雲南、見たり聞いたり感じたり

雲南が中心だった記事から、世界放浪へと拡大中

雲南のはちみつ⑥ 中国の皇蜜

2015-02-22 10:41:34 | Weblog
写真は文山の苗族がいつからか人里離れて住んでいたと語る村。そこで見かけた家のまん中に竹の簀の子が泥と牛糞に捏ねられ作られていた。聞くとハチミツ用の巣の家だという。修復も容易で手がかからないと言っていた(2004年10月撮影。)

【羅平県の新特産】
さて、「皇蜜」が日本で売られているわけは、前回、書いたように日本人が深く関わり、雲南農業大学が「発見」し、製品化したからでした。

一方、中国で注目されつつある「皇蜜」は大学以外に仕掛け人がいたのでした。
(以下、『雲南信息港』2013年11月12日よりhttp://yn.yninfo.com/message/mes/201311/t20131112_2176727.htmlなどを参考とします)

2007年、羅平県出身の朱洪坤が雲南農業大学を訪れます。彼は出身地で一旗揚げたい、そのために羅平の特産品のハチミツで何かできないか、と考えていたのです。軍に7年勤務し、除隊後、昆明で様々な職業を経験し、苦心の末、ようやく創業した広告業を軌道に乗せたところでした。

そこで研究者の話を聞く中で、世界規模のハチミツ業を起こす目玉として「ヤハシの蜂蜜」に着目。雲南土着のミツバチよりもミツの採取に効率のよいアメリカから取り寄せたイタリア蜂を雲南農業大学からもらい受け、羅平県で菜の花ハチミツを手始めに養蜂に取り組みはじめます。

そのころ羅平県には中国文化大革命期の1969年に「知識青年」として雲南に下放され、ハチミツ業を起こした雲嶺蜂業工貿有限公司のリーダー曽林章など50家ほどの中小や家内制の養蜂業者がすでにありました。彼らが使うミツバチは雲南にもともといた小型のハチ。牛糞と泥を捏ねた箱に巣を作らせ、花の時期が終わった頃、年に一回、かち割ってハチミツを取り出す方法が主でした。

 地元のハチは病虫害に強く、飛距離はあるものの、ミツの採取量は少ないため、どうしても厳密に一種類の花限定とはならず、様々なハチミツが合わさった「百花蜜」になってしまうこと、大量採取は難しいなどの欠点がありました。ちなみにこのタイプの養蜂は雲南各地で見られ、雲南中東部の文山の農村でも見かけました。

それを朱洪坤は変えたのです。ただし、病虫害に弱く、寿命が短いため、しばしば路上に大量死する光景が見られ、地元や環境を心配する識者からの反発を浴びました(『雲南経済報』2011年6月30日)。

 やがてヤハシ蜜の農場を羅平県に5カ所もうけて満を持して採取を開始。
 また、本業の広告業の嗅覚を最大限生かしてヤハシ蜜を、より贈答品としての価値を見た目にもわかりやすく工夫していきます。
 まずヤハシの蜜がかちかちに固まる性質を生かして、中国人が喜ぶ円盤状に固め、包装も金の布地にいかにも大切そうにおさめ、効能書きを添付。「皇蜜」の名で声望を高め、この章の初回にも書いた通り、2011年11月に羅平県の朱氏の率いる蜜語蜂業科技開発有限公司が国際農業博覧会で金賞を受賞、一気に雲南の新たな特産品の地位を獲得したのでした。
以後、マスコミの朱氏へのバッシングもぱたりと止みます。   (つづく)
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雲南のはちみつ⑤ 日本人、蜂学部の先生に

2015-02-08 11:55:07 | Weblog
写真は雲南農業大学の正門(2005年撮影)。中国有数の農業大学として、京都府立大学(農学全般)、明治大学(畜産)、や琉球大学など日本の大学との提携も活発に行っている。(ただ、雲南全体としては、日本との外交関係の悪化にともない、共同研究の縮小や停止、廃止が相次ぐ異常事態が続いている)

【日本の中小企業が中国へ多数進出したころ】
雲南農業大学に招聘された山口喜久二氏は父親に肝臓がん治療としてローヤルゼリーを与えたところ退院できるまでに回復したことを機に1960年代に研究とローヤルゼリーの販売をはじめました。
中国との縁は1993年。日本の環境の悪化からより汚染の少ない蜜源を求めて青海省の菜の花からローヤルゼリーの採取をはじめました。

