雲南、見たり聞いたり感じたり

雲南が中心だった記事から、世界放浪へと拡大中

マッサージ店、花盛り(2)

2006-04-26 23:37:06 | Weblog
昆明に多様に展開する体験 マッサージ店の続きです。
【サウナはお金持ちのリラックスゾーン】
 「桑拿」と書いて、中国語で「サンナ」と発音する。サウナの当て字である。このように書かれたサウナ&マッサージ店は大型施設で、レストランやスポーツジムが併設されていることが多い。市郊外の4車線道路の脇に大型駐車場つきでドーンと建っていて、団体の観光客が大型バスで乗り付ける姿もよく見られた。中国のツアーガイドに連れられた日本人観光客の団体も、よく立ち寄ると店の人から聞いたこともある。
私が住んでいた昆明市西側の環城西路から西側の環城南路沿いにも、そういう店がたくさんあった。
【アポロサウナへ】
その一つ「アポロサウナ」に入る。まず市営プールの着替え室のようなところに通される。そこですべて脱いで、荷物をロッカーに預け、サウナ場へ。渡されたタオルを使って温水シャワーで体を洗い、サウナ室へ。そこで気のすむまで、ポタリポタリと汗を流す。居合わせた女性たちも苦行のようにジーッと汗を流しつづけている。彼女たちは見たところ、ちょっと太めの裕福なマダム層のようだ。サウナ室を出たところで冷たいおしぼりをもらい、冷水のプールを好みで浴びる。これは日本でもよく見られるごく普通のサウナと同じである。
ただ15年前、上海の安ホテルで共同シャワーを浴びたときは、違っていた。私が一人、当たり前のようにすっぽんぽんでシャワーを浴びていると、後からきた中国の女性たちが下着を着たままシャワーを浴び、洗濯まで始めた。そしてお互いに慌てふためいた。
中国が変わったのか、雲南という土地柄なのか、お金持ちという階級の違いなのか、ともかくお客たちの見事なぬぎっぷりに圧倒された。
【楊貴妃も大満足? のマッサージ】
次に案内されるままにサウナ場内にある施術台で、力自慢のおばちゃんにたっぷりの専用オイルまたは塩で揉みしだかれる。施術台は隅にあるとはいえ、カーテンすらないのに、身にタオル一枚かけることも許されない。ふと横を見ると、壁には薄衣をまとった楊貴妃のカラーの水墨画が掛けてある。そういえば白楽天の唐詩に妖艶な楊貴妃の湯浴みを詠ったものがあったような。中国人はいまなお究極の美に楊貴妃を思い描いているのだろうか。だが、そのときはそんなことを考える余裕はなく、生きた心地がしなかった。
【食べ放題、飲み放題】
その後、指定の服(ポリエステル製の半袖、半ズボン)に着替え、40畳ほどの大宴会場風大部屋へと案内された。数台の大型テレビと20台以上の足もみマッサージ用のソファが、ゆったりと配置されている。男女混合だった。そこで好みの飲み物とお菓子やフルーツをいただき(食べ放題)、促されるままにオプションで足もみマッサージもしてもらう。これで足もみ代も含めて、しめて68元だった。
希望すれば個室もあるらしい。
 ちなみに足もみを頼むと、ミニスカートに胸の空き気味のTシャツをきた若い女性がやってきた。高校生ぐらいの年齢のようだ。彼女は「あら、こんな若い女性を揉むの?」といった意外そうな風情で、時折、謎の微笑を浮かべながら、じつに機械的に足を揉んでくれた。気づくとその部屋の客には女性の姿は見あたらない。さしずめ雰囲気は金持ちオジサマ方の社交場、といったところだった。
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昆明で知った「のんびり」の秘訣

