雲南、見たり聞いたり感じたり

雲南が中心だった記事から、世界放浪へと拡大中

丹増あらわる①

2017-08-27 14:41:21 | Weblog
写真はシャングリラから麗江に向かう道にて。観光道路は次々と立派になるが、それらの間の一般道路は急峻な崖をただ削って、平らにならしただけのところが多く、大雨ともなると、大岩が斜面を滑り落ち、道をふさいだり、削った山肌に十分な草木が生えず、そのまま崩れてしまい、通れなくなる道が各所にあった。一度、寸断されると、数時間から1日はそのまま動けない。なかには、街の校長先生のような人が指揮して、山をさらに削って、一方通行の道をあっという間に作り上げ、通行料を徴収して交通整理をする関所のようなものを作り上げたところもあった。とこかく先に動けるので、それでも助かった思いがした。その柔軟性と関所はじめて物語を見る思いで、心楽しくもあった。
 あっという間に通常の三倍の値段で水を売る人が現れる場所もあった。

【名門出のジャーナリストの少数民族出身者】
丹増は1946年12月、チベット族の生まれで、チベット自治区の山間の那曲地区比如県の出身。中国共産党がチベット自治区へ侵攻し、「奴隷解放」をしたころ。
その言葉に感化されて地元を離れ、1960年7月に陝西省咸陽市にある西蔵学校で学び、1965年、北京の少数民族出身者の最高峰・中央民族学院の新聞訓練班選抜学生になりました。

ところが入学の翌年に文革が起きたため、彼はラサの西蔵日報記者に配属されます。そして文革中に選抜で上海の名門、復旦大学を出ました。
1983年には西蔵自治区の文化庁長官、85年からは同自治区の委員副書記に、そして2002年4月に雲南省には省委員副書記に着任しました。雲南にきたのは、このときが初めてとのことです。

つまりチベット自治区の少数民族の出自で最終学歴は名門・復旦大学を出たジャーナリスト。これは希有な経歴です。

彼の役目はこの経歴からしても、ひたすら文化面にありました。

着任するとすぐに中国でも、そして日本でも知られる謝晋監督(『芙蓉鎮』『乳泉村の子』など)に電話をかけ、「雲南の独特の風景といった撮影条件をつかって、世界一流の映画撮影基地にしたい」といって口説き、麗江束河古鎮映画撮影基地の落成式の時には、謝晋監督は上海から麗江にやってきて落成式に立ちあいました。

 これだけでも、雲南市民は、自分たちのために有名人を連れてきてくれた、と感激します。しかも記事になりやすい題材です。
ちなみに上記の村では、その後、チャン・イーモウ監督が高倉健を主演として「単騎、千里を走る」(中国・2005年12月/日本・2006年1月公開)を撮影しています。
この村は多くの撮影に使われ、そのために日本からの麗江ツアーでもかかせないスポットとして行かれた方も多いところです。
                           (つづく)

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雲南の書記と副書記20 副書記の役割バランス

2017-08-19 13:15:40 | Weblog
写真は雲南北部、シャングリラのチベット仏教寺院の修復の様子。職人の方々は、わりとフリーハンドで、難しい文様を描いたり、金細工をはめ込んだりしている。一見、ざっくりとした修復に見えるが、習熟の度合いも感じられた。
 少し、色合いが日光東照宮の文様のようにも見える。


【西部出身で固める】
以前書いたように2001年12月に副書記に選ばれた陣容は徐栄凱の他には、楊崇匯、王学仁、陳培忠がいました。

楊崇匯は、1945年、四川省塩亭の出身で重慶医学院医療系を卒業し、共青団四川省重慶市医院副書記、1994年の四川省副省長、と党四川省副書記をへて、2002年より雲南省政治協商主席と党副書記になりました。現在は全国政協港澳台僑委委員会の主任となっています。

王学仁は、1946年、雲南の嵩明県の出身。雲南省出身の漢族です。各地の市委員会書記を経て1998年より雲南省委員副書記に、2001年12月より中共雲南省委員常任委員、中共雲南省委員副書記となっています。2007年には雲南省政協主席となりました。

陳培忠は、1942年、貴州省の出身。漢族です。軍事畑を歩み、1996年12月から雲南省軍区の政治委員となり、2001年12月より王学仁らとともに中共雲南省委員常任委員、中共雲南省委員副書記となっています。2002年11月より中央規律検査委員会委員となりました。同時に人民解放軍側からの全人代代表にも選ばれています

