雲南、見たり聞いたり感じたり

雲南が中心だった記事から、世界放浪へと拡大中

スペインとポルトガル77 セビリア美術館周辺と救済病院

2022-10-30 15:42:37 | Weblog
写真はセビリアの救済病院内にある付属の教会。清貧な元病院の雰囲気とそのうちにある教会の豪華さにクラクラ。有名絵画が、飾り立てることなく壁にかけられていた。

【セビリア美術館周辺】
セビリア発カディス行きの列車を目指して、街の東北部にあるセビリア・サンタフスタ駅へ。30分後の10時20分発のチケットを購入しようとすると、カディス行きは臨時列車の14時45分発まで、すべて満席でした。
 そんなに混んでるの? と驚きましたが、その日は3月1日で、カディスは年に一回のカーニバルのシーズン。面倒でも事前予約をしておくべきだったのです。
参考 https://goripachi.com/spain-train-renfe/

サンタ・フスタ駅の外観は平べったいが中は深い

ここは気持ちを切り替えて、午後までの空いた時間を街の西北部にあるセビリア美術館に当てることにしました。(大型荷物は駅のコインロッカーへ預けました。)
 駅から混みあうバスに乗って街へ行くと、改めて大都会であることを実感。そして、ようやく着いた美術館は、なんと一時間待ちの大行列。家人はよほどセビリア美術館と縁が薄いのでしょう。2度も行って入れないとは。

観覧は断念して、すぐ近くを散策。すると、ステキな絵が窓越しに見えます。中に入ると昔の版画や絵画を売る古地図専門店「Grabados LaurenceShand」でした。ラーメンのようなゆるい天然パーマの茶色の髪をかき上げ、いかにも古書店の店主、という風情の男性が「いらっしゃい」と一声。後に続く咳。なんとも知的でけだるい雰囲気。古書のインクの香りに癒されます。よく見ると質もよく、版画タイプならそれほど高くありません。ひやかしで見ているはずが、思いがけない出会いもあって、いくつかの古地図を購入することになりました。とはいえ1万円は超えないお値段で済みました。

店を出て、ふらふらと小道を行くと、フラメンコ衣装店が軒を連ね、見ているだけで楽しい。髪飾りやピン止めなどが軽くて、きらびやかで使いやすそうなので、それも購入。一つ1000円ほどのものを3つほど。そして念願の白めに濁ったオリーブオイルを小さな食料品店で購入。一瓶3ユーロほどで、日本でサラダオイルを買うのと変わらない金額でした。セビリア市民の普段の買い物がみえる地区でした。
 予定通りじゃないのも、また楽しい。これも旅ならではです。

写真は救済病院の中庭。

ちなみにセビリア美術館が混んでいたのは、セビリア出身の画家「ムリーリョ展」が開催されていたためです。普段からムリーリョの絵は展示されているというのに大規模展を行うと、この人出。ムリーリョはセビリアで大人気のようです。

【救済病院にもあるムリーリョ】
じつはポルトガルからセビリアに着いた翌日、古文書館のあとに救済病院という、ドン・ファンのモデルとされるセビリアの貴族によって17世紀に建てられた小さな礼拝堂のような元病院に行ったのですが、そこにもムリーリョの絵がたくさんありました。私にとっては初めて知る画家でした。

セビリア美術館とは対照的に、とても静かで、来る人もほとんどいないこじんまりとした空間。そこでムリーリョの絵と対峙できました。どの絵からも17世紀を生きたムリーリョの、子供に対するまなざしのやさしさが時を越えて伝わってくるよう。いつまでも見ていたくなる、静かであたたかな(たとえ死神を描いていても)絵の数々。

あとで、彼の生涯を調べると、5人の子供を次々とペストでなくし、6人目の娘も耳が不自由だったとか。子供への思い入れは、特別なものがあったのかもしれません。
 (ちなみに彼はカディスで絵を描いている最中に足場から転落して、亡くなったといわれています。)

※次回、カディスへ行きます。
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スペインとポルトガル76 フラメンコショー② ロスガリョスLos Gallosにて

