雲南、見たり聞いたり感じたり

雲南が中心だった記事から、世界放浪へと拡大中

昆明の飲み水8

2013-01-27 10:59:52 | Weblog

写真上は昆明市松華坝発電所の入り口、写真中はダムへと続く一本道に掲げられた「飲用水源、謝絶遊覧」と書かれた看板、写真下は「(●●の水 生命の源)」と書かれた主要道沿いの看板。昆明にとっても水は命綱であることの切迫感がひしひしと伝わってくる。

【さらにダム下の上坝村には】
 さらに松華坝ダムの周辺を歩ける限り見てみると、農業灌漑設備の他に水力発電装置が設置されていた。どれほどの発電ができるのかは不明だが、ダムからの高低差が少なく見積もって20メートル以上はあるので、それを利用しない手はないのだろう。入り口は固く閉ざされていたが、人の気配は感じられた。

(ちなみに2008年からは昆明市の西郊、2009年からは昆明市の東郊で、毎日2600トンの生活ゴミを燃やして発電する「ゴミ発電所」が稼働しているhttp://www.jieyue.net/html/dfpd/yunnan/page/homepage_show155985.htm。年2億ワット強が作られる計算になっているそうだ。ちなみにそれまではゴミは燃やさずにそのまま穴に埋めていた。)

 また、盤龍江を簡単に紹介した看板が立っていたので、盤龍江中流域へ行く前に、ご紹介しよう。

「盤龍江の主流の源は牧羊河(通称小河)で嵩明県の境内の梁王山の北麓の葛麓山のサラ菁に発する。黄石岩の南より官渡区小河郷に流入する。その長さ54㎞、支流の源は紹甸河(またの名を冷水河)で、その源の頭は龍馬菁にあり、白邑の坝子(平野部)を通って、甸尾峡谷芝家墳の南を経て、官渡区小河郷に流入する。その長さは29.4㎞。2つの河は小河郷の岔河の合流三角州に集まり、一つとなって初めて盤龍江と呼ばれる。

その主源から滇池までの全長は95.3㎞。

盤龍江は滇池流域内で最大の河で、昆明の主要景観河道であり、城市の中軸線ともなっている。重要な洪水を防止する機能と排水機能を備え、いわゆる昆明の「母なる河」と称される。横に昆明坝子を貫き、1100年来の流れがやむことなく、人々をはぐくんで、豊富な盤龍江文化をたたえている」

 さて、文中の「梁王山」の梁王とは、元末期に雲南にいたモンゴル王のこと。明の洪武14年に明の軍におされて、滇池脇の山で投身自殺をとげたという。昆明周辺には同名の山が3つあるが、盤龍江の最上流部のこの山は梁王の駐屯地だったことから、この名がついたのだという(『雲南・昆明市地名志』1986年、昆明市人民政府発行)

 また葛麓山とは、ひょっとすると「三国志演義」で日本でも人気の「諸葛孔明」からとった名前か? 雲南でも古くからある寺院などの石碑を見ると、諸葛孔明がこの地に留まった、という文章を見かける。諸葛孔明は雲南に軍隊を派遣し、自らも赴くのだが、孔明は、今でもとても尊敬されている。たとえば茶の製法を伝えた、などの伝承が雲南各地に残されている。昆明市の南の玉渓市にはずばり「諸葛廟」という明の嘉靖40年(1516年)に建てられた、諸葛孔明を祭るところもあるほどだ。

 また看板から盤龍江は雲南各地の清流が一つとなって、昆明の都市の背骨となっている河川であることがわかるだろう。  (つづく・次回は中流です。)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昆明の飲み水7

2013-01-19 15:15:20 | Weblog


上左の写真は龍川橋と松華坝ダム、上右のものは龍川橋の上部。下のものは龍川橋周辺の手入れされた公園。

「上坝村の東側にあり、元の至元年間(1264-1294)に建設され、光緒19年(1893)修築された。
 龍川橋は盤龍江にまたがり、盤龍江の第1橋となっている。橋の北側には「●龍坝があり、その高さは川底ほど。河の水は3股に分かれて、橋を穿って通り過ぎる。そのため名を龍川橋という。
 3つの穴がある石橋で、橋の長さは45メートル、橋の寛さは10.3メートル。
 真ん中の穴の高さは5メートル、その他の2つの穴は各々3.2メートル。長方形の黄沙石を削って作られた。
 保護範囲は北の道ばたから南は山まで、東は80メートル、西は100メートル。建設をひかえる地帯(建設控制地帯)の保護範囲は東40メートル、西60メートル。
昆明市盤龍区人民政府立」(橋のそばに建てられた碑文より)

【飲用水水源区(取材ノートより)】
 村の入り口には元の時代に建設され、その後、何度か改修された「龍川橋」が盤龍江にかかっている。その周りは、きれいな公園になっていた。人かげは、その木々を管理するおじさんと橋を丁寧に掃除するおばさんだけだった。