(山口氏に限らず、当時、日本の会社はこぞって中国への進出を目指しました。中国の各都市からもさかんに日本の会社に中国への進出を勧める事業団がそれこそ毎週のように訪れ、東京や大阪の一流ホテルで交歓会が催されていたのです。私も「投資商談会」を日々、取材する仕事をしておりました。そのころの中国の空気はよく、自然環境も豊かで、日本人から見ると「昔懐かしい日本の風景」と思う若者と戦争世代のノスタルジーが交錯して、なかには人肌脱ごうという義侠心にあふれる人もいたものです。ただ、事業者の方からは利益が上がっている人はなく、みな、先行投資と割り切っている、と口にされていました。)

2000年からは雲南農業大学蜜学部に招聘され、2002年に国家プロジェクトとして「山口喜久二ローヤルゼリー科学研究室」が同大学内に設置され、自身の長年のノウハウの伝授を行うとともに、新たな開拓を始めたのです。

 そんな中、探しあてたのが雲南の山奥に自生する、石けんのように固まるヤハシの蜜。山口喜久二農法雲南農業大学官製の「皇蜜」として販売が開始されました。
                               (つづく)

※来週の更新はお休みいたします。寒さの厳しい折、みなさまご体調にお気をつけください。
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雲南のはちみつ④雲南農業大学

2015-02-01 11:57:58 | Weblog

写真上が雲南農業大学構内にある蜂蜜製品の販売店。下が雲南農業大学にある蜂学の建物「蜂学楼」(2005年撮影)。


【蜂学】
そもそも「皇蜜」を調べると開発に力を入れているのが山口喜久二という日本人だったのでした。そして、私が雲南のハチミツを強く意識したのも、昆明市郊外にある雲南農業大学にうやうやしくパネル展示されている山本喜久二氏の白衣姿の大きな写真からはじまったのでした。

 ある日、雲南農業大学構内の桜の花がとてもきれいに咲いている、という記事を読んだことから、ふらりと2月末に北郊外の大学を訪れました。
 桜の花はカンヒザクラのようで、桃色が濃く、カチッとした蝋細工のような桜が、寒空の中、ポチポチと咲いていました。その桜の下を歩く学生たちは、ジーンズのジャンパーに、ジーンズのズボンといった、ごく普通の大学生の出で立ちでした。女性が意外と多く、中国の大学ではよくあることですが、かつて大学に奉職していた方の一族たちが住むアパートが併設され、健康のためにウオーキングするお年寄りの姿も多い生活感のあるキャンパスでした。

 桜も見たことだし、と構内をぶらぶらしていると、隅のほうの蜂の立体模様のついた売店があり、ガラスのショーケースに無造作に蜂蜜が置かれていました。なかなかの賑わいです。
 日本の農業大学でも、自家製の食材を売っていますが、中国でも同様のようです。値段は街の蜂蜜専門店よりも流通費分、安いといった値付けで、瓶には大きく「無公害蜂蜜」と書かれていました。
 山里にあるから、という意味なのでしょうが、拡がり続ける昆明市にまもなく飲み込まれ、「郊外」でも「無公害」でもなくなるのは目に見えていました。

 この売店の横が蜂蜜の研究室でした。雲南農業大には1985年から東方蜂蜜研究所を併設して蜂蜜の研究を熱心に行っていたのです。さらに2005年からは中国国内でも2カ所しかない蜂学部を設置し
(ほかにあるのは福建農林大学のみ。中国のサイト、百度百科の「蜂学」より)、
 蜂学楼と書かれた建物は近隣住民のよい待ち合わせ場所ともなっています。たとえば2015年現在もなお、蜂学楼と呼ばれる建物が発着点となるバス路線があるほどです。(http://www.ynau.edu.cn/showart.aspx?id=1368)
 東方蜂蜜研究所の所長が同大学の副学長となることからも、その主流ぶりがわかります。

この蜂学部の入り口近くの廊下に「山口喜久二ローヤルゼリー科学研究室」という立体看板と、山口喜久二さんが、2000年から奨学金や多額の寄付を行っています、といった内容の文章が感謝の念をこめて彼の写真とともに掲示されていたのでした。   (つづく)


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