ハイパー円高で多くの輸出企業が拠点を海外に移した後だったので、効果は限定的だった)。そして今回の失言。「奢れるものは久しからず」は平家ではなく日限総裁のための格言だったか。だが、もし前総裁が「ほれ、言わんこっちゃない」と言ってるとしたら、それは話が違う。10年前と今とでは状況が違う。10年前は、バズーカの意味があったのである。良子も、3年前と今とでは状況が違うから復職したいと言っている(朝ドラ)。そう言えば、円高当時、このまま円は1ドル50円まで行くと行っていた経済学者がいた。最近、まったくテレビで見なくなった。その言を信じて全財産を円につぎこんだ人は……それは自分が悪い、あくまでも投資は自己責任です。

憤懣爆発ついでだ。朝ドラにもふれたから、もう一つ吐き出そう。ニーニーの事である。ニーニーは立派な犯罪者である(犯罪者が「立派」なのはおかしいと思う方もおられだろうが、前記と同じ理屈で、「最低の犯罪者」と書いちゃうと大した罪でないことになってしまう)。給料を前返りしてドロンすることだって、「ずっと働いてくれるんだな」と雇い主を騙して金をとってるんだから詐欺である。百歩譲って、前借りするときはドロンするつもりがなかったとしても(その場合は詐欺にはならないが)、良子の婚約のとき男の父親から良子の前の男に渡す手切れ金をせしめたことは、言い訳のしようのない、明らかな詐欺である。脚本家は、「やんちゃだけど憎めない」キャラクターを描いて、視聴者から可愛がってもらおうと思っているフシがある。そこが腹立つとこである。犯罪をやんちゃで済ますわけにはいかない。「万引き家族」はちゃんと(?)捕まった(供述をしながら流す安藤サクラの涙が海外で絶賛された)。「カーネーション」のキタムラだって、ちゃんと(?)詐欺容疑で捕まった(その後、糸子の娘に「え?おっちゃん捕まったことあるんけ?」と聴かれたときのバツの悪そうな表情が笑えた)。もし、ニーニーを演じる俳優がイケメンだから(たしかに、あさイチに登場したときは私もそう思った)、ニーニーが許されると日本国民が思うのだったら、私は日本国民をやめたい。

以上、吐き出しました。そう言えば、今日の朝ドラでシェフに大洗から電話がかかってきてたね。「大洗」と聞いて、アンコウでも仕入れるのかと思ったら、そうじゃなさそう。大洗で食したアンコウは旨かった。私は、今後、外房をマイブームにするつもりである。あっ、もう一つ文句が残ってた。プロの料理人があんなに食材を焦がすか?まるで私……いや、私だってあれほど焦がしはしない。


S市のファミリー・コンサート

2022-06-12 09:12:38 | 音楽

このブログはFBにリンクさせているのだが、FBのあるお友達のページに昨日アップしたソースの写真がでーんと表示され「こういう表示を増やすか減らすか」と聞いてきたそうだ。FBのAIが当ブログを商品宣伝記事と見なしたらしい。かねがね同AIの頭脳明晰ぶりには感服していたが、まっこと今回は、仲間を食うカマキリからおこぼれをもらおうとカマキリに近づいていって自分も食われるGなみの秀才ぶりである。だが、褒めてばかりではいられない。かりに、同AIが筆者に同AIのご機嫌を損ねないように文章や写真を差し替えようと思わせたとしたら、それは表現の自由に対する重大な侵害である。なお、今回の記事がお友達の目にとまったとしたら、それは同AIの懐の深さを表したか、あるいは、真にカマキリに食われるGと同程度であることが露見したかのいずれかである。

