デブ夫婦のビバ!お気楽人生&ぐーたら生活

体重合計約150㌔のちょっぴりデブ夫婦です♪毎日ぐーたら暮らしているお気楽夫婦のゆる~い日常を綴っています。

弁当って大変なのかい?

2015-06-05 13:37:12 | 料理・食・おいしいもの
記録的に暑い日が多かった5月が終わり、6月となりました♪
5月は20℃を下回る日の方が少なかったため、
1号旦那もTシャツ短パン(注:1号の中では気温20℃を超えると半袖サイン)で
お出かけすることが多く、軽快な姿で外出できるってんでゴキゲンであった。

が、6月になった途端に、寝るときにパンツをはかないという暴挙に出ているのもまた、
我が家の1号旦那である・・・。
理由は『暑いし、なんかめんどくさくなっちゃった』

・・・・・・┐('д')┌ なんだそりゃ。
確かに5月の終わり頃から、風呂上がりにはステテコをはきベッドに行くのだが、
起きると下だけ脱いでるというパターンはあった。
が、それにしてもだよ。
どうせ脱いじゃうから穿かない、という単純明快な理由により、
寝る時はTシャツ1枚になってしまった・・・(ノ_-。)

さて、そんなこんなで6月。
6月ってのは『食育月間』で、また『牛乳月間』でもあるそうな。
食育+牛乳といえば、デブ夫婦世代にとっては『学校給食』であろう。
ワタシらの頃は、小学校の途中までは牛乳がまだ瓶牛乳だったもんで、
給食当番が教室まで運ぶのが大変だった。
まれに落として割っちゃったひにゃあ、その片付けと雑巾の始末が大変で・・・。
3年生くらいから牛乳はテトラパックに変わったような記憶がある。
そして、余った牛乳をじゃんけんで奪い合う男子。
お子ちゃまな男子は、必ず牛乳を飲んでいるやつを笑わせようとしていたもんだ。
しかし、最近では給食に牛乳はいらないという議論もあるとかないとか。
なんでも、ご飯給食が一般的になった今、ご飯に牛乳は合わないというのが理由らしい。
(´ρ`)ヘー
ご飯給食ですらなかった時代のワタシなんぞにしてみれば、理解できない話ではあるが・・・、
個人的には、ある一時期くらい『ご飯+牛乳』の不思議な組み合わせを体験してもいいのではなかろうか、などと思う。

給食といえば、ひと月ほど前にテレビで観たのだが、
横浜市では給食をめぐって街が二分されるような議論が起きているとかいないとか。
横浜市では、過去一度も公立中学校で給食を出したことがないのだそうだ。
デブ夫婦も公立中学校に通っていたため、当たり前のように中学になると弁当だったもんで、
何ら疑問を持たずに大人になったのだが、
他の市町村では中学でも給食が当たり前だったのか・・・と、この年齢になって驚いたりしている(。・m・)クスクス

番組では『給食反対派・賛成派』に分かれて議論していたが・・・、
双方とも何か言ってることが極端というか、違和感というか。
給食賛成派の意見は、

現代は共働きや介護など家庭環境が多様化している、だからすべての家庭でお弁当を作れるわけではない
せめて昼の食事くらいは誰かにまかせたい
社会は、女性はもっと外で働けと言っているのに、弁当は逆に家事の負担を重くしている
偏食をなおすためには給食が必要
などなど。

一方、給食反対派は、

愛情のこもった手作り弁当は、親子のコミュニケーション
アレルギーを持っている子どももいるので、給食での対応が難しい
単純に費用の問題

などなど。

どちらの理由もしっくりこないんだなー。

給食賛成派は、結局弁当作るのが面倒だから学校に押しつけたいだけに聞こえちゃうし、
給食反対派は、手作り弁当幻想のように聞こえちゃうし。
で、例のごとく『お弁当なら何でもいいって言って、コンビニ弁当を持たせる親もいる』などと
極論を振りかざすのよね~。

