雲南、見たり聞いたり感じたり

雲南が中心だった記事から、世界放浪へと拡大中

暴れる象と芸象5 利を保つ?

2016-03-25 10:02:47 | Weblog
写真は、先週に引き続き、雲南民族村の芸をする象。象自体が喜んでいるような、にこやかな表情に引き込まれる。飼い方やしつけがよほどいいのだろう。
 雲南民族村では、現在も象の芸を、かわらず公開しているので、お時間のあるかたはどうぞ。

【象と政治】
ちなみに雲南民族村の象をラオスから招いたのは、雲南民族村と中国保利西南公司が連合して行ったものです、と雲南民族村の説明書などに書かれています。

さて突然、出てきた中国保利西南公司。芸をする象を買い付ける専門会社なのでしょうか? 

 そこで他に象を買い付けた実績があるか動物園などのサイトを中心に調べて見ましたが、そのような文面は見当たりません。

では、中国初、芸をする象を輸入するというのは、どういうことなのでしょうか? 
そもそも、どの会社が買い付けた象なのか、観客にとってはどうでもいい情報なのに、この企業と連合で招いた、と誇らしげに民族村の紹介に、わざわざ書くのもヘンな話です。

 こうして深く調べていくと、どうやらとてつもない企業だということがわかってきました。

 ウィキペディアでは、定義はただ「中国保利集団公司は中国を拠点とする企業グループである」の一行のみが書かれているだけ。
 実際には中国全土の不動産投資などを中心に手がける巨大グループで、発足は1993年。保利科技有限公司として鉄や石炭などを取り扱う会社として、中国国務院自らが作った会社でした。現在、不動産、骨董品や絵画などのオークション、軍事関係などをも手がけています。

 たとえば町の都市化が加速した時に生まれるインフラも整わず、新規の道路なども通らない「城中村」の立ち退きや開発など際には大いに力を発揮します。(http://house.people.com.cn/n/2015/1110/c164220-27796493.html)

 ちなみに幹部陣は小平の娘婿、小平の娘、元国家主席・楊尚昆の娘婿、元元帥・葉剣英の子息と大物2世がずらり。英語名は「POLY」。「保利」公司は利益を保つと読めますが、象の買い付け専門業者どころではなく、まさに開発の象徴のような会社です。

 さらに雲南民族村も、なかなか不思議な成り立ちのあるところです。

 まず、立地する昆明滇池国家旅游度假区は、いまから23年前の1992年に国務院が12カ所指定した国家旅游度假区の一つ。
 海外からの接客に耐えうる地区を開発するのが目的で、華僑が海外からの投資を呼び込みやすくする意図もありました。
 後に世界遺産に登録される福建省の武夷山や杭州(中心地の西湖が登録されている)などが同時に指定されています。内陸部では滇池だけが登録されました。(中国語版ウィキペディアよりhttps://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E6%97%85%E6%B8%B8%E5%BA%A6%E5%81%87%E5%8C%BA)

 一方、旅遊景区の指定は国家旅遊局が行います。
 5Aが最高ランクで2007年から指定が始まりました。雲南では世界遺産の麗江などが、5A。滇池は4Aなので、こちらはそこそこ、といったところ。

 つまり、これら登録状況を見ても、中国の改革開放初期段階の1990年代に国務院が雲南民族村にいかに力を入れていたかがよくわかります。

 象の買い付けはつまり、会社名すら定かでないころに、開発目的もあって国家旅遊区を12カ所選定し、国内初のイベントとして雲南民族村に「象の学校卒」の芸の達者な象を招いた、国内初の事業の一つだったのです。

 象と政治はなにか関係があるのでしょうか?      
(つづく)

※来週の更新はお休みします。日本もちらほら桜が咲き始めました。ただ、まだまだ日陰は底冷えすらします。自律神経の調節が難しい季節ですので、腰や肩を痛めたり、風邪など、引きやすくなります。どうぞ、ご自愛ください。

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暴れる象と芸象4 芸達者な象はラオスからやってきた!

