雲南、見たり聞いたり感じたり

雲南が中心だった記事から、世界放浪へと拡大中

昆明の飲み水12

2013-02-23 10:50:19 | Weblog

写真上は「創建 健康城市/享受 健康生活/1元=健康」などと書かれた「消毒皿」。小皿とお椀2個、コップ1個がぴっちりとビニールに包まれている。
写真中はおぼろ豆腐。日本の豆腐と違って、豆を蒸かす前に絞った汁で作る「生搾り製法」の豆腐に唐辛子や山椒、パクチー、ネギなどを入れたたまり醤油でいただく。魚は地元の小魚・江魚の素揚げ。サクサクとして、泥臭さもなく、ビールに合いそうな味だった。(2010年夏撮影。)

【滇池の味】
 滇池脇の音馨飯店。ドライブ客と地元の客でにぎわっているだけあって、おいしい。意外に水がいい。小魚のフライに、おぼろ豆腐、地物キノコのスープ(うすい塩味)、青菜炒めなどを食べた。大皿にどーんと盛られてくる。客には一人一人「衛生済み」と書かれたビニールにしっかりとラッピングされた皿とお碗とおはしのセットが出るので、それに取り分けてめいめい食べる。このラッピングシステムは以前、住んでいたころにはなかった習慣だ。同じ時期に行った上海ではまったく見かけなかったものなので驚いた。

 厨房を見せてもらったが、飲み水はミネラルウオーター、洗う水などは水道水、食材は近くの畑でとれたものでまかなっているようだ。畑の水は雨水と、ちょっと掘るとでてくる井戸水でまかなっているのだが、滇池の汚染が味に出ていないのはどういうわけなのだろう。もう20年、国で5本の指に入るほど汚染された湖だというのに。危険は味にでないのかもしれない。

 「滇池治理」というスローガンのもと取られている対策に滇池で大量発生する藻を取る、ゴミを掬う、という地道な作業が延々と続けられているのだが、その作業も意外と有効なのだろうか。滇池を緑に染め上げ、不気味な蛍光色を帯びたようなアオコが好む窒素やリンの減少には有効なのだが、根本的な対策にはなってないはず。作物に影響がないはずはないのだが、素直においしかった。

 さて、雨もやんだので、また歩く。しばらく行くと、また別の村に着いた。ここは、何かにとりつかれたかのように煉瓦の建物を破壊していた。その脇の看板を見ると、いまはただ汚れた滇池と畑しかない村だが、ここにマンション群が建てられることがわかった。

 2004年に昆明の北郊にも似たような光景があった。見渡す限り畑が広がるだけの場所に新しいマンションが続々と建ち並んでいた。こんな町はずれに建てても、街へのアクセスはどうなるの? 本当にここが高級な場所になるの、と驚くばかりだったが、いまではすっかり街中に取り込まれている。まもなくその北のマンション群にも地下鉄が通るはずだ。そう考えると、この昆明中心から南の場所も同様に開発されることは明白なのだろう。
さて、ようやく盤龍江の河口に着いた。
(つづく)
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昆明の飲み水11

2013-02-17 21:10:12 | Weblog
写真は滇池のほとりにある温声飯店(2010年撮影)。ドライブ途中らしい値段の高そうな車が店の前にたくさん止まっていた。お昼時はほぼ満席。昆明の人は腹時計がしっかりしているらしく、お昼きっかりにきっちりお昼を食べることを当たり前にしているので、ちょっと、おいしそうな店はおおはやりなのだ。

【田舎へのドライブが老若男女とわず人気】
しばらく草が茂り、鳥の姿のない道を歩くと、ひなびた村に入った。六甲郷だ。雲南南部のシーサンパンナの地名であるモン海烤鸭店があり、賑わっている。香ばしい肉を焼く煙とともに、トウガラシも飛んできているようで辺り一面が辛くてむせる。やたらと子どもと野良犬が多い。

滇池の周りを一周できる道路が走っているので、ドライブ客目当ての食べ物屋が数件、建っていた。どうやら田舎へのドライブがはやっているらしく、四輪駆動の大きくてピカピカの黒いジープと大型の自動車が店の前に留まっていた。

話は前後するが2010年には昆明中心街の書店にもドライブガイドが写真つきで置かれていて驚いたが、じつは昆明は北京どころか全国でも車の保有率はトップクラスの街なのだ。わが家が住んでいた宿舎の人々は一家に一台、車を保有している人が多かった。統計で見ても2009年には昆明で100万台突破。そのころ北京では一日1900台ずつ増え続けている。こうして2012年2月には北京の保有台数は500万台を突破。中国全体では2011年8月に1億台の大台に乗せている。

