先週はまだ三が日で、一応はお正月気分だったニッポンだが、
やはり慌ただしさとか『ハレ』の日感の無さというのは、年々強くなっていく気がする。
毎年、正月も3日になるとやることもなくなり、おせちにも飽きるようになり、
試しに街に出てみたりしても、正月らしさってほとんど無くてあまりにも『フツー』。
便利になっていい世の中なんだろうけれど、昭和生まれ・旧世代に属するデブ夫婦は、
何をするにも『気分』が大切だったりするので、どうしても違和感というか淋しさを感じてしまったりもするのである。
で、気分が大切なデブ夫婦は正月明けの7日には七草粥を食した♪
とはいっても、レトルトのお粥を買っておき、前日の夜にスーパーで買った七草セットに入った七草をゆでて刻んでおき、
翌7日の朝にレトルト粥をあたためて七草を入れるだけ・・・という、
おなじみスーパー手抜きな七草粥でありますが 。(*^▽^*)ゞ
しかも去年までは『七草粥は1月7日の朝に食う』ということを知らずに、7日の夜に鍋シメの雑炊として食ったりしてたのだ。
中途半端な知識で、気分だけで何でもやろうとすると・・・こういうことになるんだわな( ´ー`)フッ
というわけで、今年はちゃんと7日の朝食を七草粥にした。
が、朝に粥だと昼になる前にお腹が空く・・・ということにも気がついた2016年である。
そんなわけで、おせちも食い、七草粥も食い、
明日の鏡開きにはお汁粉か何かを食うデブ夫婦である。
一応、面倒だな~と思いつつも『気分』や『らしさ』はなんとなーくまだ大切に思いたい世代なのかもしれない。
デブ夫婦が子どもの頃・・・今から40年ほど前のお正月ってのは、
さまざまな固定イメージが浮かびやすかった時代だったのだとは思う。
おせち料理、お餅、初詣、お年玉、門松、凧揚げ、羽根つき、双六などなど・・・。
こういったものがあることで、雰囲気も人の気持ちも『お正月モード』に自然となっていったものである。
思えばそういった『正月らしさ』ってのが無くなったのはいつ頃からなんだろうか。
・・・と考えると、そこはやはり『便利さ』と引き換えに正月らしさが無くなった、というところなんじゃなかろうか。
コンビニ登場以前は、商店街は大みそかから5日くらいまで店という店がガッツリお休みだったため、
年明けはまず食うモノが無い(ノ∀≦*)ノぷ~ッ
仕方がないから、好きでもないおせち料理を食べたり、正月にしか買わないハムを食べたり、
普段は買うことのない一斤の食パンを切って食ったりして家に居たもんだ。
お餅だってそんなに好きじゃないけれど、お正月しか食べられないもののひとつではあった。
パック入り切り餅が登場してからは一年中いつでも餅がスーパーに並ぶようになったが、
それ以前は近所の米屋さんにのし餅を注文して、自分たちで切り分けて食べるのが餅だったんだよなー。
だから、お正月=餅 で、それはそれでひとつの『お正月限定』としてありがたく食べていたわけだ。
そして正月で家に居るのが退屈だからって、当時は行く場所すらそんなに無かった。
高校生くらいになると友達と初売りや初詣に行ったりはしたが、それでも3日過ぎてからじゃないとデパートも開いてなかったわけで。というわけで、昭和50年代の正月の街というのはひっそりと静まり返り、広場では凧揚げをする男の子、道では羽根つきをする女の子がいて、
そんな風景が『お正月らしさ』でもあったわけだ。
ほんの30年くらい前まではそんな感じだったはずなんだけどね・・・。
しかし、コンビニやファミレスの登場によって、お店は休むことを許されなくなった。
さらに不景気のせいかスーパーが元日営業を始めるようになった。
つまりは、そこで働く人たちにとっては『正月らしさ』なんざまったく無いということだ。
そう思うと日本全国でどれだけの人が正月らしさを感じずに一年を過ごしているのか・・・ちょっと怖ろしい感じもするよなあ。
凧揚げだって、道路で揚げるのは危ないだのマナー違反だのという時代になった。
そして、凧揚げや羽根つきや双六なんてやらなくても、元日から開いていて、遊べる場所はいくらだってある平成の世の中。
デブ夫婦が子どもだった頃は『正月』ってのはどんな家庭にとっても多少は特別な期間だったのだと思う。
