雲南、見たり聞いたり感じたり

雲南が中心だった記事から、世界放浪へと拡大中

かぼちゃの花炒め⑥ 飲食須知 の伝来過程も・・

2015-09-27 11:09:39 | Weblog
写真は雲南中部の町・個旧の人のいない豪華ホテルの食堂で食べたかぼちゃの煮物。昆明以南の雲南の宴席料理の定番で、かぼちゃをドーム状のまま、クコの実やナツメ、百合根などとともにやや甘めに風味よく仕上げる。栗かぼちゃ系統とは正反対の水気の多い、甘みが押さえられた瓜、っぽい味がした。
 雲南の昔ながらの料理では、かぼちゃのない宴席料理は存在しないといっても過言ではないほど重要な食物なのだ。

【本草綱目が先か、飲食須知が先か】
 元の時代に書かれた『飲食須知』はかぼちゃに関する初出の文献となります。中身を見てみますと、

「南瓜、多食発脚気、黄疸」(巻3)
とあります。

覚えておられるでしょうか? 
たくさん食べると脚気と黄疸になるという内容は『本草綱目』と同じですね。

そして、ここにも『滇南本草』と同じ問題が。
どういうものがかぼちゃなのかの描写がないので「南瓜」がほんとうにかぼちゃを指しているのかはっきりしていないことと、後に民間伝聞が入り交じってしまい、どこまでが賈銘が認識していた文章だったのか、わからなくなってしまったこと。致命的です。

 やはり、よほどの発見でもないかぎり、かぼちゃは発掘調査などからメキシコ原産の作物という結論は揺るがないでしょう。

ただカボチャは福建、浙江より入ったと『本草綱目』に書かれているので、コロンブス以後の、明の時代にヨーロッパから東南アジア、そこから中国へと渡ってきた海のルートがあったことは間違いないでしょう。
 
 そして清代に再編集された『滇南本草』にかぼちゃが書かれていることから、雲南にもそのころには食されていたことは間違いないわけです。
 私としては、カンボジア、ベトナム、ミャンマーからの陸路もありかな、そうなると、中国で初めてかぼちゃが入ってきたのは雲南になるな、と考えたいのですが、文献的には追えません。

 ただ、ベトナム、ミャンマールートの唐の時代からのさかんな交易があったこと、当時もさかんに交易ルートは使われていたことを考えると、陸路の否定する根拠もないです。

 とはいえ、雲南で日常的に食されるかぼちゃの花炒めやかぼちゃの葉のスープ。中国の別の地方ではあまり見かけない風習で、ほかにそのようにして食べるのは原産地のメキシコとヨーロッパではイタリア、あとベトナムぐらいです。この食文化はどう考えたらいいのでしょうか?
(つづく)
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かぼちゃの花炒め⑤ 明の皇帝が惚れ込んだ『飲食須知』 

2015-09-18 14:56:09 | Weblog
李時珍の『本草綱目』にかぼちゃは「スイカの花のような形の黄色い花」を咲かせると書かれているが、スイカは原産地アフリカよりシルクロードを伝って、中国に宋の時代の11世紀ごろにウイグル人によってもたらされたとされている。上記は『本草綱目』による記述による。

 雲南でも夏にはスイカがたくさん売られていた。日本と同じ外皮が緑で黒の縞があり、中も赤いものから、外皮が黄色く中も黄色のもの、外皮が黄色くて中が赤いものなど種類も様々。日本のものより甘みは薄く、さっぱりとした味わいだ。(写真・2010年夏、宜良県の市場にて)

 ちなみにウイグル人とされる契丹人は雲南に古い時代に移入したという伝承がある。
 雲南省保山地区に10万人あまり、大理、臨滄地区にも漢族や彝族など別の民族で登録されてはいるが、彼らは自身を「本人」民族と呼称する。
 保山市の施甸県の墓碑は契丹文字だったことが1990年代になってようやく「発見」され、近年、古墓で発掘されたDNA調査で、契丹人に近いDNAが検出されたと話題になった。

以下、本文です
【中国かぼちゃの初出文献・・・?】
 もう一つ、「南瓜」が初めて書かれた文献に元代に書かれた賈銘著の『飲食須知』があります。
「飲食すべからく知る」、つまり飲食するときに当然、知っておかなくてはいけないという意味深な題名ですが、中味は食ベ合わせの指南書で、これとこれを組み合わせると体にいい、とか、これとこれを一緒に食べると害になる、ということがひたすら書かれています。

じつは中国では現代でも、「食物相克」とか「食物相宜」などのタイトルで、この種の本が途切れることなくベストセラーの上位に入っているのです。台所などを想定しているのか、水ぬれに強いポスターも書店に数多く置かれています。日本ではあまり見ないものなので、医食同源の国だなあと、感じ入ってしまいます。

さて、この『飲食須知』は、書かれた当時も評判だったのでしょう。明の初代皇帝の朱元璋は建国後すぐに著者を召し出しました。著者は当時、100歳。なにしろ健康法を記した本人が長命なのですから、これほどたしかな証拠はありません。

