雲南、見たり聞いたり感じたり

雲南が中心だった記事から、世界放浪へと拡大中

スペインとポルトガル88 モロッコ④ タンジェのお菓子屋

2023-01-29 11:14:49 | Weblog
写真上も写真下もモロッコの「Patisserie Alafrah」のショーウインドーにて。

モロッコのお菓子には、雲南でも見かけたお菓子がけっこうあった。その一つが「絲窩糖 」(またの名を「窩絲糖 」「龍髭糖 」りゅうのひげ飴)に似たお菓子。もともと新疆ウイグル自治区から広まったといわれているので、こちらが本場。https://blog.goo.ne.jp/madoka1994/e/6ff1371ff843b1cdafc3fd81a62e9bc7

【タンジェの銘菓】
 食後はフリータイムと言われたのですが、「お楽しみください」といわれても途方にくれるばかり。というのも先ほど歩いただけでも小道が多く、怪しげな雰囲気の街なのですから。
 ツアーの人たちは三々五々、レストランから見える範囲でお茶をしたり、買い物したり。

 そんな時、ベルギーから新婚旅行で来たというカップルが

「結婚祝いのお返しに、ここの銘菓を買って帰りたいのですが」

とラシードさんに相談しているのが聞こえました。

ラシードさんは

「いい店があります」

と、二人についてくるように言ったので、我々も便乗することにしました。

 ツアーの時とはうって変わって、ものすごいスピードで急な階段をさっさか登っていくラシードさん。曲がりくねった道を、みんな必死についていくと、街はずれの2階建ての白壁の四角い家の前に着きました。店の前は崩れかけた石の坂道で視界がひらけた小さなお菓子屋さんです。

坂の途中のアラビア菓子屋「Patisserie Alafrah」。意味はウェディング用菓子。
(33 Rue De La Kasbah, Tanger, Morocco )

ガラス戸をくぐると、糖蜜がいっぱいかかったパイ生地状に餡の入ったお菓子や、アーモンドを載せたさっぱり系の大きなクッキーなどが所狭しに並んでいます。

 カップルは目を輝かせて、一つひとつ吟味しながら、日持ちのしそうなクッキーなどをチョイスし始めました。

 すると、ラシードさんが店内に入ってきて、一瞥するなり

「これはダメです。店に置かれたものは古いにきまっている。新鮮なものを詰め合わせて、私が特上の詰め合わせを作ってもらいます」

 というや、すごい迫力で何箱分必要かをカップルに聞き、決然と作業場のある2階に上がっていってしまいました。

  カップルは唖然茫然。

 しばらくして戻ってくると、にこやかに

「時間がかかるので、私は近くで食事をしますが、みなさんもいかがですか?」

 当然、ついていきました。

 しかし、なぜラシードさんは古い、ときめつけたのでしょう? お菓子のほとんどにラップがかかっていたからなのか? 味は? は次回に。

店の前の坂道。
(つづく)
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スペインとポルトガル87 モロッコ③  

2023-01-21 09:21:14 | Weblog
写真は、スークの入口付近。スマホとともに旧型の携帯電話も売られていた。ここまではカメラを向けても大丈夫な雰囲気だった。

【スーク(市場)】
 城壁の中の街は迷路のよう。城門を入ったすぐのところにある市場は人、人、人。ここでようやくスペインとの違いがくっきりとわかりました。服装が違う。ラシードさんと同じような1970年代封切のスターウオーズのオビ・ワン・ケノービがたくさんいます。フード付きの丈の長いコートのような民族衣装・ジェラバ。

売り物も食料品から雑貨品、服地、パン、なかには10年以上前の中国・雲南で使っていた旧型の携帯電話も売られていました。いかにもやばい人が暗躍していそうな雑多な雰囲気がかもされています。

 ここでラシードさんはにこやかだった顔を引き締めて

「買いたいそぶりを見せてはダメです」

 といって、すぐに客引きにつかまってしまうアメリカ家族を護衛するように進みました。盗品も多いとのこと。
【生演奏をききながらお昼に】

 お昼は、ザ・モロッコといった感じの邸宅風レストランでした。2階に上がると絨毯の上に背あてクッションがおかれたソファとテーブル、不思議なランプが飾られた天井、窓からはにぎやかな中庭とエキゾチックな街が遠望できます。

