彝族が暮らす普家黒の牛。雲南本来の農作業用の牛はこのように角がピンと逆八の字にそびえ、背中にコブを持つ、黒々とした水牛タイプだったのではないだろうか。
【もともとの雲南の牛は?】
屯牛によって、雲南の牛が村ごとに違うわけがわかりました。ただ、明代に中国各地から送り込まれた牛は背中にコブのない北方系牛。では、それまで雲南に多くいた牛はどのような牛だったのでしょう。
昆明市付近に限定すると、滇池周辺では紀元前の前漢時代(前206―紀元24年)ごろに最盛期を迎えたといわれる古滇王国と称される青銅器が手がかりになります。これには角が逆八の字にそびえ、背中にコブを持つ水牛のように見える彫像がよく出土します。
たんなる牛という言葉では片付かないほど神聖を帯びた姿は現在の雲南人の心をも捉え、昆明の雲南省博物館や、雲南の象徴的なところに青銅製のモニュメントとして飾られています。
このピンと延びた形のいい角をもった入れ子状の水牛にヒョウのような猫科の動物が食らいついているかっこいい銅像は滇池のほとり、江川県李家山遺跡で発掘されたものを大きくしたものです。
https://zh.wikipedia.org/wiki/%E7%89%9B%E8%99%8E%E9%93%9C%E6%A1%88
http://www.ynmuseum.org/2015/0410/27.html
ほかに当時の通貨であるタカラガイを収納した青銅製の貯貝器の上に立体的に描かれたレリーフや銅鼓の蓋にも牛が多数、付けられています。
http://www.chnmuseum.cn/tabid/212/Default.aspx?AntiqueLanguageID=699
http://www.chnmuseum.cn/tabid/212/Default.aspx?AntiqueLanguageID=702
いずれもすらりとした、もしくは、やや肉のだぶついたような背中に一つのコブを持つタイプです。
ちなみにこのあたりの遺跡からは「滇王之印」と彫られた金印も見つかっています。
金印の背に付いた鈕(つまみ)は日本の九州の志賀島で発見された「漢委奴国王」印と同じ蛇形。滇国印は『史記』西南夷列伝の、前漢の武帝が元封2年(紀元前109年)に下賜したという記事のもので、委奴国印は『後漢書』 東夷傳の後漢の光武帝が建武中元2年(57年)に奴国からの朝賀使へ授けたものといわれています。
166年の隔たりはあるものの、漢から蛇の鈕を持つ印で冊封された国というつながりがあるわけです。またかつてささやかれていた日本の金印の偽造説が雲南の滇国印の発見でほぼ一掃された因縁もあります。でも印の字が入るか入らないかという文面の違いは文字のバランスによるものか興味深いですね。今後、考えて見たい気もします。
「漢委奴国王」印https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%A2%E5%A7%94%E5%A5%B4%E5%9B%BD%E7%8E%8B%E5%8D%B0#/media/File:King_of_Na_gold_seal.jpg
「滇王之印」
http://www.chnmuseum.cn/Default.aspx?TabId=212&AntiqueLanguageID=698&AspxAutoDetectCookieSupport=1
話が逸れました。
これらのことから考えると、少なくとも滇池あたりの民族とともに暮らしていた牛はインド系牛に分類される系統だったのでしょう。どちらかというと、現在では水牛に属する部類のように見えます。そしてそのレリーフのリンとしたたたずまいから牛は神聖を帯びたものと見なされていたと思われます。
いまでも祭りの犠牲に牛を使う雲南の民族として独龍族などがいますが、牛は運搬や農作業の他、祭りの捧げ物にかかせない重要な動物だったのです。
(おわり)
※長らく牛におつきあいいただきまして、ありがとうございます。次週は更新をお休みしまして、新章へと移ります。
【もともとの雲南の牛は?】
屯牛によって、雲南の牛が村ごとに違うわけがわかりました。ただ、明代に中国各地から送り込まれた牛は背中にコブのない北方系牛。では、それまで雲南に多くいた牛はどのような牛だったのでしょう。
昆明市付近に限定すると、滇池周辺では紀元前の前漢時代(前206―紀元24年)ごろに最盛期を迎えたといわれる古滇王国と称される青銅器が手がかりになります。これには角が逆八の字にそびえ、背中にコブを持つ水牛のように見える彫像がよく出土します。
たんなる牛という言葉では片付かないほど神聖を帯びた姿は現在の雲南人の心をも捉え、昆明の雲南省博物館や、雲南の象徴的なところに青銅製のモニュメントとして飾られています。
このピンと延びた形のいい角をもった入れ子状の水牛にヒョウのような猫科の動物が食らいついているかっこいい銅像は滇池のほとり、江川県李家山遺跡で発掘されたものを大きくしたものです。
https://zh.wikipedia.org/wiki/%E7%89%9B%E8%99%8E%E9%93%9C%E6%A1%88
http://www.ynmuseum.org/2015/0410/27.html
ほかに当時の通貨であるタカラガイを収納した青銅製の貯貝器の上に立体的に描かれたレリーフや銅鼓の蓋にも牛が多数、付けられています。
http://www.chnmuseum.cn/tabid/212/Default.aspx?AntiqueLanguageID=699
http://www.chnmuseum.cn/tabid/212/Default.aspx?AntiqueLanguageID=702
いずれもすらりとした、もしくは、やや肉のだぶついたような背中に一つのコブを持つタイプです。
ちなみにこのあたりの遺跡からは「滇王之印」と彫られた金印も見つかっています。
金印の背に付いた鈕(つまみ)は日本の九州の志賀島で発見された「漢委奴国王」印と同じ蛇形。滇国印は『史記』西南夷列伝の、前漢の武帝が元封2年(紀元前109年)に下賜したという記事のもので、委奴国印は『後漢書』 東夷傳の後漢の光武帝が建武中元2年(57年)に奴国からの朝賀使へ授けたものといわれています。
166年の隔たりはあるものの、漢から蛇の鈕を持つ印で冊封された国というつながりがあるわけです。またかつてささやかれていた日本の金印の偽造説が雲南の滇国印の発見でほぼ一掃された因縁もあります。でも印の字が入るか入らないかという文面の違いは文字のバランスによるものか興味深いですね。今後、考えて見たい気もします。
「漢委奴国王」印https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%A2%E5%A7%94%E5%A5%B4%E5%9B%BD%E7%8E%8B%E5%8D%B0#/media/File:King_of_Na_gold_seal.jpg
「滇王之印」
http://www.chnmuseum.cn/Default.aspx?TabId=212&AntiqueLanguageID=698&AspxAutoDetectCookieSupport=1
話が逸れました。
これらのことから考えると、少なくとも滇池あたりの民族とともに暮らしていた牛はインド系牛に分類される系統だったのでしょう。どちらかというと、現在では水牛に属する部類のように見えます。そしてそのレリーフのリンとしたたたずまいから牛は神聖を帯びたものと見なされていたと思われます。
いまでも祭りの犠牲に牛を使う雲南の民族として独龍族などがいますが、牛は運搬や農作業の他、祭りの捧げ物にかかせない重要な動物だったのです。
(おわり)
※長らく牛におつきあいいただきまして、ありがとうございます。次週は更新をお休みしまして、新章へと移ります。