2006-04-20 12:40:07 | Weblog
【「譲り合い」のマナー】
経済発展の著しい北京や上海、中国沿海地域に行くと、人口密度が高く、エネルギッシュで一瞬でも気を抜けないような雰囲気だが、昆明は日本と同じぐらいの面積を持つ雲南省の省都とはいえ、どこかのんびりとしている。
たとえば子供連れで公共バスに乗っていると、たいてい座席を譲られる。もしくは座っている人が、膝の上に子供を座らせてくれる。また混雑時でも、バス内はせいぜい持ち物が触れ合う程度。外にまだ乗りたい人がいても、自主的に詰めることはしない。これが限界と信じているようだ。昆明の人が、満員電車にさらに人を押し込んで都心に向かう日本のラッシュを見たら、腰を抜かすことだろう。
バスの乗り心地はお世辞にもいいとはいえないが、体調が悪いときなどは高齢者に席を譲られることも珍しくない。譲り合いのマナーの自然さが心地よい。
【煙が出ても、あわてず騒がず】
エンジンから煙が出て故障してしまったり、タクシーが突っ込んできたりとトラブルは絶えないが、そんなときも、あせって汗が吹き出ている運転手を尻目に、同じ路線のバスを待って静かに乗り換えていく。車ものんびりしているためか、不思議と大惨事にはならなかった。
【膨らむ都市の功罪】
昆明はいまのところ首都機能を持つ空間がほぼ半径10キロ圏内に収まっている。職住接近が当たり前なことも昆明の人々にゆとりをもたらしているようだ。
「いまのところ」と書いたのは、ここ数年、都市化のスピードが早く、富と利便性を求めた人々の流入も増えて、「昆明市」は膨張傾向にあるためだ。なにより不動産業者が庭園付きの豪華マンションを、より郊外へ郊外へと建てていくので「昆明市」の行政区分も昨年初頭に大きく広げられた。それにともなってバス路線も延伸された。
こうして乗車時間が増えたせいか、譲り合いの場面にお目にかかることは一年の間にだいぶ減ってしまったようにも思える。それでも昆明滞在の最後に訪れた65歳の父は何度も「日本では譲られたことがないのに、譲られちゃったよ」と目を丸くしていた。
今後の変化は分からないが、何事にも「寛容」で「過度の干渉はせず」、「譲れるものは譲り合う」。これが、私が昆明で得た「のんびり」の秘訣である。
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春城の寒い冬

2006-04-12 21:57:21 | Weblog
【風邪のリレー】
「春城」との異名を持つ昆明は雪が積もるほどには寒くなく、太陽の熱にうだりきるほどには暑くない。なにより住んでいる人が一年中、春のような陽気だと信じているのだから、まずはおだやかな気候なのだろう。だが、私の住んでいた2004年12月24日の室内温度は13度、夜間の外は2度だった。寒い。標高1890メートルの高原だと頭では分かっていても、沖縄の西表島と同程度の緯度なのにと、いささかショックだった。暖房設備もほとんどない。家族で風邪のリレーを繰り返すという厳しい冬。春の城は、錯覚だった。
【かかせない「保暖内衣」】
天気のよい日は小春日和の温かさ。多くの人は日差しを求めて戸外に出る。曇りの日は底冷え。下着を着込みシャツ、セーターの上に外套を羽織って過ごす。女性なら襟首のスカーフもかかせない。下着はいわゆるばばシャツ・すててこスタイルで「保暖内衣」と呼ばれるもの。底冷えのひどい昆明では爆発的な売れ行きで、老いも若きも身に着けているようだ。困ったことに、日本に帰ってからも綿100%で軽くて暖かいと、家族全員が手放せなくなってしまった。
この優れものの「保暖内衣」、中国では1997年に少数の企業が売り始め、現在、300企業以上がしのぎを削っているとか。品質のばらつきが激しいため、2004年11月1日付けで国から内衣の保暖率や質量の表示などを義務付けることも通達された。
【乾期に訪れる停電】
 11月ごろから雨季から乾季に移るため、水力発電を主力に据えた昆明の電力事情も悪化した。なんと欠電局なる役所が存在し、計画的に地区ごとに停電させていくのだ。近年までは局員が電線を鋏で切って停電させ、またつないで復旧させていたと知人に聞いた。
【「水力発電」で外貨獲得】
 雲南省の水力発電量は、年約4500億キロワット時で全国2位(2004年末。ただし2006年4月現在、日照りのため、発電量はゼロに近く、昆明などの火力発電と貴州省から送電してもらうなど対策に大わらわである)。火力発電もあわせると本来なら省内は十分足りるのだが、年約70億キロワット時を広東省に送電し、さらに2004年10月からベトナムにも送電を始めた。この送電は大事な外貨を獲得するためにも、多少、送電量を減らしたとしてもかかせないらしい。さらに2004年12月1日には100名以上の学者を昆明に集め、「水エネルギー資源と生態保護問題」に関する「献策」の場を設けた。その上で雲南省、四川省、青海省を跨ぐ金沙江(長江の上流域)、瀾滄江(メコン川上流域)、怒(ヌー)江及び周辺の河川に大型水力発電所を2020年までに建設し、国内沿海地域及びタイ、ベトナム、ラオス、ミャンマーに送電する計画を発表した。そして今春、雲南省南部の瀾滄江沿いの景洪で水力発電所の建設が着工する。
雲南省は、太陽熱温水器など電気に頼りきらない設備も予想以上に普及している。現在、環境に優しい冬の過ごし方をしている人々が、沿海地域の経済発展の犠牲にならないように願う。
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マッサージ店、花盛り

2006-04-04 13:35:03 | Weblog
昆明に住んで、まず驚いたのがマッサージ店の数と多様さである。高級ホテルにマッサージ店があるのは当たり前。金持ちが通うスポーツジムにもマッサージ&スパは併設されている。街には按摩店や足ツボマッサージがそれこそ星の数ほど溢れている。
 昆明でのマッサージ&サウナの歴史は、それほど長くはない。2004年8/17付けの地元紙「雲南信息報」によると、始まりは90年代初期。ホテルに併設されている高級感あるものと、大衆向けの2種類があり、サービスも最高で、知名度がずば抜けて高い店がないのが、昆明の特徴だと記者は分析していた。当然、開業するとまもなく、値下げ競争の渦に巻き込まれ、期待するほど儲けは出ていないということだった。
【翠湖周辺の「盲人按摩」店】
 昆明中心部にある風光明媚な観光スポット、翠湖。日本の江戸時代ごろの清の時代より行政の中心地として栄え、また湖に浮かぶ小島ではしばしば文人墨客による名月の宴などが催されていた昆明の一等地である。現在では一流ホテルや高級マンションが建ち並び、高級感あふれる場所となっている。ここで目につくのが「盲人按摩」の看板だ。店は一間ほどの広さでガラス張りの入り口からは中が丸見えになっている。ガラスの扉にはたくさんの効能を連ねた字が貼られていた。私の感覚では「高級」という雰囲気からはほど遠い世界のように思われた。チラリとのぞくと、洗いこまれた白いシーツと枕が置かれた施術台が3台ほど並んでいて清潔な雰囲気が漂う。そこでご老人が気持ちよさそうに揉まれていた。
【「盲人按摩」を体験】
 翠湖周辺の「盲人按摩」の店はあまりにも外から見えすぎるので、行かなかったか、昆明市西方にある白馬地区でこの看板を掲げた店に入ったことがある。施術は店の奥でしてくれるようなので通行人に見られることはなさそうだからだ。
ちょうど店員同士で熱心に按摩の練習をしていた。昆明では按摩にせよ、接客にせよ、バイオリンにせよ、ギターにせよ、よく練習する姿を見かける。効率的な練習法かどうかはともかく、熱心さは敬服に値する。でも時折、「うー」などのうめき声が聞こえ、結構、怖い。本当の「盲人」は一人で、他3人は健常者のようだ。彼らは客待ちのソファで茶を飲みながら連続時代劇(カンフーしたり剣術したりして悪人をやっつける)に見入っていた。
60分、20元(約300円)の按摩をお願いすると、凝っている場所を聞かれたあと、細長いベッドに横にされ、ぐっぐっともまれて、結構、つらかった。数時間後に訪れるであろう、もみ返しにおびえたが、それはなかった。それほど効かなかったのかもしれない。
【青空マッサージ】
 人通りの多い路上でよく見られるのが、白衣をまとった目の不自由な人々による「青空マッサージ」だ。客のための椅子を並べ、肩もみの商売をする様子は翠湖や百貨店の集まる繁華街での風物詩となっている。ここは、いつでも買い物疲れをほぐそうとするお婆さんたちで、大賑わいだった。(この章、つづく)

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