2001年10月から雲南の党書記となった白恩培のもとに、胡錦濤国家主席の朋友の徐栄凱、やはり胡錦濤系列の共青団出身として胡錦濤が長く在職していた(甘粛、貴州、チベットといった)西部地区の四川省にいた楊崇匯、雲南の事情に明るい漢族の王学仁、さらに貴州出身で軍務に明るい陳培忠といった布陣でした。陝西省出身の党雲南省書記の白恩培を含め、全員が西部地区の出身ということになります。

これは2000年3月に当時の国家主席の江沢民のもと「西部大開発」計画を推進されたことと関係があるでしょう。インフラ整備、エネルギー開発や水資源をしてそれを沿海部の大都市に送る計画、国境を接する国々との辺境貿易などが掲げられました。

ちなみに中国西部地区というのは、甘粛省、貴州省、寧夏回族自治区、青海省、陝西省、四川省、チベット自治区、新疆ウイグル自治区、重慶市、そして雲南省です。

とはいえ、これだけでは、ぱっと見、雲南の市民レベルに親しまれる要素がありません。

そこに登場したのが丹増です。2002年4月に雲南省委員常務委員、省副書記に。これら中国共産党雲南省副書記にくらべると、地位は一段落ちるのですが、経歴の親しみやすさが抜群でした。
(つづく)
※この回、たいへん長くなっております。今年行われる中国全人代のパワーバランスの縮図が雲南を注視すると見えてくるので、ついつい、深掘りしております。まさに、歴史を見ると未来がわかる、です。
よろしかったら、おつきあいください。

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雲南の書記と副書記19 

2017-08-06 16:00:16 | Weblog
シーサンパンナの打洛付近のゴム林。この辺りの多くの場所に文革中に多くの学生が「下放」といって、知識と労働の一致のためという名目で、実際には都市の食糧不足の改善のために農村に親元を離れて居住した。そして、各地にゴム林を植えていった。同じ時期に植えられたゴムの木だが、こちらの方が、葉がしげり、幹も太くなっている。タイ族の寺院の敷地内にあるためかもしれない。


【清華大学つながり】
2001年5月に汚職で失脚した雲南省長の後釜に付き、同時に共産党雲南省副書記を拝命した徐栄凱は60年に清華大学動力学部に入学しました。

65年に清華大学動力学部の学生会会長に選ばれていた徐栄凱は、水利学部の学生会長だった胡錦濤と自然と知り合ったようです。
 入学後に文化大革命がはじまり、政治指導員だった胡錦濤が批判の対象となって「つるし上げ」にあい、以後、胡氏がキャンパスを暇つぶしに張り紙を見て回るだけの政治に無関心な人として過ごしていたときの散歩仲間でもありました。

 その後、卒業後、いくつもの人事異動を経て胡錦濤が貴州省党書記となり、省の経済振興に奮闘していたとき、徐栄凱は貴州省のとなりの四川省で軽工業局長をつとめていました。胡錦濤が地元・マオタイ酒の復興に奔走していたとき、造酒のさかんな四川の技術、資金や流通の支援を四川省の軽工業局長として支援し、その後のマオタイ酒の成功に導いたのです。

そ の後、徐栄凱は軽工業省次官となった後に、清華大学経済管理学院の博士課程に入学し、5年後に博士号を取得。また様々な経歴を経て、95年には胡錦濤の推薦により国務院研究室副主任に任命され、98年には国務院秘書長、さらに同年国家科学技術教育指導グループのメンバーとなり、2000年10月には中国国際災害対策委員会副主任に就任しました。

現在の中国の興隆の地盤は、たしかな技術を持つテクノクラートが政権の中枢にいる、彼らが判断する立場にいる、ということが大きいように思います。

 日本の政治のぐだぐだを見るに付け、地道にたしかな知識で国を支えてきた人が厳しい政権争いの中で、火の粉がかからずに最上位の上がれる、というのは、うらやましいようにも思えます。

 清華大学卒の人脈は胡錦濤を支える重要な要素ですが、なかでも雲南へ配置した徐栄凱は、彼の腹心とも呼ぶべき人でした。

 ちなみに現在、中国の最高位に付いている習近平も1975年に清華大学化学工程部に入学しています。ただし、1966年に文化大革命がはじまってから1977年に鄧小平が復権して大学入試を復活させるまで、通常の学力試験による大学入学のルートはないので、学力試験ではなく、所属する労働隊の推薦といった特殊な選抜方法による時期でした。

 習近平とともに現在、国を運営している国務院総理の李克強は77年に鄧小平の号令のもと大学入試が復活が決定した翌年、78年に受験して最難関の北京大学法学部に入学しています。

※参考文献:祁英力著『胡錦濤体制の挑戦』(勉誠出版。2003年)
      大塚豊「文革期中国の大学入学者選抜に関する一考察」『広島大学大学教育研究センター大学論集』第8集、1980年、109-128頁
 (つづく・次週はお休みします)
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