雲南、見たり聞いたり感じたり

雲南が中心だった記事から、世界放浪へと拡大中

昆明の幼稚園事情10 

2006-11-24 23:17:41 | Weblog
 いつもお読みいただきありがとうございます。感想などありましたら、お気軽にコメントください。

 さて、写真は幼稚園の参観日の授業風景。窓を開け放し、寒風が吹き込もうがおかまいなし。教室内にはドラえもんの張り紙も見える。

【真冬の参観日】
 昆明の暖房のない寒さに風邪を引きダウン中の1月半ば、幼稚園から授業参観のお知らせがきた。夫は、例によって雲南のどこかに調査に出掛けていて、いない。娘は元気で「きてきて」とせがむので熱をおして、参観することにした。

【お尻が並ぶ】
 教室の入口脇をのぞくと扉のないトイレがあり、子供達がかわいいおしりを出して並んでいた。中央に直線的に伸びた溝にチョロチョロと水が流れる中国式のものだ。そこにムカデ競争のポーズでずらりとしゃがむのである。公共の施設、例えば動物園に行けば大人も同様の格好をしなければ用は足せない。日本のトイレに慣れた娘にとって当然ながらトイレは試練の場所となった。「小」はできるものの、最後まで、みんなの前での「大」はできなかったそうだ。これが帰国すると、逆の心配が出た。どこでもすっとしゃがんでトイレポーズとなるので、ひどく私をあわてさせた。この癖は半年ほどで消え、ほっとしたが、今でも時折、学校でトイレのドアを開けたまま、してしまうことがあるそうだ。

 トイレの習慣は、とくに中国において文化の根源に関わるものなのではないかとにらんでいる。おそらく幼少時にトイレがしやすいように、子供達に「また割れズボン」(しゃがむとズボンを脱がなくてもつるりとおしりが出て自由に用が足せる服)を穿かせ、どこでもフリーでトイレができる環境が、長じても尾を引いているのではないだろうか。最近では中国でも「紙おむつ」(日本のムーニーなどが売られている)が出てきて、都会の親の中にはまた割れズボンを穿かせずに紙おむつをさせる人も増えてきた。中国のトイレの習慣も変わろうとしているようだ。だが、それはそれで今度はゴミ問題が心配である。

【勉強もお遊戯も寒風を友に】
 さて、朝食が終わると先生方は机を片づけ、子供たちは窓側に椅子を並べて座り大声で日々のスローガンを唱えだした。

 「今日も元気に頑張ります」といった言葉が、調子のいい節で続くのである。娘も大声で唱和していた。その間、先生方は教室を掃除する。寒風吹きすさぶ曇りの日だというのに平気で窓を開け離す。子供たちは厚手のジャンバーやセーターを重ね着していたが、先生は薄手のジャンバーを羽織っているだけ。だのに寒そうな風情はまるでなかった。なんと授業が始まってからも、窓は開けられたままだった。当然、暖房はない。

 1時間目の授業は算数。沢山のシールを渡されてお猿さんチームとうさぎさんチームで分けるゲームをしているなとほほえましく見ていたら、いきなり足し算がはじまった。先生がホワイトボードに5+3と書いて、答えは? と聞くと、次々に手が挙がる。もちろん手を挙げているからといって、皆が答えられるわけではなかったが、ちょっとびっくりした。

 子供たちは、わりあい熱心に授業を聞いていた。カードを切る場面では鋏の取り合いもあったが、幼稚園生らしくて私は好もしかった。でも、この教室は勉強が主体ではない「大班(普通の年長組)」、学前班という同じ年長でも親が希望していれる勉強スパルタ組とは違うので、比較的のんびりしていたのだろう。

 1時間ほど勉強した後には、2階のテラスでのお遊戯が待っていた。私は寒くて凍えていたが、親の中には子供と一緒に踊る強者もいた。

 平日だったこともあり、参観者はおじいさんおばあさんが多く、若い親は少ししかいなかった。

 ちなみに幼稚園や小学校の送迎にしても、母親中心に子育てする日本とは違い、父親も同じくらいの割合で参加していた。祖父母の協力者も多かった。公園にいってもそれは同じ。いろいろな世代や性の違う人が混在するため、日本のように母親同士で徒党を組む場面などできようもなく、「公園デビュー」が記事になるへんな土地柄でもない。その点でも子育てがしやすかった。
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昆明の幼稚園事情9