気を取り直して昨日の日記。昨日は白井のファミリー・コンサートに出演団体の一つ・味噌煮込合唱団(仮名)のアルトの一員として参加した。ジェダイ・マスターのY先生から「汝、出るべし」との心理操作を受けて出演したのがこれである。なんとか、ご迷惑をかけずに歌いおおせたと思うが、休憩時間に他団体の人が「ダンセイが加わると違うわよね」と会話しているのが耳に入った。どういう意味だろう。「アルトに男性が加わるとよくなるわよね」なら私には嬉しい話である。だが、その後に「やっぱり混声はいいわよね」と言っていたから、「合唱に男声が加わるとよい」の意味であった。私にとっては、天国から地獄。それは、「男声を歌わない男なんてGと一緒。役立たず、いらない」を意味する。ソロのカウンターテナーは結構脚光を浴びるようになったが、合唱団の「男アルト」にはまだまだ住みにくい世の中である。ところで、このコンサートには男声合唱団も参加していて、歌ったのが中島みゆき。おお!懐かしい。私も男に化けて……というか、一周して男に戻って某男声合唱団で3年くらい歌っていた(昨年末に退団した)。そこで中島みゆきを歌ったことがある。あっ、このパートは私も歌ったという記憶が蘇って懐かしかった。あと、少年少女合唱団も参加していた。以前、この団体にはきれいな声のボーイソプラノ君がいて、今回と同様のコンサートの際、わざわざ私のところに「男アルト」の心得を聴きにいらして、私は偉そうなことは一切言えないので「ずっと続けなよ」とだけ言ったのだが、昨日は、彼と思しき青年がテナーを歌っていた。どういう事情だか知る由もないが、まだまだ先は長いからね、いつかまたアルトを歌えますよ、と心の中でエールを送った私でありました。


ソース

2022-06-11 07:42:12 | グルメ

動物番組を見てて、オオタカが鴨を追っているのを見ると、鴨がなんとか逃げおおせればいいと願う。それでいて、その日のディナーが鴨だったりする(鴨のオレンジ煮は私の得意料理)。だが、鴨も、オオタカよりも人間に食われた方がましだろう。オオタカは、仰向けになった獲物を足で押さえつけておいて、生きたままつついて食う。武士の情け、ひと思いに殺して、と鴨は言うだろう(そのとき「お前は武士ではない」とオオタカに反論されたら鴨は返す言葉がないだろう)。そう言えば、プロメテウスも生きたまま鷲に肝臓をつつかれるのであった。

鶏肉と言えば。たまに外食をするとき、メニューを見て、家ではソーセージが多いから鶏肉にしようか、と思うが、次の瞬間に思い出す。ウチで食べてるソーセージは豚肉エキスを混ぜた鶏肉ソーセージであった(業務スーパーで、1キロ500円くらいで買っている)。

いっとき、市販ソースがマイブームだったことがある。注意してみると、地域ごとにいろんなソースがある。例えば、コーミソースは東海地方では番を張っているらしいが、関東ではほとんど見ない(御徒町でゲットした)。そうした大企業でなくても、数多くの地ビールならぬ地ソースがある。それらを集めようとした時期があるのだが、すぐに問題に直面した。私は、普段、市販ソースを使わないから一向に減らないということである。だから、早々にブームをやめて、消費に努めることにした。ソースの消費方法として有効なのは焼きそばである。毎昼、ソース焼きそばを食していたら効果はてきめん。最後の二本の一つだったユニオン・ソース(写真左)が空になり、残るはトリイ・ソース(右)だけである。因みに、トリイ・ソースの特徴は甘さにあると思った。こうやって、ソースを消費し尽くしたら、昼はしばらくオムライスにする予定である。やはり減らないで困っているケチャップを消費するためである。


五季

2022-06-10 09:32:04 | 日記

関東は梅雨入りしている。子供の頃、梅雨は嫌いではなかった。雨が降った日の放課後、私達生徒は校庭に出て、長靴で土を寄せてそれぞれ自分のダム(?)を作って得意になっていた。校庭が舗装されてなかったからすることのできた遊びである。「学校今昔」をもう一つ。最近、近所の小学校が鉄筋5階建なのを見てびっくりした。私が通った小学校は、入学当時は全部木造だったが、生徒の数が増えて入りきらなくなって鉄筋の校舎を増築した。それが3階建だったので、私の脳内では「校舎=鉄筋3階建」のイメージができあがっていたのである。もちろんエレベーターなどない。5階建の今の校舎にはエレベーターが付いているのだろうか。そう言えば、合唱の練習で使う生涯学習館が以前校舎だった建物で、エレベーターが付いていた。エレベーターがない方が、子供の体力増強には役立つと思うが。