正月だけじゃなくて『普段の日』と『ハレの日』の差がちゃんとあったというか。
普通の家庭はまだまだ貧しかった時代、普通の日にはそんなに楽しみが無かったからこそ、ハレの日の正月は特別だったのかもしれない。
今は、正月だからといっても、人それぞれにさまざまな楽しみを味わえる。
デブ夫婦の子どもの頃のように、正月しか見られない、食えない、遊べない、そんな特別なモノなぞ無く、
正月三が日独特の静かな街も無い。
けれど、正月だろうと欲しいものはすぐ手に入る。
食べたいものだって、年末に用意しなくたってどこでも食べられる。
家に居るのが退屈でも、ネットもゲームもケーブルテレビもある。
それは多分、デブ夫婦世代であれば誰もが望んだことなんだろうとも思う。
正月も開いてる店があるといいなあ。
正月でもあったかいものを食べられる店があるといいなあ。
正月でも遊べるところがあるといいなあ。
そう、モノも無く情報も少なかった時代の若者たちは、みーんなこう思ってたはずなんだ。しかも切実に(笑)。
この便利さを今になって手放すことは、もはや不可能なんだよね。
でも、今の世の中のようにホントに簡単に楽しみを手に入れることができるようになり、
その代わりに日本人は『お正月らしさ』『お正月の楽しみ』を手放したのかもしれない。
お正月に街に出ても、人の装いもクルマの流れも店の様子もすべてが『フツー』。
季節は金太郎アメみたいに『いつ、どこを切っても同じ』になっている。
仕方がないんだよな、きっと。望んだことなんだからさ。
もはや『もういくつ寝るとお正月~♪』という思いで、正月が来るのを指折り数えて待つ、なんて子どもは居ないのだろう・・・。
というわけで、デブ夫婦の間だけでも『気分』が続けられるうちは大切にしていこうかなと思うわけであります。
昨日は、ハハが地域の餅つきに行ってもらってきた餅を使って『もちピザ』を作ったよ♪
ま、気分が大切! などともっともらしいことを言ってはいてもだ。
デブ夫婦の場合、所詮は季節を感じる気分モノも『食い物』が圧倒的に多いわけです・・・ 。(*^▽^*)ゞ
やはり慌ただしさとか『ハレ』の日感の無さというのは、年々強くなっていく気がする。
毎年、正月も3日になるとやることもなくなり、おせちにも飽きるようになり、
試しに街に出てみたりしても、正月らしさってほとんど無くてあまりにも『フツー』。
便利になっていい世の中なんだろうけれど、昭和生まれ・旧世代に属するデブ夫婦は、
何をするにも『気分』が大切だったりするので、どうしても違和感というか淋しさを感じてしまったりもするのである。
で、気分が大切なデブ夫婦は正月明けの7日には七草粥を食した♪
とはいっても、レトルトのお粥を買っておき、前日の夜にスーパーで買った七草セットに入った七草をゆでて刻んでおき、
翌7日の朝にレトルト粥をあたためて七草を入れるだけ・・・という、
おなじみスーパー手抜きな七草粥でありますが 。(*^▽^*)ゞ
しかも去年までは『七草粥は1月7日の朝に食う』ということを知らずに、7日の夜に鍋シメの雑炊として食ったりしてたのだ。
中途半端な知識で、気分だけで何でもやろうとすると・・・こういうことになるんだわな( ´ー`)フッ
というわけで、今年はちゃんと7日の朝食を七草粥にした。
が、朝に粥だと昼になる前にお腹が空く・・・ということにも気がついた2016年である。
そんなわけで、おせちも食い、七草粥も食い、
明日の鏡開きにはお汁粉か何かを食うデブ夫婦である。
一応、面倒だな~と思いつつも『気分』や『らしさ』はなんとなーくまだ大切に思いたい世代なのかもしれない。
デブ夫婦が子どもの頃・・・今から40年ほど前のお正月ってのは、
さまざまな固定イメージが浮かびやすかった時代だったのだとは思う。
おせち料理、お餅、初詣、お年玉、門松、凧揚げ、羽根つき、双六などなど・・・。
こういったものがあることで、雰囲気も人の気持ちも『お正月モード』に自然となっていったものである。
思えばそういった『正月らしさ』ってのが無くなったのはいつ頃からなんだろうか。
・・・と考えると、そこはやはり『便利さ』と引き換えに正月らしさが無くなった、というところなんじゃなかろうか。
