雲南、見たり聞いたり感じたり

雲南が中心だった記事から、世界放浪へと拡大中

通海の甘酒⑤道路の開通が生む経済効果

2014-03-30 11:17:28 | Weblog
写真はコオロギかごを売り。(2008年秋、昆明市中心街で撮影。)かつて映画「ラストエンペラー」の冒頭で3歳弱で即位した清朝最後の皇帝・宣統帝が即位式でコオロギ籠を大事に持ち、ラストシーンで一般人となった時にもコオロギが出てくる象徴的なシーンがあるが、中国の人にとってコオロギは戦わせたり、鳴き声を楽しんだりと特別に愛される虫となっている。
 コオロギ籠は中秋の名月の前より売り出される初秋の風物詩。農村部からいろいろな農作物や竹籠、竹ほうきなど携え、現金稼ぎに昆明市中心部まで農民が売りにくる。農民と都市民との格差が社会保障なども含めて歴然としているため、戸籍の改定など、中国共産党指導部は格差解消を試みるが、まったく追いついていない。

【日傘と石綿瓦の小屋がけ】
このように雲南ではずいぶん前から甘酒が造られていましたが、通海で名産品となった理由を見てみましょう。

 1940、50年代は雲南の多くの地域で甘酒は造られ、市場で商品としても売られていました。米と水、それに腐敗しない程度に冷涼な気候があればできるのですから、雲南なら米さえ手に入れば作れる、というわけです。通海の曲陀関でも毎日10キログラムほどの甘酒を市場に出し、曲陀関のある河西県城から周辺の峨山、玉渓など周辺地域のみで細々と販売されていました。
そこには「曲陀関甜白酒」という木札がかかっていたそうです。

その後、60年代、70年代と激動の時代を経て、中国全土で経済が壊滅的になった後、疲弊した農村経済を立て直すため、1980年代初めより生産請負制が始まります。これは国に上納した残りは市場で販売してよいというもの。

 通海県河西鎮では甘酒の生産販売で大成功を収めます。この地の住民の多くが甘酒造りに参加し、毎晩遅くまで仕込んでは市場に出すと、一日で甕は空っぽになったとか。値段の安さも評判を呼んだそうです。

 さらにこの地の甘酒が一気に市場経済の波に乗った第3の波は1999年のこと。昆明と通海、建水へと通過する主要道路の玉通公路が開通したことにあります。

 以前より甘酒を造っていた人々が道路脇に小さな石綿瓦(アスベストの瓦。滇池周辺や建設ラッシュに湧く建水等各地にアスベスト工場がたくさんあった。)の小屋を建て、その前に人が日傘を差して立ち(日差しが強烈なのと、目立つため)、通る車に甘酒を売るようになったのでした。

 開通から1年後の西暦2000年、曲陀関の人・趙麗華(当時28才)も道ばたで休んでいたときにその現象に気づき、この商売を始めたいと思いつきました。夫は同意しませんでしたが、その後も数日、道ばたの様子を観察した後に1000元以上をつぎ込んで(当時の大金。家一軒建つお金)玉通公路に12㎡のアスベストの建物を建てて、その年の2月16日に開店しました。

でも経験のない彼女の甘酒はいかにもおいしくなく、毎回、2㎏ほどのもち米で醸造しても、甘かったり、酸っぱかったり、辛かったりと失敗続きでした。
(『昆明信息報』より)

※家人がインフルエンザを発症したり、季節の変わり目は何かと忙しい日々が続きます。更新が断続的で読みづらいかと思いますが、お付き合いくださり、ありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。

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ワリコミ追悼考察・まつり前夜2

2014-03-15 11:42:42 | Weblog
写真は2008年北京オリンピック開幕10日前に昆明市内の路上でバス2台の爆破事件が起こった20日後の昆明空港。6人以上が一列になって歩いて巡回している。警察官の歩く間隔が一定でなかったり、ちょっと疲れ気味で臆病そうな空気が流れている様子に昆明に着いたばかりの私はほっとしたものだ。街中でも警察がテントを張って団子になって固まっていたり、バス爆発事件の起こった場所にはささやかな花が供えられていたが、人々はすでに普通の生活を送っているようにみえた。

【ホータンの地震】
 3月12日の日本の新聞の報道では、「暴力テロ集団」8人のうち、3人は事件の2日前に逮捕されていたことがわかりました。しかも昆明より南にある紅河ハニ族自治州で爆発物を製造していた容疑だったとか。駅で刃物を振り回していた人は、当初の発表よりさらに少なかったということになり、ますます不可解さが増しています。

 今回のテロは全人代(年一回、中国に一つしかない政党の中国共産党の重要決定を発議、決定するところ。否決されたことはない。)の直前に行われました。つまり政府になんらかの打撃を与えたいという政治的メッセージを乗せたい目的のテロと考えられます。

 覚えておられるでしょうか?昆明では2008年7月21日という、北京オリンピックの10日ほど前にも昆明の目抜き通りで「バス爆発事件」が起きています。

 私はちょうど、この事件の20日後に昆明に行ったのですが、空港では隊列を組んだ機動隊風に人々が銃を持って警戒にあたり、交差点でも警察の姿を多く見かけました。ただ、警戒はそこまでで、一般の人々は爆発が起きた路上に花を供えてはあっても、ごく普通の心持ちで生活をしているように見受けられました。警戒に当たる側も「恐ろしい事件に巻き込まれませんように」と祈りながら歩いているような、びくびくとした弱々しい空気が流れていて、「想像と違うな」と感じたものです。
 つまり、警戒する側もなんとなく弱々しく、隙が多く、周囲をあまり見ていない感じが昆明ではあるのです。(昆明駅警察隊が四川から来た出稼ぎ労働者に口論でやりこめられて、涙目に成っている様子が新聞に乗ったときも、「警察隊は涙目になっても、その場に留まってよくがんばった」という調子の文章が載っていました。四川方面から来る人は気の強い人、というキャラクターで固定されたイメージがあります。)