2022-10-23 10:46:25 | Weblog
写真はロスガリョスにて。夜更けに三々五々、帰っていく観客たち。治安はよく、不安なくホテルに戻ることができた


【さて本番!】
 夜7時40分。夕食をスペイン駐在員のブログなどで評判の店「Enrique Becerraエンリケベセラ」へ。さすがにお客の半分は日本人でしたが、接客の女性店員のテキパキとした明るく、誇り高い様子が気持ちいい。味も。少し相場より高めの値段設定なので、他の店は観光客でいっぱいなのに、少なめでした。

 夜10時半に満を持して、予約したタブラオへ。ワンドリンクを注文して、席に着きます。70人くらい入れる客席に客は20人、いや10人もいません。だのにショーにはプロのダンサーが8人、裏方が10人くらい。経営は大丈夫か、と心配になります(今もこのタブラオは毎日、ショーをしているようなので、大丈夫だったようです。)

 フラメンコと一口にいっても明るい男性の踊りから、8人全員での群舞まで多彩。一人で踊る演目もダンサーらに用意されていて、同じ服と髪型でも、こんなにも感情のほとばしり方が違うのかと驚きました。
 タップダンスとカスタネットで音とリズムを自ら作り、そこにギターが物悲しく絡む。そして時折、歌。

 どんどんヒートアップするリズムを作り出すダンサーたち。ありあまったこの熱情をどうやって発散し、次の瞬間から生きていけばいいのだろう、という煩悶のほとばしりがものすごく、どんなに若く美しいダンサーでも踊っているうちに眉間の中心に深い溝ができて、はんにゃの形相に。

やや暗めの舞台に斜めから当てる光がまた効果的で、その溝がますます、黒く感じられるほどに陰影を映し出します。眉間の皺がとれなくなったらどうしよう、と他人事ながらハラハラしてしまうほどの顔の迫力。今も思い出すとその顔が迫ってくるほどです。

 とにかく全編、体力と精神パワー120%の人が、こうでもしていないと死んでしまう、と言わんばかりに踊り狂うのです。熱気がすごすぎて、こちらも熱くなり、真(芯のある)の踊りに圧倒され続けてしまいました。あまりにすごいので、例のごとく、夕寝をして備えたのにも関わらず、病的な睡魔に襲われる始末。しかも一番いいシーンで。

 真夜中、ふらふらとホテルに戻り、眠ろうとすると逆にコーフンして眠れなくなってしまいました。
 舞台と客席はとても近いし、シアターはこじんまりしていて、近代化から程遠い手作り感。おすすめです。
 (つづく)
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スペインとポルトガル75 フラメンコショー① チケットを取る

2022-10-15 12:01:43 | Weblog
写真はサンタクルス街のパティオの一つ。一つ一つの中庭ごとに趣きが異なる。いずれも、人に見られることを意識したかのような美しさ。

【サンタクルス街の迷宮】
 セビリア最後の夜は、アンダルシアの華であるフラメンコをみてみたい。
ポルトガルでファドに連れて行ってくださった方から

「力量のある人はマドリードに行くけど、層の厚さはなんといってもセビリアですよ」
 と、言われていたのです。

 まずは、今夜のチケットを取らねば。
 調べたすえ、セビリアで一番の老舗タブラオ(フラメンコのショーを行っているところ)1960年代創業の「ロス・ガリョスLos Gallos」に狙いを定めました。ここは事前予約制なのに、チケットのネット販売が見当たりません。直接、行くしかない。
(今はネット予約も可能なようです。http://www.tablaolosgallos.com/en/producto/flamenco-show/)

 タブラオまでは徒歩5分、とグーグルマップには出ています。

 ふらりとホテルを出て、カテドラル(大聖堂)の東側の小道に入ると、さながら迷宮のよう。バル(立ち飲みバーのこと。)やレストラン、みやげもの屋が軒を連ね、適度なほの暗さと行き止りの小道の数々が、なんともエキゾチック。気の効いた住まいの門からチラリとみえるパティオと呼ばれる中庭は、観葉植物のような光を透過する緑の葉が白壁と白い大理石の床のテラスに映えて、異国情緒たっぷり。整然と植木鉢の花を彩りよく飾っている家もあり、庭の手入れに余念のないことがわかります。