ちなみに北京の面積は約17000平方キロメートル。ほぼ岩手県と同じ広さだ。比較しにくいが、2008年の統計で岩手県の保有台数は85万台強だった。日本全国では現在8000万台弱。つまり、すでに車の保有台数で日本をはるかに超えてしまっていることがわかる。また人口比で考えてもまだまだ車保有台数が爆発的に増え続けることは容易に予想できる。

20年以上前に中国に行ったときに自転車だらけの北京や上海を見て「この国で経済が日本のようになって、みんなが車を持ち始めたら大変なことになるだろうな。こわいな」と思っていたが、いよいよ現実になってしまった。

しかも昆明は高原のためかガソリンが不完全燃焼をおこしているらしく、朝夕のラッシュ時でも2004年時点でも目がチカチカした。ガソリンも質も劣悪だ。車の整備状況もよくない。これらは一つ一つ解決するしかないだろう。

さて、小雨が降ってきたのでその脇の食べ物屋に入った。
暗い店に蛍光灯が一つ、友だち連れ風の20,30代の男性数名の団体が二組ほどいて、円卓に小さな座椅子の店で大皿を囲って楽しげに語らっている。日本でいうところの田舎のドライブイン、といったところか。

あの滇池脇の料理屋、どんな水でどんな料理がでてくるのだろうか。ちょっと怖いけど、雨がやむまで食べてみよう。
        (つづく)
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昆明の飲み水10

2013-02-10 15:28:47 | Weblog

写真は人通りの少ない滇池のほとりに忽然と立ち並ぶ遊覧船のりばとタイ族レストラン。

【盤龍江の下流へ】
盤龍江の中流域は多くの都市住民や観光客も目にするところだからか、下水処理施設の整備や雨水の再利用設備の新規導入などで最大限の努力がなされ、水質改善の効果はかなり上がっていた。
 が、滇池に流れ込むところはどうなっているのだろう。おそらくお読みくださる方は、察しておられるだろうが、確認のために川の流れ込む福保村にまで足を伸ばしてみた。

 例によってホテルの前に並ぶタクシーに地図を出して行き先を知らせてみたものの、案の定、「知らねえな(我不知道!)」ととりつく島もない。そこで、公共のバスで滇池に最も近いバス停(雲南民族村、海哽公園)まで乗り継いでいった。

 そこから先は地図では、あと少し、5㎞一本道を南へ下がれば盤龍江が滇池に流れ込む場所となる。雲南民族村の前にもたくさんタクシーが停まっているので数台に頼んでみたのだが「行ったことない!」で、おわった。

 よくよく探すと、ここから先へ行くバスがあった。乗った。「海哽(村)」で下車。あと4㎞ほど距離があるが、あとは歩くしかない。

 なんと、ここまできて、タクシーも通らないところに、立派な滇池の遊覧船乗り場があった。遊覧船もあった。付属施設としてタイ族料理レストランもあった。けど、中をのぞくと新しそうなのにすでに廃墟と化していた。おそらく政府の主導する「滇池国家旅遊度假区」のバブル需要を取り込もうとして早々に失敗したのだろう。(日本でもよく見る光景。)

 大きな道路を挟んだ向かい側には巨大で立派な施設があった。「体育訓練基地」(西山区湖濱路57号)と書かれていた。昆明は日本からは女子マラソンの選手が、ドイツなどからは水泳選手が高地合宿に使い成果を上げていた。2004年のアテネオリンピックで金メダルをとった野口みずき選手が昆明で厳しい走り込みをしていたことは有名だ。
 昆明の日本料理店に行けば彼女たちのサインが掲げられ、エピソードの一つや二つは店主がうれしそうに話してくれる。まあ当然、「中国にあるのになぜ中国人がここで訓練をしないのか?」と中国の新聞がかき立てることとなり、中国選手の練習場所としてもメジャーとなった。この施設はその関連の施設のようだ。

(ネット検索によると、なんと今を去ること30年以上前の1975年に高地訓練を目的に設立され、2007年にリニューアルオープンした、海抜1888メートルにある国家体育委員高原冬訓練基地とあった。ホテルも併設され各種訓練や大会に利用されているそうだ。)

 少し滇池沿いに歩くとゴミ置き場があり、ひたすら生ゴミくさい。滇池は緑色。あきらかにアオコが発生して、酸素不足に陥っている。そんな中でも時折、魚がピョン、と飛ぶのがけなげだ。
さて、盤龍江の河口までもう少し歩こう。
 (つづく)
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昆明の飲み水9