2016-03-20 14:29:02 | Weblog

写真は昆明の滇池のほとり・雲南民族村で行われている象の曲芸ショー。お客さんを舞台に呼んで、象が手づから按摩するコーナーが人気。象の顔立ちもシーサンパンナの野象谷よりおだやかで、動きもゆったりしている。

【ラオスの象】
雲南ではもっとも初期につくられた巨大な民族テーマパーク・昆明にある雲南民族村でも、象の芸は行われています。ここは野象谷の芸より安定感があり、もう少し穏やかなものでした。

(私は2004年と2008年に見ただけですが、その後も象の珍しい曲芸は中国のユーチューブ的サイトの「土豆」に次々とアップされ続け、変わらぬ芸を野象谷でも雲南民族村でも日々、行い続けていることがわかります。)

とはいえ芸の内容は一見すると過激です。
笑いさんざめく観客をその場で指名して数人会場の床に横たわらせ、その上を象が歩いたり、人の体を象の足で按摩させたりするというもの。
象の習性を熟知しなければ、とうていできるものではありません。

(たとえば象は異物を避けて歩く傾向がある。日本テレビの「世界の果てまでイッテQ」イモトアヤコさんのコーナーでスマホを道の真ん中に置いて、数十頭の象を歩かせていましたが、象は確実にスマホをよけていました。)

これらの芸はシーサンパンナの象学校のものとは何か根本的に違うなあ、と、思い、調べると、9頭の象すべてと当初の象使いはラオス出身。しかも象も人もラオスの象学校で学んで優秀な成績を修めた「学士」様なのだそうです。

ラオスで十分に訓練を受け、中国に芸のできる象として最初に「輸出」された方たちなのでした。

なるほど熟達した技で走る、立つ、ひざまずく、眠る、という基本動作の組み合わせでショーを成り立たせているので安定感が出るのです。

 しかし、按摩はスリル満点でした。
(つづく)
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暴れる象と芸象3 中国唯一の象使い養成校

2016-03-12 12:36:06 | Weblog

写真は西安の野生動物園にて日々催されるサーカス。動物園の敷地面積は1.3キロ平方メートル(東京ドーム約103個分。)で、とにかく広い。

※今回、長文です。よかったら2回にわけてお読みください。

【野生とはほど遠い光景】
金孔雀集団が経営する野象谷には中国で唯一の象使い養成校があります。
つまり、中国人の象使いの多くはこの学校の卒業生なのです。そして野象谷では、日々、体の大きな象が恐ろしいほど人間に従順な様子で集団曲芸をきまじめに行っていますが、それはここの学生によるものなのです。

観光客を象に乗せ、細い板の上を歩き、象が前足だけで立った上で象使いもポーズ、後ろ足と鼻でフラフープを回し、その芸当をしながら、さらにポーズ、小さな台に後ろ足を乗せ、立ち上がり、さらに一本足だけで立ち、象使いが鼻を持ってクルクル回し、次にめがねをかけ、ポーズをしたり、鼻で観客に肩たたきをしたり、ついにはサッカーまで。
 フィニッシュは雄大な青い空と緑の森を背景に象4頭を連なり立たせ、その象の頭に上に象使いが立って、旗を振る、サーカスのような、野生の象を期待した人にとっては、その真反対にある情景です。

 これを人々は売り子が売り歩くお菓子などを食べながら、気楽な姿で見学するのです。

 金孔雀集団は雲南に幅広く動物園などの施設やテーマパーク的観光地を作っていますが、そのほかの場所でも、この学校の卒業生が行う舞台は数多くあります。
 たとえば、シーサンパンナ原始森林公園。ここは10年前に訪れたときは象の舞台はありませんでしたが、「野生動物表演(公演)」という名で虎、猿、ライオン、熊、馬、犬が調教されて演じていました。毎日やっているためかだらけきって、緊張感がなく「これでよく事故が起こらないものだ」と感心したものです。

【動物園のサーカス】
 動物の公演というと思い出すのは陝西省西安の野生動物園。2004年9月時には新規にオープンしたばかりでした
(当時、日本のどのガイドブックにも書かれていなかった。私たちも知らずにホテル近くの市内の動物園のつもりでタクシーに乗って「動物園」と告げると30キロ先の終南山の麓まで連れて行かれ抗議すると「先日、移転してここになった」と言われてびっくり。娘のリクエストで偶然に行った)。
 だだっぴろいだけで、人はほとんどいない場所でした。

 ここの常設のテントでは、とくに別料金を払うこともなく、観客が少なかろうとおかまいなく動物がらみの本格的なサーカスを行っていました。きまじめに時間がくると、人によるアクロバットや輪くぐり、空中ブランコなどをピッチリとしたキラキラの衣装をまとった丸顔の若者が、きまじめに演じていました。動物もなにやら緊張感が漂います。最後に10元で虎とのツーショットを撮るコーナーがありました。雲南ではだらけた雰囲気によもやの事故を考えて断っていましたが、ここでは娘のたっての希望で写真をパシャリ。(私の危惧したとおり、昆明動物園で2007年の春節の賑わいの中で6歳の女の子が日常的によびこみ有料で行われていた虎とのツーショット撮影時に襲われて死亡する痛ましい事故があった)