2006-11-17 23:31:58 | Weblog
【見た目が重視される審査】
 子供たちが全員揃うと、スピーカーに取り付けられたマイクを大音量にしてお遊戯会の開始が知らされた。園付属の習い事クラス(バレエ、珠算、英語など)の発表も含めて各クラスの発表が次々に行われていく。娘もお化粧にプリンセススカートで、緊張しきって座っていた。隣の席の子に「大丈夫だよ」となぐさめられているようだ。
 さて、会では審査によってクラスの順位がつけられ、表彰されることになっていた。ふと、各クラスの家長の代表と園の理事たちが座る審査員席に置かれた用紙をみると、審査の基準は踊りの創造性や美しさではなく「衣装がそろっているか」「統率がとれているか」といった項目ばかり。やはり共産圏だからなのだろうか。踊りは日本の幼稚園と同じで、技術よりかわいさ優先。子供達と先生達は真剣そのもの、といった雰囲気。親は写真撮影に忙しく時間が過ぎていく。
 さて最後に、審査に基づいた結果が発表されて各クラスに賞状が配られ、いったん教室へ。そこでお祝いの品やケーキをいただいて帰路についた。

【小雪舞うなか、運動会】
 冬休み前のお遊戯会「冬運会」が行われたのは12月31日。会場は園庭。曇り、気温4度。四方をマンションに囲まれ、底冷えがした。なぜ年末の、小雪の舞う中、戸外で踊らなければならないのだろう。日本ほど太陽暦の正月が重視されてないとはいえ、正直、つらい。それでも保護者たちは不満などない様子で熱心に参観していた。昆明の人は本当に寒さに強い。
 最高学年の学前班の先生方は、この寒さの中にもかかわらず、なんとへそ出しのアラビア衣装、素足にサンダルといういでたちで子供の遊戯に加わっていた。というか、子供たちをバックダンサーにして自ら華になっていた。日本だったら親の抗議が殺到しそうなプログラムである。
 芯まで冷えきった。晴れていれば20度に達することもあるのだが、つらいお遊戯会だった。
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昆明の幼稚園事情8

2006-11-10 20:35:17 | Weblog
写真は6月1日の国際童年節会の会場にて。家長と呼ばれる保護者達はみな、地味な服装で子供に見入っている。

【異年齢は当たり前】
 園には年少の小班、年中の中班、年長の大班、学齢前の学前組と、学年ごとに1、2クラスずつ、計7クラスがあった。400人以上の大所帯だ。5歳の娘は「中一班」つまり日本でいうところの年中組に入った。先生3人、生徒50人弱がそこに所属していた。

 クラスごとの年齢も日本ほど厳密ではない。少なくとも数え年と満年齢が混在しているので、年齢を聞くときは干支を聞かなければ厳密には分からないほどだ。中国(昆明だけかもしれない)では小学校入学が6歳以上であれば年齢が1、2年ぐらい遅れてもいいことになっているので、多少の年齢差はたいしたことではないらしい。

【プリンセススカートとお遊戯会】
 外遊びはほとんどなく、運動はもっぱら、先生の振付を真似するお遊戯でまかなわれる。それだけに「お遊戯会」には気合いが入っていた。白馬幼稚園に限らず、どの園でも、中国のこどもの日にあたる6月1日の「国際童年節」と年末の冬休み前、春休み明けに親を招いて開かれているようだ。

 春休み明けのお遊戯会の前日、幼稚園の掲示板に「公主スカートを履いてくるように」と唐突に板書された。「公主」とは「プリンセス」のこと。町の理髪店には「公主髪」と髪型メニューに書かれていたり、中国版「ディズニープリンセス」の雑誌も各種公主たちのオンパレードで大人気。中国では貧しい時代から、自分の服装には構わなくても娘にはかわいい格好をさせたい、という意識が濃厚にあるので、子供が遊ぶには不自由そうな公主スカートでも幼稚園ではやるのだ。

 と、このように冷めた意識でいたために、あわてて娘とフリルがたっぷりついて膨らみのある、中国の女の子たち定番のスカートを買いにいくはめに陥った。代金は50元(700円ほど)。当日は、そのヒラヒラスカートに化粧をほどこした子供たちの踊りの会となった。