 食事もこちらがチョイスせずとも、どんどん出てきます。コリアンダーの香りがすごくいい鶏肉のトマト煮(クスクスとともにいただく)や(たぶん)羊?肉の串焼きとフレッシュミントティーなどなど。全部、ツアー料金に含まれているのです。

飲み物だけは別料金でした。水は高く、アルコールはないので、コーラを頼みました。これがおいしい! 炭酸がプチプチ跳ねてメガネに当たるほどのイキの良さ。それなのに舌のしびれはなく、甘さもほどよい程度で、すっきりとした味わい。

 すっかりくつろいでいると、モロッコの楽団がやってきて、我々のために生演奏をきかせてくれました。このツアーは大当たりだ!

(利用したツアー会社:VIAJES TRAVELSUR,S.A.L)
https://viajestravelsur.com/producto/tanger-1dia/
(つづく)
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スペインとポルトガル86 モロッコ② スパルテル岬とヘラクレスの洞窟

2023-01-14 15:30:53 | Weblog
写真の奥に見えるのは大西洋と地中海。強風が吹いていて、海も荒れているが、ラクダは、どっしりと構えていて強風にもびくともしなかった。

【ラクダに乗って地中海と大西洋を一望する】
陽気なラシードさんと10人ほどの団体を載せて、すぐにミニバンは出発しました。私が日本人だとわかると、

「JTBの添乗もよくしていますよ」

とウインク。勘で選んだツアーで心配していたのですが、審査が厳しいと聞いているJTBのツアーもされていると聞き、すっかり気が楽になりました。

さてタンジェの港から車での移動中に見えるのは、抜けるような青空と風化した白い岩、アスファルト道路に豪邸らしき家の白い壁のみ。あんまりスペインと変わらないなあ、と思っていると、スパルテル岬に到着しました。

眼下に拡がるのは地中海と大西洋。強風が吹いていて、緑の海を走るように白濁した波が打ち付けています。厳しい海。

そういえばユーラシア大陸でもっとも大西洋にせり出したポルトガルのロタ岬も風が強かったなあ。
(大西洋に出るって、昔はすごくハードルが高かったんだろうなあ。)

 ただ違うのは、ここにラクダがいることです。

 さっそくツアーの人たちがラクダと記念撮影をはじめました。なるほど、モロッコらしい写真はこうやって作るのかと、私も、さっそく乗ってみました(一人2ユーロ)。ヒトコブラクダの背にモロッコ特有の布地が置かれていて、その上にまたがる。すると使役人の合図によってラクダは前後にゆらすように、おだやかに起き上がって直径5メートルほど歩いてくれます。
 以前、タイでゾウに乗ったときは剛毛で指に刺さったものですが、ラクダの毛はやわらか。そして顔のやさしいこと。このお顔は頭数が多く、ほとんどの時間はもぐもぐエサを食べていて、たまーに客を乗せる仕事がくる、というホワイトな労働環境のたまものなのかもしれません。

【おみやげの初心】
 次に行ったのがヘラクレスの洞窟でした。歩いてすぐです。
洞窟によって強風から守られているので、その入口付近は小さなお土産屋さんがいっぱい並んでいました。
 客は我々だけ。この状況で同じツアーのアメリカからきたご家族が、薦められるままに買う買う! なにかにとりつかれてしまったみたいです。モロッコ風の帽子やおもちゃの刀、モロッコのロゴ入りTシャツ、なにかの棒・・・。浅草でもロゴを替えれば売っていそうなものばかり。しかも買うとすぐに身に付けて、うれしそうにはしゃいでいます。地元に経済効果をもたらす優良観光客って、こういうことかしら?