コンビニ登場以前は、商店街は大みそかから5日くらいまで店という店がガッツリお休みだったため、
年明けはまず食うモノが無い(ノ∀≦*)ノぷ~ッ
仕方がないから、好きでもないおせち料理を食べたり、正月にしか買わないハムを食べたり、
普段は買うことのない一斤の食パンを切って食ったりして家に居たもんだ。
お餅だってそんなに好きじゃないけれど、お正月しか食べられないもののひとつではあった。
パック入り切り餅が登場してからは一年中いつでも餅がスーパーに並ぶようになったが、
それ以前は近所の米屋さんにのし餅を注文して、自分たちで切り分けて食べるのが餅だったんだよなー。
だから、お正月=餅 で、それはそれでひとつの『お正月限定』としてありがたく食べていたわけだ。
そして正月で家に居るのが退屈だからって、当時は行く場所すらそんなに無かった。
高校生くらいになると友達と初売りや初詣に行ったりはしたが、それでも3日過ぎてからじゃないとデパートも開いてなかったわけで。というわけで、昭和50年代の正月の街というのはひっそりと静まり返り、広場では凧揚げをする男の子、道では羽根つきをする女の子がいて、
そんな風景が『お正月らしさ』でもあったわけだ。
ほんの30年くらい前まではそんな感じだったはずなんだけどね・・・。
しかし、コンビニやファミレスの登場によって、お店は休むことを許されなくなった。
さらに不景気のせいかスーパーが元日営業を始めるようになった。
つまりは、そこで働く人たちにとっては『正月らしさ』なんざまったく無いということだ。
そう思うと日本全国でどれだけの人が正月らしさを感じずに一年を過ごしているのか・・・ちょっと怖ろしい感じもするよなあ。
凧揚げだって、道路で揚げるのは危ないだのマナー違反だのという時代になった。
そして、凧揚げや羽根つきや双六なんてやらなくても、元日から開いていて、遊べる場所はいくらだってある平成の世の中。
デブ夫婦が子どもだった頃は『正月』ってのはどんな家庭にとっても多少は特別な期間だったのだと思う。
正月だけじゃなくて『普段の日』と『ハレの日』の差がちゃんとあったというか。
普通の家庭はまだまだ貧しかった時代、普通の日にはそんなに楽しみが無かったからこそ、ハレの日の正月は特別だったのかもしれない。
今は、正月だからといっても、人それぞれにさまざまな楽しみを味わえる。
デブ夫婦の子どもの頃のように、正月しか見られない、食えない、遊べない、そんな特別なモノなぞ無く、
正月三が日独特の静かな街も無い。
けれど、正月だろうと欲しいものはすぐ手に入る。
食べたいものだって、年末に用意しなくたってどこでも食べられる。
家に居るのが退屈でも、ネットもゲームもケーブルテレビもある。
それは多分、デブ夫婦世代であれば誰もが望んだことなんだろうとも思う。
正月も開いてる店があるといいなあ。
正月でもあったかいものを食べられる店があるといいなあ。
正月でも遊べるところがあるといいなあ。
そう、モノも無く情報も少なかった時代の若者たちは、みーんなこう思ってたはずなんだ。しかも切実に(笑)。
この便利さを今になって手放すことは、もはや不可能なんだよね。
でも、今の世の中のようにホントに簡単に楽しみを手に入れることができるようになり、
その代わりに日本人は『お正月らしさ』『お正月の楽しみ』を手放したのかもしれない。
お正月に街に出ても、人の装いもクルマの流れも店の様子もすべてが『フツー』。
季節は金太郎アメみたいに『いつ、どこを切っても同じ』になっている。
仕方がないんだよな、きっと。望んだことなんだからさ。
もはや『もういくつ寝るとお正月~♪』という思いで、正月が来るのを指折り数えて待つ、なんて子どもは居ないのだろう・・・。
というわけで、デブ夫婦の間だけでも『気分』が続けられるうちは大切にしていこうかなと思うわけであります。
昨日は、ハハが地域の餅つきに行ってもらってきた餅を使って『もちピザ』を作ったよ♪
ま、気分が大切! などともっともらしいことを言ってはいてもだ。
デブ夫婦の場合、所詮は季節を感じる気分モノも『食い物』が圧倒的に多いわけです・・・ 。(*^▽^*)ゞ