2013-02-03 13:03:10 | Weblog

写真上は盤龍江中流域の歩行者天国脇の公園で寝ころぶ掃除夫と野良犬。写真下は盤流江中流の水面。ゆるやかに清浄そうな藻がたゆたっていた。2010年夏撮影。

【盤龍江の中流が清流に】
 さて、盤龍江はおそらく、きれいな水であろう松華坝ダムから、ダム下にある上坝村でさっそく下水処理されないままの生活排水がそのまま合流し、さらに下るにつれ、黒みを帯びた水になっていく・・、と、前回までをお読みの方は容易に想像されることでしょうが、これが、街の中心を通るころには一変していた。
 
 私が住んでいた2004年から街の中心・南屏街は主要道路を地下へと通して歩行者天国となっていた。そしてゆるりと散歩する先に盤龍江が流れていたのだ。
 広場から水辺にかけてテラス状の円形の弧を描いたゆるやかな階段を下りていくと、川に手を浸せるほど接近できる。ただ当時は、とても手を浸す気になれないほど黒く、緑の藻が浮き、夏場にはなんともいやな臭いがした。
 それが2010年夏の段階では、この場所がほぼ、清流とに変化していたのだ。あくまで水は透明で、藻がゆるやかに茂り、清流に身を任せるさまがはっきりと見える。小魚が戯れる姿も。いやな臭いもない。

 周辺は公園化され、おじいさんが中国独特の大きな駒を回したり、街の人にモノを売るのに疲れた青年が、子犬とともにまるまって寝ていたり、とまるで、日本ならば銀座のすぐ横の角、とは思えないほど、のんびりとした空気が流れていた。

 これほどまでの整備には、当然ながら、雲南省および昆明市政府のすざまじいばかりのメンツをかけた努力があった。

歴史をさかのぼると・・。

1994年 早くも松華ダムから盤龍江をへて滇池にいたる40ケ村、28㎞の工程の緑がすさまじく破壊されていくのを食い止めるために、数カ所の緑地帯を定め、公園化された。

1999年 昆明で開かれた世界の花博覧会開催に合わせ、まず、清朝時代から続いた川沿いの城壁と、文人らが多く住んでいたという、煉瓦造りの風情あるアパートが取り壊され、コンクリート製の、すぐに汚れてしまったのだが、当時、最新式のアパート群が建てられ、1階が店舗化された。

2002年 スイスのチューリッヒ市政府とチューリッヒ市にあるASP公司に川周辺の緑化についての設計を依頼。
(常に世界で最も住みたい都市ランキングの上位にあり、高原に位置し、チューリッヒ湖から流れ出るリマト川の両岸に発展した市街地の様子が、昆明が目指すべき都市にぴったりと思ったようだ。)

 スイスの会社は、都市区域のすべての川岸にとびとびにあった緑地帯を一体化し、さらに歩道を整備するように設計。さらに10ケ所の公園をさだめて、釣り、中央、湿地といったそれぞれに特徴的な公園とするようにしました。当然、もっとも優先すべき課題は、汚水などの対策として、提言。
 この計画にしたがって
2008年より川の両岸10メートルの範囲の建築物を排除し、両岸10メートルから28メートルの範囲の緑化対を暴雨が襲ったときのための湿地帯とする工事を開始。この泥がまず浄化作用をもたらしたのです。さらに汚水を垂れ流す企業を移転させ、その後も盤龍江中流域を整備したために、不法に汚水を流す企業を摘発することが容易になり、川の水質を劇的に改善させる効果をもたらした。
 
 さらに下水管の整備や盤龍江沿岸に7カ所の雨水調節池をもうけることに。それ以外の滇池に流れこむ川も合わせると16カ所の同施設を設けることで、従来、懸案とされていた雨期の暴雨と、乾期に汚れきった水が滇池にそのまま流れ込むのをおさえることに。この施設は2013年、つまり今年9月から試運転を開始する、と昨年3月に発表されている。
 さらに今年、6月からは同様の意図でさらに川沿いに23カ所の公園を作ることも明言。
こうして、中流域の水質は目に見えて改善していったのだった。

さて、これは蛇足ですが緑化の計画が発動し、整備が終わるまでの2002年から2007年までは、お世話になっているチューリッヒの会社名も新聞によく登場し、とても彼らを敬うような記事が掲載されていたのですが、2012年ごろには、いかにも自助努力で緑化公園ができたかのような賞賛記事ばかりがならび、チューリッヒの文字がかけらすら見えなくなってしまっていたのでした。
(つづく)
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