あと、子供の頃の梅雨の思い出と言えば、アジサイとかたつむり。なんでも千葉県の多古町ってとこはあじさいの見所なのだそうだ。行ってみたい。それから、かたつむりはフランス料理の食材であるが、これを最初に食したのは30年以上前のサイゼリヤで。因みに、イカスミを最初に食したのもサイゼリヤ。エスカルゴは私のfavoritaにならなかったが、イカスミは大好きである。

その「梅雨」だが、独立した季節に勘定されてない。梅雨を入れて「五季」とは言わない。あくまでも「四季」である。なぜだろう。推論その1。もともと「四季」はヨーロッパの概念である(ヨーロッパには梅雨はない)。それをそのまま輸入したから。その2。「四季」の概念は、日本にも昔からあった。梅雨はあくまで春と夏の間の過度期と捉えられいた(過度期ですますにはあまりにも個性的な季節だと思うのだが)。その3。「ごき」と言うと、Gを連想するから(ゴジラでない方のG)。これらのうち、どれが正解か(あるいはどれも正解でないか)は、「四季」という概念がいつ頃から日本にあるかにかかっているが、そこまで調査の手は及んでない。だから、正解は分からない(3でないことは確か)。

因んだおまけの話その1。Gはバカである。仲間がカマキリに食われてる最中におこぼれにあずかろうと近づいていって自分も食われたGを動画で見た。昆虫の中の最バカ候補である。だが、生命力は最強らしい。
その2。オペラ「バラの騎士」でオックス男爵が屋外デートに相応しい時期として「ユーニ、ユーリ、アウグーストゥ」(6月、7月、8月)を挙げている。なるほど、ヨーロッパに梅雨はないもんな、と思う。


易きに流れる

2022-06-09 10:25:46 | グルメ

「一汁三菜」という言葉にストレスを感じる人がいるそうだ。家で料理をするとき単品ではだめ、何皿か用意しなければ家人に文句を言われる、という強迫観念である。私にもあるかもしれない(私の場合は、作るのも文句を言うのも私だけれど)。昔、当局が「1日30品目必要」と言っていたことも原因の一つである(今では、「30品目」の代わりに「野菜を350mg」と言ってるそうだ)。だから、パスタだけじゃダメな気がして、昨夜などもいくつかお皿を並べて見た(写真の4品目+写ってないパスタで5皿)。だが、結局、平らげたのは2皿。残りは今夜のディナーである。なんだか最近食が細い私、もしかして肺病で死ぬの?椿姫みたいに……いや、飲むと食べないのは昔からだ。因みに、わが家では「一汁」がなくて、その代わりが「辛い水」である。

そのパスタのことだが、パスタ鍋で茹でればたしかに気分は出る。茹で上がった後に中かごを引き揚げてお湯を切るのは爽快だ。だが、お湯の量も、これを湧かすガス代も半端でない。時間もかかる。光熱費上昇のこのご時世にそぐわない。じゃ、どうするかと言うと、小型のミルクパン(雪平鍋)を使う。スパゲティは、そのままでは入らないから半分に折る。そうすれば、お湯もガス代も時間も節約できる。

もう一つ、一石二鳥の節約術。インスタントラーメンに付いている粉スープは半量だけ使う。ある朝、ラーメンの味が薄いなぁと思ったらスープを入れ忘れたことに気づいた(おつむは大丈夫か?いや、忘れたことに気づいたのだから大丈夫である)。それでもそこそこ野菜から味が出たことに逆に感心した。だから粉スープは半量で十分である。残りの半量は、ランチやディナーの際のスープの味付けに使える。さらに、塩分の取り過ぎによる高血圧の予防になる。まさに、一石二鳥である。

とにかく、モノが高い。ずーっとデフレが続いていたのにいきなりのハイパーインフレである。日銀が目標としている物価上昇率2%なんてあっという間に超えちゃうんじゃないの?日銀総裁は、目標が達成できて大喜びだろうが。その原因の一つが、原油・天然ガスの供給不安。こういう話になるといつも思うことがある。もう40年くらい前のことだったか、テレビで水素エネルギーの話をしていた。クリーンだし、なんと言っても水素を海水から作ることができる。日本は四方を海に囲まれているから、原料は無尽蔵。これで日本もエネルギー大国!って話だったのに、その後、一向に水素の話が出てこない。研究には莫大なお金がかかる。他方、石油やガスを安く調達することができるので、それでいいじゃん、ってことになったのか。まさに長期的展望を欠いた「易きに流れる」。で、今日のような有事の際に、あわてふためくのである。最近になって、ようやく水素自動車の話をぼちぼち聞くようになった。政治家の先生方には、国会でこういうことを議論してほしいものである。