で、弁当作りってそんなに大変なんだろうか? と考えてみる。
まあ子どももおらず、毎日の弁当作りをしたこともないヤツが何言ってるんだ! と思う人もいるでしょうが・・・、
基本的に、夕飯ちゃんと食って、朝飯ちゃんと食えば、弁当ってそんなに大変じゃないような気がするんだよなあ。
ワタシらの頃の弁当のおかずって、基本的に前の晩の残りだったり、朝ご飯のおかずだったりしたもんで、
そんなに大したものは入っていなかったし、それでよかった。
前の日の夕飯がハンバーグだったとすれば、翌日の弁当には小さいサイズのハンバーグ、
朝ご飯に焼き鮭が出てくれば、弁当にも当然鮭が入ってると。それが当たり前だったような気がする。

前にも書いたが1号旦那は毎日玉子焼きと牛肉のしぐれ煮がおかずだったし、
2号嫁も玉子焼き以外はほとんど冷凍食品っていう日もあった。
1号母は当時身体が弱く、料理もできる日としたくない日があったようだし、
2号母は看護婦(当時)で三交代勤務をしていたので、今思えば弁当なんて面倒だったんだろうなあと。
というわけで、デブ夫婦が中学時代に食っていたお弁当は、
とても『愛情こもった手作り弁当』とは思えんシロモノだったが、それでも文句も言わずに食ってたもんだ。

みんな、弁当に対するハードルを高くしすぎちゃったんじゃないのかなあ。
2号嫁は、いわゆる『キャラ弁』ってのが個人的には好きではない。
いや、楽しく作れるお母さんは素直にすごいなあと思うんだが、
あれって、食べ物としてどうなんだ? と疑問に思うところもあって。
で、みんなが見事なキャラ弁を持ってくるようになると、
それと同じレベルのものを作らなきゃいけないと考えるマジメなお母さんは、さぞ大変だなと。
そりゃあ、弁当作るのイヤになるのも無理ないよな・・・とも思うわけだ。
決して先天性ぶきっちょ症候群の2号嫁が『自分にはあんな弁当絶対に作れないから』と
ヤキモチを焼いているわけではない(´m`)クスクス

なんかね、もっと気楽でいいんじゃないの? とも思うわけですよ。
そりゃあ今の時代、お母さんも働かないと学費が、とかローンが、とか、
旦那の給料だけじゃ、とか、親の介護が、とかいろいろあるとは思うけれど。
どこで楽をするかってのは人それぞれで、弁当作る分、掃除は手抜きとか、
洗濯は週2回でいいやとか、そんな程度じゃダメなんだろうか??
個人的には、ほかの家事は手ぇ抜いてもいいから、ゴハンだけはとりあえず作ってあげてほしいなあと思う。
いや、全部手作りでやれなんて思ってないですよ?
インスタントがあっても、買ってきたお惣菜でも時にはOK、全然OK!
でも、ご飯だけは炊くとか、お味噌汁だけは作るとか、一緒に食卓で食べるとか、
その程度でいいんだよね。
お弁当も同じで、何も立派な弁当じゃなくたって、
お母さんが作ってくれたという事実が大切なんじゃなかろうか。
それがたとえ鮭と昆布だけの弁当でも、忙しい毎日の中、お弁当を持たせてくれるという行為が、
それこそ『愛情』『責任』なんじゃないかと思うんだけど、それはもはや『昭和』の考え方なんだろうかね。

大人たちが給食賛成も反対も騒ぐのは勝手だけど、当の子どもたちはどう思ってるんだろう??

給食にしても弁当にしても、食ってきたものってのはダイレクトに想い出になる。
デブ夫婦世代の給食だったら、揚げパン、ソフト麺(謎の麺だよな)、鯨の竜田揚げ、
五目豆(これをパンに合わせていた強引さ)、カレーシチュー、
それらを先割れスプーンで食べる。
お弁当は、玉子焼き、牛肉しぐれ煮、なぜか揚げ茄子(だいたい玉子焼きの隣に入れるもんだから玉子焼きが紫色に染まってしまう)、
冷凍食品のコロッケ、ハンバーグ、ミックスベジタブル、色どりのつもりのプチトマト(当時から八百屋に並び始めた)。

そんな想い出ですよ・・・。

どれも、とびきりうまかったなあ! というものではないが、確実に記憶に残っている食べ物の数々。
給食も弁当も、ある一時期にガマンして(でもないか)食べるものだからこそ、
大人になってから『あれマズかったよなあ!』『なんであんなもん小学生に食わせてたのかなあ?』
『あれに牛乳って組み合わせはないよなあ!』などと想い出話に花が咲き、それが楽しかったりする。

