雲南、見たり聞いたり感じたり

雲南が中心だった記事から、世界放浪へと拡大中

雲南の書記と副書記7 四川という人脈

2017-04-25 15:16:44 | Weblog
竹蓀茸(きぬがさだけ)とアスパラの蒸し物。香港の料理屋で食べた一品。竹蓀茸の産地の一つ、雲南ではキノコ鍋にただ、入れる、という調理法が主だったが、香港は手をかける。どちらもおいしい。
 見た目の白さと食べた時のぬめり、ほのかなよい香りと、嚼むとじゅわっとやわらかいのに、最後まで食べきる時のしゃきっとした感じがたまらない。日本でも輸入食品を扱う店では乾物として売られているので、今の季節のアスパラと共にいかが。

【「電力」と「四川」】

元国務院総理の李鵬の娘・李小琳は、中国の理工系大学の最高峰・清華大学電気系電力系統及び自動化専業の修士号を取り、一貫して電力業界を歩み、2008年には中国電力国際発展有限公司の董事長(最高経営責任者)となっています。

今も数々の要職には就いていますが、中央からの制限や取り調べの噂があることから、政権との暗闘は続いているのでしょう。

気になるのが、李鵬も当然その子ども達もすべて四川省出身ということ。李小琳は父が脳梗塞で倒れ、政権復帰の望みのなくなるあたりの2001年から10年間、出身地の四川省と北京の貧困学生300名と教師50名に300万元の援助をする基金のセンター長でした。

四川省といえば、さきに石油業界の大物で2000年から2年間、四川省党委員会書記に就任していたのが、2015年6月に無期懲役の刑を言い渡された周永康です。彼は2002年に党中央政治局委員に選出され、2012年には党の序列9位まで昇った人物。ただ、2012年の重慶市長の薄熙来が逮捕された際に彼と緊密な関係にあったため、周永康は直後より消息不明となっていました。

薄熙来は日本でもだいぶ報道されました。現在、習近平が総書記に就任していますが、その権力争いに敗れて失脚し、彼の奥さんがイギリス人実業家を殺した嫌疑で逮捕され、その後本人は日本円で3億2000万円ほどの収賄の罪で2013年9月に無期懲役の判決を受けています。

 この流れの中で中央から雲南省の党書記となった高厳は失踪。そもそも雲南で党書記に彼が就いたのは、電力に強く、李鵬以下の人脈に通じているための様子。彼の取り調べの罪状も雲南の党書記時代だったもの。このように雲南の党書記の人事も、雲南以外の土地から送られた場合は、政局に大きくからまっているのです。
(つづく)
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雲南の書記と副書記6 電力業界のドンの太子(こども)たちとのつながり

2017-04-23 11:47:27 | Weblog
写真は硬貨を入れると木馬のように動く子どもの乗り物。子どもっぽい歌と音楽はその間流れ、子ども達は乗りながらうっとり。単純なおもちゃだが、どんな国の子どものすきなようだ。

【今も続く暗闘-閲覧制限つづく】
1965年、23歳の高厳が吉林熱電廠団の委員会書記だったころ、東北電管局に所属する豊満水利発電廠、阜新発電廠で仕事をしていた李鵬と知り合いになり、李鵬の出世とともに高厳も出世街道に乗ったようです。

つまり李鵬の失脚の足がかりとするための高厳の失脚というのが実情なのかもしれません。ちなみに彼が逃亡したとされるオーストラリアは李鵬が国務院総理時代に親密だった国です。

2002年から15年もの間、逃亡し続ける高厳を中国政府が追い詰めて逮捕していないのは、高厳がうまく逃げているだけではないでしょう。2008年に李鵬が脳梗塞をわずらい、政界への復帰の可能性が消えたことにあります。李鵬の息子の李小鵬は2002年に一度、地位は落とされたものの、2016年9月には交通運輸部長の役職で政府中枢の一角を占めるに至っています。

 その一方で李鵬の長女、李小琳が、長らく電力業界で強力な権限を握っていたのですが、2016年には、香港へ出かけようとした李小琳が出国禁止の命令を受けたり、という事象が起きています。

(2017年4月20日までは、彼女の様々なスキャンダルがインターネットで閲覧できたのですが、4月23日に改めて文章にするために確認しようとしたら、すべて削除され、見られなくなっていました。)
(つづく)
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雲南の書記と副書記5ー電力系の人・高厳

2017-04-16 10:58:10 | Weblog
写真は高厳が雲南省党書記着任時に各種電力プロジェクトが認可された文山州を流れるメコン河(瀾滄江)。

【北京中央の政治家とのつながり】
前回、雲南省党書記の年表を掲げましたが、その中で、中央の政争に巻き込まれた人が少なくとも二人います。一人が1995年から1997年の間、つとめた高厳。もう一人が、先ごろ死刑判決を受けた白恩培です。二人の経歴をじっくり見ると、共通するおもしろいことが分かってきました。まず、高厳からみてみましょう。

 高厳は1942年、吉林省の楡林出身。楡林は革命の聖地、延安のお隣の街です。学歴は長春電力学校卒業。中国共産党員として出身地の吉林省で吉林省長まで上り詰め、雲南省党書記となりました。
 雲南省党書記を辞した後は、さらに出世して国家電力公司総経理となっていたのですが、2002年に取り調べ対象となり、その年の9月にオーストラリアに逃亡。
 現在も逃亡中で、海外に逃亡した人の中で最高級官吏だったの一人です。2003年には中国共産党員を除籍させられました。

 彼の在任中の、国家主席は江沢民。
 当時、国家プロジェクトとして雲南から東南アジアへの交通回廊と電力開発に重点がおかれた時期です。1996年には「雲南が東南アジアと南アジアの国際道路を貫通して建設させることで中国を成る(雲南建設成中国面向東南亜、南亜的国際大通道)」構想が掲げられ、交通とエネルギー分野での領域展開と実務での合意がなされました。
 つまり中国の利益のために雲南が要(かなめ)となって東南アジアやインドに向けて交通インフラと電力インフラを整えるという構想です。おそらくこの国家プロジェクトのために高厳は、吉林省から、今まで縁もゆかりもなかった雲南省に党書記として赴任することとなったのでしょう。

 そして2002年に彼がかけられた嫌疑は雲南の企業の中でも全国的ブランドで知られるたばこ会社「紅塔集団」に雲南省書記時代にたばこ1万2800箱購入する契約をして、それを960万香港ドル(約1億3400万円)で売り、利ざやを稼いだ疑惑。党書記の嫌疑としては、最重要の罪とは思えない罪に思えます。
 ただ、表だって言われてはいないのですが、ここには中国の中枢の政治家に連なる罪となりうる、という点が重要なようです。

 当時の「紅塔集団」の副手には、李鵬の息子の李小鵬が、助手には李鵬の娘の李小琳が着任していていました。つまり李鵬に連なる嫌疑ということが深刻でした。

李鵬といえば鄧小平当時の国務院総理であり、その時、第2次天安門事件がおこった際に、武力で鎮圧したことで知られています。彼の後ろ盾は周恩来。中華人民共和国初代総理の周恩来は多くの孤児を養子としましたが彼もその一人でした。2003年に政界を退任していますが、高厳の失脚時期とぴったり同じ年です。これは偶然ではないでしょう。
(つづく)

参考文献:陳秋生主編『雲南財政研究報告(2008-2009)』(中国財政経所出版社、2009年)
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雲南の書記と副書記 -歴代書記の出身から関係を見る

2017-04-09 10:45:14 | Weblog
写真はシャングリラで見かけた兄妹。いまは一人っ子政策ではなかったが、少数民族は当時から一人っ子の制限はかけられていなかった。このように雲南の政治には弱冠の特殊性がある。

【副書記からは7人中4人】
中国には党と国家の二つの組織があり、党を代表するルートに名前がつくのが「書記」国ルートが「主席」になります。1949年に中華人民共和国が成立まもなくは地方組織を強力にして国固めに力を入れていましたが、その3年後の1952年よりソ連型の中央集権的計画経済システムに大きく舵を切りました。

 このとき人材を北京にある中央人民政府のもとに集約しはじめ、鄧小平は5人目の政務院副総理に就任しています。つまり「副」は次の人材として目をかけられるチャンスのある部署だったわけです。その後、中央政府を強力にするために地方の権限をそぐよう、配慮を始めた、ともいわれています。

 では、実際に雲南省の書記と副書記はどのような人々がその座についていたのでしょうか。この一覧がとくに発表されていないので、調べて作りました。

 文革の影響が終わった1985年からの雲南省党書記の役職を並べてみます。

1985~1995 普朝柱 父親の普希賢は国軍将領で戦時下、雲南航空司令部作戦科長。普朝桂は、雲南生ま           れ。副書記からの昇格。
1995~1997 高厳 吉林省出身。雲南省書記の前は吉林省長。雲南省党書記後、国家電力公司総経理で、       巨大蓄財の嫌疑で処罰、直前にオーストラリア逃亡。現在も逃亡中。海外逃亡最高級貪官と       言われる。

1997~2001 令狐安 山西省出身。副書記からの昇格。

2001~2011 白恩培 陝西省出身。内蒙古、青海省で省委員会書記まで勤めてから雲南省党書記に。現在           死刑判決下る。

2011~2014.10 秦光栄 湖南省出身。2014年の雲南省の官場地震の対応の鈍さで北京中央の怒りを買             い、雲南省副省長、昆明市市長市長らとともに党書記を罷免される。(2015.1月            に白恩培が巨大賄賂収受の件で党からの永久追放と公職解任が決定するので、そ            の事件に巻き込まれたともいえる。)

2014.10~2016 李紀恒 広西チワン族自治区出身。現在、内蒙古自治区委員会書記。雲南省省委員会副書         記からの昇格。
2016~現在 陳豪 江蘇省出身。副書記からの昇格。

上記の多くは雲南で党副書記に任命された後、内部選挙によって雲南省長(つまり中央政治局の主席に相当)に選ばれています。
そして、党書記に副書記から昇格の場合はその前に勤めていた党書記がなんらかの事件を起こして、罷免などされた時に、急場しのぎで昇格していることがわかります。それが7人中4人なので結構な人数ですが。
 そして雲南省出身者は普朝柱ただ一人。それも将軍として雲南に赴任した父から生まれた漢族です。これでは、雲南の人よりの政策はなかなか生まれそうにありませんね。
(つづく)
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