皇帝が
「養生法はどうすればよいでしょう」

と問うと、
賈銘は涼しい顔で
「飲食を慎めばよいのです」

といって、本を献じたとか。

 朱元璋は当時、40歳。平均寿命が短かった時代なので、ちょうど老年期にさしかかる体の変わり目、今風に言うなら男の更年期にさしかかった頃だったのかもしれません。また権力を握ると長命が最大の関心事になるのは秦の始皇帝のころから変わらぬ希求なのでしょう。

 彼はその後30年、生きたのですが、そこには賈銘の本も多少、貢献したのかもしれません。

賈銘は南宋時代の1269年に浙江省の海寧に生まれました。

元(1271年~1368年)の建国から没落まで見届け、万戸という元の功臣の子弟の縁故しかなれないクラスの役職につき、明の洪武7年(1374年)に106歳で亡くなった人です。

 3つの王朝を生き抜いた彼の詳しい伝が知りたくなりますが手がかりは本の来歴を綴った清の乾隆帝の命で作られた『四庫全書・総目提要』のみ。

ちなみにこの本は元の至正27年(1367年)ごろに成立したとされています。

本文は来週に。    (つづく)
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かぼちゃの花炒め④ 滇南本草が先ならば・・・

2015-09-12 13:16:00 | Weblog

写真上は、明初、最初に明を統治した沐英の第3子の沐(日かんむり+成)が明の永楽17年(1419年)に建立した道教寺院の老君殿。昆明市中心部より東にすぐの拓東路と白塔路の交差点という好立地にある歴史的建造物だ。
 この寺の前には蘭茂茶屋と書かれた看板が置かれていた。昆明に住んでいた当時は「雲南の名花の蘭が茂った風雅な茶屋なんだ!」とバスで通るたびに看板を見て気になった。
 あるとき途中下車して入ると、名刹は立派だが人は少なく、花もなく、ほかにただ普通のお茶売り場が続くだけの不思議な場所だった。いまでもお茶を製造、販売する店舗を同地に構えている。


写真下は蘭茂著の『滇南本草』。蘭茂は雲南の薬草を調べ書にした人として、雲南でも尊敬を集めている。当然、茶屋の名前は彼の名から取ったものである。


【『滇南本草』が先か、『本草綱目』が先か】
『滇南本草』の100年以上後に出版されたのが、日本でも知られている李時珍の『本草綱目』です。こちらは『滇南本草』とは違って、内容も来歴も不審なところはまったくありません。
ここにも南瓜が書かれています。ちょっと長いのですが、私の訳でお読みください。

「南瓜。福建、浙江より入ってきて、今の燕京(北京のこと)にもある。2月に種をまき、(中略)4月に苗が出て、蔓が茂る。蔓の長さは一〇余丈(約34メートル)。節々根を張り、地に近づいてはつく。茎は中空。葉は蜀葵のようで、大きいものは蓮に似ている。8,9月にスイカの花のような形の黄色い花をつけ、瓜は正円になるところも、すいかのよう。(中略)
色は緑あるいは黄、赤。霜をへて暖かい所に置いておくと、春までもつ。(中略)。肉厚く、色は黄。生食はできない。豚肉で煮るとさらによい。蜜で煎ってもよい。」

かぼちゃが目に浮かぶような完璧な描写ですね。

さらに続けて
「【気味】甘、温、無毒
時珍曰く
多食すれば脚気、黄疸を発す。羊肉と同じに食すべからず。人をして運びふさ(壅)がせしむ」

つまり多食すると脚気になること、気の動きが盛んになりすぎて、気の経路をふさいでしまうこと、羊肉と一緒にかぼちゃを食べてはいけない、と書かれています。おそらく、羊肉も気の動きをさかんにするので、かぼちゃと合わせると盛んになりすぎて弊害が起こるのということでしょう。
このくだりは『滇南本草』の范本にも出てきます。(「内容の差異が甚大」な書物なので、いろいろな本があるのです。)それは以下の通り。

 「南瓜:味は甘く、性は温。主に補中の気を治し、利を寛くする。多食すれば脚疾および瘟病を発す。羊肉と同じくこれを食せば、人をして気を滞らしむ。」

脚疾とは脚気のこと。羊肉のくだりといい、本草綱目とよく似ていますね。
このことから李時珍は『滇南本草』を原書はたとえ見なかったとしても知っていたのでは、との指摘があります(李兆良著『宣徳金牌啓示録-明代開拓美州』聯経出版、2013年10月)
もしそれが本当なら『滇南本草』の「南瓜」はかぼちゃを指す、といえるわけです。
ただ、その逆も考えられます。
『滇南本草』が清の時代の初めに再度、まとめられた際に、『本草綱目』の文から着想を得た書き込みが紛れ込む可能性です。
つまり『滇南本草』の「南瓜」もコロンブス以前に中国にかぼちゃがあったという証拠には今一歩、欠けるものなのでした。
(つづく)
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