 花や観葉植物らしきカラフルな植物が設計図通りという風情で植わり、確かに美しい公園から水辺に近づくと、くさい。まりもが大きくなったような緑の藻が沢山、浮いている。大きな蝿もうなり声をあげている。そして見上げると、すぐ先の山に松華坝ダムがそびえていた。
 近づこうと街に入ったが、村からダムへと通じる舗装路には
「立ち入り禁止」
 の札が。
 また
「あなたはすでに松華ば飲用水水源保護区に入っています。」
 と書かれた看板や、母子の絵と花々と一戸建ての描かれ
「生態環境を保護して、子孫の後の代の福を作りましょう。(保護生態環境、造福子孫後代)」
 と大書きされた看板などが寂しく建っていた。

 ダムの水は大丈夫なのか? この鼻にくるくささと目に映る美しさのギャップはなんだと混乱しつつも、冷静に観察を続けると、川の畔には、いかにも中国の農村にある垂れ流しの「公共トイレ」があり、まもなく撤去される印の「折」の字がペンキで書かれていた。
 また、灌漑用水用の調節弁もあった。そこのプレートには設置は1967年とある。つまり、文化大革命の開始時の農業増産のために作られたようだ。そのころの水はきれいだったろうが、この水で作物を育てるとなると、抵抗が・・。
 
20戸ほどが確認できる小さな山間の村・上坝村から流れ出る水もくさい。川の上流部にもかかわらず下水が直接、垂れ流されているようだ。
 ただ、村を通過する前の水路から流れる水は透明で臭いもなかった。つまり、村人の排水が混じる前の水はきれいだということだ。その山の上にあるダムも厳重に管理されている様子から、まずは透明と考えていいだろう。

 さらに、別の日に昆明市から東に行ったところにある、雲南屈指のミネラルウオーター「雲南山水」の工場に行った。紅い大地だけがひろがる何もない空間にバン、と設置されている光景に唖然。緑したたる風光明媚で豊かな水の湧く地を勝手に想像していたのは、勝手に私が豊かな日本の水事情を基準していたせいだろう。

 昆明の飲用水も、農業用水もかなり重病のようだ。
(つづく)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昆明の飲み水6

2013-01-14 10:43:05 | Weblog

昆明市北市街からさらに先にいった2010年夏当時の昆明市街のへり。ここから先は紅茶けた大地と農村となる。2004年のころの昆明市北の市街地よりさらに8キロほど広がっていた。
 ちなみに市の南側の拡がる様はもっとすごいことになっていた。

【昆明市のみずがめへ1(当時の取材ノートより)】

2010年夏、昆明市内中心部からおよそ18㎞の松華坝ダムへ向かうことにした。このダムは昆明市民のいまや主要飲料水となっているのだ。
拡がり続ける昆明市街地からは距離にして10㎞もないほど近い。頑張れば歩いても行けそうだ。だが、迷うことのないようにタクシーを使うことにする。

 ところが例によってタクシーがつかまらない。載せてくれるのは「わからないが、とにかくいってみよう。」というあやしさ全開の車だけ。あぶないので断る。

次に書店にいって地名のはっきり入った地図を買う。その地図を見せながら「この場所に行きたいのですが」と言えば文句はあるまいとの目算だ。ところが「とおいなあ」の一言で2台も断られる。行ってはいけない場所なのか、と聞くと、そうでもないらしいが、とにかく一般の観光客や市民が行きたがる場所以外は考えることすらイヤらしい。

 さらに何人かに断られた後、ダムのある上坝村までなら、という条件で載せてくれるタクシーに出会う。フー。運転手自身がその村付近の出身のようだ。

 市内中心部から出発したタクシーは、地下鉄工事の進む北京路を北へ進み(その3カ月前に着工したばかり。2012年秋開業の予定だった。交通整理もなく、はげしく渋滞していた。タクシーの運転手は「工事が始まってからはいつでもこう」とあきれていた。)開発中の20階建て以上の乱立するビル群を抜けて、北東に道を折れた。

(私が暮らした、その6年前までは、ここも農村だったのに、そのおもかげはなし。こんなに作って、水や下水は大丈夫なのだろうか? そもそも売れるのか? これ以上先は昆明を囲む山々を開発しないと拡大しようがないほどに膨張していた。
また昆明の地下鉄は、現在、2013年の春節2月10日開業を目指してなお準備中。ただ先週1月8日の試運転時にトンネル上部の防火扉の脱落による脱線事故を起こして、運転手一人が死亡、1人が負傷したので、開業がさらに遅れるとの観測も。)

 折れた先の道からは、のどかな空間になった。緑の木々が茂るなか、まっすぐに伸びた盤龍江上流にあたる細い水路が北東を目指して進む。水路の両脇には土の道路が挟む。さらにその両脇は農業科学院研究所展示センターや、建設資材の工場、ひなびた釣り上げた鱒を食べさせる食堂などが木々の間の合間に見え隠れする。

と、上坝村に着いた。
    (つづく)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする