雲南、見たり聞いたり感じたり

雲南が中心だった記事から、世界放浪へと拡大中

宜良ダックを探して①

2011-06-26 10:20:26 | Weblog
                                        
写真は宜良のアヒルを使った学成飯店の「宜良ダック(=烤鴨)」。頭と足の部分が皿の両側に器用に付いていたのだが、一緒に行った人が不気味がって、写真を撮る前に、隠してしまった!(2004年、昆明にて撮影。現在も変わらず営業中。)

※いつもお読みくださり、ありがとうございます。いよいよ、新章、突入です。

【豪快な‘北京ダック’】
 小学生の頃、東京・等々力に住んでいた親戚のおじさんに「こんなの食べたことないだろう~。」と言われて連れて行かれたのが、北京ダックとの初めての出会いでした。アヒルを丸ごと味わうのではなく、皮の部分だけを薄く、花びらのようにそぎ落とし、それを、小麦粉で作られたクレープのような皮に、細切りのキュウリやネギ、甘めの味噌などとともに巻いて食べる。
「贅沢な味だなあ。」と子どもながらに思ったものです。皮のパリパリが香ばしく、それでいてジューシー。でも、中のお肉がもったいないなあ。

 以来、中国各地で、あると聞けば、北京ダック製法の食べ物を口にしてきたのですが、雲南でもそのチャレンジは続きました。(「製法」とつけるのは、いろいろな料理法がじつはあるから。それは、後ほど。)

 その名も「学成飯店」。昆明にいくつか支店があるのですが、私がよく通った店は市の西側・白馬小区の新聞センターの斜め向かい側にある小さな店でした。アヒル料理が自慢のお店です。

 北京ダックは中国語で「北京烤鴨」と書くことから、「烤鴨」を注文してみました。すると、なんとアヒルのくちばし付きの頭と足を長細い皿の両側に載せ、肉の部分は豪快にぶつ切りされたものが出てきました。これを、花胡椒入り粗塩や、ネギ、甘味噌など各自で合わせていただくのです。

 他のアヒル料理も、新鮮なたっぷりの唐辛子とともに炒めたアヒルの細切れなど、北京ダックとはかけ離れた豪快さ。皮のパリパリとその内側の脂身が甘みを出すのか、ビールとよく合って、店はいつでも繁盛していました。

【アヒル養殖のさかんな町】
 このお店のメニューや壁を見ると、目に留まるのが
「宜良の良質な『無公害』(中国では減農薬などの意味です。)アヒルを使った料理が自慢です。」

の張り紙です。

 宜良は昆明近郊の農業のさかんな町。どうやらアヒルの養殖もさかんな様子です。
 そういえば2004年当時、昆明の新聞には、宜良「湯池」におけるアヒルの養殖問題が始終、ニュースになっていました。湯池ではアヒルの養殖がさかんすぎて、池の水が汚れて困る、という内容でした。過剰な化学肥料と農薬の投与も問題となっていました。

 湯池といえば、昆明の有名旅行社(シンガポール資本)が所有する温泉SPAホテルがあるところ。新聞の広告面ではしょっちゅうホテル所有のゴルフ場に有名人がきた、などと煽って高級感を演出しているところでもあります。
 一体どんなところなのか、と興味がわき、いつか行ってみたいところとなりました。
                  (つづく)
             
               
写真下は香港の「鹿鳴春」の北京ダック。(2011年春撮影。)切り方がやはりおしゃれ。「鹿鳴春」はもともと、北京にあった北京ダックの老舗の店である。中国の政治的混乱を逃れて香港に居を移した。

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雲南特産? モチの種

2011-06-19 15:13:05 | Weblog
写真はモチひまわりの種。中を割ると、ぎっしりと実が詰まっている。

【日本でも意外な人気】
 お米にうるち米ともち米があるように、雲南にはトウモロコシにも、2つの種類があることは以前に書きました。黄色いさっぱりとした私たちになじみのあるものと、臼で挽いてトロトロにし鉄板の上で焼くと、粘りけの出る白いモチトウモロコシです。

 これらに「モチ(糯)」種があるのだから、他にも可能性はあるとは予想はしてました。でも、まさか。あの種にも、と思うものを雲南で見つけました。ひまわりの種です。

 中国では、すいかやかぼちゃひまわりなどの種の「瓜子」は大事なお茶の友です。なかでも雲南では、ひまわりの種が人気です。列車の中でも、タクシーの待合いでも歯と片手で器用に皮を剥いてポリポリ、パクリ。かつては、日本人スパイを中国人の中から見分ける方法として種を食べさせてあぶり出していたこともあったとか。

 それはともかく、さっそく「モチひまわりの種」を買ってみました。見かけは普通のものより、やや白みがかっていますが、大きさは同じ。値段はじゃっかん高め。味は少し、甘いかな。いや、かわらないかな。なんだか香ばしいぞ。しかし粘らないな、などと思いながら食べきってから気づきました。米だって蒸さないと、粘らないのだと言うことを。

 おみやげに日本に持ち帰ったところ、友人にも子ども達にも「これはおいしい。」と大好評。あっという間に白いひまわりの殻の山が積み上がりました。念のため、何も言わずに、ごく普通のひまわりの種も別皿に盛ってみたのですが、そちらの方はさっぱり減りませんでした。

 ちなみに雲南以外の地方で糯ひまわりの種が流通しているかどうかをインターネットで調べてみましたが、ヒットするのは雲南ばかり。もしかすると、この種こそ、雲南特産なのかもしれません。

 また、ひまわり、とうもろこし、たばこ、じゃがいも、とうがらし、と広大な雲南の畑は南米原産の作物が単一栽培されていて、じつに不思議なのですが、植物学的になにか、南米とのつながりが雲南の地にはあるのでしょうか。ちなみに米や茶は、雲南が原産地の一つと言われています。
                   (この章・おわり)
                    
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素朴な副菜・豌豆粉(ワントウフェン)⑤

2011-06-12 15:33:06 | Weblog
写真は麗江にて。女性の手に載っているのが特産・鶏豌豆粉。売り場の台の上にも碗に固められて、置かれている。一般的な豌豆粉より、よりきめ細やかな舌触りと味と評判。5ミリ幅程度に短冊切りにし、冷たいまま、香菜や醤油・酢・唐辛子の粉など、家ごとまたは店ごとのタレをつけて、食べる。噛みごたえがあり、寒天を食べるような感覚だった。(2004年6月撮影。)

【台湾へ渡る】
 ただただ、大鍋で煮て固めただけの素朴な豌豆粉。雲南の他には、四川省、青海省などで同じような製法のものが食べられています。ただ、名前は「四川涼粉」というように、「地名+涼粉」という名前に変化し、昆明でよく見かける黄色いボタッとしたポタージュを固めたもの、というより、澱粉を固めたゼリーのような透明感のある仕上がりです。「豌豆粉」ほどの素朴さは、見あたりません。それほど中国の食の移り変わりはめまぐるしいのです。

ところが台湾にはありました。

 中華人民共和国が中国共産党によって1949年に建国され、雲南にも共産化の波が押し寄せたときに、一時の避難の場として徒歩で国境を渡り、タイやミャンマーへと逃れた人々が大勢いました。その後、国境が閉鎖され、戻れなくなり、中国大陸を逃れた蒋介石の政治的画策により、台湾に渡った人々がいたのです。

 現在、台湾の国際飛行場のある桃園地区の中瀝・龍岡地区には、そうして人々が台湾へ根を下ろして生活しています。そこでは、昔ながらの雲南やミャンマー、タイの食事が冷凍保存されたかのようにパッケージされているのです。

 その中心地・桃竹苗のイスラム教寺院の信者によるイスラム料理の店ではミャンマー料理と並んで、「雲南豌豆粉」の名を冠した「そのもの」がありました。雲南の農村部でもより進化した食べ方が輸出されたらしく、醤油や酢などとともに炒め、香菜をたっぷりとかけていただくそうです。