 ステージが終わった後は客がはけようがはけまいがお構いなく、すぐに先ほどの演技の反省と反復練習を始める真面目さぶり。彼らの努力は、どこに向かって行くのだろう、と心配になったほどです。

 さて野象谷では2年の準備期間をへて1996年2月に象使い育成学校が創立されました。象7頭に象使いの卵数人。その技術はシーサンパンナ仕込みではなく、タイの象使い師を4名招いて学んだものです。シーサンパンナでは象使いの伝統は200年ほど前に断たれたとのこと。このことはまた、後ほど。

また象は一頭あたり一日に300キロのエサが必要なため、これ以上飼うことは経営上、難しく、その後も象は6,7頭前後となっているようです。
(つづく)
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暴れる象と芸象2  野象谷の変貌

2016-03-05 11:14:33 | Weblog
シーサンパンナ・景洪で見かけた結婚式で花嫁花婿が乗る車。ハートの形にでコーレートした花を、高級車につけるのは中国の結婚式ではよく見かける。

高級車にデコレートするようになったのは90年代以降だが、その前はトラクター、それ以前は自転車を花でデコレートする時代もあったらしい。
もともと、紀元前の漢の時代より、花嫁を赤い花などで装飾したいすに座るタイプの一人用の輿(花轎)に花嫁を乗せて、花婿の家に向かう習俗が中国にあった。(中国のインターネット百科事典「百度百科」より)
 現在、車中央に花でハートをあしらったものを「韓(国)式婚車」、LOVEという文字を花であしらったものを「LOVE婚車」などと名称がつけられているhttp://www.1688.com/jiage/-BAABCABDBBE9B3B5D7B0CACECCD7D7B0.html。花車は日本では見かけたことがないが、結婚式の飾り付けには、伝統が生きづいているのだろう。

【野象谷の変貌】
野象谷は370ヘクタールに象の群れが暮らす保護区域で1990年に野生の象と熱帯雨林の公園として指定されました。

本来なら象の聖域となるところに1996年から65元の入場料を払って入場する施設がオープン。野生の象を小屋に入って静かに観察する施設ならタイにありますが、ここは違いました。
樹上ウオーキング、樹上旅館、蝶の繁殖園、百鳥園などの他、野生の牛、孔雀、猿が放し飼いされ、さらに中国唯一の象使いの育成学校も設置されたのです。

 こうして現在では観光客が自家用車や観光バス、タクシーで押しかけ、熱帯風情を楽しむテーマパークに様変わり。象使いによる象の曲芸や象と観光客がからむ芸などが繰り広げられる世界となりました。

ことの始まりは1994年にシーサンパンナの森林局が資金繰りに困り、保護区の開発権を売りに出したことでした。

そこに雲南全体に雲南風情のテーマパークを乱発している浙江省の金洲有限公司(雲南では金孔雀旅遊集団公司の名で知られています)が手を上げ、4300万元(約7億円。当時の中国では実際にはその何倍もの金銭的価値があった)で買い取り、多額の投資をして、テーマパークに作り上げたのでした。

こうして2005年に前を通過した際は、野象谷と書かれたアーチのくすんだ看板のすぐ向こうでハイヒールに肩の出たワンピース姿の女性らが、樹上ウオーキングの橋をおっかなびっくり歩いていました。

 今では、より立派な施設になって日本人観光客も多数訪れる施設となっています。今もその繁栄は続いている、というわけです。

 このような事態では、野生象がいやがらないわけがありません。
結果、人と象の死亡も含めた傷害事件が多発しているのですが、これらの原因をシーサンパンナ州政府は
「近年、保護政策により野生アジア象の数量が増加したため」(シーサンパンナ州政府新聞、2015年10月24日)と分析しているのです。ですが、数字の増加がわかる調査結果はなにもなく、その数量も中国全体で250頭から300頭と書かれているのみです。

もはや象が観光客の車に衝突したのは、彼女にふられた腹いせではなく、州政府が金儲け優先で象の保護に無頓着なためだということがはっきりとわかるでしょう。    (つづく)

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