小惑星(ジェラルディーナ)

2022-06-08 12:20:18 | 音楽

去年買い換えた譜面台は私にとっては高額商品だが、ヤマハの譜面台の中では最安の部類。それでも流石にヤマハ。それまでのものに比べると軽いしがたつかない。だが、パート譜が3枚に及ぶと乗り切らないし、骨組みだけだから譜面台に載せたままの楽譜に書き込みができない(下敷きがいる)。どうしよう。もうちっと奮発して台が面になってるやつを買おうか。いや待て。ウチには厚紙がある(仕事をしてたときの残り)。それを3枚貼り合わせて立派な下敷きになった。奮発しようと思っていた額だけ儲けた気分である(逸失利益の反対)。

続いて、ぐずぐずの朝ドラの件。おでんを食べたことのないイタリアンの料理人に普通のおでんを作れという方がどうかしている。暢子が言った「あたしがやる意味がない」は、珍しく正論である。俳優さんたちは気の毒。あんな台詞を言わされて、さぞやストレスがたまることだろう。どうやって発散するのだろう?友達に電話(メール、ラインetc)して不満をぶちまける?そういう友達を「友達」と言うのなら、私には友達はいない。

ということで本題である。ハヤブサ2号が持ち帰った小惑星の成分を調べたら、地球の生命の材料が含まれていたそうな。小惑星が地球に衝突してもたらしたらしい。これまで、小惑星と言ったら、地球に衝突して恐竜を絶滅させた犯人であり、今後、人類をも絶滅させかねない脅威とされていたが、そもそも地球に人類をもたらした「創造主」だったとなると、そのイメージはV字回復である。いや、創造主であるからこそ、われわれの生殺与奪の権を握っているということか。最近、アメリカは小惑星にミサイルを撃ち込んだ。将来、地球にぶつかりそうな小惑星が現れたとき、これを破壊する実験だそうだ。映画「メテオ」を地で行く話である。因みに、私が愛して止まないジェンティルドンナの子で、現在走っている唯一の馬(牝馬)の名前はジェラルディーナだが、これは小惑星の名前だそうだ。因みに、母ジェンティルドンナは、イタリア語で「貴婦人」。私がこの馬に注目したきっかけがこの馬名である。パドックで頭をぶるんぶるん振る様子はおよそ名前に似つかわしくなかった。娘のジェラルディーナも頭をぶるんぶるん振るところが母親ゆずりだが、まだ偉大な母の領域には到底届いていない。それでもこれからが期待される馬である。


家業

2022-06-07 09:27:04 | 音楽

昨日の「宿屋」の話で書き忘れたことがある。それに因んだ出題。シュッツとヴェルディの共通点は何でしょう?え?どっちも声楽曲がメイン?私の出題意図とは違うから、チコちゃんなら「ぼーっと生きてんじゃねーよ」と怒られるところだがこれも正解である。因みに、トゥーランドットが求婚者に出す問題は曖昧模糊としてるから答も複数ありうる。だから、どうしても求婚者を落第させたければ、求婚者が正解を言ったら急遽ほかの答を正解にするという手がある、不正だがトゥーランドットならしそう……と思ったことがあったが、正解は予め巻物に書いてあって、それと一致していたら合格なので不正はなされていない(このことはオペラの台本に書いてある。私は、当初、演出かと思った)。だから、求婚者は、出題者の意図や趣味を探ることが大事である(私がときどきやる曲当てクイズにも同じことが言える)。当初の出題に戻る。私が正解に予定していたのは、共に生家の家業が「宿屋」であることだ。家業と言えば、ハイドンの父親は大工さん。大工にもいろいろあるが(船大工、宮大工等々)、ハイドン父は車大工。馬車の車輪とかを作っていたのだろう。現代なら、板前と並んで「手に職」の代表例である。朝ドラで、大工修行が描かれたのは「天うらら」。ヒロインは「半分、青い」で健在ぶりを見せつけた須藤理彩。オープニング曲は、セルゲイ・ナカリャコフのトランペットだった。なお、江戸っ子は、「大工」を「でえく」と発音するからベートーヴェンの第九と混同することはない(?)。