「もともと洞窟はあったのですが、小麦を粉にするための石の円盤を長い間、切り出していた採掘場になりました。ほら、ここに丸く切り出したうろこ状の跡があるでしょう」
と丸い形に削れたあとを指してラシードさんが丁寧に説明してくれました。

 真面目に説明を聞いていても、洞窟からのぞく海も見ていても、視線は不思議なおみやげ物を身に付けてしあわせいっぱいの家族に吸い寄せられてしまう私。こういうおみやげものも必要なのだ、と、遠足で筑波山に行ったときの初心に還る思いでした。

 そしてようや旧市街・メディナの城内につきました。これぞモロッコといった趣で小さな石畳のくねくね道を一人きままに歩いたら、あっという間に迷子になりそう。
             (つづく)

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スペインとポルトガル85  モロッコ① アフリカ大陸へ移動する

2023-01-01 15:33:33 | Weblog
写真上はタリファの船の待合所。この周囲はぐるりと700年代からのモーロ人らの要塞に囲まれている。昔の重要拠点だったことがうかがえる。こうした立派な歴史的建造物があちこちにあるのに、それを気に掛ける人はほとんどいないように見えた。

【まずタリファだった!】
 唯一、呼び込みのなかったブースで購入したチケットを握りしめ、朝7時20分にフェリー乗り場へ。私たちのツアーデスクに、私たち以外に人影はなし。あれ、大丈夫かな、と思っていたら、15分後に金髪の浅黒いおじさんがきて

「こっちこっち!」

 と合図してくれました。着いていくと、そこには大型バスが。あれ、海を越えるのにバス? と思って聞くと、

「タリファ⤴」
 
と、腹から持ち上げるような発声で一言。

アルヘシラスから20キロ南西にある、ジブラルタル海峡に面したタリファは、たしかにイベリア半島最南端の町ですが、そこまでバスで移動するなんて知りませんでした。

赤土の大地を出発。何度か山と谷を繰り返すたびに風景が変わり、風力発電の峰を通過すると一面の霧に。やがて雲海に朝焼けが彩り、朝日を目指して鳥が一斉に飛び立つと、小さな港、タリファに到着です。

 ここからアフリカ大陸へは、距離にして15キロ。陸路の移動より近いはずなのですが、霧で大陸は全く見えません。

 ようやく同じツアーの人たちと合流し、とにかく後を必死についていきました。
 まず皆がするように元締めのようなアラビア風の太ったおじさんにパスポートとボーディングパスを渡し、代わりにフェリーのチケットと胸に張るツアーシールを受け取りました。シールはすぐに胸に貼ります。早くもはがれそうです。
 いつになったら船に乗れるのか不安なまま、流れ作業に身を任せていると、船には行かずに、すぐ出国手続きのカウンターに。その後、ようやくフェリーに乗船できました。

我がツアーが手配してくれたフェリー。

ふう。少しゆったりしようと座る席を探していると、すぐに入国手続きの列に並ぶ時間に。

船内の出入国審査カウンター。

 とまあ、わからぬままにあれこれしているうちに、霧が晴れ大陸が見えてきました。私にとっては初アフリカ大陸です。もっと感動するのかと思ったのですが、目に映る景色に意外性はなし。普通のビルと山とごく普通の定規で引いたような直線の町。海の色がタリファでは青みがかった緑色だったのが、緑に白色を含んだような色になっていたことぐらいしか違いがありません。

初アフリカ大陸の光景。モロッコはタンジェの街並み。改めてこの写真を見ると、スペインとはだいぶ違っていてわくわくする光景なのだが、いろいろ想定外の動きで船に乗ったために、当時、心の余裕が失われてしまい、違いがないとおもってしまったようだ。

 ところが人に会ったら、突然、アフリカのイメージがわいてきました。まず出迎えてくれたのが自称ジョン・トラボルタ、こと本名ラシードさん、という陽気な添乗員さん。流ちょうなスペイン語と英語を操り、なんだかスターウオーズにでてくる師匠・オビ・ワン・ケノービのような服を着た白ひげを蓄えたおじいさんです。顔から口がはみ出しそうなほど、ニコニコしています。急にわくわくしてきました。
                 (つづく)
※明けましておめでとうございます! どうぞ、皆さまにとって、よい年になりますように。
※次週の更新はお休みします。
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