 このサンタクルス街はもとユダヤ人街でした。1492年にユダヤ人追放令が出てからは、貴族などの裕福な人たちが暮らしました。そのような複雑な歴史のせいか、秘密めいた、妙に狭いのに、なんだかゆとりを感じてしまう、不思議な空間がたまねぎの皮をめくるように次々と現れるのです。

 道を曲がるごとに知らない街名が次々と現れ、たくさんいた観光客がだいぶ減ったころ、ようやく老舗タブラオ「ロス・ガリョス」に到着しました。髪の長いお姉さんが一人で木の机の前にいて、紙のチケットを売っています。今日の席はあるかとドキドキしましたが、あっさりと予約が取れました。

 帰り道もウロウロと迷いつつ、犬の散歩の人とあいさつを交わしたりして異空間を堪能。行きとは違う通りからカテドラル前に出たとたんに、一気に現世に戻されました。ひどい人混みです。

 ホテルにいったん帰り、夜10時30分から始まるフラメンコを待つことに。本格的なフラメンコはとにかく遅いのです。

 一方、家人はというと、私がチケットを取ったりしている間、セビリア美術館へ。ところが急いでいったにもかかわらず、祝日で早めに閉館となっていたので、さらに闘牛博物館へと向かっていたそう。忙しいことです。
        (つづく)

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スペインとポルトガル74 カルモナからセビリアへ

2022-10-09 13:02:35 | Weblog
写真はカルモナからセビリア行バスの車窓から。どこまでも右も左もオリーブ畑だった。(木々の高さは日本の梨畑ほどの高さ。オリーブの実を収穫しやすくするためだろう。雲南南部でもオリーブオイルを絞るためにオリーブ畑があったが、木々はどれも背が高く、実を採るような樹高ではなかったことを思い出した。)

今回はちょっと、気味の悪い話です(おいやな方は読み飛ばしてください)

【すいた路線バスのキョーフ】
 そうこうしているうちにセビリア行のバスがやってきました。ルートは祝日のためなのか、行きとは別の道でした。時間は1時間45分。往路の倍近くかかったわけです。ただ、それだけに違う景色も楽しめました。オリーブ畑を抜け、小さな搾油工場も通りました。

 さて、道幅が広くなり、人通りがあるアパート群が見えたころ、わかりやすくあやしげな男が乗ってきました。白いセーターを肌の上に直接、着て、赤いジャンバーを羽織ったゴアゴア頭のニヤニヤ顔。スリができる人を物色しているかのような風情で歩いてくるかんじです。乗っているのは我々家族と、あと数人。

すると、なんと、私のすぐ後ろの席に座りました。私の風情が舐められたのでしょうか? しばらくすると、並び2席の間から、手が伸びてきたのです。ぎょっとして荷物をしっかりと膝の上に置き、恐れおののきつつも後ろを振り返ると、前傾姿勢で私の髪をひっぱっていたのです、2度!

 私が騒がずにホールドすると、今度は娘の席のほうに近づいていきます。私がにらんで膠着状態に陥ったそのとき、地元の、若い、極端にふっくらした女性が新たにバスに乗り込んできて、その男と親し気に会話をかわし、緊張緩和。そして、二人はともに下車。それで試合終了となりました。

 男の人が鼻をほじりながら会話していたのが気になりました。あの手で、私の髪を、と思うとゲンナリです。
 あとで娘と家人に話すと、まるで気づかなかった、とのこと。シューベルトの「魔王」は起きるのです。古今東西、怪しい気配は見込まれた人にしかわからないものがあるらしい。

 こうしてセビリアに到着。祝日の人の少ないバスは要注意です。
(つづく)
※次回はセビリアの迷路の話です。
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