デブ夫婦のビバ!お気楽人生&ぐーたら生活

体重合計約150㌔のちょっぴりデブ夫婦です♪毎日ぐーたら暮らしているお気楽夫婦のゆる~い日常を綴っています。

思い出す日。

2021-05-17 20:54:22 | つれづれ日記
5月も中旬、今週はヨコハマでも走り梅雨のような天気が続くらしい。
何があっても季節は流れているのだなあ。

さて今日は、2号嫁母の命日であった。早いものでもう23年が経つ。
当時30歳だった2号嫁は、まだ独りもんで、
創刊したばかりのヨコハマの情報誌の仕事で飛び回っていた頃だった。

父親がまったく頼りにならない人だったので、葬儀の手配や親戚への連絡などは実家の近所に住んでいたオバサンに助けられながら、すべてワタシと妹で行った。
菩提寺は無いしお付き合いのあるお寺もなかったので、
たまたま母が生前に加入していた互助会の葬儀社にお寺を紹介してもらった。
葬儀の後、土地勘なぞほとんどない街にあった火葬場に行き、
火葬を待っている間の精進落としの時に、お坊さんにこんなことを聞いてみた。

『ウチは女2人で独身だし、
お墓を作っても、もし2人とも結婚しちゃえば守る人が居ないのだけれど、どうしたらいいんですかねえ』
この時にお坊さんが話してくれた言葉が今でも心の中に残っている。
『供養というのは、思い出してあげることなんですよ』

いわく、
 お墓を作ることは必須ではなくお墓を作ることが供養でもない。
 あなたはまだ若いから無理にお墓を買う必要はない。
 いつかあなたがいい場所を見つけて・・・まあウチでもいいんだけど・・・、そこに埋葬したいと思えばそうすればいいし、
 それまではお骨を家に置いていても構わない。
 お墓を作って放っておくよりも、お母さんを何かの時に思い出すことが一番の供養なのだ。

そんなことを話してくれた。
30歳の私は、それでとても気持ちが楽になったのを覚えている。
結局、母親のお骨はそれから5年ほど家にあり、
その後、母親の出身である岩手県で『樹木葬』を行っているお寺がテレビで紹介されているのをたまたま見て、
そこに埋葬してもらうことを決めた。


ずいぶん前の写真だが、実際はこんな感じの『お墓』である。

今思うと実に商売っ気のないお寺さんだったなあと思うのだが、
縁もゆかりもないコムスメにそんな話をしてくれたのは、今でもありがたかったなあと思っている。

母親が亡くなってから23年、良くも悪くも年に数回くらいは何らかの形で思い出す。
私は両親に対して『親』という役割を困らない程度にしてくれたことには感謝しているが、
個人としては両親とも好きではなかった。困らされたことも実に多かった。
が、ワタシという人間が在るのは、嫌いだろうが何だろうがあの両親が居たからなので、そこには一応感謝は、する。

50年以上生きてきても、まだまだ練れておらず精進が必要な子どもオバサンの2号嫁。
それでも・・・、生きている間はいろいろあったけれど仏になったのだから見守ってくれるだろうと勝手に思い、
命日くらいは思い出して、少しは感謝しようと思う。

思い出すことが供養になる、というコトバを信じて。
コメント (2)
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