 祝日の6月1日の「国際童年節会」も盛大だった。9時開始だというのに一時間前には早くも狭い園庭に沢山の「家長」と呼ばれる親、祖父母たちでひしめいていた。普段着姿が多く、数人が化粧をしている程度だ。カメラを持った人達も多い。やがて子供達が入場し、会が始まったが、場所とりのために親たちが肘を出して前へ前へと行くことはなく、比較的、お行儀よく譲り合っているのが印象的だった。カメラを構えるときも後ろを振り向いて手で合図を送って申し訳なさそうにする人もいた。なんとも穏やかで好もしい雰囲気だった。

 娘のクラスは花の精を踊るために、女の子は黄色のプリンセススカートドレスを身につけ、おそろいの2つ結びの髪形、そして目や唇にお化粧を施していた。
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昆明の幼稚園事情7

2006-11-02 23:07:01 | Weblog
 写真は幼稚園内に掲示されている幼稚園の献立表。夜食欄があるのは、お泊まり保育も可能な園であるため。

【三つ子の魂、百まで】
 踊りの中で毛沢東をたたえる少数民族の踊りを子供達が練習させられたことは前にも書いたが、毎月曜、中国国歌を流しながらの国旗掲揚も幼稚園の重要な行事となっていた。敬礼が徹底させられているせいか、娘はテレビで国歌が流れると、すぐに歌いながら敬礼するようになってしまい、帰国後の心配をしたほどだ。ちょうど中国にいた2003年夏にアテネオリンピックが開かれていたため、国歌がよく流れた。ときに「君が代」が流れると「なんか、悲しくなる曲だね」と今一つノれない様子だった。

 中国の国歌はトランペットの軽快な曲でうきうきするノリがある。この曲の作者・ニーアール(上部に耳+下部に双で一字・耳)は昆明の出身だ。今も市内には生家と墓が残され、郷土の誇りとなっている。家の方は清代の建築物なので一見の価値がある。 

 このメロディーは1933年当初は中国共産党を宣伝する映画の主題歌として作られた。ニーアール氏はその後、日本に留学し、1935年、神奈川県藤沢市の海岸で遊泳中に23歳の若さでおぼれ死んでしまった。何が縁になるのかわからぬものだが、おかげで昆明市と藤沢市は現在、友好都市となっており、彼の墓がある西山には藤沢市長が昆明を訪れた時の写真が飾られている。

【黄金の一週間メニュー】
 さて給食は朝食、昼食、おやつ、夕食と4食あった。すべて一階の給食室で手作りされたもので、なかなかおいしそうだ。おやつには最近では美容によいと日本でもブームとなっている白きくらげの甘煮がだされたり、米で作られた麺のジャージャー麺風(雲南の一般的なおやつ)などが熱々の湯気を立たてて各教室へ運ばれてきた。このように日々のメニューに変化があって味もよかったのだが、一週間のメニューがほぼ固定化されているとなると話は変わってくる。娘は一ヶ月も過ぎると
「今日は月曜か。あの黄色い豆腐、たべたくないな」など、メニューが読めもしないのにつぶやくようになってしまった。

 幼稚園の給食だというのに唐がらしがかかせないのにも、参った。このように小さいうちから辛い味付けに慣れさせるためか、昆明の料理屋では、どれもこれも微妙に辛い。

 雲南省麗江(世界遺産に登録された都市として有名)出身の人に聞いた話だが、20数年前に南京大学生として初めて雲南を離れた時、一番、困ったのは南京の料理に唐辛子がはいっていなかったことだった、と言っていた。これでは「ものたりない」と、休みごとに郷里にもどってはビンいっぱいに唐がらしを詰めて、ほくほく顔で学校の寮に戻っていたそうだ。唐辛子の味付けをするだけでホームシックが軽減されたというのだから、いかに舌が唐辛子になじんでいたかがわかる。

 一方で40数年前から昆明に住んでいたおばあさんに聞くと当時は、今ほどは唐辛子がきつくなかった、むしろ甘めの味付けだったと語っていた。とはいえ、冬場、昆明ではやる唐辛子たっぷりの四川わたりの鍋料理「火鍋」で胃を壊した人の話だから、あまりあてにはならないが。
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