ま、給食だって小学校6年間、食べてはきたが旨かった想い出は多分無い。でも人生のうちの数年間、
好きだろうがキライだろうが組み合わせが多少おかしかろうが、食べさせられてきた記憶は、のちに楽しい想い出話になったりする。

どうせ高校生や大学生になれば、お母さんの飯より彼氏彼女や友達と食べに行く方が楽しくなっちゃって、
『今日夕飯いらないよー』とか『お昼は学食で食べるからいらない~』とか、
せっかく作ってたのに『友達と食べてきちゃったよーん』ってなるんだから、
弁当作りだって長い人生の中の数年と思えば・・・そのうち親子両方の楽しい想い出になるはず・・・じゃダメなのかなあ??

過去の弁当や給食をネタに盛り上がっているデブ夫婦、それはそれで楽しいのだが、それはお気楽すぎるってことか・・・。
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2 コメント

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脱脂粉乳世代 (ユミ)
2015-06-06 12:13:27
私は小学校の6年間、ずっと脱脂粉乳(スキムミルク)でした。

2歳年下の弟は途中から牛乳になったと言っているので、境目だったのかも?

中学から私立だったのでお弁当でした。

中身は…見事なまでの「これって昨日の夕飯を卵とじにしたんだよね…」だったような…笑

彩りとか、親もだけど子供も全く意識した事が無かったなあ。

好き嫌いも何も、とにかく入っていたのを食べるしか選択肢が無いし、親も子供の好き嫌いに合わせて献立を考える余裕も無かった時代です。

ちなみに…まだ冷凍食品とかもあまり出回って無かったかも?

給食の是非は、どちらの意見にも一理あってわかりませんが、大人になってから「毎日お弁当を作って貰うってありがたい事だったんだなあ」と思いました。

うちも子供が居ないし、家での仕事なのでお弁当なる物を作った経験はほとんど無い…

それでも行楽とかで何度か作った事はあるんだけど…やれ衛生面から考えると作り置きはどうたらこうたら、やれ朝早起きして冷まして詰めないと、やれ汁が出ないように…あ~面倒臭い!~笑

どんなに手抜きだったとしても、毎日文句も言わずに作って頂いた事には本当に頭が下がるし、感謝してます。

生意気盛りにはわからない事が、その年齢になるとわかるって良くあるよね。

その頃には…中には感謝したい相手がすでに居なかったりする事もあって…

そう言う経験を積む事で、多少なりとも人は成長するのかも…

おかずは大した事が無かったけど、お弁当箱を開けた時に2段になって敷いてある海苔の香りがぷ~んとした、あれは今でも覚えています。

それだけで充分だった…
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ユミ様♪ (デブ2号嫁)
2015-06-09 16:35:55
デブ夫婦はともに横浜市立の小学校でしたが、
1号旦那は途中から『米飯給食』が始まり、
2号嫁は6年間『パン給食』で終わりました・・・。
これもまた、境目・・・。

そうそう、あの頃のお弁当は、たとえ開けてガッカリでも
もはや食べるしか選択肢がなく、
弁当も夕飯も『文句があるなら食うな!』と怒られた時代でありました。
残り物、冷蔵庫にあるものを詰めて、はいお弁当♪で充分だったんだよね・・・。
それが今や『お弁当が貧相だといじめの原因になるから、みんな同じ給食のほうがいいんだ』
などと言い出す人もいて、
なんだかなあと思ってしまいます。
今のお母さんたちって面倒なことで大変そう。

ワタシの母は、夜勤の時は必ず夕飯のおかずを作って出かけ、
ノートに『鍋に煮魚、冷蔵庫に冷奴と佃煮、味噌汁は・・・』と書きおきしてました。
この年齢になってようやく、よくやってたよなあと感心するし、
一応感謝もしてみるようになるわけで。
それが長い目で見た『食育』なのかもしれないですね。

それよりも、ユミさんの
『二段になった海苔』に、ななななんて贅沢な! と驚いているデブ夫婦(*´艸`)クスッ
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