 このときは朝7時という早朝の出勤時間に2台のバスが相次いで爆破され、犯人は捕まらずじまいでした。

 じつは同年のクリスマスイブの12月24日に昆明のコーヒーショップで爆発がありました。雲南の宣威出身の男が自爆しており、彼は大量の爆薬を所持していました。彼は生前、「あのバス爆発はおれがやった」と公言していた、との地元報道がありました。それでも2008年の爆破事件は独立を目指すウイグル族の一派、と政府は断定しています。

 また日本の報道はほぼありませんでしたが、今年2月12日には新彊ウイグル自治区和田(ホータン)地区于田県でマグニチュード5.4とも7.3とも発表され、余震回数の739回を越えた大規模な地震があり、習近平総書記がさっそく注視している、という報道が、『人民日報』や中央テレビでなされました。

 この地域は「ホータン玉」といわれる中国の宝石の名産地です。
 昆明駅より北東5キロのミャンマー翡翠や「玉」を扱う店が建ち並ぶ(また昆明駅や昆明空港に近いことから日本の旅行会社が手配する3つ星から5つ星クラスのホテルが林立する)地域があるのですが、そこの目玉商品です。当然、玉を売るためにホータンからたくさんの人が昆明にやってきて、つながりも深いのです。現在、出稼ぎに来る人ら100人以上のウイグル族が昆明のその地域に暮らしています。

 地震と今回の事件は関係ないかもしれません。でも、外国とも地続きで通商が行き交い、警戒が手薄だけど政府への打撃は他の地域におこすのと同等の価値を持つ昆明は、どう考えても今後もテロの標的にされやすいのではないか、と考えてしまいます。

 世界中がなんとも物騒な空気に包まれています。政府の見解だけに踊らされない見識を持ちたいものです。

(次週は更新をお休みします。)
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ワリコミ追悼考察・まつり前夜1

2014-03-08 19:13:37 | Weblog
写真は昆明駅周辺のバスターミナル。昆明駅を目指し、もしくは昆明駅より雲南全土に散るバスターミナルが集結。日頃より昆明では突出して治安が悪い。私も普段の生活ではめったに近づかなかった。(2008年夏撮影。)

【「8」の謎】
 またまた悲しいことに、昆明で無差別テロが起きました。昆明駅で死者29人、負傷者143人の大惨事です。

 中国政府は証拠などを示すこともなく、今回の犯人をまたも中国からの独立を目指すウイグル族の人達の犯行、と発表しています。マスコミはこのテロについての取材を制限され、新華社報道に準じるように通達を出しているそうです。

 昨年10月末に天安門広場に車でつっこんで炎上した自爆テロもウイグル系中国人という政府発表で世界にあっという間に広がりました。

 このときに政府が実行犯としたのが3人、他に食糧調達部隊などで5人、計8人による犯行と発表しました。その後、ごく普通の考えでウイグル系の犯罪という立場に賛同しない発表を行った中央民族大学の経済学者イリハム・トフティ氏が1月に突然、拘束され、2月25日には国家分裂容疑で逮捕されたということです。国家分裂容疑はチベットのダライラマ14世などにも出されている死刑もありうる容疑です。

先日の3月1日の昆明駅での無差別殺傷事件をよくよく考えていくと、不思議なことに10月末の政府見解と共通点が浮かび上がることに気づきました。

 まず、テロの実行犯が8名だと断定し、即座に射殺、もしくは逮捕されたこと。事件が起きると、証拠を出さずに中国からの独立を目指すウイグル族の一派の犯行だと、間髪を入れずに発表したこと。国内での報道は外国以上に情報が少なくなっているということです。

 中国のマスコミには報道規制がなされていますが、それでも中国の人の「つぶやき」を見ると、

Ⅰ 8人で25分の時間で172人を8人で殺傷するには、犯罪者一人あたり、約1分で1人ずつ斬りつけなくてはならないが、ナイフのみでしかも抵抗もする男性客もいる場所で可能なのか

Ⅱ 警察が押収したナイフの量は何十本もあるが本当に実行犯は8人なのか、事件はまだ解決していないのではないか

Ⅲ 射殺された実行犯とされた人物は、たまたまそこに居合わせた一般人を誤って撃ったらしい

と、警察はなんら真実に近づいていないことを示す見解が次々と出されているのです。

以前、中国明代の聞き書き民話集として創られた『聊齋志異』や『世説新語』と日本の昔話を比較して読んでいたことがあるのですが、その時、気づいたことが、数字の不思議。

双方とも日にちは「3」が多用され、他に人数や饅頭の数などでは、日本は「7」、中国では「8」が目立って多く出てくることです。たぶん、縁起がよいことと、この数字なら「いっぱい」という感じがするという感覚なのでしょう。

テロ犯が8人と発表されるのも、根拠がない場合だからこそ、依拠したい数字なのかもしれません。それだけに真実とはあまり思えない物語性のある数字に思えます。  (つづく)
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