ところで、シュッツの親は、子供に家業(旅館業)を継がせようとは思わず、そうかと言って音楽家にしようとも思わず、勉強させたかったのは法律であった(官吏にさせたかった)。だから、シュッツは、第1回のイタリア留学から帰った後、大学に戻って法律を勉強している。そんなに音楽が好きならイタリアに留学させてやるけど、戻ったらちゃんと法律を勉強するんだぞ、ということだったようだ。その後、絶たれたのは親の夢の方である。指揮者のカール・ベームは「ドクトル」(博士)と呼ばれているが、何の博士かと言えば「法学博士」。あと、指揮者のエーリヒ・クライバーが息子カルロスにならせたかったのはエンジニアであり、カルロス・クライバーが入学したのは工科大学である。だが、音楽への情熱を捨て切れず、歌劇場の無給のコレペティになり、ここでも親の夢が絶たれることになる(後に、音楽ファンが喜ぶことになる)。

カルロス・クライバーのように親と同じ道に行くことが多いのは、親から受け継ぐものがあるから。才能の遺伝のほか、農家だったら農地を受け継ぐし(農地の売買には当局の許可がいるから、そう簡単に買えるものではない)、政治家なら地盤や看板を受け継ぐ。漁師はどうなのだろう。漁船はそう長持ちするものではなくときどき新造船に乗り換えるらしいが、環境はモノを言うだろう。そのほか、遺伝がモノを言うと思われるのは競馬の騎手。並外れた運動神経と小柄な体格が同じ人間に求められる。二世、三世騎手が多いのも頷ける。同じレースに親子が出て勝負する様は今日ザラに見ることができる。


バター/宿屋/カラマーゾフの兄弟

2022-06-06 09:06:37 | 日記

記念撮影のとき、暢子が「チーズ」と言う代わりに「バター」と言ったからと言って(朝ドラ)、脚本を褒めてはいけない。あれは「男はつらいよ」の映画第1作のぱくりである。そのときの寅さん(渥美清)の言い方が絶妙で、キャストは分かっていても本番で笑いをこらえることができなかったという(その様子を本編で見ることができる)。朝ドラでもシェフ役の高嶋政伸が笑っていたが、あれは、「バター」と言ったあとの暢子の「あきさみよー」に対する反応だと私は踏んでいる。ぐずぐずの本作の中で、沖縄ネイティブの「あきさみよー」を聴くことだけが楽しみである。

話は変わる。私の誕生日はクリスマスと近いので、子供時代の誕生日とクリスマスのプレゼントは併せて一つ、それは子供向けの本。最初が「紅ハコベの冒険」、その後、「偉大なる王(ワン。虎の名前)」「宝島」と続いた。選んだのは母。なかなか渋い選択である。その母から「サンタクロースなんかいないんだからね。プレゼントを買うのは親なんだからね」と物心ついたときから教え込まれた。自身が浮世離れしてる分、逆に現実を強調したかったのだろうか。今回、ディズニー+で映画の「宝島」を視聴したのは、かつて読んだ本への追憶から。そうそう、物語は、港近くの宿屋に海賊が出入りするところから始まるんだった。当時、私は、この「宿屋」という言葉に妙にはまっていて、寝るときは、四畳半の畳を海に、布団を海に浮かぶ宿屋に見立て、「宿屋」でまどろう感じで布団にもぐっていた。大人になっても、しばらく頭まで布団にもぐっていたのはその名残だったか。合唱団の合宿で、頭まで布団にもぐる私を見て、ある先輩が「死体みたいだからやめろ」と強く言う。好きに寝させてくれればいいのに。優しい先輩だったがこの件については強硬だった。そのうち布団にもぐらなくなり、今では、私が布団の布団である。

本の話のついで。父は若い頃、文学青年を気取っていて、岩波文庫の本をたくさん持っていた。その中に「カラマーゾフの兄弟」が一冊だけあって、大学生の頃それを読んでみたら超面白い。父とは気が合わなかったが、へー、こんなのを読んでたんだ、合うところもあるんだなー。だが、読み終えても終わった感じがしない。本屋に行ったらそれは4巻あるなかの第1巻だったことが分かった。終わってないんだから終わった感じがしないのは当然である。父に聴いたら、「あー、あれは小難しくて面白くないから1巻で止めたんだ」という。やはり父は父であった。第2巻以降は自分で買って完読した。それでも、血は争えないと思うのは、競馬好きなところ。あと、かなり経って「コックになりたかった」と私がつぶやいたとき両親は顔を見合わせた。父の口癖だったらしい。