【豌豆以外のバリエーション】
 また雲南でもっとも有名なのは、「豌豆粉」の中でも、雲南中北部の麗江を拠点とする納西族特産の「鶏豌豆」(エンドウ豆の小形なもので、扁平な緑豆にたとえられる豆)を使った「鶏豌豆涼粉」です。製法も、合わせる具材も「豌豆粉」と同じ。というより、味のきめ細やかさから、より上等と見られています。麗江のアチコチで売られる名産です。さっそく食べてみたのですが、砂糖の甘さが一つもない、じつに素朴な味でした。他に雲南には空豆の使った「抓抓粉」などもあります。

 中国各地にみられる、豌豆の他に緑豆やお米をつかった「涼粉」文化。その起源をさかのぼると今から1000年以上前の北宋時代に書かれた『東京夢華録』の「細索涼粉」なるものにたどり着きます。この本は、北宋の都市・開封の庶民の生活を描いた本なのですが、そのころには、豆かお米をプルプルゼリー状にした今のような食べ物があったのかもしれません。その原型が今なお食べられる雲南の食文化に、なにか不思議なものを感じてしまいます。

参考文献:『澄江風物志』(楊応康著、2004年、雲南民族出版社)
『雲南喫怪図典』(張楠編著、2004年、雲南人民出版社)

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素朴な副菜・豌豆粉(ワントウフェン)④

2011-06-05 10:27:00 | Weblog
                 
昆明の市場で売られている豌豆粉。一杯注文すると、細かく切った豌豆粉に、醤油、ラー油などの調味料を次々とかけて出してくれる。子供のおやつとしても、食べられる一品である。(2010年夏撮影)

【満漢全席の一品に】
「豌豆粉」は、雲南以外ではどこで食べられているのかな、と調べてみると、意外な事実を2つ、発見しました。

 一つは、西太后の大好物のスイーツで、現在、満漢全席の一品として登録もされている「豌豆黄」。これが、とても似ているのです。羊羹のようにエンドウ豆を軟らかく煮てペースト状にし、砂糖で味を調え、寒天を加える(店によってはクチナシで鮮やかな色をつけたり、ナツメやキンモクセイを加えたりすることも)のですが、「豌豆粉」がただただ素朴なら、「豌豆黄」は濾したり、砂糖を加えたりと、より手間をかけ、上品で洗練されています。

 時のイギリスのサッチャー首相が中国を訪問したときにも、たいへん喜ばれたとか。

 旧暦の3月3日に行われる北京の縁日で「豌豆黄」はかかせない一品でした。収穫されたばかりのエンドウ豆で作ったものは、さぞかし春を感じさせたことでしょう。

 清朝初代皇帝ヌルハチの第13代孫にあたる愛新覚羅家の一人・瀛生(1922年横浜市生まれ。新中国では北京文史館勤務)が書いた『老北京与満族』には、豌豆黄は回族(イスラム教信奉者の民族)の伝統的な民間小吃とあります。元々、白えんどうは唐の時代(日本で遣唐使を派遣していた時代)以前に、メソポタミアからもたらされた、といわれているので、興味深い話です。

 さらに豌豆黄には、粗く濾したものと、細かく濾したものがあって、粗い方には砂糖を加えずにナツメを加え、細かい方には白砂糖を加えるがナツメを加えることはなかったとも書かれていました。ちなみに2004年に瀛生が書いたところでは、「現在では濾す程度に区別がなくなり、ナツメも使われなくなった」とあります。瀛生氏の行動半径にはナツメをトッピングする店は見あたらなかったのでしょう。

 また粗い方が原型で、細かく濾して砂糖を加えたものは、西太后の食卓でスイーツに近いのではないでしょうか。
 こうして考えると西太后の食卓には、わりと中国の農夫が日常食べる料理を洗練させたスイーツがあるように、現在の「豌豆黄」も「豌豆粉」を宮廷風にスイーツとして昇華させたもの、と見立ててよさそうです。            (つづく)
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