心理操作~二重唱~ごちそうさまでした

2022-06-05 09:37:57 | 音楽

西白井駅から白井方面には鉄道がまっすぐ延びていて、歩くと結構な距離のあるガスタンクもすぐそこにあるように見える。久々の白井。味噌煮込み合唱団の練習には随分足が遠のいていたが、Y先生の「汝、来るべし」(Du sollst kommen!)を受けて、気がついたら白井にいた。ジェダイの騎士は、相手にささやいてその心理を操作する。例えば、検問を行っている帝国軍兵士に「問題ない、通せ」とささやくと、兵士が同じことを言ってジェダイを通す。Y先生はジェダイであったか。練習後は踵を返して新宿方面に。U会の月例会である。そのソロ・コーナーで、Mさんとシューマンの二重唱を歌った。実は、そのテナー・パートを、よっぽど低い音は別だが、カウンターテナーで歌うつもりだった。ところが、いざ歌い出してみるとテナーで歌っている私。多分、Mさんの真摯な歌が作用し、私にこの曲を楽譜通りのフォームで歌わせたのだろう(これも心理操作?)。先日も、某所で、「いろいろやってるけど、今後一番注力するのはカウンターテナー」と宣言した私だが、その思いに変わりはないが、幸せな音楽体験ができるなら自ずと他パートも歌うということである。Mさんとの二重唱でテナーを歌うのもしかり、シュッツの会でバスを歌うのもしかりである。

会がはけた後のアフター会に参加したのは、ピアノの某子さん以外は男性4名でいずれも独身。寄ると孤独死の話題になる。だが、親元で同居だとか会社やマンションの管理組合とコンタクトをとってる等々で、完全に社会から隔絶しているのは私だけ。私の安否確認の方法はこのブログのみである。

そのお店だが(ハワイアン)、最初に頼んだワインのボトルがあっという間に空になったのでお替わりを頼むと品切れ。唯一残っているボトルを持ってきたがお高い(この近くの別の中華では、ワインのお替わりを頼んだのにしばらく来ないな思ったら、店員が近くのコンビニにワインを買いに行っていた。昨日の店はそういうことはしれくれなかった)。仕方なくグラスを頼んだら劣化している。果たしてお替わりをした場合、次はどうだろう?最初のが劣化したヤツの最後の一杯で、新しくボトルを開けるのなら逆転の可能性もある。その可能性にかけて注文。当たりだった。

会計は私が担当。5人で15,290円だから一人3000円。「イージマさんだけ290円多い。ごちそうさまです」「うんうん、苦しゅうない。290円くらいなんともないよ(実際、なんともない額)」と言う中、某氏が「あっ、イージマさんがお替わりを注文したグラスワイン代だ!」。よく気がつく御仁だ。そうすると290円では足りないことになる。一転、皆様、ごちそうさまでございました(ひれ伏している絵文字があるつもり)。

補足。ジェダイはささやきで心理操作をするが、声による心理操作は、「スターウォーズ」の前、「砂の惑星」が原点である。ベネ・ゲセリットと呼ばれる魔女たちは、「VOICE」と呼ばれる術で、相手を意のままにあやつる。


見なかったふり/カビ対策

2022-06-04 08:31:01 | 言葉

D社の新シリーズは、スターウォーズ(の乗り物)。初回は特別価格の990円でミレニアム・ファルコンが付いてくるので購入。次回以降は2990円。手が出ない。飾る場所もないからミレニアム・ファルコンだけでいい。同社の「日本の島」シリーズも、購入がだいぶ滞っている。遅れれば遅れるほどとりかえすため費用が嵩む。思案のしどころである。

スターウォーズと言えば、相変わらずそのシリーズをネット配信でドイツ語音声で聴いている。これはドイツ語のお勉強である。映画の視聴だって、立派な語学のお勉強……なのだが、そこに一抹の後ろめたさを感じるのは、「巨人の星」で培われた「修行は苦しいモノ」という前世紀的な考え方が昭和の人間(私)に染みついているからだろう(ブログをドイツ語で書くのも相当のお勉強である)。スターウォーズに限らず、「海底2万マイル」「地底探検」「宝島」と言ったディズニーの古典も視聴対象である。で、最近感じたこと。例えば登場人物が転んだりすると、日本なら「大丈夫?」と声をかけるところ、実際、日本語字幕では「大丈夫?」なのだが、ドイツ語音声では「Sind Sie verletzt?」(ケガした?)。なるほどねー。日本人は、何事もなかったものと思い込みたいのに対し(見なかったふり)、あちらでは有事が当然なわけだね。頼朝が義経の首の入った櫃を抱いて「くろ~、くろ~」と泣くのも、自分こそが弟殺しの犯人であることを忘れたい心理なのかもしれぬ。もう一つ、映画を見て気づいた言葉の話をすると、相手の行動を急いで止めようとするとき、「待った、待った、待った、待った」と「待った」をたくさん言いますよね。ドイツ語でも「Warte! Warte! Warte! Warte!」と「Warte!」をたくさん言うのです。だから、「Warte! Warte! Warte! Warte!」は、ごく自然に「待った、待った、待った、待った」に脳内で変換される。これが英語の「Wait!」だと、語尾が母音でないので、日本語ほどの親近感はない。

関係ない話で締める。テレビ通販で、塩素系ではないカビ取り剤を紹介していた。発酵乳酸が原料なので、マスクはいらないし、手についても大丈夫。おお!これなら猫のいる家でも安心して使える……って、これは大昔に購入している。このブログに書いたことがあるからこの13年の間のこと。検索したらちょうど10年前、2012年6月11日に書いていた。まだたくさん残ってる。使えるだろうか。ググると、「8年経過で変化は見られない」とある。じゃあ大丈夫だ。百均でスプレーを買ってきて、季節はずれの浴室大掃除。これも3人(ニャン)家族を維持するための立派な家事労働である。だが、こういうものがなくても、そもそもカビ退治はシャワーですることができる。50度以上の熱湯を数秒かけると死滅するそうだ。


肉球と爪

2022-06-03 10:10:12 | 

ケメ子ばかりじゃなんなのでワサビの肉球も。

肉球を触ると爪がばっと出てきて、軽く私の指を覆う。

この感じ、猫の爪がわずかに私の皮膚に食い込む感じが快感なのである。

因みに、ケメ子とワサビは、同時に生まれた姉妹だが仲が悪く、一定以上の距離を保ち、それ以上に近づかない。

それでも冬場になるとくっつくあたりはやはり血縁である。かように、わが家は三人(ニャン)家族。小さくとも一個の核家族であり、私にはこれを維持する責任がある。私の日々の家事は、この責任に基づくものであり、家事も立派な社会的貢献である(家事以外にしてるのは音楽とドイツ語だけだが、これらも巡り巡って社会に少なかれ少なかれ貢献しているものと信じる(credo!))。ところで、写真で見るように、うちの猫は私の脱ぎ捨てた服が大好き。必ず枕にする。


ギブ&テイク

2022-06-02 18:42:53 | 

 

朝方、「泣く」について書いた。その話の関連だが、チコちゃんだったかで聴いた話なのだが、ペットを触る→幸福ホルモンが出る→涙が出る、との方程式が成立するそうである。そうすると、私が朝ドラを見て泣くのは猫のせい、ということになる(猫を触って幸福ホルモンが出て、それで泣くという因果の流れ。だが、現行の朝ドラで泣いたことはない。逆にしょちゅう怒っている)。猫は猫で、なでられて嬉しいからギブ&テイクの関係が成り立っている。ただし、そこには若干の齟齬がある。猫は頭を撫でてほしいのだが、私は肉球に触れたい。だが「頭をなでろ、だが肉球は触らせない」ではギブ&テイクの関係が成り立たない。そこのところは、うちの猫たちにも理解してもらって、頭を撫でた後はしばらく肉球タイムにしてほしい。写真は、ケメ子が肉球に触れさせてくれてるとき撮ったものである。ベストは、右手で頭を撫でつつ左手で肉球に触れること。この手を使えば、頭を撫でてる間、ずっと肉球を楽しむことができる。